04/政治の品格

2021.06.11

古川日出男◆ゼロエフ       …………“復興五輪”について被災者の話を聞き、やがて平家物語、そして憲法に至る

202103


 来春には東日本大震災から10年、みたいな区切りが来て……と私が言う、……その先には震災は忘却されるのか自然な流れなのかな、とも思うんですけど……。

 ごにょごにょと言ってから、問う。

「どうやったら、伝えつづけられる、と考えます?」

「言葉は悪いけれど、傷なのかな」
「傷」私は即座に了解する。
「傷を残すこと」と高村さんは言って、「傷はたぶん、ずっと治らない」と続けた。

治らないから、と聞こえた。

古川日出男◆ゼロエフ 2021.03/講談社


 著者は1996年、福島県郡山市生まれ。
 東京オリンピックが決まり、「復興五輪」と謳われととき、東京オリンピックは東京でやればよい、「復興五輪」ならば被災地だけでやればよい、と著者は思う。「言葉が蔑ろにされている」。歩こう、と思った。

 ――その開会式からその閉会式まで、福島県内を歩いて、それが歓迎されているのか、そうではないのか、それは復興に貢献しているのか、そういうことではないのか、まず見よう、と思った。
そして話を聞こう、と思った。(本書)

 オリンピックは1年延期されたため、当初予定の2020年開会式前日に出発。「アスリートたちに礼を欠いては駄目だ」と自ら肉体を酷使する徒歩(かち)を選択。4号線を北上し、つぎに6号線を南下する。

 同行は学(38歳)、耕太郎(29歳)、そしてNHKの撮影クルー(ディレクター、カメラマン、音声マン)。のちに「目撃!にっぽん」で「震災10年の“言葉”を刻む 〜小説家・古川日出男 福島踏破〜」のタイトルで放送される。

 読後とくに印象に残ったのは上掲の“語り部”の発言。

 高村さんは3人の男の子、発災当時は下の子は4歳、長男は21歳の母親。どうして“語り部”の人たちは、それをしているのか? インタビューなど“報道”についてこう語る。

 ――「本には行間というのかありますよね?」と高村さんは私に振った。
「はい。行間が大事ですね」
「大事ですよね? 私は『行間がある。そこに著者が込めた思いがある』というのをわかって本を読むのが当然だと考えていたんですけれど、それは旧い世代の考え方で……」〔…〕
「……若い世代は、字面しか見ない。で、テストのための答えしか出さない。そういうのがもう、私は、本当に残念で。どうしてこうなってしまったんだろう」

 ――「でも言葉にはつね高村さんの表情が伴われて、口調が伴われて。前後の文脈があって。
『このメッセージはこういう思いで語っていますよ』というのかある。それが、飛ばされるんですよね。“抽出”で。行間を消してしまう報道、というのはそういうことです」(本書)

 著者は、中通りと浜通り、計360キロ、19日を歩き抜く。
 やがてかつて現代語訳した『平家物語』に思いが及ぶ(訳者として、1185年の文治大地震の被災者たちに『平家』を語らせた)。

 ―――『平家物語』は震災文学であると感ずる。同じ口振りで言うのだけれども、『平家物語』は反戦文学である。日本の、古典文学、にして、古典反戦文学。

そういうものがあるのならば(事実ある)、日本の、現代文学、にして、現代反戦文学もあるだろうと探した。脳内にだ。答えは瞬時に出る。日本国憲法。(本書)

 そして、その条文。九つめ……。

 

 

 

 

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2021.05.31

船橋洋一◆フクシマ戦記 1 0年後の「カウントダウン・メルトダウン」…………傑作「カウントダウン・メルトダウン」の改訂増補版

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 放射能と同じくウイルスも目に見えない脅威であり、国民の恐怖感は強い。パニックも起こりやすい。危機コミュニケーションは難しい。
そして、官邸(政治家)と専門家会議(科学・技術助言者) の協同作業が欠かせない。ただ、その間係は徴妙である。〔…〕

 ただ、専門家会議は、感染拡大抑止という国民の「安全」を最重要の政策目標とし、それぞれの判断を科学的根拠をもって説明できるかどうかを重視している。一方、官邸は、国民の「安全」に加えて「安心」を求める。〔…〕

 それは、「安全」と「安心」のどちらにどの程度重点を置くかのバランスの問題でもあるが、「小さな安心を優先させ、大きな安全を犠牲にする」福島原発事故で見られた安全規制体制と同質の「安心」に傾斜したリスク観と政治文化がここには横たわっているだろう。

 

◆フクシマ戦記 1 0年後の「カウントダウン・メルトダウン」上・下 船橋洋一 /2021.2 /文藝春秋


 2011年3月11日。東日本大震災、福島第一原発事故が起こった。

 3月末、政府が事故調査委貝会を設置するが、政府から、電力業界から、政治から、さらには原子力ムラから独立した民間の調査委員によって調査、検証するべきだ、と著者は仲間たちとシンクタンクを設立し、“民間事故調”を立ち上げた。その後、闘った人々の個々のストーリーに興味を抱き、一記者に戻って取材した。こうして2013年1月に『カウントダウン・メルトダウン』は出版された。

 同書は、特定の個人への思い入れがなく、冷静に客観的に、淡々と、しかし人々の熱き思いや行動をスリリングに記述した第1級のノンフィクションである。数ある3.11フクシマ本のなかの最大の収穫。新刊にして、すでに古典、といっていい。当方は自らのブログでその年の傑作ノンフィクション・ベスト1に選んだ。

 当時、民間事故調の調査・検証や独自取材では、東京電力の協力が得られず、現場で格闘した個々人の話が聞けなかった。その後、貴重な資料や各種の報年告書が世に出た。
たとえば、東京電力「福島原子力事故の総括および原子力安全改革プラン」(2013)。日本原子力学会事故調最終報告書(2014)。政府事故調事務局「聴取結果書」いわゆる「吉田調書」(2014)など。

 本書『フクシマ戦記』は1 0年後の「カウントダウン・メルトダウン」とサブタイトルある。その後の新たな取材の過程で得た新事実や新発見を前に、骨格を大幅に再構成し、書き直したもの。前著『カウントダウン・メルトダウン』の“改訂増補版”である。新旧両著の逐条比較をしたいところだが、それは後の楽しみとして、……。

 2020年春コロナ感染症危機が起こる。フクシマとcovid-19は、一方は福島という地方、他方は地球規模だが、共に目に見えないのものとの戦いである。著者はフクシマ同様、コロナ対応民間臨調を設立。ここでは本書の「あとがき」から引用しておきたい。

 ――フクシマとコロナの2つの危機は私たちに同じことを告げていると私は感じる。〔…〕
いずれも日本が「備え」が著しく弱かった点は共通している。
それも、不意を衝かれたのではない。ブラック・スウォンの奇襲を受けたのでもない。いずれの場合も、ありうるシナリオとして指摘され、警告も出され、政府は問題の所在を認識していた。にもかかわらずに、備えを怠った。 (本書)

 新型コロナ危機に対して、司令塔の立ち上げにもたつき、PCR検査は目詰まりを起こし、政府と知事は権限と責任のさやあてが続いた。問題の多くは2009年の新型インフルエンザ時に指摘されていたことの繰り返しである。

 そして、上掲の通り官邸と専門家会議の関係は徴妙である。安倍官邸は専門家会議に諮らずマスク2枚を国民に配布し、全国一斉休校を実行し、人と人との接触機会を「最低7割、極力8割」にゆるめ、専門家の提案を時に無視し、都合のいいように切り取った。
のちの菅官邸も、逆走するようにGoToトラベル政策を進め、国民的合意が生まれていない東京オリンピックのスケジュールにあわせる対策という前のめりである。


 フクシマ“敗戦”につづきコロナ“敗戦”となるのか。上掲の言葉を再びかかげる。

――「小さな安心を優先させ、大きな安全を犠牲にする」福島原発事故で見られた安全規制体制と同質の「安心」に傾斜したリスク観と政治文化がここには横たわっているだろう。

 

 

船橋洋一□カウントダウン・メルトダウン


船橋洋一■原発敗戦――危機のリーダーシップとは

 

 

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2020.12.28

常井健一★地方選 無風王国の「変人」を追う               …………これは宮本常一『忘れられた日本人』の“首長版”ともいうべき傑作ノンフィクション

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 私は昭夫〔村長〕に役場の中を一通り案内された。

 2階にある村長室の近くに「議場」と表札のかかった一室があった。
扉を開けると、がらんどうだった。部屋の中央には安っぽい長机をつなぎ合わせ、「ロ」の字にされていたが、これでは議場というよりも会議室だ。


 私がこれまで訪ねた町や村で見てきた、「自治の殿堂」たる議会の重々しい雰囲気とは大きく異なった。 〔…〕

 つまり、昭夫にとって村長就任後から18年がたったそのころから現在に至るまで、議会なんてあってないようなもので、数ある会議のうちの一つに過ぎないのだと私は悟った。

 村議の1人によると、議会では質疑も一般質問もなく、執行部提案が原案通り可決されて1日で閉会するという。32年間で質問に立った議員はのベ7人しかいない。

――第3章 風にとまどう神代の小島(大分県姫島村長選)

 

★地方選 無風王国の「変人」を追う 常井健一/ 2020.09 /KADOKAWA


 上掲の大分県の“1島1村”姫島村は人口1930人。2016年、61年ぶりに村長選が行われた。
 ――姫島の村長選は1955年にあった一騎打ちを最後に、16回も無投票が続いた。その間、現職の藤本昭夫(取材当時73)は初当選時からじつに8度も不戦勝。つまり、32年も投票用紙に自分の名前が書かれたことが1度もないまま、島の主の如く村長の椅子に鎮座してきたというわけだ。 (本書)

 藤本昭夫、1984年から村長(8選)。その父、熊雄、1960年から村長(7期24年、無風)。つまり親子で56年、“姫島城の城主”村長の座にある。
 なお本書が書かれたのち、2020年11月の選挙で藤本昭夫村長は、さらに10選を果たした。

 ――誰にも注目されないどころか、行われたことすら知られていないマイナーな地方選の現場を1人で自由に見て歩き、住民からの聞き取りや史料の発掘を通して日本政治の奥の奥、そこに映る「にんげん」の本性にまで肉薄しようと試みた。
選挙の民俗学、首長の文化人類学とも言えるだろう。 (本書)

 扱われているのは北から、北海道中札内村、同えりも町、青森県大間町、和歌山県北山村、愛媛県松野町、大分県姫島村、佐賀県上峰町の7町村である。いずれも国の“平成の大合併”に抗い、独立独歩の行政を営んできたという共通点があるという。

 一か所あたりわずか4日間の旅費15万円までで、これら“僻地”を次々訪ね歩いた。登場人物を江夏豊似、山城新伍似、ニコラス・ケイジ似などと“おっさん臭”まるだしではあるものの、地域や人物の批判や蔑視はいっさいせず、その筆致はあたたかい。

 このうち当方はえりも町へは行ったことがある。札幌での会議が終わった後、後輩とレンターカーで、浦河町の谷川牧場に5冠馬シンザンの老後を訪ね、えりも町の旅館で1泊した。本書にも書かれているが、1974年末のNHK紅白歌合戦でトリは島倉千代子と森進一で、ともに「襟裳岬」をうたった。


 旅館近くで地元の青年3人がカラオケに興じている薄暗いスナックで酒を飲んだが、「遠慮はいらないから暖まってゆきなよ」とはならなかった。翌日ただただ「襟裳の岬は何もない春です」の海岸沿いを走りながら寒空の下コンブ漁をしている海を見た。しかし「風はひゅるひゅる波はざんぶらこ」の襟裳岬の記憶はまったく欠落している。いまは岬に二人の歌碑が並んでいるそうだ。
 
 そのえりも町は、本書では、元町長が9期、前町長が3期を務めた後の町長選が描かれている。高校大学を野球部のエースとして活躍ののち町役場に入り、58歳で副町長の“ばらまき策”と、妻の実家の水産会社をついだ38歳の最年少サーファー議員の“ふれあい策”との戦いに、態度のデカい副町長を嫌う役場OBたちが参戦する構図である。

 本書は休刊した『新潮45』に「こんにちの『田舎選挙』」というタイトルでの連載されたものに、追加の取材と検証を重ね加筆されたもの。


 著者は、「選挙の民俗学、首長の文化人類学」と書いているが、これは宮本常一『忘れられた日本人』の“首長版”ともいうべき傑作ノンフィクションである。

 

 

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2020.12.18

04/政治の品格◆T版2020年           …………◎吉田千亜・孤塁◎佐藤章・職業政治家小沢一郎◎中島岳志・石原慎太郎―作家はなぜ政治家になったか◎乗京真知/朝日新聞取材班・追跡金正男暗殺◎岩瀬達哉・裁判官も人である

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04/政治の品格

吉田千亜★孤塁――双楽郡消防士たちの3 11  2020.0l/岩波書店

 

 紛糾して終わった会議から、わずか数時間後のことだ。

 16日、午前6時前。福島第一原発4号機で火災が発生した。双葉消防本部に連絡が入る。

 東電からの「原子炉冷却要請」に対し、行くか行かないか話し合ったばかりだ。話し合いの末、「東電から現場の詳細な情報をもらうまでは保留」という結論になっていた。

しかし「火災」となれば話は違う。消火活動は、消防の仕事だ。〔…〕

 指揮隊、消火隊、梯子車隊、化学車隊、支援隊……出動する職員の名前が一人ずつ呼ばれていく。6隊21名が出動することが決まり、声を荒らげ反対していた職員も、黙々と装備を始めた。

「火災、と聞けば、スイッチが入る」「消防士の性だ」「消防魂、というのかもしれない」と複数の職員が思い返している。

*

 福島県双葉消防本部は、双葉町、大熊町など6町2村の広域組合である。所属した125名の消防士のうち66名から、その9年後に取材した3.11の記録が本書『孤塁』である。

地震、津波被害者の救助や避難誘導だけでなく、原発構内での給水活動や火災対応にもあたった。とりわけ官僚以上に官僚的な東京電力は情報を伝えず、上から目線で“指示”してくる。これに翻弄される自治体消防の、しかし、決死で、けなげに奮闘する姿が描かれる。

*

「私たちは、この道を右に行くか、左に行くか、というところから、何かを選ばなくてはならなかった。そして、『いまのあなたの置かれた状況は、あなたが選んできたものだ』と言われてしまう。でも、いつも、『選びたい』と思う選択肢なんて一つもなかった」

 双葉町から他県へ避難している女性のこの言葉を「忘れたことがない」と著者は書く。

 

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04/政治の品格

佐藤章★職業政治家 小沢一郎  2020.09/朝日新聞出版      

 福田[康夫首相]と小沢の話し合いはさらに進んで、民主党が政権に参加する大連立構想にまで及んだが、この結果について、民主党内から猛烈な反対が巻き起こり歴史的な大連立は現実のものとはならなかった。〔…〕

――あの時の民主党は行政の知識が少ないわけだから、[大連立を]やってみればよかったんです。だから、政権を取ってみて何か高級なおもちゃを預けられたような状態になってしまったんです。

 官僚との関係が悪くなってしまった原因のひとつもそこにあると思います。

 大連立は二つの要素でいい結果を生むはずだったんです。ひとつはもちろん政権を取るためにいいということです。もうひとつはやっぱり、みんな行政を勉強する期間を取った方がいいということだったんです。

――「第1章 民主党政権とは何だったのか」

*

 国家戦略局構想を描いた元参院議員の松井孝治の話。

――ある意味で小沢さんの力が強すぎて、やっかみがあったんだと思います。私が思ったのは、むしろ小沢さんが入閣していて、政府内で調整してくれていれば、それこそ国家戦略局を通じて政府与党一元化の形を作ることができたんじゃないか、ということです。(本書)

 

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04/政治の品格

中島岳志★石原慎太郎――作家はなぜ政治家になったか 2019.11/NHK出版

この日本の「戦後」を、石原慎太郎の人生がそのまま体現しているのではないか――。〔…〕

成熟しない。臆面もない。結局のところ、アメリカに依存し、アジアに対しては横柄な態度で接する。声高にナショナリズムを叫ぶ。着地しない。

 

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04/政治の品格

乗京真知/朝日新聞取材班★追跡金正男暗殺  2020.01/岩波書店

 北朝鮮は暗殺によって、正男[ジョンナム]だけでなく、正男に連なる脅威も排除した。「第二の正男」となりうるハンソル[漢率]や、ハンソルを利用しかねない国々、反体制派の動きを牽制した。

 正男に人前で毒を塗り、監視カメラに一部始終を撮らせ、もがき苦しむ臨終の様子まで見せつけた暗殺劇は、

正恩[ジョンウン]体制に刃向かう者を威嚇する、見せしめの「公開処刑」だったと言える。

 

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04/政治の品格

岩瀬達哉★裁判官も人である――良心と組織の狭間で 2020.01/講談社

 

「良心に従って原発を停められるのは、定年退官か依願退官かは別にして裁判官を辞めると決めた時でしょう。

でないと原発を停めた途端、裁判所での居場所をなくしてしまいますから」

 

 

 

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2020.12.14

毎日新聞取材班★公文書危機――葬られた記録 ◆T版 

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 〔近畿財務局の職員〕赤木俊夫氏は良心の呵責から心を病み、改ざんを実行した罪で逮捕されるのではないかとおびえるようになる。ノートにはこんな走り書きも残っていた。

「最後は下部がしっほを切られる」

「なんて世の中だ」

「手がふるえる、恐い」

「命 大切な命 終止符」

 赤木氏はメッセージを書いた直後の18年3月7日、自ら命を絶った。

★公文書危機――葬られた記録 /毎日新聞取材班 /2020.06 /毎日新聞出版


  2018年森友学園の問題にからんで財務官僚たちが公文書を改ざんしていた。2年半に20人近い現役官僚を取材する。明らかになった公文書を隠す手口は大胆かつ巧妙。

 ――表に出せない公文書を開示請求されると、「私的な文書」にすり替える。保存期間を1年未満にして請求される前に捨てる。請求時点に存在していても捨てたことにする。電子メールで重要なやりとりをし、それが残っているのに「メールは電話で話すのと同じだ」という理屈で公文書にしない。ウェブで公開される公文書ファイルの名称をわざとぼかして国民に中身を知られないようにもしていた。

   極めつきは、首相と省庁幹部の面談語録をほとんどつくっていないことだろう。最も重要であるはずの公文書がつくられていない理由は、首相の発言を記録することが事実上禁じられているからだった。(本書あとがき)

 

 

 

 

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2020.10.08

宮川徹志★佐藤栄作最後の密使――日中交渉秘史    …………日中国交正常化の99%は田中角栄以前に解決済みという“密使”の実像を追う

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 ここから先の交渉の結末については、まず江鬮(えぐち)の手記を見てみる。


 昭和47〔1972〕年6月17日――その日、香港はひどくムシ暑かった。
 この日にかぎって、私と、「対日邦交恢復香港小組」との会談は、めずらしく早朝9時から始まった。〔…〕

 ――会談は、昼食を抜き、もう4時間近くもつづき、午後1時を大きくまわっていた。4人は、訪中スケジュール表を具体的に作成していたのである。……と、その瞬間、1枚のメモがとどけられた。「小組」側委員の1人は、なに気なく、メモを読み、硬い表情をつくると、あわただしく他の2人に、メモを読むようにうながした。

一瞬の沈黙、が部屋を支配した。不吉な予感が私の背筋を走った。メモは、私の目のまえに示されていた。


佐藤総理、本日、引退を表明――と、乱れた文字で書かれていた。新華社からの“至急連絡”であった。


 会談は、小休止した。〔…〕西垣昭秘書から宿舎のネイザンホテルへ国際電話を受けたのは、その日の午後8時半だった。

 

★佐藤栄作最後の密使 日中交渉秘史 /宮川徹志 /2020.04 /吉田書店


 佐藤栄作は1964年11月から1972年7月まで長期にわたり首相を務めた。最大の功績は1972年の沖縄返還であろう。

“密使”としてアメリカとの事前交渉にあたった京産大教授・若泉敬の『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(1994)。「ニクソン、佐藤栄作、キッシンジャー、若泉。知っているのは4人だけ」という帯の惹句、そのスリリングな交渉に興奮しながら、この大冊を読んだ記憶がある。

 だが佐藤首相には、もう一人“密使”がいた。中国との国交回復のために動いた江鬮眞比古(えぐちまひこ)である。謎の人物である。何者か。

 1915年生まれ。1939年、外務省文化事業部第一課嘱託。半年余りで退職。1962年、天星交易、設立。1971年、小金義照衆院議員と佐藤首相訪問。以後、“密使”として日中交渉に従事。1997年、死去。なお本書のエピローグや追補で江鬮(えぐち)という人物を詳しく記述している。

 1972(昭和47)年9月、田中角栄首相が訪中し、周恩来首相と日中共同声明に調印し、国交が回復した。日中戦争の終結から27年後のことであった。田中内閣になってわずか3カ月足らずで、それが実現した。だが、「99%までは、佐藤栄作の手で解決済みであった」というのが本書である。

 周恩来が当時日本側に国交回復のうえで提示していた「復交三原則」がある。
①中華人民共和国は、中国を代表する唯一の政府であること。
②台湾は中国の不可分の領土であること。
③台湾と日本の間の日華平和条約を破棄すること。

 上掲の香港小組との交渉段階では、前後4回にわたる佐藤総理から、周恩来総理へあてた「親書」と付帯文書の検討、そして、「香港小組」から出された170項目にもわたる質問に対する返答を検討のすえ、一つの“合意点”を見いだしていた。

 ――合意点――すなわち「佐藤総理の8月訪中実現」である。くわしくは、①佐藤総理は、昭和47年8月1日、中国建軍記念日に北京を訪問、共同声明を発表する。②共同声明の発表後、3カ月~6カ月以内に、政府間交渉によって「平和条約」を締結する――という大綱であった。

 そこへ佐藤首相退陣のニュースが飛び込んできたのだ。当時の国内事情を別の本で調べてみた。


 前年の1971(昭和46)年、
 6月17日、沖縄返還協定調印。ポスト佐藤が議論されるなか、7月5日後継に向けて福田赳夫蔵相を外相に、田中角栄幹事長の党内での力をそぐために通産相にと佐藤は内閣を改造した。10月の毎日新聞世論調査では佐藤内閣支持率23%、史上最低となる。ポスト佐藤にむけて自民党“三角大福中”の派閥抗争が激化する。その間、

7.09 米大統領補佐官キッシンジャー訪中
7.15 ニクソン大統領訪中を発表
8.27ドル危機ニクソンショックで、円の変動相場制移行決定
9.13 (後に判明)中国の林彪がクーデターに失敗し死亡
10.25 中国、国連加盟決定、台湾は脱退声明
11.17 臨時国会、沖縄返還協定強硬採決

 さらに1972(昭和47)年に入って、
2.22 ニクソン訪中
4.04 外務省機密漏えい事件、毎日新聞西山記者逮捕
5.15 沖縄返還協定発効、沖縄が日本に復帰
 この間、5月9日佐藤派を割って田中派旗上げ、6月11日田中角栄通産相「日本列島改造」構想発表。福田赳夫後継のためにはもはや猶予を許されない政局の中にあった。

 そして6月17日、佐藤首相、退陣記者会見。
「テレビカメラはどこかね。ぼくは国民に直接話をしたいんだ。新聞になると違うんだ。偏向的な新聞が大嫌いなんだ。帰ってください」。
 翌日の毎日新聞の見出しだけを見ると……。
 ――佐藤首相、退陣を表明。足掛け8年の長期政権に幕。新聞には話さぬ。突然激高。記者ゼロの“会見”。4氏一斉に出馬表明。首相、福田氏“後押し”約束。

 さて、江鬮眞比古(えぐちまひこ)の香港に戻す。

 ――翌18日午後10時、「小組」との会談が再開された。
冒頭、佐藤総理にと言って、1通の手紙が渡された。裏書を見ると周総理からで、佐藤総理があてた「親書」に対する「返書」であった。事態の変更があったので、正書は北京に持ち帰り、副書を佐藤総理にとどけるよう指示があり、私には口頭で、周恩来『返書』の内容が伝達された。

 もちろん内容は、佐藤総理と北京で会い、日中間題について話しあう――というものであった。

7.05 田中角栄自民党総裁に
7.07 田中角栄内閣発足、史上最年少
9.25 田中首相、大平外相訪中
9.29 田中首相訪中、周恩来首相と日中共同声明に調印。国交回復
 
 本書はNHKBS1スペシャル「日中“秘密外交”の全貌~佐藤栄作の秘密交渉」(2017年9月)のディレクター宮川徹志によって同ドキュメンタリーを“増補”した書籍版である。
 佐藤首相の秘書官だった西垣昭(元大蔵省事務次官)の当時の日記、手紙、メモなどをもとに多くの関係者に取材した労作である。

 

Amazon宮川徹志★佐藤栄作最後の密使――日中交渉秘史

 

 

 

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2020.09.16

青木理★時代の抵抗者たち        …………平野啓一郎・前川喜平・中村文則・田中均・梁石日・安田好弘、“安倍時代”を語る。

202005


 共謀罪を通し、特定秘密保護法をつくり、実質的には改憲に近い集団的自衛権の行使にまで道を開いてしまった。


 僕らの世代はある種の恥の世代として歴史に記憶されることは覚悟しています。


それはもう起きてしまったことですから、のちの世代に尊敬されない世代だということはすごく感じます。

第8章 国家権力が人を殺すということ
――平野啓一郎1975年生まれ。作家。

★時代の抵抗者たち /青木理 /2020.05 /河出書房新社


  本書はスタジオジプリ刊行の月刊誌「熱風」で2015年7月から連載されている対談、青木理「日本人と戦後70年」から選んだもの。以下、コメントを付さないでいくつか紹介する。なお文意を損なわない範囲で、語句の一部を省略している。

 安倍“姑息”、菅“隠蔽”、麻生“野卑”というトリオ、憲政史上最長最悪の安倍晋三時代がやっと終息した。本書『時代の抵抗者たち』は、その安倍時代の証言集でもある。

 2020年9月16日、まるで20世紀に戻ったような「自助・共助・公助、そして絆」というキャッチフレーズで、菅義偉“居抜き”官邸がスタートする。

*
 各省の幹部は安倍さんではなく、〔官房長官の〕 菅さんを見ながら仕事をしているというべきでしょう。安倍さんは乗っかっているだけという印象です。 〔…〕
 菅さんは公の会見で「地位に恋々とした」などと、実際は「れんめん」とおっしゃってましたが、あたかも私が地位に恋々としていたかのような、事実とまったく反することを平然とおっしゃった。〔…〕敵は徹底的に排除するというか、情け容赦がまったくない。自らに反旗を翻す官僚は徹底して叩きのめし、飛ばしてしまう。

第2章 集団主義の教育から強権支配へ
――前川喜平 1955年生まれ。元文部科学省事務次官。

*
欲しいのは半径5メートルの幸福であって、真実などはむしろ聞きたくない。社会にこんな問題があるというのも聞きたくない。私は自分の目の前の愛する者たちだけのために生きる、というような人が増えているんじゃないでしょうか。
 もちろん、それは別に悪いことではありません。意識の配分の問題だと思います。〔…〕
それにしても、こんな都合のいい国民はいないですよね。これほど都合のいい国民なら、政治家は楽しくて仕方ないでしょう。

第4章 言うべきことを言う姿勢
――中村文則1977年生まれ。作家。

*

青木 当初の日朝の合意によれば、5人の被害者は帰国後、いったん北朝鮮に戻ることになっていましたね。しかし日本側は、拉致被害者の家族会や支援団体などの意向を受け、戻すのを拒否しました。一部では、田中さんがこれに反対したとも伝えられました。

田中 私は反対などと言っていません。戻さなかった場合にはこうなりますよ、ということを申しあげただけです。戻さないことを決めた際も、最後に小泉総理が「田中さん、これでいいですか」とおっしゃったので、「結構です」と申しあげました。

でも、あのときに「いや、ちょっと待ってください」「われわれが目指したのは、もっと大きな絵だったはずです」と言うべきだったかもしれない。あのまま日朝双方に連絡部署をつくり、核問題も六者協議でやっていくことなどで基本的には北朝鮮側と合意していたんです。その主導権を日本が取っていくとか、物事を大きくつくっていく余地だってありました。

 ですから小泉首相や福田官房長官を説得して、「ちょっと待ってください」と申しあげることができたかもしれない。しかし、それをやるのは一種のポピュリズムを断ち切るという作業です。

あのときに安倍さんたちがつくった「北朝鮮けしからん」という風潮にあえて逆らうことができたか、という問題です。

第5章 いまは知性による抵抗のとき
――田中均 1947年生まれ。外務省局長時代に北朝鮮と水面下で交渉を進め、小泉純一郎首相訪朝。


*
せめて在日コリアンの間くらいは統一したらどうかと。これは民団系、総連系があるわけだけど、なんだかんだと言ったって日本に居住しているわけだし、祖国から拘束力というのはもうそんなに強くないわけですから。せめて在日朝鮮人、韓国人、コリアンだけでも統一していく。やろうと思えばできないことはない。

第6章 潜在化した差別が噴き出す危険性
――梁石日(ヤン・ソギル)1936年生まれ。作家。

*

 たとえば、サリンの生成をそもそも言い出したのは麻原氏ではなくて村井氏です。戦争などという発想を持ち出したのは早川紀代秀氏ではないかと思います。
 それぞれいろいろな思いや個性を持った信者が集まり、それぞれが教祖に話を持ちかけ、行動に移してしまうようになる。麻原教祖はそれを容認し、受け入れるんです。やってしまったことは叱らない。

 坂本弁護士を殺した弟子たちが戻ってくると抱擁する。地下鉄でサリンを撒いた人間も抱擁する。なんていうことをしたんだ、とは絶対に言わない。いつしか過激であることが全部容認され、過激であることが先行し、維持され、拡大されていってしまうようになった。

第9章 オウム事件、光事件の弁護人として

――安田好弘 1947年生まれ。オウム真理教教祖麻原彰晃の国選弁護人。

 

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2020.07.31

片山夏子★ふくしま原発作業員日誌――イチエフの真実、 9年間の記録    …………「状況はコントロールされている」→「情報はコントロールされている」

20200731


 イチエフを離れて1年が過ぎた。原発事故をすっかり忘れたかのような東京で、五輪関連の現場で働いていると、強い違和感がある。〔…〕

 今の東京の現場には、イチエフで同じ寮だった人や一緒に働いていた人がいる。顔を合わせれば福島の話になる。福島を離れても、福島のことがめちゃくちゃ気になる。でも、ほとんど報道されなくなった。

 五輪招致で「汚染水の状況はコントロールされている」と首相が世界に宣言し、
イチエフはますます事故現場ではなく、普通の工事現場だとアピールされるようになった。

 防護服や全面マスクがいらない区域も広がった。そんななか、一緒の現場で働いたことのある人が白血病で労災認定された。俺の被ばく線量の3分の1だったのに。怖いと思う一方で、やはりイチエフの作業はやらなくてはならないと思う。〔…〕福島の仕事に呼ばれたら、いつでも行ける準備をしている。

 ――五輪工事現場に違和感――2019年5月10日 チハルさん(45歳)

★ふくしま原発作業員日誌――イチエフの真実、 9年間の記録 /片山夏子 /2020.02 /朝日新聞出版 


 2011年3月11日午後2時46分。東北の三陸沖でマグニチュード9.0の大地震が発生、その30分~1時間後に太平洋沿岸を大津波が襲った。翌日、東京電力福島第一原発1号機周辺で放射性物質が検出され、炉心溶融(メルトダウン) の可能性が浮上する。

 中日新聞名古屋社会部記者の著者片山夏子は、「すぐ東京に行ってくれ」と指示が飛び、1時間後には新幹線に飛び乗っていた。それ以後、つぎの目次のごとく、東京新聞社会部に所属し福島第一原発で動く作業員の取材を担当し、いまも続いている。

「取材受けているとばれると、仕事を失う」と、作業員への報道取材に対する箝口令が厳しくなっていくなか、上司からは「福島第一原発でどんな人が働いているのか。作業員の横顔がわかるように取材せよ」と指示があり、一人ひとりの作業員が語った「日誌」という形をとったユニークな連載が始まった。

1章 原発作業員になった理由――2011年
2章 作業員の被ばく隠し――2012年
3章 途方もない汚染水――2013年
4章 安全二の次、死傷事故多発――2014年
5章 作業員のがん発症と労災――2015年
6章 東電への支援額、天井しらず――2016年
7章 イチエフでトヨタ式コストダウン――2017年
8章 進まぬ作業員の被ばく調査――2018年
9章 終わらない「福島第一原発事故」――2019年

 その長期にわたる連載から、最終章を紹介する。
 2019年、敷地内では一日平均4190人の作業員が作業をしていた(15年3月のピーク時は平均7450 人)。元号が変わるこの年、福島第一では、3号機・使用済み核燃料プールからの核燃料取り出しや、亀裂が入り破断した1、2号機共用排気筋の上部解体など大きな工事が控えていた。

 そして上掲のチハルさん(45歳)の 五輪工事現場に違和感という発言である。また同2019年、通常は報道されないヒロさん(40歳)のこんな発言も拾っている。

 ――3号機の近くを通ったとき「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌が聞こえてきて、あれっと思った。原子炉建屋をコの字形に取り囲む壁にはエレベーターが付いていて、上下するたびに周囲に注意を促すメロディーが大音量で流れる。〔…〕もちろん歌は付いていないが、聞くと歌詞を思い出す。「さらば地球よ 旅立つ船は~♪」
 2号機の周りの壁のエレベーターは童謡「静かな湖畔」だ。高線量で和むような場所じゃないけど、「カッコウ、カッコウってうるさいな」と言いながら同僚と笑ってしまう。 (本書)

 2012年には「炉心溶融」という言葉が会見の説明から消え、「炉心損傷」に変わる。「事故」は「事象」、「汚染水」は「滞留水」に、「冷温停止」は「冷温停止状態」に言い換えられる。
 そして2013年、オリンピックが東京に決まる直前のプレゼンテーションで安倍晋三首相は、福島第一の汚染水問題について「結論から言うとまったく問題はない」「状況はアンダーコントロール(=統御できている)」「汚染水による影響は完全にブロックされている」とアピールする。

 ――後日このプレゼンテーションについて作業員と話したとき、安倍首相のこの発言を「第二の事故収束宣言だ」と表現した作業員がいた。どちらも現場の状況とまったくかけ離れた宣言だった。そしてこの発言との辻棲合わせをするために、この後、現場はまた大きく振り回される。 (本書)

 のちの2018年安倍首相は国会の議場で「わたしや妻が関係していたということになれば、まちがいなく総理大臣も国会議員もやめる」と“森友問題”で豪語し、この直後、公文書の改ざんが始まり、自殺者まで出してしまう。なんと似た風景か。

 そして作業員仲間では、「お・も・て・な・し」を「お・も・て・む・き(表向き)」に、「状況はコントロールされている」は「情報はコントロールされている」と揶揄している。

 ――私の手元に、9年間の取材でたまったぼろぼろになった大学ノートが179冊ある。この続きは作業員の方たちの補償のあり方を考える取材に使いたい。そして細々と続けてきた「ふくしま作業員日誌」をこれからも続けられたらと思う。 (あとがき)

 本書は第42回 講談社 本田靖春ノンフィクション賞を受賞。

 

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2020.06.09

林 新・堀川惠子★狼の義 新犬養木堂伝 …………ドラマ化したい犬養総理のスリリングな165日。ポスト安倍を狙う政治家たちに読ませたい傑作評伝

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  第1次世界大戦の終結後、世界は国際協調の時代へと向かっている。演説の終盤、犬養は、侵略主義は時代遅れとまで言い切った。そんな言葉は、事前に用意された原稿には一言もなかった。

私がいう産業立国は、皇国主義じゃない、侵略主義じゃない、これとは正反対のものである

 わが大和民族は、海外に出て行っても一切の武装をせず、平和なる工人、平和なる農民、平和なる商人で資材を確保すればいいじゃないか。

 こうすることで人口の増加するところの調節をやりさえすればいい。

 侵略主義というようなことは、よほど今では遅ればせのことである。どこまでも、私は平和ということをもって進んでいきたい。〔…〕」

 切れるような語調は、痛烈というより凄愴の気すら帯びていた。

   ――1932(昭和7)年5月1日 ラジオ演説

★狼の義 新犬養木堂伝 /林 新・堀川惠子/2019年3月/KADOKAWA/◎=おすすめ


 本書は、NHKのプロデューサーだった林新(1957~2017)が構想し、半ばまで執筆中に闘病を余儀なくされ、その後を妻であるノンフィクション作家堀川惠子が書き継いだもの。

 維新の英雄たちが表舞台から去り、西南戦争から日中戦争までの60年間、藩閥政治を否定し尾崎行雄とともに「憲政の神様」と呼ばれた犬養毅(1855~1932)の生涯を描いた作品である。

 評伝とあるが、歴史の理解を促すために、あえて架空の人物を登場させている。したがって厳密にはノンフィクションとはいえない。歴史小説の範疇にはいるものといえばいいか。

 若き従軍記者としての西南戦争から5.15事件で倒れるまで、大河ドラマにしたいおもしろさである。とくに首相在任中はまことにスリリングな展開である。

 もっともドラマ化するには女性がほとんど登場しないし、この時代が若い人に理解され受け入れられるか。となると本書にも登場する孫娘の犬養道子(1921~2017)役がナレーションを受け持つのがいいのでは……。林新はどんな映像化を考えていたのだろうか。

 1931(昭和6)年9月、満州事変勃発。

 この年12月13日、犬養は数え年で77歳で大命が下り、 ただちに組閣。この日から1932(昭和7年)5月、海軍青年将校らによるクーデタ5.15事件で官邸で凶弾に斃れるまで、わずか156日である。

 12月15日夕刻、腹心の萱野長知を総理公邸に呼ぶ。

 ――「このままでは満州事変も拡大するばかりじゃ。武力で満州を征服するなどもってのほかで、わが国に満州を経営する財源の当てなどない。日支関係の悪化どころか、国民生活を逼迫させることになる。満州の主権は中国に返し、その上で日支協同で経済活動を行えばいい。それなら支那も顔が立ち、日本は列強を抑えて実利を得られる」

  そこまで言うと、犬養は声を潜めた。

「萱野よ、極悪時局を打開するため、南京に行って国民党政府と交渉してくれ」(本書)

 犬養総理、息子の健、古島一雄、萱野長知の4人だけの密かな計画である。同17日、萱野は神戸港から諏訪丸に乗り込み、同21日上海に着く。 

 萱野は居正司法院長(司法大臣) や国民党の要人の出迎えを受け、翌24日孫文の息子で蒋介石のあとの行政院長(総理大臣)に内定している孫科に面会した。紆余曲折ののち「満州を日本の傀儡政権として独立させない」と両政府は交渉開始に合意する。

 だが破綻のきっかけは諏訪丸の船中にあった。偶然乗り合わせていた松井石根陸軍中将は犬養の使者萱野のことを重光葵上海公使へ、さらに外務省本省へ伝えられる。

 そして萱野の打った犬養健への交渉経過の電報はことごとく軍に掴まれており、森恪内閣書記官長が握りつぶしていた。計画は、潰えた。

 1932(昭和7)年3月。

 ――(犬養は)天皇に満州国の承認を拒否することを正式に奏上した。「陸軍がお前の態度に反対であったらどうするか」と天皇から問われると、「満州の宗主権は決して奪ってはなりません。たとえ全陸軍が反対しょうとも、私は信念を変えません」と平然と答えた。(本書)

 やがて犬養の下に極秘裏に1通の書簡が舞い込む。

 差出人は3年前、関東軍によって爆殺された張作霜の長男。総勢20万といわれる東北軍総司令官として抗日の最前線で闘う張学良からだ。このことが海軍青年将校らによるクーデタ5.15事件に結びつく。

 同5月1日、上掲のようなラジオ演説を行う。

 ところで本書にも登場する孫娘道子に、犬養毅は「恕せ。思いやれ。怨の心を忘れるな。女孫道子にのこしたい訓はこれである」と書き残した。その孫と官邸内を最後に散歩したのが、同5月13日。事件の2日前である。

 そして5月15日日曜日の夕刻、9人の男が総理官邸に現れる。

 ――「君らはなぜ、このようなことをする。まず理由を聞いたうえで、撃たなくてはならない事があるならば、その時に撃たれようじゃないか」

 勝負を挑むような鋭い口調に、5人のうちの誰かが声を震わせた。

「総理は、馬賊の張学良から賄賂を受け取られた……」

 前年の暮れ、張学良からの私信に添えられていた、あの金子……。

「ああ、そのことか。それならば話せば分かる」(本書)

 

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2020.05.20

発掘本・再会本100選★国盗り物語 /司馬遼太郎     …………権ははかりごと、謀もはかりごと、術もはかりごと、数もはかりごと、この四つの文字ほど庄九郎〔斎藤道三〕の好きな文字はない。

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 要するにこの物語は、かいこがまゆをつくってやがて蛾になってゆくように庄九郎が斎藤道三になってゆく物語だが、斎藤道三一代では国盗りという大仕事はおわらない。

 道三の主題と方法は、ふたりの「弟子」にひきつがれる。弟子というのは語弊があるかもしれないがどこからみてもあきらかに弟子だから、あえて弟子という。

 道三が、娘をもつ。その娘の婿になるのが織田信長である。信長と道三の交情というのは濃やかなもので、道三がもっている新時代へのあこがれ、独創性、権謀術数、経済政策、戦争の仕方など世を覆して新しい世をつくってゆくすべてのものを、信長なりに吸収した。

 さらに、道三には、妻に甥がいる。これが道三に私淑し、相弟子の信長とおなじようなものを吸収した。しかし吸収の仕方がちがっていた。

 信長は道三のもっている先例を無視した独創性を学んだが、

このいま一人の弟子は、道三のもつ古典的教養にあこがれ、その色あいのなかで「道三学」を身につけた。この弟子が、明智光秀である。

 歴史は、劇的であるといっていい。なぜならば、この相弟子がのちに主従となり、さらにののちには本能寺で相搏つことになるのである。

――国盗り物語斎藤道三「雑話」

★国盗り物語 /司馬遼太郎 /1965年11月1966年7月/新潮社


 当方も「雑話」を書きたい。コロナウイルス禍によって、近隣の書店は休業が続き、周辺の図書館は休館中である。当方、断捨離、終活でほとんど蔵書がない。よってネットの書店やオークションを使い、ここ2か月で20冊ほど手に入れたが、半数はかつて廃棄した本の買戻しで、そのなかにこれ。

 大河ドラマの『麒麟がくる』は明智光秀がどういう人物に描かれるか興味があるが、これも中断されるらしい。『国盗り物語』は半世紀ぶりの再読である。もやもやした日々にはピカレスク・ロマンがふさわしい。

 ――庄九郎にとってなにが面白いといっても権謀術数ほどおもしろいものはない。権ははかりごと、謀もはかりごと、術もはかりごと、数もはかりごと、この四つの文字ほど庄九郎の好きな文字はない。(本書)

 本書は、えごま油に始まって天王山で終わる。すなわち大山崎である。この地でえごま油の離宮八幡宮、天王山山腹にある宝積寺などを吟行し、「待庵」の原寸模型のある大山崎歴史資料館の建物で、播磨住人と摂津住人に分かれ句会を行ったことがある。賞品にえごまドレッシング。その1句。

 ――桂宇治木津の三川四温かな   

 斎藤道三編は、歴史的事実が不明なため、"美濃の蝮"は縦横にかつ痛快に活躍する。油問屋「奈良屋」の女主人お万阿や土岐頼芸の元愛妾深芳野との濡れ場も描かれる。『竜馬がゆく』『関ヶ原』(同時平行して執筆)とともに講談調"時代小説"から司馬史観の"歴史小説"への移行期の傑作である。

 織田信長編は、信長と光秀がダブル主演。ビジネスマン小説としてかつて愛読した。言葉少なく短気で、天才的独裁者の信長という上司、豊かな才能を認めるも抜け目のない気配りなど要領のよさで出世を続ける同僚の秀吉。知力、武力に卓越していると自認する明智光秀は、信長とはウマの合わないし、秀吉をうさん臭くみている。サラリーマンの読者は、当時の当方もだが、勘気をこうむる光秀に身につまされる思いで、同情し、共感する。

 司馬遼太郎40代前半の作品である。おそらく兵役生活や新聞記者というサラリーマン生活のにがい経験が、この光秀や『関ヶ原』の三成に反映されているのではないか。

 だが当方にとってサラリーマン生活は遠い昔の話、高齢になったいま興味も異なる。突然だが……。二人に一人はがんで死ぬ時代である。当方ががんを宣告されるとしたら、光秀の謀叛で信長が本能寺で発した言葉を用意しておきたい。

「是非に及ばず

 

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