02/作家という病気

2021.10.22

小野一光◆冷酷 座間9人殺害事件    …………ノンフィクション・ライターだが、ジャーナリストではない、と著者は言う

2021029


 それからの私は、彼との“対面記”を連載させてくれる媒体を探し、某誌に快諾を得た。
緊急事態宣言の解除を待って、私は拘置所の白石に往復はがきで手紙を書いた。その文面は以下の通りだ。

〈はじめまして。突然のお手紙失礼いたします。私はノンフィクションライターの小野一光と申します。これまでに殺人事件を扱った『殺人犯との対話』や『家族喰い――尼崎連続変死事件の真相――』といった本を出版しています。今回、『×× (本文実名)』という雑誌のために、

ぜひ白石様のお話を連続してお伺いできないかと考えております。

 もちろん取材には毎回謝礼をお支払いいたします。その金額、内容につきまして、ご相談できればと思っています。

そのために一度、面会の機会を頂けないでしょうか。葉書にてご都合をお教えいただけると幸いです。よろしくお願いいたします〉

 

◆冷酷 座間9人殺害事件 小野一光 2021.02/幻冬舎


 本書は半年前に読了していたが、このブログに書かないつもりでいた。前半は殺人犯に拘置所でのインタビュー、後半はその殺人犯の裁判の傍聴記。残念ながら犯罪ノンフィクションとして魅かれなかった。

 当方の読書は、ほぼ“ノンフィクション専科”である。ノンフィクション作家のノンフィクションについての発言を拾い集めているので、本書でもその観点から収集しようと考え直した。

 座間事件とは……。神奈川県座間市のアパートで2017年10月、9人の遺体が見つかり、逮捕された白石隆浩被告は、強盗・強制性交殺人などの罪に問われた。「自殺を手伝う」とSNSで呼びかけて、約2ヶ月の間に9人を自宅に誘い、殺害していた。

 小野一光(1966~)のノンフィクションは、『家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』(2013)や『全告白 後妻業の女』(2018)を読んでいる。著者の事件取材は、発生を知ると現場へ出かけ、加害者、被害者の周辺を尋ねまわり、飲み屋で噂を収集するなど背景を調べることから始める。

 だが本事件では、当時複数の連載を抱えており、その後も著者自身が大病のため入院、手術し、動ける状況ではなく、取材を始めたのは3年後であるという。

 著者は、良心に訴えかけたり、報道の意義を訴えたりするのではなく、ビジネスライクに相手への利益の提供を申し出、そこから懐柔していく方法を選んだ。支払った謝礼は、かなり“安い”もので、常識の範囲内の金額であると書いている。だがあわせて白石の要請にこたえ、将棋本、ゲームの攻略本、グラビア写真集、歯ブラシ、爪楊枝、綿棒まで差し入れしている。

 ――ただし、それをやってしまえば、利益供与による情報の入手であり、ジャーナリズムではなくなってしまう。その葛藤がないわけではないが、私はあっさり放棄することにした。幸いにして私はジャーナリストを標榜していない。ノンフィクションとはつけているが、あくまでもライターである。物議はかもすかもしれないが、私個人の知りたい、見てみたい欲求を満たすことを優先させることにしたのである。(本書)

 未読だが『殺人犯との対話』(2015)という著作があり、殺人犯との面会は今回で10人目となる。

 インタビューの中味はリアルである。殺人の次第を事細かく語り、そこまで書き記す必要があるのかと、読んでいてザワザワ、ゾワゾワしてくる。これでは殺人教本、マニュアル、トリセツではないか。

 当方の勝手な期待は、SNSを通じて被害者が自殺幇助を依頼するに至るまでの悩み苦しみのプロセスを白石にどう告白していたかである。報道では自殺幇助としての殺人という印象を持っていたが、本書を読めば、単に連続強姦殺人事件だった。

 本書後半は、裁判の傍聴記録である。この部分も、裁判を傍聴した関係者への取材によって執筆したという。

 ――そうした手段による成果を、事件の本としてまとめることに対する抵抗がないわけではない。だが、〔…〕人生の苦悩に溺れそうになり、藁にもすがる思いで助けを求めた被害者たちの姿が詳らかになってくるにつれ、この現状こそは伝えなければならない、との思いを強くしたのだ。

 

 その結果、著者が書いたのは、……。

 ――裁判でもなお、彼は被害者やその遺族を蹂躙し続けていたのだと、思わずにはいられなかった。

 ――死刑を選択することで、あれほどの数の無辜の命を奪った責任を取ったと白石が考えているとすれば、それこそが最も罪深いことである。卑劣極まりない行為だと、断言できる。

 ――この事件の被害者たちが日常のなかで抱えていた苦悩に共感する、いまそこに苦悩を抱えている人々に対して、最悪の選択の先には、白石のような“卑劣な悪意”が待ち構えている可能性もあることを、記しておかなければならない、と。

 ――白石が起こした事件は、〔…〕SNSが身近なものであればあるだけ、決して他人事として片付けることのできない、“身近に潜む悪魔”として、認識する必要がある。

 著者のまとめが、なんと紋切型、おざなり、通り一遍で、あまりにもお粗末すぎるのではないか。
 それもこれも「死を意識せざるを得ない大病」後の体調が戻らない時期の取材や執筆であったためだろう。ノンフィクション・ライターであり、ジャーナリストではない、とまで著者は言わざるを得なかった。
 犯罪ノンフィクションの第一線に立つノンフィクション作家小野一光の復活を待つや、切。

 

 

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2021.10.10

丸谷才一◆腹を抱へる 丸谷才一エッセイ傑作選1      …………芭蕉三題――、文月六日、蛸壺、丸やギ左衛門のこと

201501


  「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日  俵万智

 それにサラダはいかにも若い女の子にふさはしい。少女たちは痩せたい一心でサラダしか口にしないし、それでサラダ専門の料理屋が大繁昌、なんて伝説が出来てゐるからだ。もちろんこれに加ふるに、サラダのみづみづしさが少女たちを連想させるといふこともあるけれど。さういふいろいろな事情を一瞬のうちに集約するのが、「サラダ記念日」といふ言葉なんです。

 が、その日は七月六日で、七月七日の前日である。七月七日は言ふまでもなく七夕で、この夜、牽牛、織女の二星が逢ふ。〔…〕

  文月や六日も常の夜には似ず 芭蕉

 で、われわれはこの一句と例の「荒海や佐渡に横たふ天の川」とが並んでゐるところを、教科書に引いてある『奥の細道』で教はるから、

 

文月つまり旧暦七月は六日からすでに色っぽいといふのは日本人の基本的教養であった。

 

万智さんはもちろんこれを知ってゐて、この文学的伝統に動かされ、若い男女を七月六日に、つい逢はせてしまったのですね。

 これをもつと深く探れば、文月は秋の最初の月で、そして秋は古代の日本においては男女相媾(あ)ふ季節であったといふ事情がある。

 

  ――「七月六日のこと」

 

◆腹を抱へる 丸谷才一エッセイ傑作選1  丸谷才一/2015.01/文藝春秋


 コロナ禍の図書館は気忙しい。マスクは必須、手を消毒するのは当然のことであるが、ビニールのカーテンが下りたカウンター、座席も1席ごとに×印。だがそれでもありがたい。

 図書館が親子が訪れる場から孤独な高齢者の場に入れ替わったのはいつごろからだろう。ネットで古いドラマ、「シカゴ・メッド」を見ていて、そのシーズン2・エピソード23に「愛は人を傷つけるが、孤独は人を殺す」というセリフがあった。

 ついつい曇りがちの日々だが、にやにやするような楽しい本を文庫本コーナーで探し当てた。『腹を抱へる 丸谷才一エッセイ傑作選1』である。当方はこの小説家のエッセイ集が大の好みでほとんど読んでいる。亡くなって10年近くなるが、その後丸谷に代わるゴシップ満載本が見つからない。

 本書ではこんな話。
 アメリカ人は大統領選挙の時期になると大統領候補夫人の品さだめをする。A候補夫人は肥りすぎ、B候補夫人は名門の出と聞くけれどどうも品がない、などと口角泡をとばしで論ずるという。

 ――そしてこの、全国民的討議の結果、大統領夫人としては誰がいいかといふことが決められる。その結果、付随的に、あるいは自動的に、彼女の亭主が大統領といふことになる。(「男の運勢」)

 ……とまず大庭みな子説が紹介される。1977年に書かれたもの。カーター大統領の時代ですね。これが落語で言えばマクラの部分(丸谷のゴシップ話はイントロが絶妙で、サゲはいまいち)。

 

 それはさておき、本書では芭蕉の話題が三つ。

その1。「七月六日のこと」

 上掲の続きで、著者は「古代以来、日本の普通の詩人たちは、恋の季節としての秋を七夕にまとめて表現し、そして芭蕉と万智さんはそれを一日ずらして、七月六日にまとめて表現した、と言へるかもしれない。ちょっと早めたところが粋ですね」と。

 ところで、『芭蕉めざめる』(2008)の著者光田和伸氏の芭蕉連続講座を受講したとき、

  文月や六日も常の夜に似ず
  荒海や佐渡に横たふ天の河
 のところでは、「佐渡に」であって「佐渡へ」ではない(本土と佐渡の間に横たわっているのではない)とか、8月21日夜8時の佐渡島で見えた「星座図」(織姫星、彦星、月の舟の位置を示す)のカラーコピーを頂戴したり、織姫沐浴の水(芋の葉の露)で墨をすって短冊に願い事を書くとか、実際の7日は「夜中、風雨甚」だったとか、さらには、イザベラ・バードの行程と芭蕉の行程が一致している話など、話題満載だったが、さすがに「サラダ記念日」の話は出なかった。

 

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その2。「蛸と器」


 ――蛸壷やはかなき夢を夏の月
 といふ芭蕉の句がある。詞書は「明石夜泊」 。本当のことを言ふと、芭蕉は明石に泊らなかったさうですが、そんなこと、どうでもいいぢやないか。
 この句、好きですね。夢も夏の月も蛸も、わたしの好物。殊に明石の蛸はうまいねえ。

 これもマクラの部分。ちなみにこの句碑は明石の天文科学館のそばにある。

 

その3。「丸やギ左衛門のこと」

 著者の父は山形県大山の味噌醤油問屋丸屋の三男、父の長兄は丸屋の家運を盛り返した丸谷才兵衛。

 ――ところが数年前、曾良の『奥の細道随行日記』をはじめて読んでびっくりした。ひょっとすると芭蕉と曾良は、『奥の細道』の旅のときにわたしの先祖の家に泊ったのかもしれぬ、と考へたからである。そのくだりを引用すれば――

廿五日 吉。酒田立。〔…〕未ノ尅、大山ニ着。状添テ丸や義左衛門方ニ宿。夜雨降。

大山の味噌醤油問屋、丸屋が、この芭蕉の宿の丸やの子孫であるといふ見込みはかなりあると思はれた。

 そこで丸谷は、芭蕉の「奥の細道」の「酒田」の項に、鶴岡の城下で長山重行という武士の家で俳諧一巻を巻き、酒田の湊を下り淵庵不玉という医師の家に泊まるという記述があることに触れる。

 ――芭蕉は出立のときに受け取った餞別の額によって、『奥の細道』に名前を出したり出さなかったりしたのではないか。きつと丸や義左衛門は、餞別をあんまりはずまなかったのであらう。

 

 

 

 

 

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2021.09.16

後藤正治◆拠るべなき時代に         …………あらゆる情報が安易に入手し得る反作用として、思考することが痩せ細ってしまった

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 ネット社会が進行して、メディアはいま「フェイク(にせもの) の時代」を迎えている。

 フェイクのレベルもさまざまで、パソコンを開くと、明らかな詐欺商法からもっともらしい歴史修正主義のプロパガンダまで、毒花が乱れ咲いている。共通項は、発信者の匿名性である。

 しょせん、フェイク情報は時間をもちこたえることはできないものであって、それ自体はほっておけばいいのだろうが、被害を受ける人もいるので厄介だ。

 それにしても、モノを考える習慣さえあれば、フェイクの落とし穴に落ち込むことも避けられようにと思う。

 あらゆる情報が、タダで、あまりにも安易に入手し得る反作用として、思考することが痩せ細ってしまったのだろうか。
「知」の根幹を成すものは、情報ではなくて考えることのはずだ。

ときにふと立ち止まって、自分のアタマで考えてみること――。

 

◆拠るべなき時代に  後藤正治/2021.05/ブレーンセンター


 ここ数年に書かれた時評、短い人物論、文庫の解説、書評などを収録した6冊目のエッセイ集。

「司馬遼太郎(1)創造と想像」は、当方も聴きに行った2015年8月、姫路文学館主催の司馬遼太郎メモリアル・デー講演会の氏の講演をまとめたもの。

 当方は、後藤正治の人物ノンフィクションを愛読している。神戸の無名の画家(?)石井一男を描いた『奇蹟の画家』(2009)、『清冽――詩人茨木のり子の肖像』(2010)、『天人――深代惇郎と新聞の時代』(2014)、『拗ね者たらん 本田靖春 人と作品』(2018)など。

 講演でも、氏の柔らかい思考と優しい眼差しの著作と同様の話しぶりだった。
「創造(クリエイト)と想像(イマジン)の織りなす妙が司馬作品の真髄」という話。

 ――官兵衛について、『播磨灘物語』のあとがきで司馬さんはこう書いています。
《官兵衛はなるほど生涯、時代の点景にすぎなかった》
 官兵衛は、信長・秀吉・家康の天下取りという大きな時代の流れのなかでいえば小さな点景にすぎないという意味ですが、文章はこう続きます。
《しかしその意味でえもいえぬおかしみを感じさせる。友人にもつなら、こういう男を持ちたい》
司馬さんの人間観がとてもよく出た一文ですね。 (本書)

 姫路で聴いた、姫路に家系をもつ司馬遼太郎の話。播州姫路が舞台のひとつの『播磨灘物語』の黒田官兵衛。ずっと昔に読んだが、帰りに文庫本を買い、再読した。

 上掲の“フェイク”についてのエッセイは、古稀前後の世代(氏は1946年生まれ)のスマホ時代を嘆いた「アナログ世代の嘆き」のタイトルで、2017年9月に書かれたもの。

 詐欺商法から歴史修正主義のプロパガンダまでと匿名フェイクのことをやり玉にあげているが、さらに悪質な“姑息・安倍、隠蔽・菅、野卑・麻生”の虚偽答弁や改ざん、隠蔽工作など“フェイク官邸”については、氏は筆をとらない。“暴く”というイメージのノンフィクションとは正反対に位置する氏が扱うのはリスペクトしている人物に限られる。

 

 

 

 

 

 

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2021.09.15

「新潮」編集部:編◆パンデミック日記       …………小説家たちはコロナ禍の2020年もそれ以前と変わらないフツーの日々

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島田雅彦(小説家)


6月27日(土)

  今は戦時下なのだと思う。メンタルをやられる人や自殺者も増えるのは間違いない。

 私は連載小説というルーチンには救われている。

 谷崎も戦時中は『細雪』の執筆と『源氏物語』の現代語訳で時間を潰し、時局に迎合せずに済んだ。

 

◆パンデミック日記   「新潮」編集部:編/2021.06/新潮社


「コロナ禍に襲われた2020年を表現者52人はいかに生きたのか?」と帯のコピー。
 激動の1年52週を52人(ほとんどが小説家)によるリレー日記。

 一読し驚いたには作家たちが書き留めた“個人的体験”は、ほとんどといっていいほど新型コロナウイルスの記述がなく、コロナ以前と変わりないようなフツーの日々である。

 以前読んだ左右社編集部『仕事本 わたしたちの緊急事態日記』(2020.06)の多くの職種の人々(内科医、女子プロレスラー、葬儀社スタッフ、薬剤師、運送会社配達員、留学生、校長など)のコロナ体験のリアルな肉声のような日記と大違い。

 小説家とはなんと優雅な生活をしている人たちだろう。まともにコロナと“対面”しているのは石原慎太郎のみである。

 当方の好きな作家たちの動向やいかに、以下、抜き書き……。

 

筒井康隆(小説家)

1月6日(月)
本来は今日上京する筈だったのだが、燃えるゴミを出すのが明日なので一日延ばすことにした。年末は最終のゴミ出しが27日であり、年明けが7日。10日もゴミを取りに来ないと言うのはひどい。臭うてならんわい。

1月7日(火)
新神戸駅へ。もはや駅構内もプラットホームもがらんとしている。八重洲口のタクシー乗場だけはいつも通りの混雑。バスが何台か連なって来ると列が動かない。なんとかならぬものか。このままではオリパラでえらいことになるぞ。

 

町田康(小説家・ミュージシャン)

3月4日(水)
午前は新潮に連載中の「漂流」という題の小説を書いた。三枚かそれくらいのことだ。たいそにゆな。えらいすんまへん。


3月5日(木)
午前中は「漂流」という題の小説を書いた。残飯を食した。「ベスト・エッセイ」の候補作を読んだ。毎日同ンなじことやっとんな。あほやな。はっきり言うて。あほやな。


3月6日(金)
東京新聞に載る予定の短編小説を書いた。こんなものは一気呵成に書いた方がよいが途中で米を研いで気が抜けた。


3月9日(月)
東京新聞の短編小説を書き終えた。いつまでかかっとんねん。愚図か。えらいすんまへん。

 

石原慎太郎(小説家)

4月8日(水) 
コロナウィルスの蔓延で、昨夕、緊急事態重言が発せられた。地球と人類の終末を予感させるこの事態の到来は、物書きとしての人間に稀有なる体験を強いてくれる。

私は改めて30年前に東京で聞いたあの天才宇宙学者ホーキングの予言を思い出す。この地球のような文明を備えた天体は宇宙に他に二百万ほどあるが、それらの星は自然の循環が狂い宇宙時間では瞬間的に消滅すると。そしてその瞬間とはおよそ百年間だと。あれから既に30年、温暖化は切りなく進み、そして今未知のウィルスが人間の生命を奪い出した。

4月9日(木)
物書きとしての好奇心からすれば絶好の立場に立たされているともいえようが私自身が消滅するならばそれも無意味な事だろうに。

 

 

津村記久子(小説家)

8月27日(木)
引っ越すので、長岡京市に物件の見学に行く。〔…〕家は県境で探している。どうせ引っ越すなら大阪を出て行きたいけれども、今の家より不便になりすぎるのも困る、というのが理由。

実家を出るのは、単純にウイルス感染拡大で苛つく家族に疎まれることがあり、こちらも信頼できなくなったからだ。

大阪を出るのは、当分はあの党の政治運営に自分の税金を使って欲しくないと思ったからだ。まさか42歳になって政治が理由で移住するとは思っていなかった。

 

平野啓一郎(小説家)

11月26日(木)
夕方、コロナ危機についての首相の記者会見。質問を受けつけず、逃げるように去って行く姿を見ながら、書くのも憚れる言葉ばかりが思い浮かぶ。
政府は無策なので、感染は広がる一方だろう。気が滅入る。

 

 

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2021.08.14

佐久間文子◆ツボちゃんの話  夫・坪内祐三     …………「ゴシップ的感受性」の人

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  亀和田〔武〕さんとは、たまに長電話をして、最近読んで面白かった本や雑誌の記事、テレビや音楽などのよもやま話をしながら、

たがいの「ゴシップ的感受性」に磨きをかけていた。

 彼が亡くなって弔問に来られた亀和田さんが、「昔、新宿の酒場でツボちゃんと話しこんでたら、北島(敬三)さんに、『おまえら固有名詞の話ばっかりしやがって』って怒られたことがあったんだよな」と思い出して言われたのがおかしかった。〔…〕

 雑誌に掲載される集合写真のキャプションで、「一人おいて」と飛ばされる人がいる。作家の場合だとたいていは編集者や無名の書き手で、そういう「一人おいて」とされるような人の隠された仕事のようなものに彼らの関心は向きがちだった。

 

佐久間文子◆ツボちゃんの話  夫・坪内祐三 2021.5/新潮社


 坪内祐三(1958~2020)急逝から1年半、早くも(元新聞記者の習性ゆえか)“妻が綴る坪内祐三”が刊行された(急逝のてんまつを知人、関係者に報告すべきという理由から“早くも”になったと思われる。

 文学賞受賞パーティにこまめに参加し、文壇ゴシップを収集したり、まき散らしていた坪内は、上掲にように“ゴシップ的感受性”を磨き、コラムを書き散らしていた(ゴシップ好きの当方はそれゆえ愛読した)。

 そういえば当方が手元に置いている『一九七二』、『靖国』にしろ、また『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』にしろ、坪内の代表作は“ゴシップ的感受性”に基づいた作品であることに気づいた。

 ――昭和33年前後生まれのもの書きでは、大塚英志、岡田斗司夫、宮台真司、みうらじゆん、山田五郎といった人の名前が頭に浮かぶ。「おたく」の名付け親とされる中森明夫さんが昭和35年生まれだ。
「おたく第一世代」の経験や記憶を共有していることは認めつつ、ツボちゃんは、自分はおたくではないと、くりかえし口にしていた。(本書)

 いやいや、おたくでしょう。古雑誌の収集など、執筆用の資料であるだけでなく、その癖の強さはどうみてもおたくである。


 そのうえ、「駅の改札は左から奇数番目から入る」、「電信柱の影は左足で踏み越える」、「日刊スポーツを家に持ち込んではいけない」などさまざまなジンクスがあったという。
 深く付き合うほどにしんどくめんどくさくなるし、マザコンのようでもあるし、……「あとがき」の以下のフレーズが妻の本心であるように思われる。

 ――愛されるだけでなく憎まれることもあり、途中で去ってしまったひともいるけど、そうした関係も含めて、彼とつきあう大変さを少しずつ分担してくれるひとが大勢いてくれたおかげで、かろうじて私は最後までもちこたえられた。通夜と葬儀の日に、彼の死を悼んでくださる長い列を見ながら、そう思った。(本書)

 

 

 

 

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2021.07.15

柳原滋雄◆疑惑の作家「門田隆将」と門脇護         …………ベストセラー作家にして、“著名なネトウヨ”の裏事情

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 門田の代表作『死の淵を見た男』では、吉田所長に長時間のインタビューに成功しながら、刻々と進む対応策ばかりに取材の時間を費やしたためか、本店時代の津波対策が正面から取り上げられていない。〔…〕

 

この作品を「東電が欲した物語」と評する人さえいる。

結果的に、東京電力について都合の悪い事実が書かれていないからだ。

 

 吉田所長については、「本店の吉田」「現場代表の吉田」「東電の吉田」の3つの立場があるとされるが、この本で書かれたのが「本店の吉田」でないことだけは確かだ。


 日本人を救うために奮闘した素晴らしい人びととして描くには、都合の悪い事実は作品の設定段階から省くほうがよい。

 

◆疑惑の作家「門田隆将」と門脇護 柳原滋雄/2021.01/論創社


 上掲の『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(2012)は、F1の内部から3.11を描いたベストセラー。のち「Fukushima 50」として映画化された。

“悪役”菅直人首相に立ち向かう“英雄”吉田所長という役割である。当方もあの悲惨な事故と東電への憎しみに対し、どこかに“英雄”がいなければ救われないと思った。

 本書からの孫引きによれば、吉田所長のインタビューが成功したのは、……。


「私は、吉田さんの幼馴染みや親友、恩師、同僚、先輩、上司……等々を訪ね、手紙を出し、さまざまなルートを辿って吉田さんにアプローチした」、また、「だれでもそうですが、この人の言うことには逆らえないという人が1人や2人はいるはずです。そういう人を探し出し、複数のルートから依頼を行いました」

 本書のもくじを掲げておこう。

第1章 最高裁から「盗用作家」の烙印押された前歴
第2章 門田隆将の来歴「週刊新潮」時代の門脇護
第3章 「右派論壇のヒーロー」から「ネトウヨ」への凋落
第4章 「デマ屋」が放ったアメリカ大統領選挙の無数のデマ
第5章 門田隆将ノンフィクションの虚構
第6章 馬に喰わすほどある“言行不一致”語録集
第7章 山本七平賞受賞作の「大量パクリ疑惑」対照表(角川文庫・37カ所)

 著者は執筆の“真意をこう記す。

 ――週刊誌話者時代から多くの捏造記事で他人を傷つけ、さらに第三者の血と汗の結晶ともいえる作品から記述を盗み取り、裁判所から断罪された過去をもつ作家が、なぜいまも平然と仕事を続けられるのか。〔…〕

「盗用」や「捏造」を指摘される書き手を“金の成る木”として重用し、自社の金儲けの道具として今も活用する出版社や編集者にも警鐘を鳴らしたい。 (本書)

 

 

 

 

 

 

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2021.06.07

02/作家という病気◆T版2021…………◎高野慎三・神保町「ガロ編集室」界隈◎荒俣宏・妖怪少年の日々 アラマタ自伝◎常盤新平・片隅の人たち 

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02/作家という病気
高野慎三◆神保町「ガロ編集室」界隈 

2021.2/筑摩書房

 

それにしても、読者の若さに注目する前に、作家の若さにもいまさらながら驚嘆する。


この頃、一番年長の水木しげるさんが40歳をこえたばかり、白土さんと滝田さんが、34、5歳、つげ義春さんが29歳、忠男さんが26歳だった。楠勝平、勝又進、池上遼一、林静一、佐々木マキ、つりたくにこさんらは、全員19か20歳そこそこだった。

 

つまり、楠さん以下はみな読者とほぼ同年齢だったのである。

 

「ガロ」の読者欄で、これら若い作家の作品に向けて賛否の大論争が延々と展開されたのは、それぞれの作品が十代の読者の心情を代弁するものと受けとられたからだろう。

 

*

漫画家たちの言動もさることながら、当方は山根貞夫、林静一、著者の3人と映画監督加藤泰との交流が興味深かった(当方は加藤泰ファン)。

1965年に「明治侠客伝 三代目襲名」を見た後、加藤泰から目が離せないと、ついに3人は京都太秦の撮影所を訪ね、インタビューをし、70年に『遊侠一匹 加藤泰の世界』300ページの布張り上製本を刊行するに至る。

さらに77年『江戸川乱歩の陰獣』では監督の要請にこたえ林静一の美しい少女の緊縛画2点が画面に登場する。

 

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02/作家という病気
荒俣宏◆妖怪少年の日々 アラマタ自伝 
2021.01/KADOKAWA

 

物事の起源を知るために古いものごとを捜索することは、本質的に「神かかり」の技である、とわたしは確信している。

 

何かを再発見するという行為は、なにかの偶然が作用するものでなくてはならない。

 

すぐにたどり着ける発見などは、最初から発見ではあり得ない。

*

鈴木牧之「北越雪譜」の影響を受けたという記述がある。江戸後期には自由な学問である博物学が流行した。妖怪研究も博物学は拒否しなかった。『北越雪譜』の「鮭」や「異獣」の記述姿勢は、近代的な意味での「情報」になっている点が尊い、と。

――平凡社に住み着き、約8年を要した『世界大博物図鑑』の執筆を開始してからのことだ。『北越雪譜』と同じように、わたしの本でも挿絵を重視し、動物の「民話的な知識」をなるべく情報文書のように淡々と記した。(本書)

 

 

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02/作家という病気
常盤新平◆片隅の人たち  
1992.12/福武書店=2021.01/中央公論新社

 

「翻訳なんて缶詰みたいなもんですよ、そう思いませんか」
望月は言って、ロング・セラーをつづけできた、ある翻訳小説を挙げてみせた。
「あれだって訳文はもう古いですよ。

 

原書は古くならないが、翻訳のほうは古くなるというのが僕の持論でね。翻訳 なんていわば耐久消費材じゃないですか。何年かたつと古くなってくる。読めないことはないけれど、訳文にガタが来ている。〔…〕昭和のものよりかえって明治時代に翻訳された『即興詩人』や二葉亭四迷のものが残っている」

 

翻訳者などとるにたりない存在だと望月は自嘲しているようだった。僕も彼の言うとおりだ
と思った。(「新しい友人」1992)

 

*

直木賞受賞の“青春小説”『遠いアメリカ』(1986年)の前後、昭和30年代の翻訳者たちの生活を描いた連作短編。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2021.03.05

朝井まかて◆類                       …………森類が見つけた「小倉日記」から松本清張「或る『小倉日記』伝」の方へ

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「松本さんって、あの小倉日記の方でしたね」
 二人とも、父の日記について口にする時は背筋を立て、粛とした声音になる。

 類が発見し、美穂が浄書した日記なのだ。美穂は体調を崩していたにもかかわらず、蒼黒い顔をして筆を走らせ続けた。

 それが昭和25年のことで、3年後の昭和28年1月、松本清張は『或る「小倉日記」伝』という短編小説で第28回芥川賞を受賞した。候補作となったのは前年の「三田文学」9月号に掲載されたものであったと知り、思わず唸ったものだ。

 日記の発見が公表されて2年ほどしか経っておらず、着想を得てすぐさま執筆にかかったのではないかと推したからだ。〔…〕


 そして才能への羨望と自らへの落胆で、肩を落とした。
 僕はなぜ、こういう小説を思いつかなかったのだろう。
 僕こそが当事者であったのに。

 かたや、美穂は髪の生え際まで真赤に上気させていた。千乗書房の帳場で受賞作を読み終えるや、一気に駈け上るような話し方をしたのだ。

 この小説の主人公、鷗外の小倉日記の行方を捜して生涯を懸けてしまったのでしょう。それで彼が息を引き取った後、鷗外の遺族が日記を発見するという筋立てだわ。この遺族って、私たちのことですよね。

類 朝井まかて /2020.08 /集英社


森 類(もり るい)
 森鷗外には、於菟、茉莉、不律、杏奴、類の5人の子どもがいて、この物語の主人公である類は1911(明治44)年生まれの末子である。パリへ画業遊学、文化学院の美術科講師、本屋「千朶書房」経営、「鷗外の子供たち」(1956)刊行後、 同人誌「小説と詩と評論」に参加し小説を発表。1991(平成3)、死去。

 類は、父に呼びかける。
「僕はこの日在の家で、暮らしているよ。
何も望まず、何も達しようとせず、質素に、ひっそりと暮らしている。
ペンは手放していない。波音を聞きながら本を読み、時には随筆を、そして娘たちに手紙を書いている」 (本書)

 当方は、娘に「こうも綺麗で無邪気な笑顔をする大人っているかしら」といわれる類に興味があるのではなく、唯一の関心事は上掲の「小倉日記」をめぐる話である。

 松本清張は『或る「小倉日記」伝』は、冒頭、鷗外に関する著作をもつ詩人K・M(木下杢太郎がモデル)のもとに小倉市に在住する田上耕作(初出の「三田文学」では上田啓作)という人物から、森鷗外が軍医として明治32年から数年間小倉にいたころの事蹟を調べているが、同封のその草稿が価値あるものかどうか見ていただきたいという趣旨の手紙が届く。

「四十年の歳月の砂がその痕跡を埋め、も早、鷗外が小倉に住んでいたということさえこの町で知った者は稀だと」と田上は書いている。小倉時代の鷗外の日記が所在不明となっているため、その空白を田上耕作が埋めようとする試みである。

 清張の小説の主人公田上耕作は、身体障害者である。幼少時から、口はだらりと開けたまま言葉がはっきりせず、片足の自由もきかなかった。そのハンディを抱えながら、10数年にわたって、母や友人の協力を得て、鷗外の足跡を訪ね回り、昭和25年、25歳で死ぬ。その翌年……。

 ――昭和26年2月、東京で鷗外の『小倉日記』が発見されたのは周知の通りである。鷗外の子息が疎開先から持ち帰った反古ばかり入った箪笥を整理していると、この日記が出てきたのだ。田上耕作が、この事実を知らずに死んだのは、不幸か幸福か分らない。(松本清張『或る「小倉日記」伝』)

 田上耕作は実在の人物である。鍛冶町の森鷗外旧居を探りあてたことで知られる。ネットを調べると、曽田新太郎「セピア色の詩風景」という一文に出会った。こんな一節がある。

 ――松本清張の「或る『小倉日記』伝」は昭和26年の初夏に朝日新聞北九州版に載った小さな記事がきっかけで書かれた。それは、鷗外研究家・田上耕作の七回忌を伝えるものだった。清張は誰もが見落とすような、あるいはさっと流されるような小さな記事から小説を作り出す手法を生涯のなかで何度も用いている。この時もそうだった。

 田上耕作が鷗外の足跡を手繰っていったように、清張もまた耕作の足跡を手繰っていった。だが耕作が生涯かけた原稿類もまた戦時中に某住職に預けたが、その後行方不明となっていた。

「セピア色の詩風景」には驚くべきことも書かれている(周知の事実らしいが)。「実在の田上耕作は、小説の主人公のように不遇の人でもなく、暗い生活も送っていなかった。また、神経麻痺と栄養失調のために病の床で寂しく死んでもいない。実在の田上耕作は昭和20年6月29日の門司空襲で死亡した」。享年45歳だったという。

 当方の古いブログに、「小倉の松本清張記念館を訪れたことがあり、復元された書斎だけが印象に残っている。そしてご当地ものとして『或る「小倉日記」伝』を読み、以来、当方にとってもっとも好きな清張作品となった」と書いている。

 しかし実際に初めて読んだのは高校生の頃で、読後の「切なさ」が記憶から離れずにいた。当時教科書で習った国木田独歩『忘れえぬ人々』以来、「切なさ」が今もかわらぬ当方の小説やノンフィクションの評価指標となっている。

 

 

 

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2020.12.17

02/作家という病気◆T版2020年…………◎石原慎太郎/坂本忠雄・昔は面白かったな

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石原慎太郎/坂本忠雄★昔は面白かったな――回想の文壇交友録 2019.12/新潮社

02

 政治はね、発想ですよ。何か足りないな、という感覚。


〔都知事として〕一つやり残したのは、隅田川の沿岸をテムズ川沿いの観光地みたいにどうにかしようと思ってたことだね。

 あそこの横、高速道を走ると何にもないでしょ。ビルというビルは全部川にケツ向けてるし、何も味わいがないんだな。

*
元「新潮」編集長坂本忠雄を相手に“文壇裏話”。秘話満載なので、あと3つほど……。

 江藤〔淳〕が困っていたから、僕は素晴らしいお手伝いさんを紹介したんですよ。〔…〕
 女性は綺麗で品の良い人でね、彼は奥さんが亡くなった後、自分の余生を彼女に預けられると思ったと思うんだ。女性に対する思慕みたいな、性的意味もあったかもしれないよ。
 で、その人が、お手伝いさせていただきますっていうんで、軽井沢の実家まで身のまわりの物取りに行ったんですよ。それで、帰ってこなかったんだ。そのとき、すごい寒冷前線が通ってて、僕は都庁にいたんだけど、都庁にも落雷して、ビルの外側が剥がれて落ちたりしてね。あそこは高層ビルでしょ。ビルとビルの間を雲が通っていくの。そのすごい寒冷前線で嵐が来たんですよ。彼女もそれで帰宅が遅れたんだ。電車も立ち往生して。それで「遅れて申し訳ありません」って帰ってきたら、風呂場で死んでたんだ。
 結局その人にも見放されたと思ったのかな。変な喪失感があったんだな。本当に孤独だったからね。茶毘に付すとき、「あの嵐がなかったら死ななかったと俺は思うな」
*
 江の島の並びの一番端に有名なステーキハウスがあって、そこのオーナーがヨット仲間でね、ある時、「石原さん、今だから言いますけど、うちの店、一番上の三階に小部屋があって、川端〔康成〕さんがよく使われたんですよ。

 若い女の子を呼んで、夜中から朝の三時四時まで、ずっと川端さんと一緒にいました」。「何してたのって聞くと、「さあ、わかりません。触ったぐらいはしたのでは」だってさ(笑)。
*
 まあ、あの頃の文学賞は本当にいやらしかったな。吉行淳之介みたいな大して才能のない、限界の知れた連中が飲み屋で集まって文学賞を決めてたんだからさ。僕の「わが人生の時の時」も、吉行とは大喧嘩したよ。もう、どうでもいいけどさ。〔…〕

 とにかく吉行とは合わなかったな。
「文学界」の座談会でさ、「お前が芸術院なんてチャンチヤラおかしいんだよ。早く俺を推薦して芸術院会員にしろよ」って言ったら、「僕は君を必要としてない」って。「必要としてない? お前の本なんか必要とされてないから全然売れねえじゃないか。俺は必要とされてるから、たくさん本売れてるぞ」、「お前、飲み屋で人の作品けなしたりするのやめろよ。姑息でいやらしいやつだな」って言ってやったの。

 あまりに険悪なんで編集者が困って、結局そのやりとりは削ってしまったけどね。

 

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2020.11.20

白石一文★君がいないと小説は書けない      …………人間は生きたいと願うのと同じように常に死にたいと願う動物だ

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「短くて波乱に満ちて、ものすごく充実した現実」のような人生を送れば、人はみな「長くて退屈でひどく空しい夢」のような人生から解放されるのであろうか?

 それはそうだろうと思う。

 だが、人間はなかなかそういう人生を送ることができない。〔…〕

 要するに、私たちは自分自身の意志で「長くて退屈でひどく空しい夢」のような人生を選択しているのだろう。特に強く執着しているのが「長くて」の部分だと思う。

どんなに波乱に満ち、愉快な人生であったとしても、それが「短い」というのはどうにも私たちには受け入れがたい。それならば、退屈で空しくても「長く」続く人生の方がまだマシだと考えているのではないか?

 突然、不治の病を宣告された人たちが、にわかに人生を輝かせ始めるのは、この「長くて」といぅ条件を否応なく外されてしまうためだろう。そうなると「退屈でひどく空しい」人生にしがみついている必要がなくなる。必然的に「波乱に満ちて充実」した人生へと一歩を踏み出さざるを得ないというわけだ。

 どうして私は、このいかんともしがない虚無の心境からいつまで経っても抜け出すことができないのか?〔…〕

 一言で言うと、私には「理想の人生」が見つからなかったのだ。

 

★君がいないと小説は書けない /白石一文 /2020.01 /新潮社


 白石一文の作品を読むのはまだ3作目だ。

 この作家はエッセイを書かないが、小説の中にエッセイやミニ論文を挿入するし、インタビューには応ずるが対談はしない。したがって雑談とか無用のはなしを書かないので、そのたぐいのエッセイ集がなく、孤高の作家のようにみえる。それが「自伝的小説、堂々刊行」と惹句にあるから、手に取った。だがあまりにも多くのものを包含した作品なので、どの部分を紹介しようかと迷う。

 タイトルにある「君」とは、小説家野々村保古のパートナーの魅力的な女性「ことり」である。ことりと初めて知り合い、ともに生活し、巻末のことりの不倫疑惑までの約20年の愛を描いたもの。その最後の部分で小説自体は“破綻”しているが、それはともかく「ことり」という同じ名をもつ別の実在した人物を含めて、三人のことりについて書こうか。

 また同じ直木賞作家の父である白石一郎から物を書く秘訣を教えられた話もある。「文章を書くというのは、紙の上で喋るということだ。ペンを使ってちゃんと喋れるようになれば、それでいいのだ」。このエピソードを紹介しつつ、20年以上も前に若い女性の編集者から当方の「だ」「である」調や体言止めの文体を全面修正され打ちのめされた経験でも書こうか。

 なんといっても文藝春秋社の社員時代の芥川賞、直木賞、大宅壮一ノンフィクション賞などの裏面を赤裸々に描いた実録小説風な場面や、どうやれば社長になれるか、上司、同僚の出世する方法を描いた会社小説的な部分が受けそうだから紹介しようか。

 といろいろ考えたが、この作家には、鬱状態、胃腸の不調、呼吸困難という持病があり、全体の基調が死についての考察である。「50歳を過ぎた頃から、目の前に伸びている道が未来に繋がっているのではなく、過去へと通じているような、そういう感覚に浸る時間が徐々に増えていった。〔…〕なかでもとりわけよく見えるのは、死んだ人たちの姿だ」。

――そもそもこの時代に小説を必要とする人間などどこにもいやしない。(本書)

 ここでは死についての考察をランダムに紹介したい(“共感”しているわけではない)。

*

苦痛の中の死は、死それ自体と同等か、場合によってはそれ以上に恐ろしい。

 

死とは視点の喪失であり、未来に自分が存在しないという現実である。

 

私の心には一切の不安がなかった。理由はすこぶる単純で、

――肉体的にしろ経済的にしろ、万事休すとなったら死んでしまえばいい。

と腹を括っているのだ。

 

突然の死はいまでも十分に恐ろしいが、自ら死を選ぶという一点において私に一片の恐怖もない。

 

わざわざ自殺などしなくとも、人間は、死ぬと決意すればちゃんと死ぬことができる。〔…〕これまで莫大な数の人々が名誉や自己犠牲、信念に殉ずるために死を選んできた。

 

人生はいずれ死をもって終止符を打つ。だとすれば、人間にはおそらく死ぬに最も適した時期というものがあるのだろう。

 

確かに、人間は生きたいと願うのと同じょうに常に死にたいと願う動物だ。

私たちに分からないのは、自分が死ぬかどうかではなく、自分がいつどんな形で死ぬかということだけである。

 

「寿命」とは「生き恥」の対義語なのである。

私自身は、肉体的にしろ経済的にしろ、もうこれ以上生きられないと判断した時点――そこが人生に終止符を打つべき適切な死に時だと考える。

そのときは「死のう」と覚悟を固めるつもりなのだ。

 

私たちは私たちがふだん信じている何倍から何十倍ものレベルで精神(こころ)の支配を受けており、意識するしないにかかわらず「生きたい」と願っているからこそ生きているのである。

つまるところ、人間は「死にたい」と願えば死ぬのだ。

 

死のうと思って死ねるのであれば、生まれようと思って生まれることができるのではないか?

死ねる能力は生まれ(られ)る能力と対をなしているのではないか?〔…〕

だから私は、自殺できるということは誕生できるということでもある、と考えている。〔…〕

人間は、他の動物たちとは異なり、自ら生まれようと決心して生まれてくるのだろう。

 

Amazon白石一文★君がいないと小説は書けない

 

 

 

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