2016.04.13

小熊英二■生きて帰ってきた男――ある日本兵の戦争と戦後

20160413

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近所の人たちは空襲におびえ、すでに日常の風景になった一青年の入営などに、かまう者はいなかった。勇ましい雰囲気などはかけらもない。入営を示すタスキもない。

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カーキ色の国民服を着た謙二は、「立派に奉公してまいります」といった型通りの挨拶のあと、祖父母に「行ってくるね」と告げた。

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そのとき祖父の伊七は、大声で泣きくずれた。

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ともに暮らした三人の孫がつぎつぎと病死し、最後に残った謙二が軍隊に徴兵される。おそらく生還は期しがたい。孫たちの死にも、商店の廃業にも、自身の脳梗塞にも、いちども愚痴をこぼさず、ただ耐え続けていた伊七が、このとき初めて大声で泣いた。

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入営の見送りにあたって家族が泣くなど、当時はありえない光景だった。

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■小熊英二│生きて帰ってきた男――ある日本兵の戦争と戦後│岩波書店│ISBN-978400431549020156月│評価=◎おすすめ

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 小熊謙二は、1925(大正14)年10月生まれ。1年後に昭和と改元されるから、昭和を生きた人といっていい。著者の父である。本書は一市井の人の昭和という時代の生活史である。著者と林英一による小熊謙二のオーラルヒストリーを元にしている。

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 1944(昭和19)年11月、陸軍二等兵として満州へ。

1945(昭和20)年10月、捕虜としてシベリアへ。

1948(昭和23)年8月、帰国。

1951(昭和26)年1月、結核に。5年間を結核療養所。

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「謙二はすでに30歳になっていた。彼の20代の10年間は、戦争とシベリア、そして結核療養所で終わってしまっていた」。

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 収容所での持ち物はといえば、着ている軍服、飯盒、水筒、軍用毛布。背負いのザックには軍用靴下と裁縫袋。コップも歯ブラシも食器も、着替えの下着もなかったという。

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「裁縫袋は、おばあさんの小千代が、軍隊入営のときに持たせてくれたもので、その後にとても役立った。着替えも何もないから、服が破れたら自分で直さなければならない。零下40度のシベリアの冬で、服が着られなくなったら命取りだ。糸がなくなったあとは、はけなくなった軍用靴下をほぐして作った」

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 住所や職業を転々としたのち、立川市でスポーツ用品店を営むに至る。のちに謙二は「不戦兵士の会」や戦後補償裁判にかかわる。だからといって庶民のありふれた生活史を逸脱するという違和感はないし、そういう議論は読者にとってはどうでもいいこと。

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 本書は意欲的な試みのすぐれた作品であるにかかわらず書評があまり出ないのは、おそらく著者の「あとがき」でまんべんなく“解説”されてしまっているせいだろう。

 すなわち、第1に、戦争体験だけでなく、戦前および戦後の生活史を描いていること。これによって戦争から帰ってきてからの市井人の生々しい生活が分かる。

 第2に、社会科学的な視点の導入。これによって昭和という時代の経済、行政、労働など市井人の日々の背景が分かる。

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 この昭和を生きた普通の人の個人史は、記録されなかったわれわれの父であったり、祖父であったりする。昭和という時代の底辺を知るに欠かせない一書である。

 

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