町田康ほか◆ナイン・ストーリーズ・オブ・ゲンジ
「あの宮からきた手紙です」と言った。〔…〕 唐衣君が心のつらければ雲雲崖に本地垂れよし とあった。唐衣? 崖? はあ? 正露丸トーイ飲んで心が幸いので雲がかかった壁に本物の醤油が垂れている様がよい、と言ってんの? 意味わかんないんだけど。〔…〕 驚くほど拙劣な歌。周囲に直す人もおらず、そこここに、よい歌にしようと苦心した痕跡が感じられるのがまた悲しい。〔…〕 なにも考えずにふと、「なつかしき色ともなしになににこの末摘花を袖に触れけむ」と書いた。 それを命婦が脇から覗き込み、「末摘花って紅花のことですよねぇ」と不審そうにしていたが、やがて、意味が分かったのか、ぶっ、と笑い、笑いながら、「べに鼻すか」と言うと、 「紅のひと花衣うすくともひたすら朽す名をし立てずは」 と言った。 赤い鼻やなんかのことを言い触らすな、と言っているのだが、誰がそんなことをするものか。 ――町田康「末摘花」 |
◆ナイン・ストーリーズ・オブ・ゲンジ|江國香織、角田光代、金原ひとみ、桐野夏生、小池昌代、島田雅彦、日和聡子、町田康、松浦理英子|新潮社|ISBN:9784103808510|2008年10月
★★★★
《キャッチ・コピー》
9人の人気作家が織りなすもうひとつの源氏物語。現代の人気作家が新しい源氏物語にチャレンジする。
《memo》
9人の作家による源氏物語短編集だが、意図不明本。しかし町田康「末摘花」は傑作。これだけで十分元がとれる。
上掲の<唐衣君が心のつらければ雲雲崖に本地垂れよし>の元歌は
<から衣君が心のつらければ
袂(たもと)はかくぞそぼちつつのみ>
瀬戸内寂聴訳では、
<あなたの不実なお心がたまらなく辛いので
わたくしの唐衣の袂は
いつも涙に濡れそぼっているばかり>
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