01/ジャーナリスト魂・編集者萌え

2017.07.23

国谷裕子★キャスターという仕事 …………☆日本社会で何が一番変化したかと問われると、それは「雇用」だ、と。

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 番組を担当した四半世紀近くの間に、何が一番変化したのか。

 

 それは経済が最優先になり、人がコストを減らす対象とされるようになったこと。

 

 そして、一人ひとりが社会の動きに翻弄されやすく、自分が望む人生を歩めないかもしれないという不安を早くから抱き、自らの存在を弱く小さな存在と捉えるようになってしまったのではないかと思っていた。

 

 組織、社会に抗って生きることは厳しい。コンプライアンス(法令順守)、リスク管理の強化。番組でも、企業の不祥事が起きると、それらの重要さを強調してきただけに、ここで書くことにいささかの後ろめたさも感じるが、一人ひとりの個性が大切だと言いながら、組織の管理強化によって、社会全体に「不寛容な空気」が浸透していったのではないだろうか。

 

 <クローズアップ現代>がスタートしたころと比べて、テレビ報道に対しても不寛容な空気がじわじわと浸透するのをはっきりと感じていた。

 

 

★キャスターという仕事 |国谷裕子|岩波新書|20171|ISBN9784004316367 |評価=◎おすすめ

 

 <クローズアップ現代> は、1993年4月から2016年3月まで23年続いたNHKの看板番組。政治、事件、国際、文化、スポーツと「テーマに聖域は設けない」番組だ。渋谷の放送センターのみならず、地域局や海外支局も含めNHKのどの部署からでも企画を提案でき、組織の力を結集した制作側にも視聴者にも魅力ある番組だった。そのクールにして熱きキャスターが国谷裕子。

 

 ――<クローズアップ現代>のキャスターを23年間続けてきて、私はテレビの報道番組で伝えることの難しさを日々実感してきた。その難しさを語るには、これまで私が様々な局面で感じてきた、テレビ報道の持つ危うさというものを語る必要がある。

 

 その「危うさ」を整理してみると、次の三つになる。

①「事実の豊かさを、そぎ落としてしまう」という危うさ

②「視聴者に感情の共有化、一体化を促してしまう」という危うさ

③「視聴者の情緒や人々の風向きに、テレビの側が寄り添ってしまう」という危うさ

 キャスターとして視聴者にいかに伝えるかば、この三つの危うさからどう逃れうるかにかかっている。(本書)

 

 2015年暮れに、国谷は、放送時間の変更に伴い番組をリニューアルするため、キャスター契約を更新しない旨を告げられる。とっさに、ケネディ大使へのインタビュー、菅官房長官へのインタビュー、沖縄の基地番組、「出家詐欺」報道など、“降板”の理由が浮かんだという。

 

このうち菅官房長官へのインタビューは、2014年7月の「集団的自衛権 菅官房長官に問う」。「それはまったくない」「そこは当たらない」と木で鼻をくくったような再質問させない不遜な口調が絶好調だった時期(現在もそのスガ語は続いているが、加計学園問題で馬脚を現わし個人攻撃など下卑た“隠蔽”長官のイメージをまとうようになった)。しかし国谷は「憲法の解釈を変えることは、国のあり方を変える」と残り30秒を切っても問いつめた。これが様々なメディアで、首相官邸周辺の不評を買ったとの報道がなされたという。

今も昔もNHKを“国営放送”と思っている安倍官邸をNHKトップがが忖度したことは容易に想像できる。

 

 本書で引用しておきたいのは、「報道番組のなかでの公平公正とは何か」という部分。「個々のニュースや番組のなかで異なる見解を常に並列的に提示するのではなく、NHKの放送全体で多角的な意見を視聴者に伝えていく、というスタンスだった」。たとえば「基地問題をめぐつては、定時のニュースなどで政府の方針をたびたび伝えていれば、逆に<クローズアップ現代>で沖縄の人々の声を重点的に取り上げたとしても、公平公正を逸脱しているという指摘はNHK内からは聞こえてこなかった。NHKが取るべき公平公正な姿勢とはそういうものだと、長い間、私は理解し、仕事をしてきていた」。

 

しかし公平公正のあり方に対し風向きが変わり、<クローズアップ現代>で特定秘密保護法案を一度も扱われず、安全保障関連法は参院通過後に一度取り上げられただけだったという。

 

 こうして国谷は20163月に降板する。リニューアルした<クローズアップ現代+>NHK女子アナのきれいどころを日替わりで登場させたが、低迷し、わずか1年でさらなるリニューアルを余儀なくされた。

 

さて、当方が、本書でもっとも興味を持ったのは……。

――<クローズアップ現代>のキャスターを担当してきて、日本社会で何が一番変化したと感じているのかと問われると、「雇用」が一番変化している、と答えることが多かった。(本書)

 

2016年2月放送さの「広がる労働崩壊~公共サービスの担い手に何が」は、前日まで「広がる正社員ゼロ職場」という番組タイトルだったという。しかし現場の実態は、公共サービスを担う労働者は経済的に追い詰められ、労働そのものが崩壊しているのでは、という認識がスタッフに共有されていった。

 

さらに、国谷は、書く。

――非正規社員化の問題のそもそもの発端は、メディアも住民も含めた強い風、すなわち「自治体の無駄をなくせ」「非効率な業務を改革すべき」という強い風のなかで起きてきたことだ。そういう実態をきちんと踏まえた番組にすべきだと考えた。

 

――キャスターを継続し担当してきたことで生まれてきた「時間軸」からの視点によって、視点の力点、前説の力点が変化してくる。<クローズアップ現代>の歴史のなかでは、自治体の非効率性を指摘したり、経費の無駄遣いをたびたび指摘してきたことを踏まえれば、「その指摘が結果として生み出したものは何か?」という思いを忘れるわけにはいかなかった。(本書)

 

かつてNHKディレクター、プロデューサーだった川良浩和が『我々はどこへ行くのか――あるドキュメンタリストからのメッセージ』(2006)『闘うドキュメンタリー ――テレビが再び輝くために』(2009)の2冊で「NHK特集」「NHKスペシャル」1986年以降の150本のうち100本を記録している。

 

これらの番組から<クローズアップ現代>は、ほぼ10年遅れでスタートし、ずっと重なっている。国谷の23年を小さな新書に閉じ込めるのはなんとももったいない。国谷裕子のクローズアップ“現代史”として刊行できないか。

 

とりわけ、<クローズアップ現代>は、バブル崩壊後から竹中平蔵、内橋克人という二人のゲストが多く登場したことに本書は触れている。竹中の構造改革の悲惨な結果と内橋のthink small firstという主張。小泉内閣から安倍内閣まで、何度も取り上げられてきた日本経済、とりわけ雇用問題について、せめて1冊の本にならないかと思う。

 

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2017.07.18

澤 康臣★グローバル・ジャーナリズム――国際スクープの舞台裏  ☆ノンフィクションが書けなくなる理由

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 この壁は2004年、さらに厳しいものになった。

 

  刑事訴訟法に新たな条文が付け加えられ、検察が弁護人に開示した検察側証拠を裁判以外の目的に使うことが禁じられた。だから記者に提供することも禁止である。

 

  冤罪の訴えを調べたり、裁判を詳しく取材したりする記者は、弁護人と協力関係を築き、裁判資料のコピーをもらって読み込むことがよくある。それが犯罪になってしまうのだ…〕 

 

 記者どころか、被告人本人が裁判所の外で冤罪を訴えるため、こうした資料をビラやパンフレット、ウェブサイトに掲載するのも「目的外使用」に当たるため禁止された。

 

  どこの国でも冤罪の訴えは、検察が出す証拠を多くの市民に見せ、これらはおかしいと知らせるところから始まる。そうした活動を犯罪として取り締まる法律ができたのが21世紀の日本という国である。

 

 

★グローバル・ジャーナリズム――国際スクープの舞台裏|澤 康臣|岩波新書|2017年3月|ISBN:9784004316534 |○

 

「パナマ文書」を契機として国際調査報道が注目されている。人と情報が国境を越え、国際化が加速されている。他国のジャーナリストのやり方を学ぼうと、本書はその最前線をリポートしたもの。

 

「パナマ文書」とは、パナマの法律事務所から流出し公表された機密の金融取引文書のこと。76370人以上のジャーナリストの「国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)」が、内部文書1150万点を入手し、検証し、2016年に結果を公表したもの。国家元首・政治家・企業幹部などと、オフショア・タックスヘイブン(非居住者向け租税回避地)にある海外資産との関係を明るみに出した。

 

 インターネットで展開する韓国の映像系調査報道メディアの「ニュース打破(タパ)」もすごい。2012年の大統領選で朴槿恵が当選した際、情報機関の国家情報院がインターネットで朴候補の支援工作を組織的に行っていたことを暴いた。

 

 また本書では書かれていないが、2016年、韓国の衛星放送JTBCで自らがアンカーマンを務める孫石熙はニュース番組「JTBCニュースルーム」で、朴槿恵大統領の国政機密漏洩事件、いわゆる崔順実(チェ・スンシル)ゲート事件をスクープ。これを契機に、朴槿恵大統領は弾劾訴追、罷免される至った。

 

 発熱しやすい韓国の国民性と、言に動が伴わないわが国の国民性との違いはあるが、“もり+かけ”安倍隠蔽問題で首相を追い込めない日本メディアの調査報道の劣化を思わざるを得ない。

 

 本書で当方の最大の関心事は、「第5章 そして日本はー」である。調査報道を阻む“壁”。その一つは上掲にあるように刑事訴訟法であり、他の一つは個人情報保護法である。いくつか引用する。

 

 ――民事裁判の場合、コピーは入手できず閲覧が許されるだけである。記録自体、裁判が終わって5年経てば判決文以外は廃棄ざれ、この世から消える。刑事裁判はもっと深刻で、法律では誰でも請求すれば記録を「閲覧させなければならない」と明記されているのに、実際には関係者の名誉や平穏を理由にした例外規定を挙げて難色を示され、閲覧できても固有名詞の大半が黒塗りされるということが多々ある。記者ら市民が裁判や捜査を検証することを著しく妨げている。(本書)

 

 当方の周辺でも、個人情報なので教えられません、という“逃げ口上”で役所の不作為に泣かされるケースが多発している。公共的利益とは関係なく、名前や住所のような要素が含まれる情報を他人に提供することは“問題行動”であるとされてしまっている。また“プライバシー”と同様に誤った使い方がされているのに“匿名性”がある。

 

 ――固有名詞を欠いた記録は検証や調査のための用をなさず価値の大半を失う。実際、匿名性の増加により日本の報道アーカイブは無意味化が進行し、調査報道の参考資料として使うことが困難になっている。(本書)

 

 ジャーナリスト江川紹子の体験談が紹介されている。2016年、裁判員裁判を経て初めて死刑が執行された歴史的事件の記録の閲覧を横浜地検に申請した。しかし閲覧できたのは記録のごく一部、公判速記録と判決文だけだったという。多くの固有名詞が黒塗りされ、被告人以外の関係者の人名は、亡くなった被害者も含めてほぼ黒塗りで、読めなくなっていた。「日本司法の歴史に残る出来事に誰が関わったか、つまり誰の出来事だったのか、その情報が抹消されている」。

 

 ――黒塗り措置は関係者の「迷惑防止」という面を慮ってのことではあろう。だが刑事裁判は権力行使に関わる重大な公共事項でもある。裁判の公開やその記録の公開は当事者にメリットがあるから定めているのではない。手続きを大衆的な関心と検証のもとに置いてこそ権力の間違いが発見されるからだ。(本書)

 

 ノンフィクションの取材に金や時間がかかる割に作品が売れない。発表誌が廃刊されていく。ノンフィクションは衰退の一途だ。

だが本書を読んで個人情報の過剰な保護、また冤罪を訴えたり刑事手続きや裁判を検証したりすることが犯罪となってしまう刑事訴訟法「目的外使用の禁止」条項などによって、ノンフィクションを書くことできなくなっていく現状が分かった。

 

 著者澤康臣は、1966年生まれ。パナマ文書解明に取り組んだ共同通信特別報道室記者。

 

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2017.02.11

本城雅人★ミッドナイト・ジャーナル

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「どうして関さんは『ジャーナル』と言うんですかということです取材精神のことを言うなら、ジャーナルではなくジャーナリズムですし、きちんと取材する人間を指しているのならジャーナリストでいいじゃないですか。ジャーナルだと〈日刊紙〉という意味になってしまいますよ」〔…〕

 「それはやっぱり、俺たちは新聞記者だからだよ。

ジャーナリストのように、時間をかけて、相手の懐に深く入り込んで、すべてを聞き出すことも大事だけど、

俺たちには締め切りがあって、毎日の紙面も作らなければいけない。

  きょうはネタがありませんと言って白紙の新聞を出すわけにはいかないからな。〈時間をかけず〉かつ〈正確に〉と相反する二つの要素を求められる」

「それでジャーナルなんですか」

 はっきりと理解したわけではないが、日々の紙面作りという意味では、新聞記者は他のジャーナリストと少し違う。

 「もう一つ理由がある」豪太郎が急に目線を遠くに向けた。〔…〕

「自分のことをジャーナリストなんて呼ぶのは、なんかこつぱずかしいじゃねえか。俺にはジャーナルで十分だって言ってたよ。親父がそう言ってから、俺もジャーナルと言うことにしたんだ」

 

 ★ミッドナイト・ジャーナル|本城雅人|講談社|2016年2月|ISBN: 9784062198998|◎=おすすめ

 

 警察庁広域重要指定117号事件を彷彿させる児童誘拐事件が7年前に起こり、中央新聞記者の関口豪太郎たちは「被害者女児死亡」という誤報を打つ。痛恨の過去である。そして今また児童連続誘拐事件が発生し、さいたま支局の関口はかつての事件との関連性を疑う。

 本作品は、犯罪取材とあわせ新聞社内の組織、個人の確執を扱ったスリリングなミステリである。当方、一読して横山秀夫『クライマーズ・ハイ』(2003年)を想起した。御巣鷹山の日航機123便墜落事故を題材にした小説で、横山のベスト1作品であり、“新聞社小説”のゆるがないベスト1である。本城雅人『ミッドナイト・ジャーナル』は、これに匹敵するかもしれない。

 以下、ストーリーには触れず、新聞がらみのことを記す。

 主人公の関口は、「昔から一度裏切られると、簡単に水に流せないのが自分の欠点だ」という男である。 

 ベテランの二階堂という記者もいい。

  ――泣かせる記事が不要とは言わないが、そこに綿密なディテールが入っていないと安ドラマと変わらなくなる。逆にディテールになりうるネタを掴んだら、スクープとしてストレートに報じた方がよほどインパクトがある。(『ミッドナイト・ジャーナル』)

  ついでに関口と後輩記者とのやり取り中でこんな一節もある。

  ――新聞という媒体そのものが、時代遅れの社会悪であるような批判を受ける。だがそこまで集中砲火を浴びるということは、新聞はまだ、世論を動かすだけの責任を背負っているという意味でもある。(『ミッドナイト・ジャーナル』)

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  本城雅人は20年の新聞記者経験があるようで……。

『トリダシ』(2015)というスポーツ新聞社を扱った連作短編も満足した。こちらは「とりあえず、ニュースをだせ」と部下にニュースを獲ってくることを要求し「トリダシ」と陰で呼ばれる鳥飼義伸というデスク。

 「男が男に嫉妬するのは、金、出世、女の三つ」とか「(左遷されたとき)真っ先に味方の顔をして近寄ってきたヤツが、飛ばした張本人だ」といったフレーズで楽しましてくれる。

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『紙の城』(2016)は、『ミッドナイト・ジャーナル』に次ぐ“新聞社小説”。大いに期待した。講談社の惹句によれば……。

  ――新聞社が消滅する――。東洋新聞はIT企業から買収宣告を受けた。経営権が移れば、宅配数の少ない営業所は閉鎖、ニュースはウェブファーストに移行し、海外特派員制度もなくなる。

  ライブドアとフジテレビ・ニッポン放送との買収事件をヒントにしたような『紙の城』は、社会部デスク安芸稔彦とIT企業の権藤正隆との新聞社買収を巡る知恵比べ。未読の読者のために本筋は紹介できない。新聞経営の現状とニュースのIT化の将来を知ることができる。が、社会部の安芸は“いい人”でITの権藤も最後には“いい人”になってしまい、事件も尻すぼみで、がっかりした。

  新聞、テレビ、ネットの違い……。

 ――「新聞は昔のテレビと同じだ。〔…〕昔のテレビはチャンネルを替えるのにいちいち席を立ってテレビまで近づかなくてはならなかった。それが面倒だから興味のないニュースでもCMでもずっと見ていた。そこに新しい知識の発見があった。リモコンなんて便利なものができたせいで、テレビからはもともと興味があるものしか得られなくなった」(『紙の城』)

 

「私にとっての新聞は、読者にとって興味がなかったものも、知らず知らずのうちに目に入って、読んでもらうことができる知識を広めるための道具です。ネットはそうではありません。記事も広告も、自分が好きなものだけを機械が選び、勝手に画面に出てくるわけですから」(同)

  もう一つ、新聞をめぐるこんな一節もある。

 ――新聞には国籍がある。他国との外交の内容を掴んでも、日本人の不利になるようだと大批判を展開するが、自国に有利になる場合、それが相手国に不利になるという書き方はしない。(『紙の城』) 

 新聞は紙とかネットとかというフォーマットの問題ではない。その新聞やサイトでしか読めない記事やコラムが集まっているかどうか。……という議論も『紙の城』に出てくる。

 そういえば昔むかし、当方は田勢康弘のコラムのために日経を読み、星浩のコラムがばかばかしくて朝日ををやめたことがある。

  個性を出すために署名記事が増え、それが韓国の新聞のように、単に情報を伝達する報道ではなく、それ以上に物事を「こうあるべき」と論ずる媒体になってしまっては困る。……と、まあ、“絶滅危惧種”新聞について、いろいろ考えさせてくれた本城雅人の三作だった。

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2017.02.08

東海テレビ取材班★ヤクザと憲法――「暴排条例」は何を守るのか

20170208

 

 一番困るのが、タイトルについて聞かれることだ。

 「『ヤクザと憲法』というタイトルに込められた思いは?」「暴対法、暴排条例は憲法違反だと思うか」〔…〕

 私は、「まずは、彼らの日常から何かを感じてもらうこと。その先に憲法ということについて考える機会があればなおさらうれしい」というような曖昧な返答をする。〔…〕

 すると、質問した人は、ちょっと残念そうな顔をする。おそらく、憲法がもっと前に出てきてしいのだろう。むしろそこから取材がスタートしましたと言ってほしいと思っているように感じる。 

 「この作品は、暴対法、暴排条例の違憲性を訴えるために作りました。日本国憲法第14条にのっとって、断固彼らを差別するべきではないというのが私たちの主張です」と。

 しかし、残念ながら実際はそうではない。

 つまり、憲法ありきの作品ではないということだ。

私たちは結果的に、憲法にたどり着いただけで、あらかじめ憲法問題を論じるためにヤクザの取材をスタートしてはいない。

 

 ヤクザと憲法――「暴排条例」は何を守るのか 東海テレビ取材班| 岩波書店|201610月|ISBN9784000023290|○

   東海テレビの阿武野勝彦プロデューサー、土方宏史記者による『ヤクザと憲法』は、テレビ(20053月放映)、映画(20161月上映)の半年間にわたる制作過程を綴ったもの。取材相手は大阪市指定暴力団二代目(約150人)2次団体、堺市に事務所を構える二代清勇会27人)

 ――「政治によるメディアへの介入」という話をよく耳にする。しかし、本当にメディアは介入されている純粋な「被害者」なのだろうか。自分たちで勝手に先回りしてはいないか。〔…〕

 ヤクザ組織への取材交渉はご法度。取材は警察発表に従い、だから捜査員の肩越しに撮影することになる。原稿は「ヤクザ」という単語を使用することなく、「暴力団」という表現を使う。これが、いわば暗黙の取り決めだ。この不文律は、どんどんエスカレートしていく。(本書)

 その“常識”の外へ出たのが、このドキュメンタリー。序章でのヤクザを取材したいという土方に対し、認めるまでの阿武野の葛藤のプロセスがリアルである。そして制作の前提として、ヤクザの存在を肯定しない、放送前の収録テープは事前に見せない、原則としてモザイクは入れない、という条件を清勇会、テレビ局双方に課す。

 暴対法は、1992年施行の「暴力団による不当な行為の防止等に関する法律」のこと。暴排条例(暴力団排除条例)は、2011年までに47都道府県で施行された条例。

 これにより、指定暴力団の組員は、銀行口座の開設、公共住宅への入居、宅配便の利用、ホテルの利用、車の購入、ゴルフ場の利用などができなくなった。子どもの学費、学校給食費の引き落としができないため現金持参、また幼稚園、保育園の入園拒否など、……。

  なにがなんでもこれは基本的人権の侵害ではないか。一般人の当方としても許容できない。

 著者はいう。

 ――「たとえヤクザでも、それでも人間なのだ」という視座を持てるか、これがその作品の根っこだ。

 この種のドキュメンタリー映画は1万人の観客でヒットといわれているが、既に4万人が見たという。当方はテレビも映画も見ていないので隔靴掻痒の感はあるが、「暴排条例」は何を守るのかを考えさせられた。

 

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2016.12.27

貴田正子■香薬師像の右手――失われたみはとけの行方

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「こちらでございます」

 井上師は木箱の蓋をスライドさせ、中のものを取り出した。いきなりパタッと、苦心して探し続けた香薬師の右手が目の前に置かれたのである。右手は特製の台座に形よく載っていた。

  定観住職の「かわいらしい」という、つぶやき声が聞こえた。手首だけを見ると、驚くほど小さい。

 本当にかわいらしいが、黒い小さな右手は、千三百年前の白鳳時代の風格を確かに放っていた。

 手」と書かれた箱には、佐佐木茂素の箱書きがある。

 新薬師寺香薬師御手也故有テ昭和廿五年首夏此箱ヲ造り奉安ス

 佐佐木茂索謹誌〔…〕

  箱書きはもうひとつあった。「平成十二年十二月一日佐佐木茂索氏命日に夫人泰子慶寺奉納 禅定謹誌」と書かれている。

 

 香薬師像の右手――失われたみはとの行方貴田正講談社201610月|ISBN: 9784062202893|○

  今朝(2016.12.27)の新聞に、重文「香薬師像」の右手発見の記事が出ていた。本書の奥付が2016.10.12なので、なぜ今頃と思ったが、記事を読むと、「奈良国立博物館が26日、報道陣に公開した」というものだった。本物と断定したということだろう。

  奈良新薬師寺の香薬師立像は、白鳳の傑作といわれる仏像。明治231890)年と441911)年の2度盗まれ、最初は本体も離れた落ちた右手がみつかり、2度目は本体の両足が足首から切断されていた。さらに昭和181943)年に3度目の盗難。右手は寺に残されていたものの、本体は現在も不明のままだ。

  その後、右手が行方不明になっていたが、平成272015)年5月、本書の著者(元産経新聞記者)らによって発見され、このほどその右手(長さ9.6センチ。残念ながら中指の先が欠けている)が公開された。本書は、その長い経緯を記したノンフィクション。

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 上掲の場面の井上師は右手を保管していた鎌倉の東慶寺住職井上陽司師、定観住職は盗まれた香薬師像の新薬師寺住職中田定観師。

  著者と香薬師像とのかかわりは、約20年前に茨城県笠間市に香薬師像など国宝の石膏コピー仏像ばかり集めた美術館があったと知ったことに始まる。複製3体にまつわる話、上掲右手発見の話など、まことにスリリング。

  だが、著者の夫である貴田晞照大峯山修験者が、唐突に、香薬師さんの右手は東慶寺にあると断言したり(その通りだったのだが)、著者が黒い木箱を開けた瞬間、ただならぬ妖気を感じたり(中に「薬師如来右手古疵ヨリ折口ノ形状」という写真があり、切り離された右手が写っていた)、気の世界の病治しを実践する夫の貴田が、香薬師の右手に教え導びかれるように発見に近づいたり、とまあ不可思議な展開に戸惑いもある。が……。

  ――おそれなくていい――施無畏の右手は、古代の薬師如来からの大きなメッセージである。香薬師の右手の出現によって、病に苦しむ人、さまざまな困難に遭遇している人など、多くの人々が癒やされていくにちがいない。(本書) 

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2016.12.08

常盤新平■翻訳出版編集後記

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 アメリカの雑誌について、もっとよく知っていたら、「ホリデイ」という雑誌を出さなくてすんだかもしれないし、上からの命令でも、私は引き受けなかったかもしれない。目的ははっきりしていた。男性雑誌である。だが、まだその時期は来ていなかった。〔…〕

 アメリカの雑誌は、そのほとんどが20代の青年によって創刊されている。「タイム」も「リーダーズ・ダイジェスト」も「プレイボーイ」もそうである。

 雑誌が青年の冒険であることに気がついたのは、つい23年前である。〔…〕

  そうであれば、「ホリデイ」は私にとって痛恨事である。貴重この上ない機会を無駄にしてしまった。すべては、私の力不足、自覚のなさ、意志の弱さ、ヴィジョンを持たなかったことにある。

 

 ■翻訳出版編集後記|常盤新平|幻戯書房|20166|ISBN: 9784864880985|

  本書は「出版ニース」に1977年から1979年にかけて連載されたもの。実に40年近くたって死去後に書籍化された。

  常盤新平(19312013)は、195928歳で早川書房に入社、196938歳で退社。その間の早川での編集者生活を回顧したもの。

  上掲の「ホリデイ」という新雑誌の編集長を入社2年目の常盤新平が担い、創刊号のみで廃刊となる。以後トラウマとなる痛恨の経験である。早川では、都筑道夫が作家として独立し、「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」は小泉太郎(生島治郎)が編集し、福島正実が「SFマガジン」を編集していたという。

  当時ミステリ、SFといえば、早川書房、東京創元社の2社に限られていた。版権も取りやすく、5000部売れれば十分に採算が取れたという。やがて翻訳家として独立するのだが、その頃、大手や新興の出版社が翻訳出版に参入する。

 ――翻訳業も虚業であると思わないわけにはいかない。しかも、どんなに頑張っても、翻訳が原作をこえることはないはずである。翻訳はそのように空しい仕事であるとも思う。(本書)

  ――著者が2年も3年もかかって書きあげたものをわずか23か月で訳してしまうのも、なんとなく気がひける。味気なく翻訳ができるのではないかという気もする。(本書)

  本書に登場する当時の出版物……。メアリー・マッカーシー「グループ」、ジョン・ル・カレ「寒い国から帰ってきたスパイ」、トルーマン・カポーティ「冷血」、マリオ・プーゾ「ゴッド・ファーザー」、ゲイ・タリーズ「汝の父を敬え」、フレッド・フランドリー「やむを得ぬ事情により……」、エド・マクベイン「87分署シリーズ」などなど、発売時に購入し、愛読した。

  新書版の大原寿人名義「狂乱の1920年代」(1964)こそ、常盤新平の初の著書だった。その面白さに、当方はそれ以降、フレデリック・ルイス・アレン「オンリー・イエスタデイ」、イザベル・レイトン「アスピリン・エイジ」など1920年代ものに惹かれていった。

常盤新平■「ニューヨーカー」の時代

常盤新平□明日の友を数えれば

常盤新平■いつもの旅先

宮田昇■ 新編戦後翻訳風雲録

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2016.11.30

鈴木嘉一■テレビは男子一生の仕事――ドキュメンタリスト牛山純一

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 中継の数日前、改めて全中継地点を見回った。カメラの配置は見晴らしの良いビルの屋上を重視していた。

 しかし私は、ふと思ったのである。

 「視聴者はこのテレビ中継で何を見たいのだろう。それは花嫁の顔ではないか」 

「我々は美しく古式豊かなパレードの全容をとらえようとして、パレードの本当の中心である『花嫁さん』という単純な対象を見落としているのではないか」

  私は決心した。

 パレードの前日、今までビルの屋上にあった多くのカメラを道路に引きおろし、皇太子妃のクローズアップをねらうこと、そしてヘリコプター中継をやめることを決心した。

 

 ■テレビは男子一生の仕事――ドキュメンタリスト牛山純一 |鈴木嘉一|平凡社|20167|ISBN: 9784582837322|◎おすすめ

 上掲は1959410日、皇太子(現明仁天皇)ご成婚パレードの生中継の準備中のことだ。日本テレビの牛山、29歳。総指揮に当たる。

  当時、中継したのはNHKNTVKRT(現TBS)3社。ライバル社の今野勉は『テレビの青春』(2009)にその日3台のテレビ・モニターで、3局の中継を同時に見ていた同僚の村木良彦のことをこう書いている。

  ――視聴者が見たがっているのは、ふたりの顔、とりわけ、美智子妃の顔だと看破したのだ。牛山純一のこの判断は正しかった。地上に降ろされたカメラは、屋上のカメラに比べれば、やってくる馬車をとらえるのは遅かった。その空白を牛山は、待つ時間としてそのまま実況させた。そして、牛山のカメラは、美智子妃のアップをとらえた。とらえ続けた。牛山のNTVの圧勝だ、と村木は思った。(今野勉『テレビの青春』)

  『忘れられた皇軍』は、大島渚テレビドキュメンタリーの代表作。19638月牛山の制作する「ノンフィクション劇場」で放送された。大島は、白衣で街頭募金をしている傷痍軍人たちが在日韓国人と知って衝撃を受け、演出を引き受けたという。

 当方がこれを見たのは、半世紀後の20141月、「NNNドキュメント」で放送された『反骨のドキュメンタリスト大島渚「忘れられた皇軍」という衝撃』の中でである。

  従軍中に両眼を失明し、右腕も失った主人公は、日本政府から「韓国人だから韓国政府に陳情せよ」と言われ、韓国政府からは「それは日本政府が解決すべき問題」と相手にされない。「眼なし 手足なし 職なし 補償なし」などと書かれた幟や横断幕を掲げて東京の街頭で窮状を訴える。当方がもっとも衝撃を受けたのは、仲間内の口論でやり場のない怒りをぶちまける主人公が、サングラスをはずすと、眼球のない目から涙がこぼれるクローズアップのシーン。

  土本典昭は『水俣の子は生きている』(1965年)などを「ノンフィクション劇場」で作った。その後制作をめぐり牛山と軋轢があり、絶縁状態が続いた。しかしのちに土本は、「取材対象に愛情を持て」「長期取材をいとうな」「カメラもまた権力だということを忘れるな」という牛山の原則を列挙して、「作り手を特権的な地位におかないという立場を確立したと思う。学ぶことは多かった」と語る。

  1965年の『ベトナム海兵大隊戦記』放送中止事件については、本書で詳述されているので、触れない。

 1971年、NTVを離れ、制作会社の日本映像記録センターを設立し、社長の就任。前述のTBS今野勉が村木良彦、萩元晴彦らと1970年にテレビマンユニオンを設立したのに続くもの。

  1980年代、フジの「楽しくなければテレビじゃない」の時代に入り、「なるほどザ・ワールド」「世界まることHOWマッチ」など“知的エンターテインメント”が評判を呼び、やがて牛山の『知られざる世界』は1986年末に終了し、『すばらしい世界旅行』も1990年に1010回で幕を閉じる。

  19977月、著者が牛山にインタビューした3日後、牛山は入院した。「肝臓がんで、骨髄まで転移している。すでに手遅れ。年内いっぱいもつか、どうか」と診断され、牛山の家族は本人にその病状を伏せた。

  ――牛山は病室で杉山にあれこれ指示し、『推理ドキュメント アンコール遺跡盗難事件』を完成させた。入院生活は3か月近くに及び、一歩も病院から出ることはなかった。928日にNHK衛星第2テレビで放送された後、106日夜、肝不全のため死去した。67歳だった。(本書)

  ドキュメンタリスト牛山純一は、ディレクターとして、プロデューサーとして、経営者として、生涯現役だった。「テレビ放送は、男子が一生をかけて決して悔いることのない仕事だ」と断言する牛山は、「俺がこれだけやっているんだから、お前らもやれるだろう」とスタッフに怒鳴り散らし、ときに若い男性ディレクターにその企画を断られると、怒って「お前んちに火をつけてやる」と暴言を吐いた。去る者も多かったという。そういう時代だった。

  子息が牛山を継ぎNHKにいる。牛山の私生活をもっと取材してほしかった。著者は牛山の追悼記事で「現場主義を貫きとおす」「『日本テレビ史』重ねた生涯」と書いた。ヤマ場のない淡々とした記述の評伝である。

今野勉★テレビの青春

川良浩和□闘うドキュメンタリー ――テレビが再び輝くために

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2016.11.22

水口義朗■「週刊コウロン」波乱・短命顛末記

20161122

 

 しかしながら、『週刊文春』『週刊新潮』『週刊現代』『週刊ポスト』などが、それぞれに特色を生かして生きのびていった一方で、『週刊コウロン』は2年も持ちこたえることができなかった。

 今となっては、その理由は痛いほどわかる。

 あれから半世紀以上経ついまでも、脳裏に焼き付いているのは、嶋中(鵬二)さんから幾度も聞かされた、

 25年の歴史を持つ中央公論社の雑誌だから、どこか骨っぽいところは持ち続けていきたい。

個人的なスキャンダルを追い回すような、あくどい暴露主義は退け、知的に洗練された面白さを追求していきたい

 という決意だ。

 わたしが入社したころ、嶋中さんは36歳で、一回り近く年上。

 それから38年間薫陶を受けた。出版ジャーナリズムの師としては、これ以上の人は望めなかった

 

 「週刊コウロン」波乱・短命顛末記 |水口義朗|中央公論新社|20163|ISBN9784120048388|

 

  1956年『週刊新潮』、1957年『週刊女性』、1958年『女性自身』、1959年『朝日ジャーナル』『週刊現代』『週刊文春』『週刊平凡』と、続々と週刊誌が創刊された。

 そして195910月、『週刊コウロン』(正式には「週刊公論」)創刊号が発売された。表紙は棟方志功の版画。64ぺージ。朝日新聞に全面広告。「20円のデラックス週刊誌!」とある。他誌より10円安い。60万部発行。著者は1500人応募の新週刊誌要員採用の入社試験に合格し、59年、中央公論社に入社。

  1959年、皇太子・美智子妃結婚、1960年、安保騒動などがあり、時代は高度経済成長へ、まさに“日本の青春”時代だった。当方は週刊誌ブームのなか、ときどき『朝日ジャーナル』を買っていたが、創刊号マニアゆえ、もちろん『週刊コウロン』も買った。今のスマホのように週刊誌は通勤電車で読む時代だった。

  『週刊コウロン』は、小説家の話題に限っても、井上靖、三島由紀夫、大藪春彦、火野葦平、獅子文六、倉橋由美子、有吉佐和子、遠藤周作、石原慎太郎、野坂昭如、城山三郎などが登場。

  創刊号からの連載は、新鋭五味川純平「アスファルト・ジャングル」、松本清張「黒い福音」、のちにまだ産経記者だった司馬遼太郎「花咲ける上方武士道」。

 エッセイ(当時は「随筆」)は「鍵」でベストセラーの谷崎潤一郎、「楢山節考」でベストセラー深沢七郎。ただし著者が担当した深沢には艶話を期待したのに不発で、2回で終了。

  その深沢の小説「風流夢譚」は『中央公論』196012月号に掲載され、612月に「嶋中事件」を引き起こす。中央公論社最大の事件。しかし、……。

  ――中央公論社に右翼が押しかけていることも、「風流夢譚」が『中央公論』編集部内で掲載をめぐって賛否があったことも、わたしたち『週刊コワロン』の下っ端記者はまったく知らなかった。

そもそも取材の忙しさにかこつけて、わたしは作品すら読んでいなかった。(本書)

  小田実「ニッポン何でも見てやろう」の取材で小田、カメラマン鈴木勝太郎と、3週間北海道を車で走り回る。帰ってこいと編集部から電話。

  ――懐かしの編集部は、閑散として妙によそよそしい。「えっ、北海道から戻ったの? 雑誌、休刊になったんだぞ、おまえ知らなかったのか」と一人に肩をたたかれた。(本書)

  3回で終わった「鰊の来ない漁村と北辺の開拓村」などのルポは、小田実の全集にも収録されていないという。創刊から110か月、1961821日終刊号の表紙には何の告示もなかった。

 

 

 

 

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2016.11.16

都築 響一 ■圏外編集者

20161116_4

 

 ほとんどの出版社にとってはまだ、紙の本を作って、それを電子書籍化することが「新しい挑戦」という程度だろうが、もう一歩先の段階がきっとやってくる。それもまもなく。

  すでに音楽がそうなってきているように、最終的には本も「クラウド化」する時代がかならず来る。

 1冊ずつ本を買わなくても、たとえばウェブ図書館のように、月額使用料を支払えば読み放題のような。

  ケーブルテレビでドラマや映画を観ているひとたちは、その便利さがわかってるはず。電子雑誌や漫画などのジャンルでは、すでにそうしたサービスが日本でも始まっているし、僕もiPad用のアプリで23種類使っている。

  そうなれば絶版、断裁という哀しい末路もなくなるし、けつきょく9割くらいの本はそうやって読めば事足りるのだ。

  ごく一部の、愛玩物としてコレクションしておきたいものだけが、印刷として残っていく。

 

圏外編集者 |都築 響一 |朝日出版社| ISBN: 9784255008943|201512|◎=おすすめ

  「編集者でいることの数少ない幸せは、出身校も経歴も肩書も年齢も収入もまったく関係ない、好奇心と体力と人間性だけが結果に結びつく、めったにない仕事ということにあるのだから」(本書)

  目からウロコの体験的出版論、編集者論である。

  20歳ころからフリーの編集者として40年。出版業界は長く冬の時代が続いている。若者が本を読まない。携帯代優先。出版社は営業優先。だが、けつきょくそれは編集者のせいだ、と著者。本書は、若い編集者と編集志望者に向けたもの。奥付に「著者」ではなく「語り」とある。 

  当方は、問1 本作りって、なにから始めればいいのでしょう。問2 自分だけの編集的視点を養うには?……といったところは全部飛ばし、問7 出版の未来はどうなると思いますか? 問8 自分のメディアをウェブで始めた理由は? を熟読した。

 ところで、なんども“電子書籍元年”といわれる年があったが、いっこうに普及しなかった。上掲にあるように「ほとんどの出版社にとってはまだ、紙の本を作って、それを電子書籍化することが『新しい挑戦』という程度だろう」であった。

  たしかにネットで書籍を買う場合も、ときどき「紙書籍版」より2割程度安い「電子書籍版」が表示されている程度だった。

  ところがamazonが月額980円でスマホやパソコンで読み放題という「Kindle Unlimited」を20168月から開始した。本書は当方が目にした最初の予言だった。当時、まさかと半信半疑だった。そういえば当方の住む田舎の図書館でも“電子図書館”をすでに始めている。

  出版の未来のかたちとして著者が2012年から始めているのは、有料メールマガジン『ROADSIDES weekly』。順不同に特色をあげると、①次ページをクリックする煩わしさがない。②(出版社の)検閲が入らない。③消去しない限りいつでも読める(バックナンバーも)。④出版社、書店を経由せず、すぐに読者に届く(産地直送)。⑤「索引」がなくても検索できる。⑥簡単にコピペができる。⑦字数に制限がない(当方はこれは最大の欠点だと思うが)。⑧制作に金がかからない(カネを気にせずカラー化)。ざっと読んだだけで、“未来の雑誌”らしいと思われてくる。

  ――メディアが特権的に情報を収集して、「流行」として発信できる時代がとっくに終わってしまっていることを、既存のメディアの人間がいちばんわかっていないのかもしれない。

 いちばん大切なことに、いちばん目をつぶろうとするテレビ局。エコとか言いながら、いまだに何百万部という印刷部数を競う大新聞。意地悪の黒い塊のような週刊誌……トレンディだったはずのメディアが、いちばんトレンドから遅れてしまっている皮肉な現実。

  これまで40年近く編集者として生きてきて、物理的にはいまがいちばん大変な時期ではあるけれど、編集という仕事のおもしろさから言えば、いまがいちばんスリリングな時期でもある。(「むすびにかえて――『流行』のない時代に」)

都築響一▼だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ

都築響一◎夜露死苦現代詩

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2015.11.30

松本創★誰が「橋下徹」をつくったか――大阪都構想とメディアの迷走

20151130


 言論や報道の手法の問題も大きい。

「改革派」「抵抗勢力」といったレッテルを貼ってバトルを煽る。「激論」「徹底討論」などと称して、声の大きい者がその場を制することをよしとする。


極論や暴論であっても、わかりやすい断言や直言を面白がる。

物事を単純化し、善悪や白黒の結論を急ぐ

 

目先の話題やニュースを競って追いかけるが、立ち止まったり、振り返ったりして検証することがない。

 


★誰が「橋下徹」をつくったか――大阪都構想とメディアの迷走│松本創140BISBNコード: 9784903993232201511月│評価=◎おすすめ│メディアを思うまま操る橋下徹と操られるメディアを批判する。

*

 上掲はテレビや新聞を批判したものだが、そっくり橋下徹にあてはまる。メディアと橋下はあわせ鏡で相似形なのである。そのうえで付け加えれば、橋下は平気で嘘をつく、平気で前言を翻す、平気で汚い言葉をつかう。

 

 ――在阪メディアにとって、当初は身内であり、同志であり、得難い取材対象であり、おいしいコンテンツであった橋下は、しかし、やがて大きな脅威となっていく。〔…〕世論を喚起する訴求力を備えた“人間メディア”たる橋下は、世の中に鬱積していたマスメディア不信をバックに、鋭い刃を向けてきた。(本書)

 本書は、橋下徹批判と大阪の新聞・テレビ批判の書である。

 


  以前、当ブログで本年5月「大阪都構想」の住民投票に敗れたとき、「橋下が政界引退を表明した途端、地元の新聞、テレビは“べたほめ”に変わった。しかし退陣をいちばん喜んだのは、反対陣営や府市職員ではなく、橋下に翻弄され続けた大新聞の大阪本社の連中だろう。それほど大阪のメディアは情けなかった」と書いた。 


 ところが、大阪発の全国発信は橋下しかおらず、大阪のとくにテレビはこぞって橋下ラブコール、
11月の知事市長ダブル選挙で維新が勝つと大喜びをした。市長退任後を話題にし、「もしかして紅白歌合戦のゲストに?」と媚びる記者が出る始末。


 本書でも詳しく触れられているが、
20135月、朝日新聞労働組合主催の「言論の自由を考える53集会~対話がきこえない 「つながる」社会の中で~」は、さながら朝日新聞“激励集会”の観を呈した。パネリストには、安田浩一、開沼博、小田嶋隆、朝日新聞論説委員の稲垣えみ子、コーディネーター津田大介という顔ぶれ。


 当日のメモを探したが見つからないので記憶だけで書くと、大阪社会部デスクを経験した稲垣が「橋下の記事が載ると、なぜ橋下をいじめるのかと電話が鳴りっぱなしになる」という主旨の話があった。朝日という良識の府、世論をリードすると自負するエリート記者たちは、読者の動きに当惑し、どう対処すべきか、扱いあぐねているという印象であった。


 最近の若い人は「信頼できる情報源」の
1位がテレビという恐るべき調査結果もあるが、若い人は新聞を読まないので、おそらく朝日に電話をかけるのは高齢者だと思われる。


 ほぼ半年前の
201210月に、週刊朝日ハシシタ騒動が起り、橋下はテレビの前で、深々と頭を下げる屈辱的な朝日関係者の場をつくった。従軍慰安婦「吉田証言」、東電福島「吉田調書」問題で朝日を揺るがし、社長が謝罪に追い込まれ、朝日のブランドが地に落ちたのは1年半後であった。しかしそれ以前から朝日は読者にゆさぶられていたのである。口が八つあるようなモンスターになった橋下と同じ発言を大阪の橋下信者がしだしたのである。記者って何様のつもりだ、選挙に通ってから言え、と。


 そして東京のメディアが、橋下は煩わしい、面倒だとスルーし、冷ややかに大阪を見ている間に、橋下はたちまち野党第2党の代表になっていた。


 話はそれるが、大阪の人が“関西”というとき、それはイコール“大阪”のことであり、自信のないときは“京都・神戸”を含める。したがって大阪のテレビは、大阪が中心で、隣接府県は近くの行楽地程度にしか扱わない。報道局のニュースと制作局のワイドショーが合体しており、吉本のお笑いタレントがコメンテーターとして大きな位置をしめる。夕方の番組では、よみうりテレビ(日テレ系)は橋下べったり、
ABC(テレ朝系)も陥落し、関西テレビ(フジ系)も反橋下だったキャスターが退職し、今ではMBS(TBS)のみが及び腰ながら若干の橋下批判で奮闘している。橋下の言動を毎日見せられ“京都・神戸”の人はうんざりし、ますます“大阪嫌い”が高じる。


 市長の橋下は、朝夕の登退庁時にぶらさがり取材に応ずる形式で記者会見し、これは任意なので気に入らないことがあると、その社の質問は許さないし、固有名詞入りで罵倒したりする。記者クラブの弊害が問われて久しいが、そのデメリットを上回る権力者が取り行う会見の恐ろしさである。


 内田樹をはじめ
100人の学者が大阪都構想に反対しても、市民は耳を傾けなかった。当方は、こうなれば特別区と“都”への膨大な経費負担で破産する大阪の姿を見たい気もする。


 松本創は、西岡研介、角岡伸彦と同じく元神戸新聞記者。大阪から距離をおいたトリオで、橋下府政・市政の荒廃とコミュニティの破壊を書いてしいと願っていたが、本書は橋下と大阪メディア批判本。


 講談社系のネットメディア「現代ビジネス」、ノンフィクション雑誌「
G2」に掲載したものを基にしているが、なぜか自費出版に近いかたちで出版されている。あえてベスト10に推す理由である。

 

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