05/ビジネスという甘きもの

2021.09.17

児玉博◆堤清二 罪と業――最後の「告白」   …………三島由紀夫「楯の会」制服をめぐる二つの話

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 自決当日、番組出演を終えた清二は、東京・大田区にあった三島の自宅を訪ねた。
 過剰とも言えるデコレーションを施したロココ様式の白い館の外には、数多くの新聞記者たちが集まり、テレビ局の照明が煌々と照っていた。

 館の中にも編集者をはじめ三島縁の者がかなり集まっていた。誰もが状況を慮り、うつむき加減に声を潜めていた。

 ところが清二があるテーブルに座ると、同じ席に三島の父、平岡梓が座り話しかけてきた。

「御尊父がね、座るや、誰に対して言う訳でもなくというか、もちろん僕に対してなんだけれど、小さな声で言うんですよ。

『あんたのところであんな制服を作るから倅は死んでしまった』って。

 これには参ってしまってね、返事のしょうもないんだ。だから取り繕うように『済みませんでした』と言ったきり言葉が続かなかった。

 

児玉博◆堤清二 罪と業――最後の「告白」 2021.06/文春文庫 2016.07/文藝春秋


 

 著者による長時間のインタビューをもとにした本書は、以下のように綴られ閉じられる。

 ――人生の最晩年に清二の口から語られた物語は、堤家崩壊の歴史であると同時に、家族の愛憎の歴史であり、辻井喬ではない堤清二による、もう一つの「父の肖像」でもあった。

 堤家の筆頭継承者の最後の肉声は、どうしようもない定めに向き合わねばならなかった堤家の人たちの物語であり、悲しい怨念と執着と愛の物語だった。清二がそれを自覚していたのかどうか、確かめる機会はついになかった。

 だが」当方は、堤清二と異母弟堤義明との経営をめぐる確執やそれぞれの母と父康次郎との愛憎には全く興味がない。
ゴシップ好きの当方の本書でのコレクション。ゴシップ(噂話)というよりエピソード(挿話)というべきか。

 上掲は自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決した三島由紀夫のその日1970年11月25日のできごとである。これにはよく知られた前段がある。本書で堤清二が語る。

 ――「楯の会の制服は西武百貨店で拵えたんですよ。良いデザインを探していた三島さんから連絡があり、『フランスのドゴール(大統領)の軍服のデザインが良いから、誰がデザイナーか調べてくれ』と連絡があったんです」

 当時、西武百貨店のヨーロッパ駐在部長としてパリに滞在していたのが、妹の邦子だった。問い合わせた邦子からの答えに、清二は驚いた。ドゴールの軍服をデザインしたのは日本人で、しかも西武百貨店に在籍しているという返事だったからだ。

「こちらも何か三島さんの役に立ちたいと思っていたから、急いで連絡しましたら、三島さんも大変よろこんでくれてね。電話の向こうで『灯台下暗し』と言って、豪快に笑っていた」

 

 

 

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2021.09.14

味田村太郎◆この世界からサイがいなくなってしまう アフリカでサイを守る人たち   …………「子どものための感動ノンフィクション大賞」最優秀賞受賞作

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  キタシロサイの数は激減し、1960年代には、2千頭ほどが残っていましたが、1990年代に入ると数十頭にまで減少します。

そして2008年ごろには、アフリカの地に野生のキタシロサイはいなくなってしまいました。

幸いだったのは、かつてアフリカの国ぐにから、ヨーロッパのチェコ共和国の動物園に送られた数頭のキタシロサイがまだ生きていたことです。

これらのサイをもう一度、アフリカ大陸にもどして子どもを産んでもらい、キタシロサイを絶滅から救おうというプロジェクトが始まりました。

2009年には、チェコから4頭のキタシロサイが東アフリカのケニアにあるオルぺジェタ自然保護区に到着しました。

 

◆この世界からサイがいなくなってしまう アフリカでサイを守る人たち 味田村太郎/2021.06/学研プラス


 南アフリカの人たちに人気がある野生動物は「ビッグ・ファイブ」と呼ばれる、ライオン、ヒョウ、ゾウ、バッファロー、サイ。

 このうち密猟によって激減しているのは、ゾウとサイ。

 象牙は、印鑑、箸、麻雀牌、耳飾りなどが思い浮かぶが、ピアノの鍵盤、扇子、義歯などさまざまな用途に利用されてきた。また犀角は、科学的に効能はないとされているが、漢方薬として解熱剤として古来から使用され、最近はガンに効くてとの噂がひろまった。

 象の密猟に関しては、朝日新聞記者の三浦英之『牙 アフリカゾウの「密輸組織」を追って(2019)』に詳しい。

 本書は児童向け環境ノンフィクション・シリーズの1冊として、サイと密猟者、サイを守る人たちの“戦い”を描いたもの。

 さて、アフリカで絶滅したキタシロサイの“復活”のため2009年にチェコから4頭が到着したという上掲の続き……。


  だがオスの2頭は、2014年、2018年に相次いで死んでしまい、メス2頭が残される。ここで科学の力でキタシロサイを絶滅から救おうと「バイオ・レスキュー・プロジェクト」という国際研究チームが結成される。その一人が九州大学の林克彦教授。iPS細胞の研究を始め、iPS細胞からマウスの卵子を作り出し、健康なマウスを誕生させた。

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 ――しかし、研究にはさまざまな困難があります。実験でよく使われるマウスの妊娠期間は3週間です。これに対して、サイの妊娠期間は16か月で、くりかえし実験をおこなっていくためには、10年単位の長い時間がかかります。〔…〕

 2020年1月、林教授も参加する国際研究チームの仲間の研究者たちがキタシロサイの復活にむけて一歩、前進しました。ケニアに残っているキタシロサイの最後のメス2頭から取りだした卵子と、保存していたオスの精子とを受精させ、人工的に受精卵を3個作りだすことに成功したと発表したのです。 (本書)

成功を願わずにはいられない。

 著者味田村太郎は「はじめに」で、「わたしの仕事は記者です。アフリカの国ぐにの取材を担当するため、2014年から4年間、南アフリカ共和国でくらしました」と自己紹介をしている。

 じつは当方、味田村記者に20数年前にある事件で取材を受けたことがある。当時氏はNHK神戸支局の記者で、まだ20代だったと思う。取材の終わりに、お疲れが出ませんようにとねぎらいの言葉をかけられた。珍しい姓とともに記憶に残っている。
 その後、記者はニュース番組でヨーロッパやアフリカからのレポートを何度か見た。本書の略歴によれば……。

味田村太郎(ミタムラタロウ)
 1970年生まれ。NHK記者。慶應義塾大学在学中よりアフリカで支援活動を行う。2014年から、初代ヨハネスブルク支局長として、アフリカ30か国以上で取材。紛争で苦しむ人々や、野生動物をめぐる問題、エボラ出血熱などについて取材を行う。『この世界からサイがいなくなってしまうーアフリカでサイを守る人たち』にて、「第8回子どものための感動ノンフィクション大賞」最優秀賞を受賞。

 ――新型コロナウイルスも、もともとの感染源は野生動物とみられています。
新型コロナウイルスの拡大は、わたしたちに野生動物を保護することの大切さを改めて伝えることになりました。野生動物たちの命を守るということは、じつは、あたしたちのくらしを守ることにもなるのです。(あとがき)

 

 

 

 

 

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2020.12.26

絲山秋子★御社のチヤラ男          …………社内でひそかにチャラ男と呼ばれている男について語るのは、本人を含む同僚など14人。

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 私は努力をしないひとが嫌いだった。
 なんでも楽々とこなしてしまうひと、勘でものを言うようなタイプ、サボっていても帳尻だけ合わせる輩。いい加減にやって上手くできてしまうひとも、物事をほったらかして平気なひとも。


 つまりチヤラ男である。
 だがほんとうは、そのかろやかさが羨ましく、心は楽をしたいと叫んでいたのかもしれない。


「あのひと一貫性がないんだよね」山田さんが言った。「脈絡がないし受け売りばっかりだし」
「そう。不連続性のひとなんですよ」
「え、なに?」


 私が失って苦しんでいた連続性をかれはもとから持ち合わせていない。ものごとが不連続でも、矛盾していても平気で生きている。

★御社のチヤラ男 /絲山秋子 /2020.01/講談社


 地方都市にある「ジョルジュ食品」という会社の部長である三芳道造(44歳)は社内でひそかにチャラ男と呼ばれている。そのチャラ男を語るのは、本人を含む同僚など14人。会社という組織とその人間関係を浮き彫りにする。本書は“会社員小説”として評判になっている。

 “会社員小説”といえば、伊井 直行『会社員とは何者か?――会社員小説をめぐって』(2012)を思いだす。同書では源氏鶏太、山口瞳、庄野潤三、黒井千次、坂上弘、長嶋有、津村記久子とともに絲山秋子の作品も取りあげられていた。

 チヤラ男が言動のチャラチャラした男というのであれば、当方の会社にも沢山いた。「権力者に好かれ、そして人事に関わることを無上の喜びとしています」と本書にあるが、出世する男の1/4はチャラ男だったし、その上司もまたチャラ男だった。

 さて、本書の「チヤラ男」とは……。

*

「チヤラ男って本当にどこにでもいるんです。わたしもいろんな仕事してきましたけれど、どこに行ってもクローンみたいにそっくりなのがいます」
「さすがにクローンってことはないでしょ」
 と言ったのだが、
「ほぼ同じです」と断言した。「外資系でも公務員でもチヤラ男はいます。士業だって同じです。一定の確率で必ずいるんです。人間国宝にだっているでしょう。関東軍にだっていたに違いありません」
*
 このひとの話すことって、コピぺなんだ。ひとから聞いたこと、ビジネス雑誌に書いてあったこと、ネットのまとめの受け売りなんだ。
チヤラみがはんぱない。
*
 偉くなる男性ってリスとかネズミみたいな齧歯類系のかわいい系で、性格きつめなひとが多いらしいです。三芳さんも敢えて言うならハムスターっぽい。
*
 自分で言うのもおかしいけれど、ぼくには自分がない。
その上、友達もいない。
*
 チヤラ男の中身はばか女である。おおらかというか若いというか、無鉄砲というか、ばかなことを平気で言ってしまうところが本質だと思う。ビジネスやフォーマルな場で実家での習慣とか、体のこととか、そういう極めてプライベートな話をしてしまうとか。そういう類のことなのだ。
*
 ところが齢四十を過ぎたチヤラ男は平気だ。外側はおじさんなのに、臆面もなくわがままな女の子みたいなことを言う。ビジネスやフォーマルな場でも着ぐるみを脱ぐし、脱いだら脱いだでばか女が出てくるのだ。
*
 あのタイプは実際どこにでもいるんです。
 見た目や性格はほとんど同じですが、能力は多少の個人差があります。ものすごくうっかりミスが多い、働くことそのものが向いていないんじゃないかというひともいれば、得意分野に限ってはなかなかやり手というのもいる。ひとことで言えば「狡猾」ですかね。権力者に好かれ、そして人事に関わることを無上の喜びとしています。
*
 チヤラ男さんが何よりも嫌がるのは、無視されることなのだが、みんなに声をかけてほしいならもう少し感じよくしてくれても、と思う。
*
 別にぼくは特別な人間じゃない。何をしてもしっくりこなくて、間違った選択ばかりして苦しんでいる、チヤラ男はいつの時代でもどんな国にも、どこの会社にもいるのかもしれない。生きるということはプロセスだ。つまり誰にでも「その後」はあるということなのだ。

 

 

 

 

 

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2020.12.25

杉本貴司★ネット興亡記――敗れざる者たち         …………IT企業の“創業社列伝”

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 栄光をつかみスポットライトを浴びる者たちを、世間は「時代の龍児」ともてはやし、あるいは、「IT長者」や「成金」と心の中でさげすんだ。


 だが、多くの人たちは知らない。


 そこにあったのは未開の荒野を切り開く者にしか分からない壮絶なドラマだということを。パソコンやスマホの画面の中で毎日のように見かけるサービスは、そんな隠されたストーリーを何も語らない。

 栄光、挫折、裏切り、欲望、志、失望、失敗、そして明日への希望……。
 数え切れない感情が交錯するなかで、ある者は去り、ある者は踏みとどまった。


★ネット興亡記――敗れざる者たち /杉本貴司 /2020.08/日経BP


 90年代からの日本のIT企業の誕生の成功と挫折を追った“創業者列伝”。

 ドコモのiモード、ヤフー・ジャパン、楽天、ライブドア、ミクシィ、LINE、メルカリ等の創設への展開はまことにスリリング。この記録は一種の“辞典”として役立つ。それにしてもどういうわけか自著を表わすことが好きな天才たち。

 彼らはライバルというより狭い世界でつながった“仲間”であることに驚いた。

 あわせて森功『ならずもの 井上雅弘伝――ヤフーを作った男』を読んだ。

 当方は、80年代のパソコン事始めのPC8801購入、90年代のniftyパソコン通信、asahiネットの句会、インターネットでホワイトハウスに初接続、駅前の商店街の入り口で通信モデムを無料配布していたヤフーBBなどなつかしみ、

 現在のブログ、ツイッターの利用をやめないでいるのはなぜかと考えこんだ。

 

 

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森 功★ならずもの 井上雅弘伝――ヤフーを作った男            …………井上の残した名言「自分に理解できない人は採用する」

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 井上がそうして手塩にかけて育ててきたヤフー・ジャパンが、スマホ時代の到来という転機を迎えていた。にもかかわらず、当人はあっさり経営を投げ出してしまう。

「正直に言えば、井上さんはヤフーに飽きたのではないでしょうか」
井上の社長退任理由について先の松本〔真尚=井上の懐刀〕はそうも口にした。その言葉の真意は、ヤフーにおけるソフトバンクの孫正義との関係に疲れたという意味だろう。

 その一方で、経営の若返りを図ろうとした孫〔正義〕に首を切られたという説も根強く残っている。

 孫と同じ1957年生まれの井上は2012年、55歳にしてビジネスの世界から身を引いた。だが社長退任は、少なくとも孫との関係だけが理由ではないように感じる。

 間違いなく井上は、50歳になった頃から55歳になるまでの5年のあいだ、社長を退くタイングをはかってきた。それは、米ヤフー・インクが経営難に陥った2000代後半の時期と重なる。つまり米国事情が井上の進退に大きな影を落としているように思えてならない。

 

★ならずもの 井上雅博伝――ヤフーを作った男 /森 功 /2020.05 /講談社


 井上 雅博(1957~ 2017)
 1996年1月 ヤフー・ジャパン設立。同年7月からヤフー株式会社代表取締役社長に就任。日本におけるインターネットポータルサイトの草分け。

――「井上さんの残した名言はいくつもありますが、その中でも『自分に理解できない人は採用する』という言葉が印象に残っています。(川辺健太郎=ヤフー社長)

 ヤフーの社名の語源である無名の「ならずもの」を好んで雇い入れていった。
「今から振り返ると、井上さんが会社の創業期に採用した社員たちには、共通点がありました。インターネットが好きでたまらない人間ばかりだということです。それが、ヤフーの成功した最大の理由かもしれませんね」(宮坂学=ヤフー元会長)

 当方がヤフーでいちばん残念に思ったのは、検索エンジンをグーグルに替え、グーグルに対抗できる検索エンジンがなくなったことだった。検索がグーグルの恣意的独占事業になりはしないか。だが、それによって日本のヤフーだけが生き残ったという。それどころか、ヤフーは今なお、国内IT業界のトップ企業として君臨する。

 ――井上はストックオプションという自社株の割り当て制度や自らの投資のおかげで、莫大な財産を築いた。一説によれば、総資産は1000億円とも、それをはるかに上まわるともいわれる。
事実上の創業社長ではあるが、私財を投じて事業を立ち上げた事業家ではない。一介のサラリーマンからここまで成りあがってきたのである。(本書)

 井上は引退後、趣味の達人となり、クラシックカーをはじめ、ワインや音楽の世界に没頭した。
2017年、アメリカ・カリフォルニア州でクラシック・スポーツカーの耐久レース大会に参加している最中に自損事故を起こし死去。60歳没。

 IT業界“伝説の人”である。

 

 

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2020.11.25

清武英利★サラリーマン球団社長            …………オーナーに翻弄されながら、監督、選手のために改革に取り組む


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 彼らは組織のなかで働きながら、二つのことを証明した。

 一つは、どん底の会社や組織をひっくり返すような改革は、主流の人々よりも異端者や、冒険心に溢れた傍流の者によって成し遂げられることが多いということである。本社や上司にこびない意地を備えているからだろう。

 そして、彼らが示したもう一つは、たとえ素人であっても、頑固な情熱があれば理想球団の夢が描けるということだ。

 

清武英利★サラリーマン球団社長 2020.08/文藝春秋


 野崎勝義――阪神電気鉄道株式会社の旅行マンから、子会社の「阪神タイガース」に出向を命じられた男。「タイガースはたいしたことない、強い弱いと騒がんでもええ」という久万俊二郎オーナーに翻弄されながら、野村監督、星野監督たちと旧弊の改革に取り組む。

 鈴木清明――東洋工業株式会社(現・マツダ) の幹部候補生たったのに辞表を提出し、「広島東洋カープ」に身を投じた男。松田元オーナーの思いつきのアイデアに翻弄されながら、黒田、新井たちと生え抜き選手中心の改革に取り組む。

 著名な経営者の野球に関係のない“格言”を盛り込んだのは、無用。

 元読売ジャイアンツの球団代表、ゼネラルマネージャーとしてプロ野球の内側を知り尽くしている著者が描く球団経営の実態。阪神、広島の裏面史として出色のおもしろさ。

 

 

 

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2020.07.10

菱田信也★芝居小屋戦記 神戸三宮シアター・エートー の奇跡と軌跡    …………いつの時代も新しい文化は路地から生まれる

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 アクティブ、能動的に、とはつまり、劇場側が主催者となり、オリジナルのイベントを積極的にプロデュース(制作)し、これを興行として売っていくことで収益を得るというビジネスになります。
 まず第一に、これが本劇場の大きな特色と位置付けました。
アクティブ型業務の自主プロデュースを打っていくのは大きなリスクを伴います。


 貸館ビジネスをしているだけであれば、借り手から貸館料、設備費をいただくだけの話で、もしもお客様が入らなくても劇場側に痛みはない。


 しかしシンプルに、「それで楽しいか」という、出てこなくていい問いが出てきてしまう。


 残念ながら、大下支配人を筆頭に、私、村上……、同じような考え方をする人間が集まってしまったのです。

★芝居小屋戦記 神戸三宮シアター・エートーの奇跡と軌跡 /菱田信也 /2020.04 /苦楽堂 


 神戸の中心地JR三ノ宮駅から徒歩3分の場所に、2017年4月オープンした小劇場「神戸三宮シアター・エートー」がある。その創成期の記録である。ミニシアターの作り方、そのハードとソフト、スポンサーとスタッフの考え方が、細部にわたり記述されている。その奮戦ぶりは、ここでは紹介しない。ぜひ本書で……、

 スポンサーを記憶にとどめておこう。

 ――劇場プロジェクトを推進しているのは大下順子ですが、運営母体は「スミレ会グループ」。神戸市内に北須磨病院、名谷病院、伊川谷病院と2つのクリニック、ほか県外に5つの病院。全国各地に多くの介護老人ホーム、特別養護老人ホーム、そして福祉専門学校に幼稚園まで擁する、総従業員数3000名弱、年商数百億円の巨大組織。大下順子はこのスミレ会グループのトップ、前田章理事長の妻。 (本書)

 つづいてシアター・エートーの名前の由来も記憶にとどめておこう。なお、支配人の大下順子、前田順子、大志田詢子は同一人物。

 ――神戸市須磨区の前田順子さん。大阪芸術大でバレエを学び、同大の非常勤講師も務めた。〔…〕
劇場の名称「神戸三宮シアター・エートー」は、同大のキャンパスにあるプレハブ「A棟」がモチーフ。かつては関西の代表的な劇団「劇団☆新感線」の拠点となるなど多くの演劇人らを輩出した。学生時代と同様、「お金にはならないが、演劇に情熱を燃やせる場所に」と名付けた。 (本書)

 本書に収録されている宰井琢騰(さいたくま)氏ならびに小泉克明氏との対談が興味深い。両氏とも神戸で不動産業を営みながら多彩な文化事業の仕掛けをやっておられる方のようだ。

菱田 言葉は悪いんですけど、子供の頃は三宮あたりを「暗黒街」やと思ってたんですよ。北野坂から下はまったく空間が違う。生田新道ビルのあたりなんか、まさに大人のエリアって感じだった。大人の男にならなきやそこには行けないよ、子供はダメだよ――みたいな不文律。
宰井「俺もいつかはあそこに行くんだ」っていう感覚ですね。
菱田 実を言いますと、ぼく、二十歳くらいの時にイキってマンダリンパレスに行って飲めない酒を飲んでたら、宰井さんのお父さんらしさ方に、そんなこと言われた記憶があるんですよ。 (本書)

 以下、95年の阪神淡路大震災、「がんばろう神戸」って掛け声があって、「そもそも、頑張るの嫌なんですよ、三宮の人間」といった話になり、震災以降神戸が変質した話になるのだが、それはともかく……。

 たしかに1960年前後の生田新道辺りへ行くのは、若者にとってちょっと“冒険”だった。組員が風を切って歩いていたし。知人の某は、ハマガワに勤めていたが、夜にヤマガワへ飲みにゆくときは、ナイフを忍ばせていた。キャバレー新世界は、市内のどこからでもタクシーで乗り付ければ、料金を支払ってくれた。むかしむかしを思いだした。

小泉 変なもんは大概、路地にしかないですよ(笑)。〔…〕
菱田 だから、うちのお客さんがやたら道に迷って迷宮にはまり込むというのは、全然正解なんですね(笑)。
小泉 そうそう、そうです。今はもう、路地にしか面白いものは残ってないんです、ぴかぴかの道んところは、おカネに換わるから建て替えちゃう。〔…〕
逆に言えば(路地は)「面白くするしかない」。正直、経済原則でいうとうまくいかないから、「それやったらなんか面白いことしよう!」みたいになる(笑)。
菱田 そうかあ、そういうことか。ここは「なるべくして、劇場になった」わけだ。 (本書)

 いつの時代も新しい文化は路地から生まれる。醒めやすく移り気な市民も多い街で、集客に知恵が求められるコロナ禍の後の時代に、この神戸三宮シアター・エートーが長く持続されることを、祈るや、切。

 

 

amazon菱田信也★芝居小屋戦記 神戸三宮シアター・エートーの奇跡と軌跡 

 

 

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2019.10.04

小松快次◎恐竜まみれ――発掘現場は今日も命がけ

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 だがご存知のように、爬虫類的な恐竜から、鳥型の恐竜へと進んだのが大きな進化の流れだ。世界中の恐竜研究者の成果によってその事実が明らかになった。

 いまや恐竜ファンの子どもたちは誰でも知っていることだが、念のために言っておこう。いま現代に生きている鳥類は恐竜である。〔…〕

 絶滅した恐竜の祖先系がワニ類で、末裔が鳥類なので、恐竜の行動や姿形を推測するためにはワニ類と鳥類の両方を見比べるのだ。

小松快次◎恐竜まみれ――発掘現場は今日も命がけ   2019.06/新潮社


 著者小林快次(こばやしよしつぐ・1971~)は、古生物学者、北海道大学総合博物館教授で恐竜の著書多数。

 約23000万年前、恐竜が地球上に現れた。恐竜は17000万年にわたって繁栄した。現在までに1000種類を少し超える恐竜に名前(学名)がついている。そのほとんどは、アメリカ、カナダ、アルゼンチン、イギリス、中国、そしてモンゴルの6か国で発見された。

 だが日本でも北海道むかわ町で「むかわ竜」が発見された。全長8m、頭から尻尾まで8割以上の骨がそろった「全身骨格」。約7200年前の白亜紀の地層から。学名「カムイサウルス・ジャポニクス」。著者はその発掘調査を指揮した。その経緯は本書に詳しいが、その一部分を抜粋……。

「大腿骨はかなりでかいはずだから、あれば一発で分かるはずなんですよね」

「どんな形ですか?

「おそらく、1メートルくらいの長さでこれくらいかな」

「小林さんの腰かけてるノジュール、形似てますね」

「えっっ?

「マジか?

それはまさしく大腿骨だった。

――私が考える大発見とは、実は私たちの身の回りに転がっていて、データも現象も見えているのに、それが他とは違う特別なものだと気づいていなかったことに『気づくこと』なのです。〔…〕

興味をもつこと、好きになることが重要であり、その先に、自分なりの大発見が待っている。 (本書)

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小松快次◎恐竜まみれ

 

 

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2019.09.28

牧 久◎暴君――新左翼・松崎明に支配されたJR秘史

2019


(問質性肺炎で入院中)病床で詠んだ句がある。

D型もD民同へ涸谷に

すでに松崎は死期の近いことを自覚していたのだろう。〔…〕

松崎が牽引車となって進めて来た「闘う動労型労働運動」はすでに水源も枯れ、流れ落ちる水もない岩層が転がる涸れ谷となろうとしている、という無念の思いを詠んだものであろう。

その原因を作ったのは自分自身であることを、松崎は果たして気づいていたのかどうか。

 

★牧 久◎暴君――新左翼・松崎明に支配されたJR秘史   2019.04/小学館


 牧久(1941~)は日本経済新聞社社会部長を経て副社長。本書は『昭和解体――国鉄分割・民営化30年目の真実』(2017)の姉妹編。

 松崎明(19362010)は旧国鉄動労でスト権ストを指揮し、のちJR東労組委員長としてコペルニクス的転回で国鉄分割民営化に賛成した。新左翼革マル派幹部。

 小、中学校のころから俳句を作り、旧国鉄、JR時代も句会に参加していたという。「冬服に変え退院豚カツうまし」が最後の句となった。

 

牧 久◎暴君https://a.r10.to/hfaxQ1

 

 

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2016.12.21

青山文平■かけおちる

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 その暗い川から、鮭が跳ねる音だけが届く。

 鮭はまだまだ上がっている。遠い海から山を目指している。

 飛沫の立つ音を耳にしながら、それにしても……と重秀は思う。

 

 自分はなにも見えていない。己の目で見ている気になっているが、実は見ているつもりで終わっているのだ。

 あるいは見たいものだけを見て、見たくないものには目を向けようとしない。

 そうでなければ三度も、近くに居る者が欠け落ちたりはしない。

 

 ■かけおちる|青山文平|文藝春秋|20126|ISBN9784163814308 |

  「かけおちる」は、「欠け落ちる」、「駆け落ち」である。欠け落ちた二人が逃げ続ける限り夫は追跡せざるをえない。すなわち妻仇(めがたき)討ちである。

  柳原藩5万石の執政阿部重秀は、鶴瀬村の名主中山藤兵衛、裕福な農家の出で幼少時から本草学に優れた森田啓吾の協力を得て、殖産振興に努めている。当面は、鶴瀬川を改修し、鮎の産卵場を設け、鮎の流通を図ること。そして3人は、本草書、農書、蘭書を中心に柳原文庫を創設し、身分のいかんにかかわらず、そして広く国外にも開放しようと準備している。

  阿部重秀59歳。家老、中老に次ぐ要職にあるが、50を過ぎるまで郡役所に籍を置く農政の実務家であり、門閥の出ではない。苦労と努力の人である重秀は、啓吾に言う。

  ――「なにかを成そうとする者にとって、人の一生は短すぎる。ときは大事に使わなければならん」〔…〕「独りで学問を発展させるのは難しい。良き師と良き学友は、よけいな回り道をせぬためにある。俊英たちと説を闘わせることで、無駄なく速やかに己の進むべき道が絞られるのだ」(本書)

  娘理津の婿阿部長英は、中西派一刀流の指南免状をもつ番方(武官)だが、現在は義父重秀の要請で江戸詰めの慣れぬ役方(文官)で、養蚕など興産の策を担当する。「雪を冠った鋭い頂きのよう」な清冽な男である。

  娘理津は言う。

  ――「父上のようにご自身でどうにも居場所を築いていける方から手を差し延べられても、わたくしのような者は安心してその手を握り返すことができません。〔…〕。わたくしの掌が温もりを、湿り気を感じるのは、同じように居場所を見つけられずにいる手です」

  ――「父上は言葉が説く世に生き、わたくしたちは言葉で説けぬ世に棲み暮らしております。わたくしたちは言葉よりも、息づかいを聴きます。わたくしたちを満たしている血の音を聴きます。もしも、その境目が見えていらしたら、旦那様を役方に、それも興産掛にされることはなかったと存じます」(本書)

  阿部重秀。自分にできたことは他人もできると思う努力の人にして、限りなくやさしすぎる男。その男の悲劇にして、妻や娘や婿の“覚悟”の物語である。

 

 青山文平つまをめとらば

 青山文平鬼はもとより 

 青山文平白樫の樹の下で

 青山文平■伊賀の残光

 青山文平■励み場 

 青山文平■約定

青山文平■半席

 

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