2017.05.04

梯 久美子★狂うひと――「死の棘」の妻・島尾ミホ

20170504

 冒頭に、タイトルとおぼしきものが書きつけてあった。

 死の棘 妻の場合。妻の側から。

 ミホは『死の棘』の時期のことをみずからの手で書こうとしていたのだろうか。心臓の鼓動が速くなった。もし原稿が残されていれば、未発表作品の発見ということになる。

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 はやる心を抑えて残りの箱を開けていく。いくつ目かの箱からコクヨの原稿用紙の束が出てきた。冒頭にタイトルが記されている。

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「死の棘」の妻の場合

 やはりそうだった。妻の側から見た“もうひとつの『死の棘』”をミホは書いていたのだ。

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 しかし原稿は未完だった。四百字詰め原稿用紙で22枚。文章は粗く、叩き台といった段階のように見える。目を通したところ、夫の日記を見て錯乱したときの描写は「死の棘メモ」と題されたノートに記されていた内容とほぼ同じである。

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★狂うひと――「死の棘」の妻・島尾ミホ |梯 久美子|新潮社|201610|ISBN9784104774029 |

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 その出版社の本だから読むということがある。辺見じゅん亡き後も幻戯書房の本にずっと注目している。その一つとして島尾ミホ『愛の棘』というエッセイ集を手にした。

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 島尾敏雄の『死の棘』は読んだことはないが、この作家が一時期神戸に住み、教師をしていたことを知っている。本書に収録されているエッセイでも、子どもが生まれたら、六甲、摩耶という名をつけたいと夫婦で話していたと書かれている。

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 しかし島尾敏雄の妻だったミホについては、『死の棘』の“狂乱の妻”というイメージしかない。『愛の棘』を読んで島尾ミホは南島での少女時代の記憶を綴った『海辺の生と死』で、吉野せい『洟をたらした神』とともに、1975年に田村俊子賞を受賞したと知った。のち自らも作家となる。

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 これは「御跡慕いて――嵐の海へ」(2006 の終わりの部分だが、この文体にはついていけない。

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――島尾隊長様に生きてお目にかかれる事が叶うやも知れないと思うと、比の一夜の出来事等、何程やある、と思えて微笑が頬に浮かんだ。そして万難を越えても御側へ参りたいと思った。以後の私の人生に瞼わしい苦難の幾山河を越える道程があろうとも、萬本の「死の棘」に心身を刺される時が訪れようとも、島尾隊長様のお側に仕え、私の生涯をお捧げしたいと、今、亦、更に強く思い決めた。

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解説の志村有弘によれば、「ミホの作品は、小説であれ、随筆であれ、作者の優しい人柄が滲み出ており、いずれの作品も豊かな抒情をたたえ、その詩情あふれる文体は極めて高い完成度を示している」という。しかし上掲の作品は島尾敏雄の死の20年後の書かれたものであり、当方には、「ミホの狂おしいまでに夫を追慕する日々」がとうてい理解できなかった。

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 というわけで本書梯久美子『狂うひと――「死の棘」の妻・島尾ミホ』が、『死の棘』の伝説を根本から覆す評伝の傑作(そしておそらく大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞を受賞するだろう)としても、当方はなかなか食指が動かなかった。

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 山本健吉の「そのすさまじい狂態にもかかわらず、あるいはそれゆえにこそ、美しく、可憐で、しかも崇高なもの」というミホ像も、「死の棘」の代名詞となった奥野健男の「私小説の極北」という評も、吉本隆明が島尾とその作品に対して深い敬慕の念を抱いていたのも、文学者ならではのものである。

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むしろ吉本隆明が著者に「あの人は、普通の人には見えないものが見えるらしいですよ」といたずらっぽく言ったとあるが、当方のイメージはそれに近い。人形浄瑠璃の清姫、思いを寄せた僧の安珍に裏切られた少女の清姫が激怒のあまり蛇に変身して日高川を渡るという物語が浮かぶ。清姫の顔が鬼のようにチェンジするときに、頭に生えた角、金色の目と、耳まで避けた口とギザギザの歯。きれいな清姫の顔が一瞬にしてガブに変わる。そこにミホを見る。

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至上命令

敏雄は事の如何を

問わずミホの命令に

一生涯服従す

     敏雄

ミホ殿

 という紙がそのまま大切に、死後も残されていた。

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 敏雄の「死の棘」は、1960年から1976年まで、雑誌に断続的に連載された。文学と無縁の立場から見ると、16年という長い年月を敏雄の浮気に端を発した夫婦の葛藤、妻の病と言動をリアルタイム的に書き綴ることが“異常”である。しかもその原稿をミホがチェックし清書したという。狂うひとは、敏雄である。そしてミホは敏雄の死後も87歳で没するまで神がかりにミホを演じ続けた。

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 ――島尾の死によって夫婦の物語をみずからの手で編集できるようになったとき、ミホは吉本、奥野、山本らが言葉によって作り上げたミホ像に、すでに蚕食されていたのではないだろうか。あるいは自分からそれを取り込み、神話化に利用したのかもしれないが。

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「『死の棘』の妻の場合」を書きおおせることのできなかったミホが、傷も恨みも嫉妬も封印して書いた最後の作品は、出自へのこだわりが突出したいびつなものとなった。私はそこに、絶対的な夫婦愛を世間だけではなく自分自身にも信じ込ませようとしたミホの、切実で痛みに満ちた欲望を見る。

 ミホがこの世を去るのは、「御跡慕いて」を発表した半年後のことである。(本書)

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 当方は、ノンフィクションとしての評伝を愛好している。評価の基準は、主人公に思い入れを感じ、生き方に共感でき、リスペクトできるかである。たとえ悪人であっても、愛さずにいられない側面をもっていなければならない。さらに主人公の生き方に人生のせつなさを感じるかどうかである。梯久美子『散るぞ悲しき――硫黄島総指揮官・栗林忠道』は、主人公に共感できたが、『狂うひと』はただスルーしたいだけの人だった。

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