03/芸というもの

2021.06.13

03/芸というもの◆T版2021…………◎ラリー遠田・お笑い世代論◎高田文夫・松岡昇・和田尚久・佐野文二郎・ギャグ語辞典◎忌野清志郎ほか・自転車に乗って 

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03/芸というもの
ラリー遠田◆お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで 

2021.4/光文社

 

彼ら〔第2世代のたけし、さんま〕は80年代の漫才ブームや、そこから始まったフジテレビバラエティの黄金時代を経て、テレビというメディアに最適化されたテレビ芸を確立させた。

彼らが作ったバラエティ番組の「型」は、その後も形を変えて、世代を超えて、ずっと生き続けている。


だから、彼ら自身も、そうした型と共に生き残っているのだ。

*
 “お笑い評論”のトップランナーの新著。無双というか、唯一無二というか、この人のタレント評にはいつも目から鱗。


*
「勝手に『第七世代』みたいなのつけて、僕ら20代だけで固まってもええんちゃうかな」という霜降り明星せいやの一言で始まった“お笑い第七世代”ブーム。著者は見事に世代論をまとめた。以下、……。


*
第一世代のザ・ドリフターズや萩本欽一は、テレビという新しいメディアに合わせた「テレビ芸」を発明して、一時代を築いた。

第二世代のビートたけしや明石家さんまは、「プロの芸人があえて素人のように振る舞う」という斬新な手法を編み出した。プロの技術を駆使して本気でふざけることが、テレビ的な笑いであると考えたのだ。

第三世代のとんねるずやダウンタウンは、師弟制度から解放された最初の世代として、強力なリーダーシップを発揮して、テレビを自分たちの遊び場にした。

第四世代・第五世代のナインティナインやロンドンブーツ1号2号は、スタッフ主導型のバラエティ番組が増えてきた時代にいち早く適応して、同世代のトップランナーとなった。

第六世代のキングコングやオリエンタルラジオは、テレビの世界に真正面から向き合い、大きな挫折を経験した後、テレビとは別の場所に力強く踏み出していった。

そして、第七世代の芸人にとっては、もはや地上波テレビは数ある選択肢の1つに過ぎなくなり、芸人の生き方も価値観も多様化していることが当たり前になった。

 

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03/芸というもの
高田文夫・松岡昇・和田尚久・佐野文二郎◆ギャグ語辞典 ギャグにまつわる言葉をイラストと豆知識でアイーンと読み解く 
2021.2/誠文堂新光社

 

やっぱりオンタイムのその空気感の中でしか笑えないっていうのはあるよね。
だから面白いんだよな。生き物なんだよ、笑いっていうのは。


言葉と一緒で。そのためにも今こういう本で残すのか大事ってことだよ!
書き残しておく事が文化なんだよ。(高田文夫)

 

*

これは便利な、貴重なお笑い芸人辞典。ちなみに、……。


第1世代……ザ・ドリフターズ、コント55号
第2世代……タモリ、ビートたけし、明石家さんま、笑福亭鶴瓶
第3世代……とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン
3.5(ボキャブラ)世代……爆笑問題、ネプチューン、くりいむしちゅー
第4世代……雨上がり決死隊、キャイ~ン、ナインティナイン、ロンドンブーツ1号2号
第5世代……中川家、ヒロシ、アンジャッシュ、ブラックマヨネーズ、サンドウイッチマン、バカリズム、タカアンドトシ
第6世代……ナイツ、オードリー、千鳥
第7世代……EXIT、ハナコ、ゆりやんレトリィバァ、宮下草薙、かが屋、霜降り明星、フワちゃん、四千頭身

 

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03/芸というもの
自転車に乗って アウトドアと文藝 
2020.12/河出書房新社

 

自転車はブルースだ。
クルマや観光バスではわからない、走る道すべてにブルースがあふれている。

楽しくて、つらくて、かっこいい、憂うつで陽気で踊り出したくなるようなリズム。


子供にはわからない本物の音楽、ブルースにはすべての可能性がふくまれている。


自転車はブルースだ。底ぬけに明るく目的地まで運んでくれるぜ。

 

『サイクリング・ブルース』より忌野清志郎

 

*

自転車にまつわる27人のエッセイ、小説、詩、漫画のアンソロジー。


三浦しをん・群ようこ・夏目漱石・萩原朔太郎・小川未明・角田光代・忌野清志郎・押川春浪・織田作之助・北杜夫・江戸川乱歩・吉行淳之介・金子みすゞ・柴田元幸・伊藤礼・真鍋博・中井久夫・宮沢賢治・羽田圭介・藤崎彩織・半村良・山松ゆうきち・北川悦吏子・志賀直哉・吉本隆明・久世光彦・益田ミリ。


よくぞ集めたり、この多彩な顔ぶれ。

 

 

 

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2021.02.02

加納愛子◆イルカも泳ぐわい。              …………実験的であるため“不発”も多いが、Aマッソの漫才も加納のエッセイも、群を抜く

202011


 パソコンで検索サイトを開く。


 最近はYahoo!もGoogleも使わない。ご存知の通りどちらも信頼度が高く、欲しい情報をすぐさま並べてくれる。


 が、いつしかそこに可愛げのなさを感じるようになった。
 仕事だとわかってはいるのに、抜け目のない後輩をついつい敬遠してしまう感覚と似ている。


 正しいことって、突きつけられると不快やもんね。そんなことない?

――「Etoowc」

◆イルカも泳ぐわい。加納愛子 /2020.11 /筑摩書房


 加納愛子(1989~)は、幼馴染の村上愛とお笑いコンビ「Aマッソ」を結成。ネタ作りを担当している。

 2015年にNHK BS で放送の「爆笑ファクトリーハウス 笑けずり」でこのコンビを初めて見てから注目している。オーディションで選ばれた9組の若手芸人が、富士山麓で共同生活し、日夜ネタ作りに励む。が、毎週与えられた課題を審査され、毎週1組ずつ、落とされていく。落ちたコンビは荷物をまとめ山麓を去っていく。のちにブレークした「ぺこぱ」も参加していた。

 容貌や体型をネタにする女性のお笑い芸人が圧倒的に多い中で、このコンビは漫才もコントもそのネタはユニークでシャープである。村上のチャーミングなボケに加納が鋭く突っ込む。尖がり具合が鋭い。コントでは「頼みごと」が群を抜いて面白い(YouTubeで見ることができる)。

 加納の本書のエッセイで、3篇選ぶとすると……。

 その1。アイロンがでてくる話。
「どういうわけかアイロンがツボなのだ」として、「私はいつまでアイロンを面白がれるだろう」、そのあとに「歳をとると急に穴子や湯葉なんかが美味しいと感じる瞬間がくると聞く。マックのポテトはあまり食べなくなった」と続く。こんなフレーズはベテランでも書けない。もちろん、オチもある。

 ――死ぬまでアイロンにそばにいてほしい。遺言に、「最後に顔にかける布には絶対アイロンあててください」と書いて、「もっと言うことあったやろ!」と家族が言うのを、先に逝った諸先輩たちと天国から笑いたい。(本書)

 その2。「国立国会図書館で児童ポルノにあたる可能性がある本の閲覧が禁止されたというのを、何かの関連記事で目にした」から始まる話。
閲覧禁止にするため老館長の元に二人の男が選別作業要員に選ばれて……、いやいや短いのでストーリーは紹介できない。秀逸なショートショートである。

 ドタバタもナンセンスもパロディもSFもといえば、筒井康隆(しか知らない。若い作家がいれば名前をあげたいが、知らない)的である。漫才でいえば「笑い飯」とか「インパルス」(しか知らない。新しいコンビがいれば名前をあげたいが、知らない)的である。

 その3。上掲の「Etoowc」。どすんと穴に落ち組むような仕掛けがある。

 加納と村上のふたりは大阪出身らしいが、大阪のどこだろう。 唯一にして最大の難点は、加納の大阪弁が、毒舌にしてもあまりに汚らしいことである。ほんとに汚い。過激さは言葉ではないだろう。見ていて引いてしまう。

 もうすこしまともな大阪弁を駆使すれば、たとえば予算委員会で菅首相に迫る辻元清美(笑)的大阪弁のような。現在の熱烈なAマッソファンだけでなく、ふつうの大阪弁をしゃべる大阪の若者にも歓迎され、東京に拠点を置いていたとしても、地上波にもっと登場するようになるだろう。

 実験的であるため“不発”も多いが、Aマッソの漫才、コントも加納のエッセイも、群を抜く面白さである。

 

 

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2020.12.17

03/芸というもの◆T版2020年…………◎村岡恵理・ラストダンスは私に―岩谷時子物語◎柳家小三治・どこからお話ししましょうか◎毛利義孝・バンクシー◎村田喜代子・偏愛ムラタ美術館展開篇

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03/芸というもの
村岡恵理★ラストダンスは私に――岩谷時子 物語 2019.07/光文社

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  1977(昭和52年)9月のロングリサイタルは、30回記念と銘打たれた。
 老いた女の悲哀を見事に演じ切った越路を、大喝采が包み込んだ。汗ばんだ褐色の肌がライトで輝いている。客席のあちらこちらから、すすり泣きが聞こえた。

 上手い歌手や綺麗な女優なら他にいくらでもいるが、越路〔吹雪〕はその個性において唯一無二の存在だった。53歳に至り、人生の苦味を知り、歌にもある種の凄みがかかっていた。

 しかし、観客は気づいていなくとも、時子にだけは疲れやほころびが見える。痛々しさに胸がしめつけられた。
人生は過ぎゆく…… 。

 願わくは、老醜をさらすことなく、華々しい印象のまま、美しい余韻を残して、彼女らしく、惜しまれて、引退させたい。そして、健康で豊かな余生を送ってほしい。あと5年か、いや3年-――。引き際をどう見極め、演出するか-――。還暦を越えた時子に、マネージャーとしての最大の課題が残されていた。

 


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柳家小三治★どこからお話ししましょうか――柳家小三治自伝 2019.12/岩波書店 

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 小沢(昭一)さんは「噺家になりたかった役者」、私は「役者になりたかった噺家」。

 まったくそうですねえ。小沢さんはそのころの落語界を見て、あんまりにもすごい人やえらい人がたくさんいるので、とても太刀打ちできねえと思って噺家にはならず、新劇の世界に入ったと聞いています。

 私はそこまでまだものの見定め方がわからないんで、ただまっすぐ飛び込んじゃったんでしょう。

 

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毛利義孝 ■バンクシー――アート・テロリスト 2019.12/光文社

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 ロンドンやニューヨークの例を挙げるまでもなく、グラフィティが蔓延している都市ほど、クリエイティヴで民主的で先進的のように見えます。

 逆に、権威主義的権力が強力な国ほど都市は落書きが少なく、整然としているという事実は否定できません。〔…〕

 整然とした秩序を快楽として享受するのは、そもそも支配・管理する側の視線です。
*
 NHK「世界ふれあい街歩き」をみていると、各国の世界遺産の街は例外なく落書きの街でもある。日本は世界遺産の地に、まず落書きがなく、密かに誇っていた。本書を読めば、とんでもない勘違いだったと気づく。

 欧米は都市景観の規制によって調和が保たれ、日本では建築物の持ち主が風景を専有する。私的財産の侵害を禁止するか、表現の自由を優先するか。バンクシーのストリート・アートは色々考えさせてくれる。

 

 
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村田喜代子★偏愛ムラタ美術館展開篇 2020.10徳間書店

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 福田豊四郎『落下傘』も日本画である。斬新で無類に明るい。真っ青な空だ。そこに次々とひらく白い花のような落下傘。洋画家が、群像や戦闘やリアリティやと近代技法と組み合っているとき、小早川秋聲や福田豊四郎は独創でいった。


 絵は語ることをしない。
 画家は一心に技量を投じるのみだ。
 その力を抜くと、つまり、戦争賛美になるのではないか。


――「こんな絵があった。たどり直す戦争画」
*
「偏愛」シリーズの3冊目。
累々と積み重なった「死」戦争画である藤田嗣治「アッツ島玉砕」。

「この絵は戦争協力の戦意高揚画というより、無惨絵だろう」と著者。

 この絵を始め戦争画を京都で「生誕120年藤田嗣治展」のとき見たが、なぜそれが「戦争協力者」と非難されるのか理解できなかった。

 このほか宮本三郎「本間、ウエンライト会見図」、向井順吉「マユ山壁を衝く」、福田豊四郎「落下傘」を紹介する「こんな絵があった。――たどり直す戦争画――」の章。

 当方がもっとも興味があったのは、長沢芦雪。「群猿図屏風」、「大仏殿炎上図」、「捕鯨図」、「牛図」、大胆で迫力ある構図に息をのんだ。

 

 

 

 

 

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2020.09.07

中村哲郎★評話集 勘三郎の死――劇場群像と舞台回想    …………波野という姓をもつ勘三郎と吉右衛門の確執と和解と歌舞伎の行方

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 彼の或る短いコメントが雑誌で目に留まり、何故かひどく引き付けられた。
「一期一会、という言葉は好きになれないな。一生に一度だけなんて、つまらないよ…」と。
 その花やかなラブ・アフェアを風刺する記事だったが、しかし同時に、そこには彼の人生観に近い何かも読み取れた。〔…〕

 勘三郎が「一期一会に非ず」だったのは、ひとつには彼が連鎖する円の中心にいて、その境界を拡大する本能を持っていたからだろう。

一期一会の逆の言葉は一期末代だが、彼は、気心が通じれば終生付き合おうという、一期一代の心意気に富む“稀者(まれもの)”だった。

 彼には稲妻のごとき炸裂や、綿密な深謀遠慮もあったが、天成その身体や心情が総じて丸く出来上がっていて、人びとが連鎖し、或いは連帯する願いのために、現世に生きているような和合力を有していた。言わば“こころ遍(あまね)き人”であり、その一生には本質的に他者との「別れ」が無かったのではないか。

――「一期一会に非ず」

★評話集 勘三郎の死 ――劇場群像と舞台回想 /中村哲郎 /2020.07 /中央公論新社


 十八代目中村勘三郎について書かれたものを読むと、贔屓筋も評論家も、みんな勘三郎の“人たらし”の術中にはまっているように思える。その“人たらし”とは、交遊においてポジティブでフットワークが軽いことかと思う。

 かつて丸谷才一が勘三郎を「世間では芸があるとか、人の心をたぶらかすとか言ってるが、それだけじゃない」と、周りの役者とのアンサンブル、そのチームプレイが面白いと語っていた。勘三郎の芝居は主役だけのものではないと勘三郎も周りの役者も思っていたようだ。そこが“人たらし”の元か。

 勘三郎との長年にわたる交遊を綴った7篇を中心に編まれた本書だが、当方が一気に読んだのは「ナミノは二人」。その二人とは……。

二代目吉右衛門 1944~   波野辰次郎 播磨屋
一八代目勘三郎 1955~2012 波野哲明  中村屋
 二人は親同士が兄弟、つまり従兄弟である。だが二人は、些細なことで齟齬をきたし、確執が生まれ、共演もなく、疎遠になり、しかしやがて雪解け、仲が復活する話を、400字20枚程度に書かれたもの。

 当方は吉右衛門の舞台を見たことがない。ドラマも見ないので、「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵役を十数年勤めていたことも知らなかった。
そこでネットで、舞台中継『弁天女男白浪――浜松屋見世先の場』を見た。弁天=菊五郎、南郷=吉右衛門である。口舌のいい吉右衛門がいっぺんに気にいってしまった。
 本書によれば、吉右衛門は「役者と言うよりも、文学者としての陰影を帯びている」そうで、松貫四という筆名をもち脚本も書いている。

 他方、勘三郎は勘九郎時代、それまで歌舞伎にはなかったカーテンコールやスタンデイングオベーションを最初に沸き起こした役者である。

 勘三郎と吉右衛門は、分家筋の中村屋と本家格の播磨屋の関係にある。勘三郎は現代歌舞伎の推進者、吉右衛門は古典の探究者。

平成17年、十八代目勘三郎襲名興行が歌舞伎座で催された。

 ――ほとんど全員の歌舞伎俳優が大興行に参加したが、親戚筆頭の吉右衛門ひとりが出演しなかった。当初、吉右衛門自身は加わる心づもりだったようだが、提案された配役が引き受けられなかったらしい。 (本書)

 平成21年、勘三郎の長男の二代目勘太郎(現六代目勘九郎)の結婚披露宴の場で……。

 ――俺も酔っていて、思わず『兄さん、雅行(勘太郎の本名)に教えてやってくれませんか』と、頼んだところ、兄さんも『うん』と領いた。それで正月の浅草の貞任があるから、勘太郎に万端の準備をさせて、兄さんの青山のお宅へ伺わせた。兄さんが、すっかり教えてくれましたよ」 (本書)

平成24年、勘三郎の死……。

――勘三郎の死は、自らの古典の芸の円熟を奪ったのみではない。吉右衛門との両者晩年の連合による、大歌舞伎の中核の形成という、ひとつの演劇の理想をも奪った。 〔…〕

 ――勘三郎の死は即、吉右衛門の損失だった。戦後有数の演技者としての彼は、ひとり深山幽谷を思わせる境地を築いた。が、花実兼備の舞台、知情意の揃った豊熟の世界を創るためには、どうしても勘三郎が必要だった。芝居は、一人では出来ない。 (本書)

 

関容子■勘三郎伝説  

 

荒井修★浅草の勘三郎

 

Amazon中村哲郎★評話集 勘三郎の死

 

 

 

 

 

 

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2020.08.24

久保田一洋★北斎娘・応為栄女集             …………応為の春画⑦ 其の品行は、頗(すこぶる)正し。情夫などありたることを聞かざるなり。(飯島虚心『葛飾北斎伝』)

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「吉原格子先之図」が安政2年10月の大地震後の作品とすれば、それは加瀬家で描かれたのかもしれない。

 応為は加瀬家で義理の妹とは仲睦まじからず、しかしあれだけの絵を描くのであるから、「妾は、筆一枝あらば、衣食を得ること難からず」と豪語したのも納得する。

「吉原格子先之図」を最後に、その提灯に隠し落款で自分の名を書き入れ、自らその絵に融け込むかのように


歴史の闇のなかに姿を消してしまったと言えば、奇女の綺麗な最期になる。


 ――久保田一洋「応為栄女の諸伝」

★北斎娘・応為栄女集  /久保田一洋・編著 /2015.04 /藝華書院


 2013年、大英博物館で「春画――日本美術の性とたのしみ」が開催された。16歳未満の入場は保護者の同伴を必要とする異例の措置である。同館の所蔵品のほか、日本、英国、オランダ、デンマーク、米国から300点以上が集められた。

 わが国では2015年に永青文庫で初の大規模な「SHUNGA春画展」が開催された。先の大英博物館の展示品を含め133点が展示された。

 これに合わせ多くの豪華な画集やムック本が出版された。“解禁”といっていい。インターネットにも黒塗りやぼかしの消えた画像が大量に出現した。
 さらに、漫画、アニメ、小説、映画、ドラマ、ドキユメンタリーで、北斎など浮世絵師たちが描かれた。そこで特に注目を集めたのは北斎の娘応為である。

 2017年、大英博物館での「北斎 -――大波の彼方へ」展でのシンポジウムでは、いつか「応為展」ができないものかと誰かが提案すると、会場が湧いたという。

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 北斎、応為を知るための基礎資料は、
『葛飾北斎伝』 著者飯島虚心 校注者鈴木重三1999.08岩波書店 (原本:明治26=1893年 蓬枢閣)
 と本書である。以下、両書から引用する。

1849(嘉永2)年 北斎、肉筆画「富士越龍」制作後、臥し(「老病なり、医すべからず」)、死去(数え90歳)
辞世の句 悲と魂でゆくきさんじや夏の原(人魂で行く気散じや夏野原)

以下、念のため上掲を説明すると……。

 ――北斎翁の死するや、阿栄悲嘆座に安せず。
これより居所を定めずして門人或は親戚の家に流寓し、
後親戚加瀬氏の家に居りしが、一日出てゝ行く所を知らず。

1855(安政2)年 安政の大地震。この後、応為「吉原格子先之図」を制作。

 ――常に曰く、妾は、筆一枝あらば、衣食を得ること難からず。何ぞ区々たる家計を事とせんやと。

「吉原格子先之図」に落款はないが、描かれた3つの提灯に「應」「為」「栄」の文字、隠し落款がある。

 ――白井多知女〔弟・加瀬崎十郎の娘〕の遺書には、安政四年〔1857〕の夏、
東海道戸塚宿の人、文蔵といへる者阿栄を招き画を請ふ。
阿栄筆を懐にし、出て行きしが、夫より知れずなりしと。

 

 ――現存する応為の作品は極めて少ないが、北斎とされる作品は余りに多い。応為と言っても知らないが、北斎といえば誰もが知っている。北斎の名で残された作品は多く、肉筆画だけでも優に一千点は越える。

応為は北斎の娘であるから、北斎の作品にこそ応為の手が入る、筆力の優れた部分は北斎ではなく、実は応為の手になるのではなかったか。これらを区分し、北斎の北斎たる部分と、応為の応為たる部分を区別し考えてゆくことは、今後研究の一課題になろう。 (本書「応為栄女の諸伝」久保田一洋)

 応為は南沢等明と結婚し、離婚するが、小説、漫画、ドラマに登場する応為の“愛人”は、渓斎英泉、滝沢馬琴、式亭三馬、歌川国直など“惚れた男も数知れず”だが、これらの応為の言動の原本となった飯島虚心『葛飾北斎伝』を引用し、“オチ”をつけよう。

 ――しかして其の品行は、頗(すこぶる)正し。情夫などありたることを聞かざるなり。常に翁の傍にありて、孝養怠りなし。感賞すべきことなり。

 

 

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Amazon飯島虚心★葛飾北斎伝

 

 

 

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2020.08.21

壇 乃歩也★北斎になりすました女 葛飾応為伝      …………応為の春画⑥ ちょっ、お栄ちゃん。昼間からそんな、ふしだらな。(松阪『北斎のむすめ。』)

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 応為はふと気がついた。『北斎漫画』は呪いなのだ。この本には親父どのの全てがある。これに頼れば食いっぱぐれることはない。

 自分は絵師として北斎の陰で生きてきた。そして今は北斎になりすましている。これでいいのだろうか。〔…〕

自分の中に描きたいものはないのか? ある。それは光と影だ。

〔…〕親父どののように自分自身の絵を描くべきだ。呪いは解かなくてはならない。

 そんなとき、応為に仕事の依頼が入った。時は安政、江戸に黒船が来航し、東海道から江戸にかけて大地震に見舞われた激動の時代である。
それは応為の手彩色の艶本を贔屓にしていた裕福な商人からの注文だった。〔…〕

 応為への注文はそんな吉原の賑わいを床の間の絵にしてほしい、というものだった。応為には前から描いてみたいアイデアがあった。吉原の夜を光と闇を駆使して描いてみたい。

★北斎になりすました女 葛飾応為伝 /壇 乃歩也 /2020.03 /講談社


 葛飾北斎が“線”の絵師、渓斎英泉が“色”の絵師だとしたら、葛飾応為は“光と影”の絵師である。

本書で初めて見た。応為の「吉原格子先之図」だ。吉原の浮世絵は多い。北斎の「吉原楼中図」、歌麿「吉原の花」、「新吉原仮宅両国之図」など、夜を描いても影がない。昼間のように明るい。だが応為に絵は光と影で吉原を描いている。

「吉原格子先之図」太田記念美術館蔵。

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 ――描かれているのは江戸の遊郭街吉原の張見世。店の中の花魁たちは格子の向うから眺める男たちからの誘いを待っている。画面全体に広がる光と闇のコントラストが柔らかなグラデーションで繋がり合う。そこに浮かび上がる男と女の猥雑な人関係、格子を隔てて向かい合う客と花魁たち、これから起きるたった一夜の秘めやかなゲーム、深い影、あるいは強い光によって覆い隠された遊女や客たちの心模様。

 濃密で奥行きの深い夜が艶めかしく、情感たっぷりに活写されている。 (本書)

 ――さらに画面の中央、格子を隔てて向かい合う男女がいる。うつむぎかげんに座る花魁の顔は背にした組の光によって真っ黒シルエットになっている。
 格子の手前には提灯を手にした男がいる。正体を知られないように頭巾を被る男の表情は行灯の光が強いせいか、のっべらぼうみたいに真っ白にかき消されている。しかし、男が持つ提灯の位置からしても、女のかんざしや格子の光の当たり方からしても、花魁の姿は不自然なまでに真っ黒に描かれている。
 まるで、何かを隠そうとしているかのように……。 (本書)

 

 小説がアニメになったり、ドラマになったり、メディアミックスは常識だが、本書も日本BS放送(BS11)で2017年12月に放送された「北斎ミステリー~幕末美術秘話 もう一人の北斎を追え~ 」を元にしたノンフィクションである。

 北斎だけでなく、その娘応為が大活躍である。
松坂『北斎のむすめ。』(全3巻、2017~18、芳文社)は、4コマまんが。その帯のコピーには、「おやじ、代作ばかりさせんな!」とある。

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 さらには、スマートフォン向けRPGアクションロールプレイングゲーム『Fate/Grand Order』(フェイト・グランドオーダー)にも応為は北斎とセットで登場する。

 ちなみにどんな人物かというと、華やかな着物と花を思わせる髪飾りが特徴な女流作家。隣に浮いているのは面妖蛸の“とと様”が「葛飾北斎」。二人一組のサーヴァント。
 身の丈程の巨大な筆を振るって戦う他、小筆を投擲武器として扱ったり、絵を具現化させる攻撃を行う。また、面妖蛸の“とと様”も墨を吐いて支援する。おおっ!

 

 

Amazon壇乃歩也★北斎になりすました女 葛飾応為伝

 

Amazon松坂★北斎のむすめ。(全3巻)

 

 

 

 

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2020.08.19

キャサリン・ゴヴイエ /モーゲンスタン陽子・訳★北斎と応為           …………応為の春画⑤ まるで自分が長年描いてきた絵のなかにいるようで、面白かった。

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 英泉は、抱かれながらもじっと寝そべったままで、本を読んでいた女のことを話してくれた。でも、私はそれとは逆だった。

 英泉が私に見出だしたのは快楽への興味のなさではなく、緻密な探究心だ。


交わりの最中に、絵の構図を考えていたのだ。

 私が上に乗ると、英泉もそれを楽しんでいるようだった。
「こりゃ覚えといたほうがいいな」と、着物の胸をはだけて唇に押しつけたとき、英泉は呟いた。「すげえ、いいや」
 着物の色が目に入ることで、さらに悦びをもたらした。まるで自分が長年描いてきた絵のなかにいるようで、面白かった。

★北斎と応為 〔上・下〕 /キャサリン・ゴヴイエ /モーゲンスタン陽子・訳 /2014年6月/彩流社


 工房にいた英泉に対し、北斎は「あの野郎は飲兵衛の廓通いの放蕩者だ」と言って、育てなかった。ほどなく英泉は工房を去る。その頃、応為には男がいた。滑稽本『浮世風呂』で知られる式亭三馬。その後。工房にいた南沢等明(「なんであんたが絵師になったんだか」と蔑視)と結婚し、数年後別れる。

 やがて英泉が「ちょいと一杯やりにいかねえか」と応為を誘いに来る。「男ってのは飲みすぎたときにかぎってもっと欲しくなるもんなのよ」。
「今度は英泉かい」と、ものものしく言う父。「女房がいるんだぜ。おめえも懲りねえやつだな」。

 英泉はいう。

 ――「おまえは親父よりうまい絵師なんだぞ」〔…〕
「描くだけじゃだめなんだよ」私は身を正してそう言った。「北斎は描いて、演じて、それに頭んなかで変なもんをこしらえて……」
「そのとおり」と英泉。「やつは北斎でおまえさんは違う。だがな、おまえさんはお栄で北斎はお栄じゃない。おまえさんは女を分かってて、人情を表せて、細かい線を描けて、たいした色を作れるじゃないか!」 (本書)

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 応為と英泉ふたりで春画の注文を受け、あの「つひの雛形」もふたりの合作だという。
さらに注文が入ると、北斎の描いた交合の図柄を使うことにした。

『喜能会之故真通』の一場面、あの「蛸と海女」も、ふたりで描いた。

 ――私はその絵を版元に持っていった。版元は父が描いたものと勘違いして、「さすがは北斎! この異様なまでの妄想力はどうだ。こんな気味の悪いもん考えつくとは」〔…〕
「頭がどうかしちまったんじゃないのかねえ」と呟くその頬が引きつっている。「かわいそうに、この海女は恐れおののいて……」
「いえいえ」と私。「ご心配なく。この女は夢心地なんですよ」 (本書)

著者キャサリン・ゴヴィエは、カナダの作家。原題The Ghost Brush。

 ――外国人である私にとって、変革の中心で芸術性に富み、活気にあふれていたこの〔江戸の〕町は、想像力をかき立ててやまないものでした。北斎の娘、お栄の存在を知ったとき、彼女の存在は語り継がれなければならないと強く感じました。そして調査と、日本での取材に5年を費やし、お栄に生命を吹き込んだのです。(「日本の読者の皆様へ」)

 だが本書の特色は、応為に魅せられた著者の長いあとがきにある。2006年米フーリア美術館で北斎を知り(フーリア氏の遺言により100年間貸し出されることなく保管されていた)、オランダ・ライデン国立民族学博物館のフォン・シーボルトが蒐集した北斎のオランダ画の作品群。さらに多くの北斎展、そのシンポジウムで情報を集めながら、著者の思いは、「北斎は二人いる。北斎と応為だ」という確信に変わっていく。

 晩年において画法のブレと画風の顕著な違いが生じたのは、なぜ? 北斎死の前年になぜこれほど多くの作品、そして「八十八」と記されているのか。北斎の落款があれば高く売れるため、それとも応為の名では消えてしまうが北斎の作品なら後世に残るからか。

 中央寄りの構図、無背景の中央に浮く単体、大柄なその女性は鯱張って動きがない。深く濃い色使い。肉づきのよい手のひら、親指のつけ根と足の親指のつけ根の丸み、そこからすべての指がぐっとしなやかに先細りに伸びます。――どれもお栄の特徴です、と。

 ――他の作品群や追想録が見つかればもっと分かるでしょうが、それまでは、憶測し、思案し、仮定し、想像するしかないのです。創意工夫は歴史にとって不可欠、フィクションも同じです。 (著者あとがき――葛飾応為に魅せられて)

 

Amazonキャサリン・ゴヴイエ★北斎と応為 上・下

 

**追記

訳者モーゲンスタン陽子は、アメリカ、カナダで活躍する作家、翻訳家。「訳者あとがき」で、こう記す。

――江戸時代の日本を舞台とした小説であり、また語り手がお栄で第一人称である以上、いわゆる「翻訳っぽい日本語」ではこの作品はまったく成り立たないであろうという信念から、大胆にも、自ら学んだ日本語英語変換の逆過程を通じて訳させて頂きました

その見事な翻訳のおかげで、上・下巻の大冊をいっきに読むことができた。モーゲンスタン陽子氏は、ツイッターに、

――ゴヴィエさんは応為探求を描いた新作をご執筆中。昨日試訳を終えました。版元が見つかりますように!

とある。日付が古い(2017.12.09)が、版元がみつかるよう読者として期待しています。

 

 

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2020.08.16

朝井まかて★眩(くらら)              …………応為の春画④ 善さんの優しさは毒だ。あたしは毒を喰らう。目眩がした。

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 一度限り。

 初めはそんなつもりで互いの帯を解いたのだ。去年の、秋草の頃である。あれから幾度、肌を重ねただろう。

 

 夕闇暮れのお栄の家で、夜更けの工房の隅で。名も知らぬ小さな寺の、古い木立の蔭で忙しなく裾を捲ったこともあった。〔…〕

声を殺しても息が洩れる。善次郎があたしの中にいる。そう思うだけで、身の中心から重く激しい波が起きてうねった。

 

 お栄は己の素性を初めて知ったような気がした。〔…〕

 それでも、お栄はいつも一度限りだと思ってきた。

 むろん、これを最後にしようと定めるほど殊勝じゃない。二人の仲はこれからどうなるのだろうと思案に暮れるのも、真平御免だった。

★眩(くらら) /朝井まかて /2016.03 /新潮社 


 朝井まかて『眩(くらら)』は、お栄=応為をクールに熱演する宮崎あおいのドラマ『眩~北斎の娘~』(2017、加藤拓・演出)を抜きに語れない。以下、小説とドラマを行きつ戻りつ……。

 たとえば母小兎がお栄に「お父っあんを頼んだよ」とにっこり笑いながら戸口から出てゆく。突然傘が大写しに。その戸口から僧侶が出てくる。母の死を暗示する場面である。この省略の見事さ。長篇を73分のドラマにするのにエピソードの取捨選択、そしてセリフの簡潔化など、大森美香の脚本に感嘆する。

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 たとえば小説のプロローグ部分、( )内はドラマの表現。

この世は、円と線でできている。 (北斎の台詞)

眠りこけてる猫なんぞ尻と背中、それから頭もだ。 (北斎が紙に描く)

ほれ。こうして、円が重なってるだろう。 (北斎の台詞)

男は大きな胡坐の中に幼い娘を坐らせて、絵を描いていた。遊んでやっているのではない。まだ五つの我が子を相手に、真剣に「画法」を説いているのである。 (北斎がお栄を抱いて教えている映像)

「尾っぽも丸く、尻に巻きつけている。これも円だ」 (北斎の台詞、そして絵の猫が動き出す)

 ドラマが省略の美とすれば、小説は抑制の美である。

たとえば芸者のお滝が母の葬儀に来てくれたことを話題にしたとき、善次郎がお滝と一緒に住んでいると初めて知り、「どうしたんだろ、あたしの胸。何でこんなに動悸を打ってる」という場面。

 あるいは、北斎から善次郎が死んだと突然遂げられ「夕闇の中に埋もれるように、動けなくなった」場面。

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 だが、抑制した表現が爆発する場面がある。

 ――親父どのは太い彩色筆をむんずと掴むように持ち、腕を大きく動かした。命毛が富士の山麓で横に寝て、そのまま上に、左へと動く。軌跡は太いが墨色は浅く、ぼかしながら進んでいく。いったん画面の左端まで突っ切って、今度は富士の背後に回り込むように左の上の奥、そして右の稜線の向こう側からまた左右にたなびきながら画面の右上へと描かれていく。

 黒雲だと気づいて、お栄の背筋がぞくりと動いた。(本書)

 応為の描いた富士に、北斎が龍を描き加える『富士越龍図』制作の場面、その一部分である。北斎の筆の動きが著者朝井まかての指先に乗り移り、文字がほとばしる。

Amazon朝井まかて★眩(くらら)

 

 

 

 

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2020.08.12

増田晶文★絵師の魂 渓斎英泉     …………応為の春画③ 春画なんて陽の当たんねえもんは、淫乱英泉とヤマンバにくれてやらあ。

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 私淑する英泉と直弟子の間には眼にみえない溝がある。
 それを埋めることはできない。いや、埋めることを弟子たちがゆるさない。例外なのはお栄くらいだ。繊細な英泉にはそれが伝わってくる。
英泉は北斎の工房で秘本だけを担当している。〔…〕

 ただ、春画を描くにはかなりの技量を必要とする。まして、北斎の名で売られる作となれば、なまじの腕前の弟子では声がかからない。
ここ数年、北斎の艶本は英泉とお栄が代作することになっていた。二人の合作も多い。
 そうして、英泉は本屋の間で艶本絵師としての評価を獲得したのだ。


「春画なんて陽の当たんねえもんは、淫乱英泉とヤマンバにくれてやらあ」


英泉とお栄が、男女の秘め事を絵に仕立てている襖一枚むこうから、やっかみの声がきこえでくるのだ。

★絵師の魂 渓斎英泉 /増田晶文 /2019.01 /草思社


 葛飾北斎(1760~1849)や応為の物語にかならず登場するのは、善次郎こと渓斎英泉(1791~1848)である。美人画で一世を風靡するが、好色放蕩、軽佻浮薄な人物としてつねに描かれる。
だが本書では、“チャラ男”ではない。定番のように応為の愛人とはせず、応為の出番はほとんどない。

 英泉は、北斎一門ではないが、北斎に私淑し(北斎曰く「ワシに懐きよって」)、北斎「富嶽三十六景」で有名になった“ベロ藍”を本邦で初めて使用した絵師であった。

 英泉は、北斎工房で男と女が交合する絵を描く。北斎は英泉の絵心、勘所の良さを認め、詞書を任され、絵だけでなく文もうまいと序文ばかりか書冊せんぶの文章まで任される。「御大の絵筆の癖、あくどく真似しておきました」。

 本書で北斎と英泉の師弟の絵をめぐる物語。北斎の教えを受けながら、北斎は線、英泉は色に真髄が宿ると考える。

 ――北斎の面目は水、波、空、風、雨など本来は形のないものを絵にしてしまうことだ。それを可能にするのが形のなきものを捉える線、この卓抜の画力で絵は躍如する。
「北斎漫画、あれには色がない。線ばっかりだ」
 でも――墨の濃淡だけの絵手本は、どの頁にも躍動があり色が生じている。
「世の中のモンはすべて○と□と△よ。それに一本線さえありや誰にだって絵は描けらあ」〔…〕
 線を真似ることで寸刻みながら北斎に近づける。英泉は艶本でそれを実践した。 (本書)

 圧巻は、『木曾街道六十九次』をめぐる展開である。北斎の『富嶽三十六景』や歌川広重『東海道五拾三次之内』が出て、風景画ブームがおきる。『木曾街道六十九次』は、その広重と英泉の連作、合作とされているが、本書では英泉の作が売れず、降板させられ、広重が登板する。

「あれほど板元連中には評判がいいのに、なぜだ!」〔…〕
「本屋にとっていい絵とは、人気のある絵のことです」
「……………」
「題材や構図、色の具合が上出来でも、売れなきや駄作です」 (本書)

 英泉は、しかし一寸の虫同然に扱われた絵師の五分の心意気を表わす。

 ――英泉は世間との間合いがうまくとれない。世俗を敵視しながら、凡俗に揺さぶられどおしだった。
遊び人を気取り、悪ぶったり書肆に牙を剥いたりしたのも然り。
「でものう。英泉ってのは純で愛(う)いヤツよ」 (本書)

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と昨夏亡くなった英泉に北斎は思いを馳せる。そしてまた、……。

 ――それは、雲龍の絵を施した豪華な内掛けをまとう花魁の後姿だ。
「斑入りの鼈甲の簪(かんざし)、更紗模様の着物のうえ、黒地に白い昇龍の内掛けときたか」
ちらりとみえる足の指先が艶めかしい。文政を席捲し英泉美人画らしさが詰めこんである。ことに龍は、英泉が好んで着物の柄につかった大事な絵柄だった。〔…〕

 英泉の描く女は肚に蛇が棲んでいる――国貞や国芳、重信ら好敵手たちは、唯一無比の英泉美人画を熱心に研究していたものだ。
「この美人画が海を渡れば、毛唐や南蛮人も強烈な色香に眼を剥くだろうて」
ベロ藍をはじめ色づかいは群を抜いている。 (本書)

 英泉の代表作『雲龍打掛の花魁』である。よく知られているように、これはゴッホ『花魁(溪斎英泉による)』の元絵であり、同じくゴッホの『タンギー爺さん』の右下にも描かれている。

 なお、英泉は『无名翁随筆(続浮世絵類考)』に、応為のことを北斎の第三女としてこう記している。

――女子栄女画ヲ善ス、父二随テ今専画師ヲナス、名手ナリ。

 

Amazon増田晶文★絵師の魂 渓斎英泉

 

 

 

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2020.08.05

山本昌代★応為坦坦録             …………応為の春画② 「あたしと一緒に吉原へ行こうよ。どうしても本物が見たいんだよ」

 

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 この種の絵の時にかぎって鉄蔵はあッちに行けあッちに行けと頻繁にお栄を追い払った。〔…〕

 ひとつ自分で絵柄を考えてやろうと気張っても、ぼんやりした景色が頭に浮かぶだけで、具体的な足や手の絡み具合、着物の乱れ、髪の乱れ、夜具の乱れといったものが、何ひとつハッキリ目に見えなかった。


 どうにも埒があかなくて、お栄は鉄蔵の弟子の一人の、五郎八という年寄りに相談を持ちかけたことがあった。〔…〕

「あたしと一緒に吉原へ行こうよ」

「え」
「どうしても本物が見たいんだよ。わけを話して、金さえ出しゃあなんとかなるだろ」
「……さア。そいつはどうだか……」

★応為坦坦録 /山本昌代 /1984.01 /河出書房新社


 山本昌代(1960~)は、大学生であった1983年に本作『応為坦坦録』で河出書房新社の文藝賞を受賞し、デビュー。「北斎の娘応為の飄々とした生きっぷりを、江戸戯作者風才筆で活写する」と評価された。

 上掲の五郎八は、北斎の弟子蹄斎北馬のこと。応為より30歳も年上だから、もちろん応為の愛人ではない。本書では応為の愛人は一人も登場しない。

 ――隣の座敷の客は相方ともども三回四回と入れ替わり、それぞれの一部始終を、お栄は闇に慣れた目をこらして無心に覗き続けた。五郎八はいびきもかかずに昏々と眠るばかりで、一度もお栄の邪魔をしなかった。 (本書)

 それからずいぶん後に芝の鈴村堂の茂兵衛から「おんなとおんなの絵」を頼まれ、北斎から応為にお鉢が回ってくる。何枚どんな風に描いても自然なおんなとおんなの絵にはならない。

 ついに深川の廓紀伊国屋へ一人で出かけ、外で若い衆に五十、中で女郎に百、出てくる時に八百と、しめて九百五十の銭を置いて、描いた。「主人がもう二、三枚描いていただくようお頼み申せと、それはえらい喜びようで」という作品をものにする。

 本書はあっさり味である。念のため「坦」を辞書で引くと、①たいらか。起伏なしに、たいらに延びる。②感情の起伏がない。また、態度・行動に裏表がない。「坦坦」は、①広くたいらなさま。②平凡なさま。……とある。(『漢字源』) 

 江戸の情緒も、北斎の奇癖も、浮世絵の蘊蓄も語ることなく、文字通り坦々と応為の日常が描かれる。終章は……。

 ――絵を描くのをやめてしまったのか、あるいはまた芥子人形をつくり出したか、勉強しなおして占い師にでもなったか、昔の念願がかなってめでたく仙人となって支那の山にでも移り住んだか、いくらでも好き勝手に思いを廻らすことはできるが、本当のところは今となってはもう知る術がないのである。

 生きているうちに忘れられた人間は、死んだあとでは思い出しょうがない。 (本書)

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 本書が書かれた1983年頃といえば、矢代静一の戯曲『北斎漫画』(1973)が原作の映画『北斎漫画』(1981、新藤兼人監督)が話題になった。
 緒形拳、西田敏行、フランキー堺など濃い面々、北斎の「蛸と海女」をそのままに樋口可南子が巨大な蛸と戯れた。当方はお栄=応為の子どもの頃から老女まで演じた田中裕子に興味があった。

 映画での応為の愛人役は、なんと滝沢馬琴だった。

 

 

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