01/ジャーナリスト魂・編集者萌え

2021.06.03

01/ジャーナリスト魂・編集者萌え◆T版2021…………◎吉田信行・産経新聞と朝日新聞◎三浦英之・災害特派員◎魚住昭・出版と権力 講談社と野間家の110年 

01_20210525133801

Photo_20210525133901

01/ジャーナリスト魂・編集者萌え
吉田信行◆産経新聞と朝日新聞 
2020.12/産経新聞出版

「どんな政府であっても日本が生んだ政府です。それを切って捨てるような物言いはどうかと思う。

陸羯南が言っていますが、政府にできる範囲内のことを社説で書き、時に政府を勇気づけ、みんなを勇気付ける新聞であってほしい」(司馬遼太郎)

*

元産経論説委員長による「平和だけを目的とした新聞と平和の維持を考える新聞。日本を敵視する国から「友好的」と褒められる新聞と「極右」と蔑まれる新聞」、朝日と産経の論調を過去にさかのぼって比較したもの。

――人についての批評は本人に出会った時でも逃げ出すことのないような程度に抑えるべきというのが福澤諭吉の戒めの言葉でした。また政府批判をする時も、能力以上のことを求め、それが達成できないからと言って叩くことは避けよ、というのが司馬が推奨した陸鵜南の言葉でした。(本書)

*

産経・フジのトップとの会合で産経OBのこの司馬の発言は、村山富市自社さ連立政権時の時らしい。当方いくら熱心な司馬読者であっても、安倍や菅を“勇気づける”新聞であってほしいとは、思わない。

 

Photo_20210525133902
01/ジャーナリスト魂・編集者萌え
三浦英之◆災害特派員 
2021.02/朝日新聞出版

 

渡辺龍に捧ぐ――巻頭にはそんな一文を掲げたが、それは津波が押し寄せてくるなかでシャッターを切り続けた伝説的な報道カメラマンの固有名詞であり、同時に比喩でもある。

かつてあの被災地には泣きながら現場を這いずり回った数十、数百の「災害特派員」がいた。悲惨な現場を目撃し、名も無さ人々の物語を必死に書き残そうとした無数の「渡辺龍」たちと、今後ジャーナリズムの現場に飛び込もうと考えているまだ見ぬ「渡辺龍」たちに、この小さな手記を贈りたい。

*

著者のノンフィクションは全作品を読んでいるが、これは朝日新聞記者としての「個人」を強く表面に出した“手記”である。

3.11発生翌日に被災地に入り、その後宮城県南三陸町に駐在員として赴任し、約1年現地の人々と生活を共にした。その“私生活”を回想したもの。

その後、アメリカ留学で学んだ「ジャーナリズムとは何か」を含め、これらの理論と被災地での実践は若手記者や将来ジャーナリズムの世界に飛び込もうと考えている学生たちの必読書である。

 

Photo_20210525133903
01/ジャーナリスト魂・編集者萌え
魚住昭◆出版と権力 講談社と野間家の110年 
2021.2/講談社

 

私がここで強調したいのは、この作品がいまはなき『月刊現代』の仲間たちの全面協力によってできあがったということだ。

さらに付け加えれば、権力から独立した自由な言論を目指そうという『月刊現代』の志がなければ、この作品は生まれなかったということである。

*

『現代』2008年休刊。前著『冤罪法廷』2010年から11年。

*

講談社が1959年に編纂した社史『講談社の歩んだ五十年』のもとになった秘蔵資料合本約150巻を基に綴った“講談社と野間家の110年”史である。

講談社の近年の功罪……。「功」として『昭和萬葉集』全21巻の刊行。「罪」として『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(ケント・ギルバート著)の出版をあげている。

『昭和萬葉集』には、「出版物は、その時代、その民族の文化の水準を示すバロメータ」で「人類の共有財産」だという省一の理念が結晶化されている。その出版の経過が詳述されている。
また『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』はベストセラーになったヘイト本。編集者と会社の精神の荒廃を示すものではないかと批判している。

 

 

 

 

| | コメント (0)

2021.04.09

柳澤健◆2016年の週刊文春        …………究極の仲間ぼめによる「週刊文春」の60年

 

2016


「雑誌は編集長のものだ、たとえ社長でも口出しはできないと教えられてきたから、自分が編集長になった時には、やりたい放題をやってやろう。ずっとそう思っていました」〔…〕

 もっと昔、たとえば1990年前後の花田紀凱の時代に編集長になっていたら、潤沢な予算の下で、記事やページ作りだけに集中できたから楽しかっただろうな、と新谷[学]は思う。だが、毎号1億円の広告が入り、80万に近い部数を売り上げた時代は遠く過ぎ去っていた。

「ただ、俺は何度も粛清されたけど、牙を抜かれることなく、野放しの状態で突っ走ってきた。


そういう人間が編集長になれるのが文藝春秋。


 結局のところ文春はいい会社、ありがたい会社なんです」

柳澤健◆2016年の週刊文春  2020.12/ 光文社


『1976年のアントニオ猪木』『1964年のジャイアント馬場』などのノンフィクション作家柳澤健は、元文藝春秋社員、「週刊文春」編集部員だった。

 その著者による花田紀凱と新谷学という名物編集長を軸に“百花繚乱”の「週刊文春」編集部の60年を描いたノンフィクション。いまや官邸を右往左往させる1強のジャーナリズム。以下、その新谷学編集長時代を見てみる。

 ノンフィクション作家で元編集部員の西岡研介は、「新谷学は人脈を情報に変えてしまう能力に関しては圧倒的だ」という。

 ――要するに人脈。「新谷くん以外には会わへん、話さへん』というタマを山ほど持っとるわけです。そこまで落とし切っている。人間関係をズブズブにしてしまう力、人に可愛がられる力がとんでもない。(本書)

 その新谷編集長が3カ月の休養を命じられたことがある。「春画入門」という特集で、女性の局部をトリミングして拡大するカラーグラビア。“ヘアヌード”を掲載しないで家に持ち帰れる雑誌のイメージを損なったという判断だった。その昔、池島信平社長から花田紀凱が呼ばれ「ハナダ君、そこまで書かなくちゃいかんのかね」と “フーゾク記事”をやり玉にあげられたという。いわば社風である。

 2016年1月編集部に戻った新谷は、「ウチの最大に強みはやっぱり……」とスクープ路線を敷く。
 
 ――“文春砲”という言葉が、インターネット上で頻繁に使われるようになったのはこの頃から。もともとはAKB48のファンの間で使われていた言葉で、秋元才加、指原莉乃、峯岸みなみらのスキャンダルを『週刊文春』が次々に報じたことから命名されたものだ。〔…〕

 ひとたび文春砲に狙われれば、芸能人は休養し、大臣は辞任し、元プロ野球選手は逮捕され、元少年Aの恐るべき本性が剥き出しにされてしまう。インターネットとスマートフォンが完全に普及したことで、時代遅れの古くさいメディアと若者たちから蔑まれていた週刊誌がこれほどの存在感を放つとは、誰ひとり考えていなかった。(本書)

 文春独走! その理由を加藤晃彦デスクは語る。
 第1に、新聞がインターネットにも記事を配信するようになり、記者たちが忙しくなったこと。有能な記者は独自ネタを追う時間が無くなった。第2に、抗議を受けただけで上からストップがかかるなど、メディア全体が守りに入ってしまった。また、新聞社でもコンプライアンスが厳しくなって、ネタを持っているグレーな取材先とつきあうことができなくなった。

 ――他社が追いかけてこなければ本物のスクープにはなりません。今や僕たちは、どうやって新聞やテレビに追いかけてもらおうか、と考えなければならなくなった。(本書)

 株式会社文藝春秋を牽引してきた月刊文藝春秋の読者層は60代。いまは中心的な役割を担っている週刊文春だが、読者層は40、50代で高齢化している。そこで、30代以下の読者を『文春オンライン』が狙う。スマホによって時間、量、世代の3つの壁を超え、株式会社文藝春秋のプラットフォームになろうとしている。

 ――文藝春秋は不思議な会社だ。
 社を去ってもなお、文藝春秋を愛し続ける。
 花田紀凱はもちろん、「こんなクソみたいな会社」と吐き捨てて社を去った勝谷誠彦さえ、古巣への郷愁を私に隠さなかった。
 立花隆は後輩たちを見守り、励まし続けた。桐島洋子も「文春にいた頃が一番楽しかった」と。〔…〕

 田中健五も半藤一利も岡崎満義も斎藤禎も松井清人も西川満史も木俣正剛も同じだ。そして、おそらくは菊池寛も佐佐木茂素も池島信平も白石勝も設楽敦生もそうだったのだろう。(本書)

 記憶に残る事件を取材エピソードをまじえ綴ったクロニクルだが、当然物語のようにヤマ場があるわけではないが、しかし最後まで退屈させない。500ページを超える大冊、全編これ究極の編集者同士の仲間ぼめ本である。さすがに自社からの出版は控えたのだろう。

 

 

 

| | コメント (0)

2021.04.07

森 功◆鬼才 伝説の編集人齋藤十一          …………新潮社OBによる齋藤十一と「週刊新潮」の“評伝”

Photo_20210407141201

 


  しかし、文士が集まって出版事業を始めた文藝春秋と新潮社では、おのずと出版社としての性格が異なる。

 なにより齋藤は作家を志したこともなく、一冊の本も描き残していない。一編の著作もなく、残っているのは名タイトルだけだ。

 とどのつまり齋藤は小説からノンフィクション、評論にいたるまで、その構想を示し作品を生み出すプロデューサーだったのである。

 編集者に徹してきたからこそ、ものすごい数の作家や作品を世に送り出せたのだろう。文芸誌「新潮」で20年も編集長を務め、週刊新潮で40年という長さにわたって誌面の指揮を執ってこられた。

◆鬼才 伝説の編集人齋藤十一 森 功 2021.01/幻冬舎


 齋藤十一(1914~2000)は、死去するまで新潮社に長く君臨した。著者森功はノンフィクション作家として活躍する以前、新潮社で「週刊新潮」次長などを務めた。その新潮社OBによる齋藤十一と「週刊新潮」の“評伝”である。

 毎週金曜日の正午過ぎ、野平健一常務と山田彦彌編集長が齋藤の部屋に入る。“御前会議”とよばれた「週刊新潮」の編集会議だ。4人の編集次長はもとより総勢60人の編集部員は参加できない。20枚近い企画案を齋藤が○×と印をつけていく。決めるのは齋藤一人だ。こうして次の号に掲載する6つの特集記事のテーマ選ばれる。

 また、のちに「新潮45」リニューアルの際、わずか4人の編集部員の1人だった伊藤幸人(のち取締役)は、“新潮45御前会議”での齋藤の発言を隠し録りしている。齋藤は独演会を続けながら、1mをこえる巻紙を取り出した。そこに記事のタイトルがびっしりと書かれていたという。

 当方は「週刊新潮」といえば、谷内六郎の表紙絵、山口瞳「男性自身」、ヤン・デンマン「東京情報」である(新潮より多く愛読したはずの「週刊文春」では小林信彦のコラムと「文春図書館」しか思い浮かばない)。

 週刊誌の特集記事は、取材コメントをつないで物語にするいわゆるコメント主義だが、この原型を編み出したのは、アンカーマンだった井上光晴だ、と本書で知った。

 ――これが世にいう週刊新潮の「薮の中」記事スタイルとなる。資料や物証がなければ、当事者の証言でそれを補い、それでも裏どりが難しければ、怪しさや疑いを匂わせながら書き手の捉え方を読者にぶつけて考えさせる。〔…〕
新聞では書けない疑惑報道が、週刊誌の真骨頂と呼ばれるようになったのも、週刊新潮の薮の中スタイルからである。その原型をつくったのが井上光晴であり、のちの週刊誌はみなそのあとを追った。(本書)

 先の伊藤幸人は、「齋藤を天才たらしめる3つの要素」をあげる。
第1。高貴な教養への志向、ある種精神的貴族でありながら「女とカネと権力」など俗的な興味をもっていること。
 第2。言葉のセンス。頭のなかにつまっている古今東西の有名な本のタイトルや名台詞、箴言をちょっと曲げたり、変化させたりして独自のコピーにする。
 第3。その凄さは、黒子に徹したこと。「齋藤さんは生前、いっさい『これは俺がやった仕事だ』と言わなかった」。

 ――その齋藤が会社を去ったあと、新潮社では2001年のフォーカスの休刊、09年の週刊新潮の誤報、18年の新潮45の廃刊、と受難続きだ。(本書)

 「墓は漬物石にしておくれ」と言い残した齋藤の墓は本物の漬物石だった、と著者は書く。「これはひょっとすると、本人が自任してきた俗物を意味しているのではないだろうか」。

 

| | コメント (0)

2020.12.14

01/ジャーナリスト魂・編集者萌え◆T版2020年…………◎三浦英之・白い土地◎柴山哲也・いま、解読する戦後ジャーナリズム秘史◎★週刊読書人・追悼文選―50人の知の巨人に捧ぐ◎柳澤秀夫・記者失格◎松井清人・異端者たちが時代をつくる◎芝田暁・共犯者 編集者のたくらみ◎寺崎央・伝説の編集者H・テラサキのショーワの常識

01_20201215112701

 

202010_20201214111601

 

 

01/ジャーナリスト魂・編集者萌え

三浦英之★白い土地 ルポ福島「帰還困難地域」とその周辺 2020.10/集英社クリエイティブ

 内閣総理大臣・安倍晋三が東京オリンピックの延期を正式に発表したのは、彼の福島県浪江町の視察から17日が過ぎた2020年3月24日の夜だった。

 首相官邸で開かれたぶら下がりの場で、安倍は世界的に拡大し始めた新型コロナウイルスの回避を延期の理由に挙げる一方、2021年夏に開催される予定になった大会における新たな政治的な意味を付け加えることも忘れなかった。

「人類が新型コロナウイルス感染症に打ち勝った証として、完全な形で東京オリンピックを開催するためにIOCと緊密に連携をしていく。日本として開催国の責任をしっかりと果たしていきたいと思います」

 インターネット中継で総理大臣の発言を聞きながら、私はなぜかそのとき、清々しい気持ちになった。

総理大臣が語る東京オリンピックにはもう「復興」という形容も「被災地」という地名も含まれていない。

それは政府がこれまで執拗に提唱してきた「復興五輪」という概念が過去のものになり、別の物へとすり替わった瞬間でもあった。

 

Photo_20201214111601

01/ジャーナリスト魂・編集者萌え 

柴山哲也★いま、解読する戦後ジャーナリズム秘史  2020/ミネルヴァ書房

「朝日新聞阪神支局襲撃」事件で殺傷された記者銃撃事件が、日本の警察捜査と新聞社取材の総力を挙げたにもかかわらず解決しなかったことは、正直、新聞記者の限界を感じた。

言論機関を襲ったテロ犯がなぜ逮捕されないのか。先進国としてあり得ないことだと思った。

* 敗戦直後の日本の言論と新憲法発布/憲法改正論の台頭から、阪神・淡路大震災から東日本大震災へ/小泉ポピュリズム政治の誕生まで、ずらりと目次が並ぶが、元朝日記者の本書はどう読んでも、タイトルの「秘史」は「私史」の間違いでは?

 

Photo_20201214111701

01/ジャーナリスト魂・編集者萌え

「週刊読書人」編集部★週刊読書人追悼文選――50人の知の巨人に捧ぐ /2020.01/読書人

 

 昔の記事はすでに新聞の形でしか残っておらず、その紙面も劣化が甚だしい。

うかうかすると消尽しかねない、60年前からの記事を保有するために、記事を一つずつテキストデータ化し、アーカイブとして後年の資料として活用していかなくてはならなくなった。

そのために昨年部署を新設し、現在進行形で作業を進めることとした。本書「週刊読書人追悼文選』はその過程の一環で生まれた書籍である。

*

 書評専門紙「週刊読書人」がこれまでに掲載した510名の著名人にあてた追悼記事を厳選し111編を収録したもの。

 

202003_20201214111701

01/ジャーナリスト魂・編集者萌え

柳澤秀夫★記者失格 /2020.03 /朝日新聞出版

 

「あさイチ」のMCをやめた直後、「この8年間で俺の世界観は広がった」とかみさんに言ったら、

一言、「人間らしくなったよ」と返ってきたことを、いまも鮮明に覚えている。

*

こうした自らの不甲斐なさを意識しながら、私は記者と名乗っていいのか? 記者としてその名に恥じない生き方をしてきたのか? そんな自問自答をまとめたのがこの本である。〔…〕

嘘偽りなく書に語ろうと思っていても、無意識のうちに自分を少しでも良く見せよう、あるいは正当化しようとする、そんなもう一人の私の姿が見えてきて、どうしても自己嫌悪に陥ってしまう。(まえがき)

*

と書きながら、ジャーナリスト論になると、どうしても建前に終始する。

 

20200524

01/ジャーナリスト魂・編集者萌え

松井清人■異端者たちが時代をつくる /2019.07/プレジデント社

 

 私には一つの仮説がある。

 少年A97年に起こした惨劇の原点は、95年の阪神淡路大震災にある、というものだ。

 Aはそんな供述はしていないし、鑑定書にも記されていない。一部の新聞が大震災との関連を報じてはいたが、具体的な根拠は何も書かれていない。

 しかし、『週刊文春』(97年7月10日号)が報じた以下のエピソードが、ずっと私の心に引っ掛かっていた。

〈阪神大震災はA少年が6年生の1月に起こった。

 同級生が振りかえる。

「A君と悲惨な現場を歩いている時、僕たちはみんな倒れている人たちから思わず目をそらしてしまった。だけどA君だけは『あの人は足をケガしている』とか『頭から血が出ている』と冷静に観察しているんで、ビックリしました」〉〔…〕

神戸の街で見たリアルな遺体が、神戸に住む少年の記憶に刻み込まれ、ある日突然、フラッシュバックしたのではないだろうか。

 

Photo_20201214111702

01/ジャーナリスト魂・編集者萌え

芝田暁■共犯者 編集者のたくらみ /2018.11/駒草出版

 

 編集者であれば、「この作家」に「このテーマ」で書かせたいというたくらみが、必ずいくつかあるはずだ。

 それをいつ使うかはわからない。1年後なのか、20年後なのか。何となく腹蔵しておくと、ある日、千載一遇の機会が訪れる。

*

 書籍の編集者の仕事は基本、著者はひとり、編集者もひとり。つまり一対一の仕事だ。

 たったひとりの著者の頭の中にあった「たくらみ」が活字で表現されて一冊の本になり、たくさんの人の手に渡って読み継がれる。何という贅沢な「たくらみ」ではないか。

 編集者は著者が「たくらみ」を遂行する一部始終に立ち会うのが仕事だ。だとすると世間に一石を投じる「主犯者」に加担する「共犯者」こそ編集者を表す的確な言葉であろう。(「まえがき」)

 

Photo_20201214111703

01/ジャーナリスト魂・編集者萌え

寺崎央■伝説の編集者 H・テラサキのショーワの常識 /2016.12 /エンジェルパサー 

 

 大浄敬順なる人物。〔…〕

 歩くこと、途中で野点をやること、名所旧跡には必ず落書きすること、これを何よりの楽しみ。元気元気。そして他人には厳しいけれど自分には大甘。こういう老人にわたしはなりたい、と思うね。もう十分なってます?

 51歳で寺の住職を退いて隠居暮らしを始め大浄敬順なる人物の逍遥記『遊歴雑記』がモチーフ。

 元気なおやじで、不良老年してるわけだ。いつも茶道具と菓子を持ち歩いて、これはと思う江戸郊外に遭遇するとすぐに野点が始まり句を詠むことになるが、これはウオーキングの副産物。歩くのが体にいいことを心得ていて、歩くこと、途中で野点をやること、名所旧跡には必ず落書きすること、これを何よりの楽しみにしていたらしい。元気元気。

 多趣味多芸で元気だけど、ちょいと偏屈で孤独大好き、といって家にいるのは大嫌い。そして他人には厳しいけれど自分には大甘。

 こういう老人にわたしはなりたい、と思うね。もう十分なってます?

*

 本書は、ある意味で、テラさんの自伝でもある。幼少時代から最近まで、仕事や趣味を通じて、どんなものに興味を持ち、熱く接し、生渡の大半の、「ショーワ」を生きてきたかがわかるからだ。

 テラさんばかりでなく、さまざまなジャンルのマニアックな人たちにとって、どこまでも知識欲を満足させ、趣味の世界を楽しむことのできる時代があったのだ。(「はじめに」)

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2020.11.26

吉田豪★書評の星座――吉田豪の格闘技本メッタ斬り2005-2019      …………いいたい放題の“明るい書評”本

1_20201126152101



 自分の原稿を読み直してみてビックリ。これはちょっと口が悪すぎるでしょ!


 とにかく徹底した個人攻撃。プロだと思えない書き手は容赦なく糾弾するし、事実誤認も指摘せずにはいられないしで、めんどくさいことこの上ない。自分がこんな人間だったとは、自分でもすっかり忘れてた!

 そう、ボクは基本的に平和主義者で喧嘩も好きじゃないはずなのに、プロとしてどうかと思う人間に対してだけは昔から厳しかった。

 おそらく、この仕事を始めたばかりのとき、まだ年齢的にも若くて出版の仕事を始めて数年ってぐらいで、プロレスや格闘技を学習し始めてからも日が浅かったからこそ、

自分がそれほど詳しくないジャンルでデタラメなことを書いている年上の人間が許せなかったんだと思う。〔…〕

 もちろん選手に対してはリスペクトがあるので、そこは基本的に批判せず、あくまでも同じ土俵上にいる書き手や編集のみを叩くというスタンスで、だ。相手は同業者で、しかも年上で、もつと言うと業界的にも立場が上だったりするから、そんなの容赦するわけがない。

★書評の星座――吉田豪の格闘技本メッタ斬り2005-2019 /吉田豪 /2020.02 /ホーム社


 2005年から2019年までに書いた格闘技本の書評165冊分が500ページ近い大冊になった。
 

 メッタ斬りの毒舌書評もさることながら、なによりもすごいのは、帯のキャッチコピーにあるように、「この1冊でわかる格闘技『裏面史』!」であることだ。
 大量なのですぐには読めない。で、当方がすでに読んだ本の書評を中心に見た。

*

増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』
 本書は「木村政彦を守るためには、どんな邪魔者でも排除する覚悟」で書かれた本なんだと思う。そして、その過程で増田俊也氏が力道山のことを認めるようになっていくのが美しいのである。

 

柳津健『完本1976年のアントニオ猪木』
「歴史書」の文庫版が登場。傑作と名高い単行本に大幅加筆しているというので、きっそく2冊を並べて全ページ読み比べてみた。

 

柳澤健『1964年のジャイアント馬場』
 ノンフィクションは公平ではなく、どちらかに肩入れして書くほうが面白いと痛感させられたのであった。

 

柳澤健『1984年のUWF』
 これは、あまりにも前田日明史観が定説になりすぎていたUWFを、柳澤健氏が佐山聡史観で捉え直した一冊。

 

田崎健太『真説・長州力1951-2015』
「プロレスを描くことは、果実を求めて森に行ったつもりで、マングローブの密林に踏み込んだようだった。取材を進め、資料を集めてもどこまで信用していいのかはっきりしない。足を前に進めと、ずぶずぶと泥の中に沈み込んでいくのだ」
 アマレスというガチの世界で生きてきた長州と同じように、ノンフィクションというガチの世界に生きてきた人間が、プロレスという不思議な世界に翻弄されまくるのがたまらないのである!

 

小島一志・塚本佳子『大山倍達正伝』
 この本には衝撃的な情報も多々含まれているのに、ページ数(624ページ)が無駄に多すぎるせいで肝心の衝撃が全く伝わってこないのである。

 

吉田豪『吉田豪の喋る‼道場破り』
 手前味噌で申し訳ないが、「プロレスなんてただの八百長裸踊り」だと思っているような格闘技好きの人にこそ、『吉田豪の喋る‼道場破り』を読んでいただきたいと思う。

 なんと自著の書評である。

 

Amazon吉田豪★書評の星座

| | コメント (0)

2020.05.14

元木昌彦★野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想

 0001


 本田〔靖春〕さんが万年筆を手に縛りつけ、一字一字、石に刻むようにして書き遺した連載の最後の言葉は、講談社の編集者たちへの感謝であった。

 

「それがなかったら、私は疑いもなく尾羽打ち枯らしたキリギリスになって、いまごろホームレスにでも転落して、野垂れ死にしていたであろう。これは誇張でも何でもない」

 2004124日、享年71

 

 この本のタイトルを考えているとき、この「野垂れ死に」という言葉が卒然と浮かんだ。

私は本田さんの齢を超え、おめおめと馬齢を重ねているが、私のほうこそ、どこで野垂れ死んでいてもおかしくはなかった。

 

 私の周りには、刀折れ矢尽き、野垂れ死に同然に亡くなっていった同僚、仲間、物書きたちが何人もいる。

 無駄に永らえた人間がやるべきことは、自分が生きてきた時代の証言者になり、後の世代に“何か”を伝えていくことだろう

 

と考え、この本を書き上げた。

★野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想/元木昌彦/20204/現代書館  


 元木昌彦(1945~)は、1970年に講談社に入社、月刊『現代』編集部に在籍した。その翌年読売新聞を退社しフリーになった上掲の本田靖春(1933~2004)と知り合った。ふたりが本格的に組んだのは『「戦後」美空ひばりとその時代』(1987)だった。元木は遺品として貰った万年筆をいまも大切に使っているという(後藤正治『拗ね者たらん 本田靖春 人と作品』)。     

 同書には講談社編集者たちによる本田靖春へのリスペクトと愛惜の思いが語られている。

 元木昌彦は、週刊誌華やかりし時代に「週刊現代」編集長を務めた。「ヘア・ヌード」という言葉をつくった。オウム真理教事件でスクープを放った。東京地検の捜査も受けた。毎晩酒を呑み深夜に帰宅し、翌朝胸が締め付けられるような状態を、『昭和残侠伝』のDVDを観て、自らを鼓舞する。うつ病だと診断される。

 本書で当方が興味を持ったのは、2点。一つは元木の左遷、もう一つは上掲にある野垂れ死に同様の“戦友“たちのこと。

 1992年から1997年までの5年半という長い間「週刊現代」編集長を務めたのち、50代半ばで部下が一人もいないポストに左遷される。比ぶべくもないが、当方もある大型プロジェクトを担当して5年、その完成直前に左遷された経験がある。2年後に“復活”したものの、その屈辱の思いはいまだに払拭できない。

 元木は、左遷された職場でひとり、のちに「とてもいい発想だったけど、時代が早すぎたね」と言われたオンラインマガジン『web現代』を立ち上げる。

 この『web現代』に連載した第一線で活躍するジャーナリスト、ノンフィクション作家、編集者たちのインタビュー記事を『編集者の学校』(2001)として刊行する。当方も愛読した。熟読した。記憶に残る一書である。

 元木は、さらにその後子会社に左遷され、定年を迎える。だが『編集者の学校』を刊行したことで、定年後の人生が開ける。いくつかの大学から招聘される。

 ――個人事務所をつくった。肩書は編集者。

 名刺の裏には、私の略歴が小さな活字で印字されている。見る人にとっては見にくくて迷惑だろうが、私にすると、オレのこれまでの人生は名刺半分にしかならないのだと感慨深かった。(本書)

 野垂れ死に同様の“戦友“たちのことについては、元木は機会あるごとに「あの時代を一緒に駆け抜けて来た仲間のことを書き残すことは、後に残った者の義務である」と考え、書いている。たとえば……。

 ――年を取って働けなくなるとあっという間に下流老人になってしまう。大きな賞である大宅壮一ノンフィクション賞をとったノンフィクション・ライターでも苦しい生活をしている人が多くて、地方にいて東京に出てくる電車賃がないという人もいます。病気をして奥さんが救急車を呼んだけど「カネがないから入院しない」と救急車を返してしまった先輩ライターもいる。(『現代の“見えざる手”――19の闇』2017)

 本書では『週刊現代』で組み、小沢一郎を追い、多くのスクープを放った松田賢弥(1954~)について書いている。松田は、のちに妻子と別れ、脳梗塞に倒れ、生活保護で病院の支払いをすれば手元にはほとんど残らない日々に。フリーのライターのやりきれない末路を描いている。

 著者はネット上で、週刊誌時評を続けている。その巻末付録でセクシーグラビアを紹介するのもいいが、できればもっと多くのライター、編集者の“挽歌”を記録に残してほしい。

元木昌彦★野垂れ死に

 

| | コメント (0)

2019.09.28

仙頭寿顕◎『諸君!』のための弁明

Photo_20190928130701


 

 正式に退職した9月末日のあとに出た『文藝春秋』(201611月号)の「社中日記」に、こういう餞のコメントが出た。

《土佐出身の“いごっそう”仙頭寿顕が社を去ることに。松下政経塾出身で社歴の約半分を『諸君!』編集部で過ごした。人当たりは柔らかいが作る誌面は極めて硬派。編集長時代「ああ言われたらーこう言い返せ」シリーズで同誌史上最高部数を記録した。大の嫌煙家として知られ、受動喫煙の危険性を話したビラを配り歩いた伝説も。〔…〕国士・寿顕に幸あれ!

ううむ…:。僕は、全然、国士じゃない、もちろん右翼ではない、

ちょっと保守派かもしれないけど、ジョージ・オーウェルと同じく、

反共リベラル型の中庸な人間だと何度も言っているのに、

誤解されたまま社を去ることになってしまったようだ。

 

仙頭寿顕◎『諸君!』のための弁明――僕が文藝春秋でしたこと、考えたこと   2019.05/草思社


 1959年生まれ。“投書少年”に始まって、文藝春秋に入社、「諸君!」編集長等32年間の編集者生活を顧みた“自伝”。

 松下政経塾出身らしくディベートにたけた口八丁手八丁の編集者。「諸君!」(19692009)は、朝日やNHKや岩波書店などがつくる「大勢」に対して「反大勢」(「反体制」ではなく)雑誌だったという。主義主張の異なる論敵には「歯に衣着せぬ」とはこのことかと思わせるほど居丈高に名指しで論破している。だが世渡りを気にしてか、気に入らぬ言動であっても上司などは匿名扱い。

 編集部の風景ではこんな記述も……。

 ――そういう論文が掲載されると、発売日のその日の朝から、編集部に「田中角栄を擁護するとはケシカラン。いくらカネをもらっているのだ! 編集長を出せ」といった抗議の電話がよくかかってきた(読みもしないで、新聞広告のタイトルだけ見てコーフンする人がいるのだ)。

普通、編集部にかかってくるそんな電話は、若い編集部員が対応して、編集長が目の前に座っていても、「すみません、編集長はいま出かけていて、代わりに承ります」と言って、長々と続く抗議の電話を受けて、「貴重なご意見、ありがとうございました。編集長にもあとで伝えます。ご意見、批判などはなるべく封書でいただければ幸いです。筆者の住所はお教えできませんが、手紙でしたら転送もしますので…」と対応するのだが、

 提(堯)さんは、そういう電話にもしばしば出て、読者と論争したあと、最後には「あんたね、そういうのを下司の勘繰りって言うんだよ、わかったかい!」と言ってガチャンと電話を切るのだ。(本書)

 編集部の情景が目に見えるようだ。上掲で「僕は、全然、国士じゃない」と書いているが、本書はどう読んでも右方に傾いた“国士録”だった。それにしても“雑誌は人格をもつ”というのが当方のいちばんの感想である。

仙頭寿顕◎『諸君!』のための弁明 https://a.r10.to/hzZDT5

 

 

 

| | コメント (0)

2017.07.23

国谷裕子★キャスターという仕事 …………☆日本社会で何が一番変化したかと問われると、それは「雇用」だ、と。

20170722_2

 

 番組を担当した四半世紀近くの間に、何が一番変化したのか。

 

 それは経済が最優先になり、人がコストを減らす対象とされるようになったこと。

 

 そして、一人ひとりが社会の動きに翻弄されやすく、自分が望む人生を歩めないかもしれないという不安を早くから抱き、自らの存在を弱く小さな存在と捉えるようになってしまったのではないかと思っていた。

 

 組織、社会に抗って生きることは厳しい。コンプライアンス(法令順守)、リスク管理の強化。番組でも、企業の不祥事が起きると、それらの重要さを強調してきただけに、ここで書くことにいささかの後ろめたさも感じるが、一人ひとりの個性が大切だと言いながら、組織の管理強化によって、社会全体に「不寛容な空気」が浸透していったのではないだろうか。

 

 <クローズアップ現代>がスタートしたころと比べて、テレビ報道に対しても不寛容な空気がじわじわと浸透するのをはっきりと感じていた。

 

 

★キャスターという仕事 |国谷裕子|岩波新書|20171|ISBN9784004316367 |評価=◎おすすめ

 

 <クローズアップ現代> は、1993年4月から2016年3月まで23年続いたNHKの看板番組。政治、事件、国際、文化、スポーツと「テーマに聖域は設けない」番組だ。渋谷の放送センターのみならず、地域局や海外支局も含めNHKのどの部署からでも企画を提案でき、組織の力を結集した制作側にも視聴者にも魅力ある番組だった。そのクールにして熱きキャスターが国谷裕子。

 

 ――<クローズアップ現代>のキャスターを23年間続けてきて、私はテレビの報道番組で伝えることの難しさを日々実感してきた。その難しさを語るには、これまで私が様々な局面で感じてきた、テレビ報道の持つ危うさというものを語る必要がある。

 

 その「危うさ」を整理してみると、次の三つになる。

①「事実の豊かさを、そぎ落としてしまう」という危うさ

②「視聴者に感情の共有化、一体化を促してしまう」という危うさ

③「視聴者の情緒や人々の風向きに、テレビの側が寄り添ってしまう」という危うさ

 キャスターとして視聴者にいかに伝えるかば、この三つの危うさからどう逃れうるかにかかっている。(本書)

 

 2015年暮れに、国谷は、放送時間の変更に伴い番組をリニューアルするため、キャスター契約を更新しない旨を告げられる。とっさに、ケネディ大使へのインタビュー、菅官房長官へのインタビュー、沖縄の基地番組、「出家詐欺」報道など、“降板”の理由が浮かんだという。

 

このうち菅官房長官へのインタビューは、2014年7月の「集団的自衛権 菅官房長官に問う」。「それはまったくない」「そこは当たらない」と木で鼻をくくったような再質問させない不遜な口調が絶好調だった時期(現在もそのスガ語は続いているが、加計学園問題で馬脚を現わし個人攻撃など下卑た“隠蔽”長官のイメージをまとうようになった)。しかし国谷は「憲法の解釈を変えることは、国のあり方を変える」と残り30秒を切っても問いつめた。これが様々なメディアで、首相官邸周辺の不評を買ったとの報道がなされたという。

今も昔もNHKを“国営放送”と思っている安倍官邸をNHKトップがが忖度したことは容易に想像できる。

 

 本書で引用しておきたいのは、「報道番組のなかでの公平公正とは何か」という部分。「個々のニュースや番組のなかで異なる見解を常に並列的に提示するのではなく、NHKの放送全体で多角的な意見を視聴者に伝えていく、というスタンスだった」。たとえば「基地問題をめぐつては、定時のニュースなどで政府の方針をたびたび伝えていれば、逆に<クローズアップ現代>で沖縄の人々の声を重点的に取り上げたとしても、公平公正を逸脱しているという指摘はNHK内からは聞こえてこなかった。NHKが取るべき公平公正な姿勢とはそういうものだと、長い間、私は理解し、仕事をしてきていた」。

 

しかし公平公正のあり方に対し風向きが変わり、<クローズアップ現代>で特定秘密保護法案を一度も扱われず、安全保障関連法は参院通過後に一度取り上げられただけだったという。

 

 こうして国谷は20163月に降板する。リニューアルした<クローズアップ現代+>NHK女子アナのきれいどころを日替わりで登場させたが、低迷し、わずか1年でさらなるリニューアルを余儀なくされた。

 

さて、当方が、本書でもっとも興味を持ったのは……。

――<クローズアップ現代>のキャスターを担当してきて、日本社会で何が一番変化したと感じているのかと問われると、「雇用」が一番変化している、と答えることが多かった。(本書)

 

2016年2月放送さの「広がる労働崩壊~公共サービスの担い手に何が」は、前日まで「広がる正社員ゼロ職場」という番組タイトルだったという。しかし現場の実態は、公共サービスを担う労働者は経済的に追い詰められ、労働そのものが崩壊しているのでは、という認識がスタッフに共有されていった。

 

さらに、国谷は、書く。

――非正規社員化の問題のそもそもの発端は、メディアも住民も含めた強い風、すなわち「自治体の無駄をなくせ」「非効率な業務を改革すべき」という強い風のなかで起きてきたことだ。そういう実態をきちんと踏まえた番組にすべきだと考えた。

 

――キャスターを継続し担当してきたことで生まれてきた「時間軸」からの視点によって、視点の力点、前説の力点が変化してくる。<クローズアップ現代>の歴史のなかでは、自治体の非効率性を指摘したり、経費の無駄遣いをたびたび指摘してきたことを踏まえれば、「その指摘が結果として生み出したものは何か?」という思いを忘れるわけにはいかなかった。(本書)

 

かつてNHKディレクター、プロデューサーだった川良浩和が『我々はどこへ行くのか――あるドキュメンタリストからのメッセージ』(2006)『闘うドキュメンタリー ――テレビが再び輝くために』(2009)の2冊で「NHK特集」「NHKスペシャル」1986年以降の150本のうち100本を記録している。

 

これらの番組から<クローズアップ現代>は、ほぼ10年遅れでスタートし、ずっと重なっている。国谷の23年を小さな新書に閉じ込めるのはなんとももったいない。国谷裕子のクローズアップ“現代史”として刊行できないか。

 

とりわけ、<クローズアップ現代>は、バブル崩壊後から竹中平蔵、内橋克人という二人のゲストが多く登場したことに本書は触れている。竹中の構造改革の悲惨な結果と内橋のthink small firstという主張。小泉内閣から安倍内閣まで、何度も取り上げられてきた日本経済、とりわけ雇用問題について、せめて1冊の本にならないかと思う。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.07.18

澤 康臣★グローバル・ジャーナリズム――国際スクープの舞台裏  ☆ノンフィクションが書けなくなる理由

20170718

 

 この壁は2004年、さらに厳しいものになった。

 

  刑事訴訟法に新たな条文が付け加えられ、検察が弁護人に開示した検察側証拠を裁判以外の目的に使うことが禁じられた。だから記者に提供することも禁止である。

 

  冤罪の訴えを調べたり、裁判を詳しく取材したりする記者は、弁護人と協力関係を築き、裁判資料のコピーをもらって読み込むことがよくある。それが犯罪になってしまうのだ…〕 

 

 記者どころか、被告人本人が裁判所の外で冤罪を訴えるため、こうした資料をビラやパンフレット、ウェブサイトに掲載するのも「目的外使用」に当たるため禁止された。

 

  どこの国でも冤罪の訴えは、検察が出す証拠を多くの市民に見せ、これらはおかしいと知らせるところから始まる。そうした活動を犯罪として取り締まる法律ができたのが21世紀の日本という国である。

 

 

★グローバル・ジャーナリズム――国際スクープの舞台裏|澤 康臣|岩波新書|2017年3月|ISBN:9784004316534 |○

 

「パナマ文書」を契機として国際調査報道が注目されている。人と情報が国境を越え、国際化が加速されている。他国のジャーナリストのやり方を学ぼうと、本書はその最前線をリポートしたもの。

 

「パナマ文書」とは、パナマの法律事務所から流出し公表された機密の金融取引文書のこと。76370人以上のジャーナリストの「国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)」が、内部文書1150万点を入手し、検証し、2016年に結果を公表したもの。国家元首・政治家・企業幹部などと、オフショア・タックスヘイブン(非居住者向け租税回避地)にある海外資産との関係を明るみに出した。

 

 インターネットで展開する韓国の映像系調査報道メディアの「ニュース打破(タパ)」もすごい。2012年の大統領選で朴槿恵が当選した際、情報機関の国家情報院がインターネットで朴候補の支援工作を組織的に行っていたことを暴いた。

 

 また本書では書かれていないが、2016年、韓国の衛星放送JTBCで自らがアンカーマンを務める孫石熙はニュース番組「JTBCニュースルーム」で、朴槿恵大統領の国政機密漏洩事件、いわゆる崔順実(チェ・スンシル)ゲート事件をスクープ。これを契機に、朴槿恵大統領は弾劾訴追、罷免される至った。

 

 発熱しやすい韓国の国民性と、言に動が伴わないわが国の国民性との違いはあるが、“もり+かけ”安倍隠蔽問題で首相を追い込めない日本メディアの調査報道の劣化を思わざるを得ない。

 

 本書で当方の最大の関心事は、「第5章 そして日本はー」である。調査報道を阻む“壁”。その一つは上掲にあるように刑事訴訟法であり、他の一つは個人情報保護法である。いくつか引用する。

 

 ――民事裁判の場合、コピーは入手できず閲覧が許されるだけである。記録自体、裁判が終わって5年経てば判決文以外は廃棄ざれ、この世から消える。刑事裁判はもっと深刻で、法律では誰でも請求すれば記録を「閲覧させなければならない」と明記されているのに、実際には関係者の名誉や平穏を理由にした例外規定を挙げて難色を示され、閲覧できても固有名詞の大半が黒塗りされるということが多々ある。記者ら市民が裁判や捜査を検証することを著しく妨げている。(本書)

 

 当方の周辺でも、個人情報なので教えられません、という“逃げ口上”で役所の不作為に泣かされるケースが多発している。公共的利益とは関係なく、名前や住所のような要素が含まれる情報を他人に提供することは“問題行動”であるとされてしまっている。また“プライバシー”と同様に誤った使い方がされているのに“匿名性”がある。

 

 ――固有名詞を欠いた記録は検証や調査のための用をなさず価値の大半を失う。実際、匿名性の増加により日本の報道アーカイブは無意味化が進行し、調査報道の参考資料として使うことが困難になっている。(本書)

 

 ジャーナリスト江川紹子の体験談が紹介されている。2016年、裁判員裁判を経て初めて死刑が執行された歴史的事件の記録の閲覧を横浜地検に申請した。しかし閲覧できたのは記録のごく一部、公判速記録と判決文だけだったという。多くの固有名詞が黒塗りされ、被告人以外の関係者の人名は、亡くなった被害者も含めてほぼ黒塗りで、読めなくなっていた。「日本司法の歴史に残る出来事に誰が関わったか、つまり誰の出来事だったのか、その情報が抹消されている」。

 

 ――黒塗り措置は関係者の「迷惑防止」という面を慮ってのことではあろう。だが刑事裁判は権力行使に関わる重大な公共事項でもある。裁判の公開やその記録の公開は当事者にメリットがあるから定めているのではない。手続きを大衆的な関心と検証のもとに置いてこそ権力の間違いが発見されるからだ。(本書)

 

 ノンフィクションの取材に金や時間がかかる割に作品が売れない。発表誌が廃刊されていく。ノンフィクションは衰退の一途だ。

だが本書を読んで個人情報の過剰な保護、また冤罪を訴えたり刑事手続きや裁判を検証したりすることが犯罪となってしまう刑事訴訟法「目的外使用の禁止」条項などによって、ノンフィクションを書くことできなくなっていく現状が分かった。

 

 著者澤康臣は、1966年生まれ。パナマ文書解明に取り組んだ共同通信特別報道室記者。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.02.11

本城雅人★ミッドナイト・ジャーナル

201702101

 

「どうして関さんは『ジャーナル』と言うんですかということです取材精神のことを言うなら、ジャーナルではなくジャーナリズムですし、きちんと取材する人間を指しているのならジャーナリストでいいじゃないですか。ジャーナルだと〈日刊紙〉という意味になってしまいますよ」〔…〕

 「それはやっぱり、俺たちは新聞記者だからだよ。

ジャーナリストのように、時間をかけて、相手の懐に深く入り込んで、すべてを聞き出すことも大事だけど、

俺たちには締め切りがあって、毎日の紙面も作らなければいけない。

  きょうはネタがありませんと言って白紙の新聞を出すわけにはいかないからな。〈時間をかけず〉かつ〈正確に〉と相反する二つの要素を求められる」

「それでジャーナルなんですか」

 はっきりと理解したわけではないが、日々の紙面作りという意味では、新聞記者は他のジャーナリストと少し違う。

 「もう一つ理由がある」豪太郎が急に目線を遠くに向けた。〔…〕

「自分のことをジャーナリストなんて呼ぶのは、なんかこつぱずかしいじゃねえか。俺にはジャーナルで十分だって言ってたよ。親父がそう言ってから、俺もジャーナルと言うことにしたんだ」

 

 ★ミッドナイト・ジャーナル|本城雅人|講談社|2016年2月|ISBN: 9784062198998|◎=おすすめ

 

 警察庁広域重要指定117号事件を彷彿させる児童誘拐事件が7年前に起こり、中央新聞記者の関口豪太郎たちは「被害者女児死亡」という誤報を打つ。痛恨の過去である。そして今また児童連続誘拐事件が発生し、さいたま支局の関口はかつての事件との関連性を疑う。

 本作品は、犯罪取材とあわせ新聞社内の組織、個人の確執を扱ったスリリングなミステリである。当方、一読して横山秀夫『クライマーズ・ハイ』(2003年)を想起した。御巣鷹山の日航機123便墜落事故を題材にした小説で、横山のベスト1作品であり、“新聞社小説”のゆるがないベスト1である。本城雅人『ミッドナイト・ジャーナル』は、これに匹敵するかもしれない。

 以下、ストーリーには触れず、新聞がらみのことを記す。

 主人公の関口は、「昔から一度裏切られると、簡単に水に流せないのが自分の欠点だ」という男である。 

 ベテランの二階堂という記者もいい。

  ――泣かせる記事が不要とは言わないが、そこに綿密なディテールが入っていないと安ドラマと変わらなくなる。逆にディテールになりうるネタを掴んだら、スクープとしてストレートに報じた方がよほどインパクトがある。(『ミッドナイト・ジャーナル』)

  ついでに関口と後輩記者とのやり取り中でこんな一節もある。

  ――新聞という媒体そのものが、時代遅れの社会悪であるような批判を受ける。だがそこまで集中砲火を浴びるということは、新聞はまだ、世論を動かすだけの責任を背負っているという意味でもある。(『ミッドナイト・ジャーナル』)

201702102

  本城雅人は20年の新聞記者経験があるようで……。

『トリダシ』(2015)というスポーツ新聞社を扱った連作短編も満足した。こちらは「とりあえず、ニュースをだせ」と部下にニュースを獲ってくることを要求し「トリダシ」と陰で呼ばれる鳥飼義伸というデスク。

 「男が男に嫉妬するのは、金、出世、女の三つ」とか「(左遷されたとき)真っ先に味方の顔をして近寄ってきたヤツが、飛ばした張本人だ」といったフレーズで楽しましてくれる。

201702103


『紙の城』(2016)は、『ミッドナイト・ジャーナル』に次ぐ“新聞社小説”。大いに期待した。講談社の惹句によれば……。

  ――新聞社が消滅する――。東洋新聞はIT企業から買収宣告を受けた。経営権が移れば、宅配数の少ない営業所は閉鎖、ニュースはウェブファーストに移行し、海外特派員制度もなくなる。

  ライブドアとフジテレビ・ニッポン放送との買収事件をヒントにしたような『紙の城』は、社会部デスク安芸稔彦とIT企業の権藤正隆との新聞社買収を巡る知恵比べ。未読の読者のために本筋は紹介できない。新聞経営の現状とニュースのIT化の将来を知ることができる。が、社会部の安芸は“いい人”でITの権藤も最後には“いい人”になってしまい、事件も尻すぼみで、がっかりした。

  新聞、テレビ、ネットの違い……。

 ――「新聞は昔のテレビと同じだ。〔…〕昔のテレビはチャンネルを替えるのにいちいち席を立ってテレビまで近づかなくてはならなかった。それが面倒だから興味のないニュースでもCMでもずっと見ていた。そこに新しい知識の発見があった。リモコンなんて便利なものができたせいで、テレビからはもともと興味があるものしか得られなくなった」(『紙の城』)

 

「私にとっての新聞は、読者にとって興味がなかったものも、知らず知らずのうちに目に入って、読んでもらうことができる知識を広めるための道具です。ネットはそうではありません。記事も広告も、自分が好きなものだけを機械が選び、勝手に画面に出てくるわけですから」(同)

  もう一つ、新聞をめぐるこんな一節もある。

 ――新聞には国籍がある。他国との外交の内容を掴んでも、日本人の不利になるようだと大批判を展開するが、自国に有利になる場合、それが相手国に不利になるという書き方はしない。(『紙の城』) 

 新聞は紙とかネットとかというフォーマットの問題ではない。その新聞やサイトでしか読めない記事やコラムが集まっているかどうか。……という議論も『紙の城』に出てくる。

 そういえば昔むかし、当方は田勢康弘のコラムのために日経を読み、星浩のコラムがばかばかしくて朝日ををやめたことがある。

  個性を出すために署名記事が増え、それが韓国の新聞のように、単に情報を伝達する報道ではなく、それ以上に物事を「こうあるべき」と論ずる媒体になってしまっては困る。……と、まあ、“絶滅危惧種”新聞について、いろいろ考えさせてくれた本城雅人の三作だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)