2021.12.08

服藤恵三◆警視庁科学捜査官 難事件に科学で挑んだ男の極秘ファイル   …………オウム真理教事件の科学的解明に活躍した男の自伝

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「科学を捜査に使う」といっても、具体的にどうするのか、方法はその場その場の手探りだった。

 鑑定機関である科捜研や大学の法医学教室などと捜査本部を行き来し、その内容をまとめたり伝えたりする係が、捜査一課と鑑識課にあった。この捜査員たちは自ずと、学術的内容をある程度理解するようになる。事件の内容によっては、関連する科学を勉強する必要も生じる。あの時代の「科学捜査」は、そんなレベルだった。

 状況が大きく変化したのは、オウム真理教事件だ。化学兵器が犯罪に使用され、銃火器や禁制薬物以外にも、数々の違法な科学が駆使された。

 それらを製造する情報の入手は、新たな時代の科学を象徴するインターネットに依るところも大きかった。当時、「オウムの後は、何でもありの時代がやってくる」と痛感したことを思い出す。〔…〕

 犯罪の高度化が進み、従来の捜査方法や能力だけでは対処できない場面が、そこここに現れ始めていたのである。

 科学的理論を捜査に活用する方法を具体的に示し、結果として見せ、判例を作っていく作業が必要だった。

◆警視庁科学捜査官 難事件に科学で挑んだ男の極秘ファイル 服藤恵三 /2021.03 /文藝春秋


 服藤(はらふじ)恵三(1957~)は、東京理科大学理学部化学科出身で警視庁科学捜査研究所の鑑識技術職員として入庁する。

 その職場は、鑑定の依頼があっても「1日で出来るものは3日かかると言えよ。3日で出来るものは1週間かかるって言うんだぞ」と先輩に教えられ、仕事を教えてと頼んでも「それは財産。なんであんたに教えないといけないの」、技術的レベルは低く、学術的な勉強をする仕組みもなかった。「定年まで、ぬるま湯に漬かっていればいいんだ。捜査員から先生、先生と呼ばれて、科捜研は最高だぞ」。

 服藤は、つねに最善、真実の解明に挑戦し、入庁した年に「ミクロカラーコンピュータ」という車両の塗膜片から車種を特定する鑑定機器を、4人のプロジェクトで開発した。この装置はその後、全国の警察に配備された。

 1995年3月20日9時5分ころだった。警視庁本部庁舎の隣にある警察総合庁舎内の科学捜査研究所(科技研)に「急いで頼みます」緊張した声と同時に、捜査員が駆け込んで来た。
「築地駅構内に停車中の、車両床面の液体を拭き取ったものです」とビニール袋を差し出した。
 これが地下鉄サリン事件とのかかわりはじめであった。

 ――9時34分、ガスクロマトグラフ質量分析装置のモニター画面に、構造式と共に文字が映し出された。
〈Sarin〉
「やっぱり」と「なぜ」が交錯した。サリンの実物を見たことはないが、無色の液体とされている。分析では、サリンと共にN,N-ジエチルアニリンが検出された。反応促進剤として用いられることもある物質で脱脂綿に付いていた液体の薄黄色はこれが由来だと推定できた。
「すると不純物の混在した、精製されていないサリンか?」〔…〕
しかし、誰が何のために……との思いが駆け巡った。(本書)

 3月22日山梨県上九一色村のオウム真理教サティアンに警視庁の強制捜査が入る。服藤のもとには、押収された薬品の輸送に際しての危険性について協力要請がある。

 ――押収品目録を渡された。そこには、毒物、劇物、危険な薬品類をはじめ、およそ宗教団体が所持するとは思えない極めて多くの化学物質の名前が並んでいた。しかも、量が半端ではない。
輸送するには、固体か液体かという性状や反応性などの性質により、密閉性や積載方法が異なる。たとえば強アルカリと強酸が接触すれば、発火や爆発の恐れがある。輸送自体が困難な毒物もある。目録を一つ一つ調べ、分類し終えた。(本書)

 これ以降、捜査本部や現地指揮本部から服藤への科学に関する問い合わせは何でも対応するようになった。警視庁科捜研、警察庁科警研といっても当時は人材が払底していた。

 やがて押収品の「実験ノート」から、土谷正実という教団の化学者としてサリン生成方法を確立した男に行きつく。土谷と服藤の対話によって謎がつぎつぎ解明されていく。捜査員のような仕事もした。

 ――土谷の供述では、松本サリン事件に使用したサリンの生成は、最終工程を第7サティアン3階に小型反応タンクを設置して個別に行なったという。この小型反応タンクが隠されているので、見付けてきて欲しい.というのである。
そして、第3サティアン1階の資材置き場で、青色の小型反応タンクを発見した。(本書)

 地下鉄サリン事件から1年後の1996年4月、服藤は警視庁史上初の科学捜査官に任命される。役職は、捜査第一課科学捜査係の係長(警部)。

 著者服藤恵三とはどういう人物か。当方の印象は、技術職として優秀であり、改革に意欲があり(同僚から敬遠され)、捜査畑のトップに取り入り(好かれ)、出世ばかり気にし、しかし深夜まで働く(博士号も取得)、といったタイプ。

 だが悩みの種は出世欲を抑えられないこと。研究職の昇任試験に2度落ちたこともある。警視に昇任した後輩がどんどん所属長になっていく。そのたびに出席する送別会は、針のむしろだった。技術畑出身で捜査畑も対等に勤めた男の悩みであろう。

 ――かく言う私も、人の気持ちや言動や、その裏に隠された思いを理解せずに接して来たひとりに過ぎない。特に50代前半までは、自分が正しいと思って突き進んだ場面が多々あった。当時の部下や同僚、接していただいた方々を、知らぬ間に傷付けたと思う。 (本書)

 科技研で研究員として15年、特命理事官で2年、捜査一課で通算7年、刑事総務課で通算4年半、捜査三課で1年、警察署勤務は1年7カ月、警察庁・警察大学校特捜研で約7年3カ月。著者略歴に元警視長とあるから部長級まで出世したのだろう。

 さて麻原彰晃が何を目指していたのか。押収されたノートや医薬品から、服藤は推測する。

 ――麻原は、サリンも生物兵器も効かない身体を求めていたのだと思う。「ハルマゲドン」を自作自演し、化学剤や生物剤でたくさんの人々が倒れている中で、自分ひとりが平然と立ったまま手を振っている。そんな神のごとき肉体を、夢見ていたのではないだろうか。(本書)

 

 

 

 

 

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