2017.06.23

柳川悠二★永遠のPL学園――六〇年目のゲームセット …………☆選手12人のせつない最終試合

20170623

 

  桑田真澄、清原和博というKKコンビが五季連続で甲子園に出場(1983年夏~1985年夏)し、立浪和義、片岡篤史らが春夏連覇を達成(1987年)した80年代の黄金期

 野球少年たちはみな、投手がプレートに足をかける直前、あるいは打者がバッターボックスに入る直前にフォームの胸の部分を握りしめるPLナインの所作を真似した。

  この所作は、PL教団で「おやしきり」と呼ばれる宗教儀式である。

  心の中で、「お・や・し・き・り」と唱え、「普段のが発揮できますように」と神に誓う。

  PLの球児が握りしめているのは、ユニフォームの下のアミュレットと呼ばれる御守だ。首から提げられた御守の中には、1万円の寄付や教団のトップである教祖(PLでは教主(おしえおや)とも呼ぶ)がしきった(祈りを込めた)みたま(神霊)が入っている。

 

 永遠のPL学園――六〇年目のゲームセット |柳川悠二|小学館|2017年3月|ISBN: 9784093798907|○

  PL学園高校(大阪府富田林市)の硬式野球部が初めて全国制覇を達成したのは、1978年夏、第60回全国高等学校野球選手権大会である。

  応援団が座る一塁側アルプス席在校生700人で描かれる巨大を人文字は、「PL」の二文字だけ

でなく、「打て」「GO」と変化して極めつきは「シキレ」。「シキレ」は「遂断れ」、これは「祈れ」の意である。

  初の全国制覇から38年後の2016年7月15日、「新入部員募集停止」で後輩のいない12人は、公式戦未勝利のまま夏の大阪大会初戦を迎える。相手は、東大阪大高校。

 1回表、PL2点先取。その裏、柏原同点。2回裏、柏原3点。6回表、PL2点。4対5で迎えた7回表、PLは走者1人をおいてレフトスタンドへホームラン。6対5とひっくり返す。

  ――ベンチとスタンドのボルテージは、最高潮に達した。1978年夏の「逆転のPL」を彷彿とさせる劇的な試合展開に、若いOBは絶叫し、老年のOBは涙に暮れた。(本書)

  しかし柏原がすぐに同点に追いつき、9回裏には再び逆転に成功。9回表のPLの攻撃は三者凡退。試合は6対7で決した。

 「永遠の学園」と校歌に歌われた名門野球部は、この日をもって事実上の廃部となり、およそ60年の歴史に終止符を打った。

  上掲の桑田真澄、清原和博をはじめ、立浪和義、宮本慎也、福留孝介、前田健太など81人のプロ選手を生んだPL学園は、なぜ廃部に追い込まれたのか。1976年生れでスポーツ中心のノンフィクションライターは、2年間にわたりPL学園野球部を追う。なぜ廃部なのか……。

  第1に、野球部を育ててきたPL教団の2代教主御木徳近の死によって、精神的支柱を失ったこと。

  第2に、暴力事件の多発による対外試合禁止。野球部には厳しい上下関係があり、1年生は3年生の付け人となり、身の回りの世話や自主練習の手伝いをする。そのことが事件の温床となっていた。

 第3に、学園の母体であるパーフェクトリバティー教団の意向による財政的支援の打ち切り。

 元幹部の驚くべき証言。信者数は公称265万人とされた黄金期でも実数は約90万人で、公称90万人とされる現在は数万人程度でしょう。

  20165月時点で、生徒数は3学年でわずか188人。もし甲子園に出たとしてもアルプス席に人文字を作ることはとうていできない。

 元教団教師が証言する。

「野球部の廃部以前に、学校が廃校になるのではないかと危惧しています

 

 それはともかく、著者は最後の12人の選手たちの姿を追う。せつなさが迫る。

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