2021.10.20

本橋信宏◆ベストセラー伝説     …………昔の受験参考書へのセンチメンタル・ジャーニーから今も愛読する小西甚一の本へ

201906


 物書き稼業をしてきた私の第一番のテーマがある。芥川龍之介、太宰治といった

文豪の白黒写真につくキャプションに、「1人おいて」という記述が目に付く。1人おかれてしまった人物の人生を追うのが、私が自分に課したテーマであった。

そして「1人おいて」いかれてしまった人物の多くが、編集者である。

 今回、黒子であるべき編集者でも、1人おかれてしまった人物を特定して記録することに努めた。ベストセラー書に人間の顔をつけたかったのだ。(「おわりに」)

 

◆ベストセラー伝説  本橋信宏 2019.06/新潮社


 “ノンフィクション専科”の当方は、ノンフィクション作家の発言を拾い集めている。上掲「おわりに」の一文を収集したことで、当方にとって本書の役割は終わった。だが本書で1人おかれた編集者ではなく、気になる著者を見つけたので、以下……。

 ベストセラーを扱った本といえば、なぜベストセラーになったかを時代背景や人々の意識など考察し、また逆に本から時代を読み解き、“こうして生まれた”という秘密を探るのが定番である。ところが本書は、

 ――夕陽の向こうに消えていった懐かしい出版物とそれを作った編集者たちの物語です。

 といきなり冒頭に、感傷的なフレーズがあり、著者本橋信宏(1956~)と担当編集者とのセンチメンタル・ジャーニーが始まる。著者が旅する少年、青年時代は、この雑誌と本……。

「冒険王」と「少年チャンピオン」、「少年画報」と「まぼろし探偵」、「科学」と「学習」、ポプラ社版「少年探偵シリーズ」、「平凡パンチ」と「週刊プレイボーイ」、「豆単」と「でる単」、「新々英文解釈研究」と「古文研究法」「新釈 現代文」、「ノストラダムスの大予言」。

 小西甚一「古文研究法」(1955・洛陽社)では、こんなふうに綴る。

 ――自他共に最高峰の古文参考書だと認める「古文研究法」は、語学的理解、精神的理解、歴史的理解の3部にわかれ、古文の世界を小西教授が案内していく。まるで大学の講義のように。語彙の解説では――。

 伊勢物語第一二三段のなかから〈やうやう〉という語句の意味〈しだいに〉〈だんだん〉を解説しながら、〈やうやうあきがたにや思ひけむ〉という文章を、〈だんだん愛情が持てなくなってきたように感じたのだろうか〉と訳す。

 そして参考書にしては異質な文章が顔を出す。

〈「死ぬほどお慕いしていますわ」といわれ、感動しないようなやつは、男でない(と私は信じる)〉

 小西節全開!
 小西教授の独特の文体に惹かれながら読み進むうちに古文の文法に親しみを覚えていく。(本書)

 

 著者が高校生の1970年代、「古文研究法」はやたらに熱い伝説の参考書として知れ渡っていたという。

 著者は小西甚一(1915~2007)宅を訪問し、もうすぐ90歳になる夫人と娘さんに会う。

 ――私が18歳のときに熟読した「古文研究法」を著者のご自宅に持参する。40年ぶりの帰還でもあろうか。各ページに書き込みがしてあるのを見て、おふたりが感嘆の声を漏らした。(本書)

 小西甚一といえば、当方にとって『俳句の世界――発生から現代まで』(1995・講談社学術文庫)である。「俳句史はこの1冊で十分と絶賛された不朽の書」である(ちなみに著者はちゃっかり自作の句「短日やうたふほかなき子守唄」を同書にまぎれこませている)。

 あわせて復刻版『古文の読解』(2010・ちくま学芸文庫)も手元にある。

 ――わたくしは、入試で合格点の取れる古文学習を紹介しようとする。
しかし、それは、合格点を取る要領であって、満点を取る方法ではない。よく考えてみたまえ。満点なんて、取ってみたところでどれだけの使い道があるか。

 合格さえすれば、あとは自分の専門で、のびのびと成長してくれたまえ。点数などにビクビクしているようでは、とても21世紀の日本を背おう人材にはなれない。が、合格しなくては、こまる。〔…〕

 およそ30年間、入試の出題と採点をしてきた罪滅ぼしに、この本を書いた。(同書)

 復刻されたこの『古文の読解』は、14刷62,000部というたいへんな売れ方だったという。いまの受験参考書はテクニック中心だが、かつては著者が熱い檄を飛ばしていたのである。

 

 

 

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