07/老人たちの賛歌

2016.12.19

青山文平■半席

20161219

「若えうちはまだ先があるし、世の中見えもいねえから、ま、ひとまず堪えておくかってんで、我慢も利く。けどな、年寄りはそうじゃねえ。我慢を重ねて、いい目を見たやつはその先も我慢できるかもしれねえが、そんなのは、ま、ほんのひと握りだろう」〔…〕

 「あらかたの年寄りは、我慢のしがいを感じてなんぞいるめえ。たっぷりと世間を見てきて、ならぬ堪忍をしたところで、結果はどうってこともねえのが骨身に染みている。

 おまけに、先は短けえってことで、なんで我慢をしなきゃなんねえのか、逆に分からなくなっちまうんだ。

 齢を喰うほどに、堪忍する歯止めが消えてゆく。で、若えうちは軽く我慢できたことでも、簡単に弾ける。

ひょっとしたら、それで命盗られるんなら、それはそれで手間が省ける、くれえに踏んでいるのかもしんねえ

 ―「夢を喰う」

■ 半席|青山文平|新潮社|20165|ISBN: 9784103342335|

 『約定』(2014)所収の「半席」が再録されている。その「半席」がシリーズ化されての6篇の連作短編集である。半席とは、……。御家人だった家が旗本の家となるためには、当主が二度、御目見以上の御役目を拝命しなければならない。二度、拝命しない限り一代御目見の半席となる。このため実績を残して旗本へ駆け上がろうとする。

 その半席、徒目付片岡直人は、上司の組頭内藤雅之から“爺殺し(じじいごろし)”と揶揄され、たいていは年寄りの科人(とがにん)に真相を問い糾す“頼まれ御用”を振られる。

 この連作の特徴の一つは、老人たちの登場である。白傘会という80歳以上でまだ御公儀の御役目に就いている旗本たちの集まりがある。そこで藤九郎87歳が庄右衛門87歳に突然斬りかかるという事件が起こる。団塊の世代が後期高齢者になる時代を先取りしてか、青山文平の作品には70~90代の高齢者が頻出する。むかし好々爺、いま切れ爺。当方も思い当たる節がある。

  ――「近頃は年寄りが危ないねえ」

 すっと出された爛徳利を手酌で傾けて、雅之がつづけた。

「齢喰ったら、人は丸くなるってのは、ありやあ外(はず)してるぜ」(「夢を喰う」)

  もう一つの特徴は、「事件の“なぜ”を解き明かす」ことに主眼があることだ。かつて松本清張の社会派推理小説が全盛だったころ、テーマは“犯行の動機”だった。ところが近年実際に起こる事件は“動機不明”が多い。警察も、犯人確保、証拠収集で手一杯で、動機の究明まで至らない。もっとも被害者と面識もなく、恨みもない猟奇的事件も多い。

 だがこの連作では、犯行の理由探しがテーマであり、その意外性が読みどころである。しかし……。

  ――人は複雑な理由では動けぬものだ。一行で書き尽くされる理由でのみ、人は動く。(「夢を喰う」)

  もう一つ、特徴があった。片岡直人が組頭内藤雅之と落ち合うのは、神田多町の居酒屋、七五屋。店主の喜助は、毎日釣りに出る口実に居酒屋を始めた、と言われるほどの釣り好きで、自分で釣り上げた獲物だけを客に振る舞う。その出てくる料理が楽しみ。なにしろ「旨いいもんを喰やあ、人間知らずに笑顔になる」が客の内藤雅之の口癖である。

 青山文平つまをめとらば

 青山文平鬼はもとより 

 青山文平白樫の樹の下で

 青山文平■伊賀の残光

 青山文平■励み場 

 青山文平■約定

 

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2016.12.16

青山文平■伊賀の残光

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女は己の足を休める止まり木一本あればどこでも生きていけるが、

男は、その止まり木を縦に繋ぎ、横に繋ぎ、大層な足場をこさえてからでないと、安心して足を着けられぬものらしい。

 その足場を上れば嬉々とし、下ればしゅんとする。足場そのものが壊れれば、己も壊れかねない。止まり木一本で十分な女と比べれば、随分とひ弱な生き物なのかもしれん」

■伊賀の残光|青山文平|新潮社|文庫版201510ISBN: 9784101200910/原題:流水浮木-最後の太刀|新潮社|20136|

  山岡晋平62歳。かつての伊賀同心は170年後の安永の世、勤めは大手三之門の門番、302人扶持。あり余る時間をサツキの苗木の栽培に充てている。

  小林勘兵衛、横尾太一、川井佐吉、9年前に逝った中森源三。かつての餓鬼大将と仲間たち。うち一人が殺害され、晋平は事件に巻き込まれていく。

  この作家の3つの特徴。

  その1、二つの顔をもつ男。損料屋の半四郎、軽業の新之助、御掃除之者の平太など、じつは別の顔をもつ魅力的な男が登場する。

  その2、江戸“知らなかった”話。足高の制。

 ――足高の制は、8代吉宗公が初めて実施した人材登用策である。それまで、武家が御役目を果たす上での費用は自らの家禄から賄っており、おのずと重い御役目に就くのは大身の旗本に限られていた。

 それを足高の制では、それぞれの御役目に職禄を定めて、家禄との差を埋めることにした。もしも家禄5百石の旗本が職禄3千石の町奉行に就けば、その差額25百石が支給される。

 家柄よりも、本人の力を重んじるという、人材登用策の転換を象徴する施策だが、その施策はまた、享保の頃から、家柄の良い者よりも力のある者を使わざるをえない、難儀な時代が始まったことを表わしてもいた。(本書)

  その3、剣技。浮木。

 ――浮木は、一刀流の要技の一つである。こちらの剣を押さえ込もうとする相手の力を使って、向こうの上太刀を取る。〔…〕

「水に浮く木のように、力任せに押さえつける相手の剣を軽くいなして起き上がり、守りから攻めへ瞬時に転じるのが、浮き木だ」(本書)

  本書は、はるか昔の伊賀衆に端を発するため、“説明”が多く、“説明”でストーリーが展開する。そのつど立ち止まってしまうので、読後感は爽快とはいえない。

青山文平つまをめとらば

青山文平鬼はもとより 

青山文平白樫の樹の下で

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2016.11.27

工藤美代子■後妻白書――幸せをさがす女たち

20161127

 

 

  略奪愛だろうが出来ちゃった婚だろうが、後妻になるのは恥ずかしいことではない。夫が社会的に高い地位にいたら、世間は苦節を共にしないでいきなり完成品を手に入れたと後妻を非難するかもしれない。

  だが、そんなことは気にしなくても良い。

  大事なのは夫が自分と巡り合う前に、すでに人生のワンラウンドを通過しているという事実だ。

どうしても共有が不可能な過去の時間の清算は、しかし、後妻も参加しなければならないのだ。特に子供がいた場合はそうなる。

  感情的にも経済的にも、その辺の問題を受け止める度量が要求される。

 

後妻白書――幸せをさがす女たち |工藤美代子|小学館|20163|ISBN: 9784093965347|

  黒川博行『後妻業』(2014)、その映画化『後妻業の女』(鶴橋康夫監督・2016)、遺産、保険金目当てに10人以上の夫たちを次々殺した筧千佐子(68)被告、死亡当日入籍した宇津井健、やしきたかじんの32歳年下の妻のスキャンダル……。

  ――2014年あたりから、後妻という言葉がやたらとマスコミを賑わすようになった。〔…〕なんとも奇妙な現象が始まったものだと思った。

  いや、それだけではない。私の直接によく知っている50代から70代の女性たちが、次々と結婚歴のある男性の妻になった。指折り数えてみると、その人数は7人くらいいる。共通点は相手の男性が持病や高齢で、もう余命が限られているところだった。(本書)

  後妻という選択をした高齢女性は、なにが動機なのか。求めたのは、カネか、セックスか、ステイタスか。

  たとえば桃子さん。相手は彼女より20歳年上の84歳だった。紳士服の店のオーナー、土地や家や株など合わせると3億円。だが脳梗塞の後遺症で左半身が不自由で、おしめをしている。しかし男としての機能は衰えていなかった。そしてわずか半年で「離婚届」を突きつけるような出来事が起こる。

  セックスライフ、性交痛の「対策と治療」最新情報、エステの裏ワザと美容への道、財産狙い、遺産相続をめぐる疑問と不安、……。なかでも読んで恐ろしかったのは、前妻への嫉妬。上掲にあるように、「どうしても共有が不可能な過去の時間の清算」ができない後妻の問題である。

  本書は『女性セブン』に連載されたエッセイ風ノンフィクション。とくに目を見張ったのは「『高齢者の発展場』とげぬき地蔵を歩く」の章。高齢者の人気スポット、巣鴨のとげぬき地蔵周辺は、テレビでインタビューしている場面をしばしば見る。高齢者の世論調査の場のようなイメージがある。

  ところが本書で描かれるのは、ちょっと違う。ここに住み、一流企業に勤める24歳の青年に、著者は案内してもらう。広場のベンチに腰掛けている60代、70代の男女。有名な出逢いのスポットだという。

 ――「真ん中のベンチの右から二人目の男の方は少しずつ移動して、黄色いジャケットの女性に近づいていますね。あっ、別々に来て座っていた男女がうなずきあって今、立ち上がりましたね」

 ジュン君が低い声で次々に実況中継してくれる。〔…〕

 

「ここでカップルが成立したとしても、それからどうするんだろう?」

 誰にともなくつぶやくと、「それはラブホに直行です」といやにきっぱりとジュン君が答えた。なんとまあ即物的なと思ったら、彼の言葉には根拠があった。

「僕の住んでいるマンションから駅に向かう道が二本あって、一本はずらっと両側にラブホが並んでいます。そこでよくお見掛けするのが、ご年配のカップルの方たちです」(本書)

  それは日常茶飯事で、手をつないで楽しそうに入口の中に消えて行くという。さらにもう一本の道の両側にピンサロが立ち並んでいるという。ピンサロの呼び込みに立っている男たちは60歳をとっくに過ぎている。ドレスを着て濃い化粧をした女性はどう見ても70歳を過ぎている。テレビでは映さない、週刊誌ならではの記事である。

 『工藤写真館の昭和』 (1990)など家族を題材にしたもの。『旅人たちのバンクーバー 』(1985)などカナダを舞台にしたもの。『香淳皇后』(2000)など皇室もの。『ラフカディオ・ハーン 漂泊の魂』(1995)など評伝もの。『快楽』(2006)など更年期もの。『もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら』(2011)など怪談もの。さらには自らのうつ病を克服した『うつ病放浪記』(2013)など……。

  工藤美代子、1950年生まれ。自身も後妻だという。43歳で再婚した元編集者加藤康男氏が取材に協力をしているのだろうが、昭和史、皇室から更年期、お化けまで著書はまことに多彩で旺盛な活躍ぶりである。

工藤美代子▼それにつけても今朝の骨肉

 

 

 

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2011.10.04

天野祐吉◎隠居大学──よく遊びよく遊べ

20111004

*

横尾 天野さん、インキョインキョって言うけどさ、画家っていうのは、本来生まれながらに隠居みたいなものだと思うんですよ。

(歌川)広重は25歳くらい、(伊藤)若沖も30代で家業を弟に任せて、隠居してから画家として本格的な活動をしている。

それも、遊びでしかないんですよね。描いてすぐに売れるかわからない。まあほとんど売れない、と考えていいわけで。

でもそこで自分がやる仕事なり行為をね、そこに徹底的に思いの丈、自由になれるかどうかのきめ手は遊べるかどうかだと思いますね。〔…〕

命懸けで遊びたい、自由になりたいと思ったら、「わたし」とか「ぼく」とかいう自我を滅却して、徹底してバカになるしかないと思うんですよね。

愚者になれるということは最高の境地ですよ。

──第一時限「猫の自由に学ぼう」横尾忠則・天野祐吉

◎隠居大学──よく遊びよく遊べ│天野祐吉│朝日新聞出版│ISBN9784022508607201106月│評価=△

<キャッチコピー>

こんな時代こそ「隠居」を見直そう! 目指すは、自由で洒脱な遊びの達人。横尾忠則、外山滋比古、赤瀬川原平、谷川俊太郎、安野光雅、坪内稔典の豪華講師陣を迎え、ここに隠居養成大学がオープン。年を取るって、いいもんだなァ。

<memo>

「隠居大学」という名の公開対談。隠居になるためには、「猫の自由に学ぼう」「ゆっくり急げ」「いい加減にしなさい」「宇宙人をめざそう」「うふふ力を磨こう」「遊行の旅に出よう」。

天野祐吉■ 私説広告五千年史

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2011.10.03

団鬼六/黒岩由起子◎手術は、しません──父と娘の「ガン闘病」450日

20111003

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「皆集まってきて、鉄の棺おけの中を覗き込むんやろ」

どうも、父は自分が既に死んだと思い込んでいるのだ。納棺され、皆が花をたむけることをいっているらしい。〔…〕

「冗談はやめてくれ! 俺はさっき死んだんだ。気持ちは有難いが、死んだ人間を哀れと思って慰めてくれようとするな」

と抗うのだ。

父は言うことが通じない私たちに苛立ったのか、これならどうだ、という按配で、目の前の原稿用紙に鉛筆で大きく、

〈冗談はよせ、俺さっき死んだんだ〉と書いてみせた。続けて、〈鬼六人生 第一部了〉と書く。〔…〕

父は、いくら私が生きていると説明しても信じられない様子で、「うっそやー」と渋い顔をする。〔…〕

「そうだ! もしかしたら、一度はホントに死んで、生き返ったのかもよ」

と私が思いつきを言うと、父は不思議そうに腕を組んだ。

◎手術は、しません──父と娘の「ガン闘病」450日│団鬼六/黒岩由起子│新潮社

ISBN9784104178063201108月│評価=○

<キャッチコピー>

食道ガン発覚後も手術を拒否した奔放な父と、そんな父に振りまわされながらも献身的に見守る娘。告知、放射線治療、一進一退の症状、転移、そして家族に「遺されたもの」──病と向か合いながらそれぞれの思いを綴った、すべての親子必読の闘病記。

<memo>

たしかロバート・R. マキャモン『少年時代』だったと思うが、“老人が一人死ぬということは、図書館が一つ消失することだ”というフレーズがあった。先日50年を超える交遊をもつ友人の突然の訃報が届いた。私は彼の記憶を多くもつが、彼のもつ私の記憶は永遠に失われてしまった。それが図書館を一つ消失することなのだと気づいた。

本書はかつて75歳の時に「透析を受けるなら死んだほうがましだ」と思いつつ、“屈辱”の透析によって3年、今度は流動食以外嚥下出来ないという状態にながら、「まだ死にたくないという願望に打って変わるなど、おかしなことだと自分でも感じる」著者。そして手術を拒否し、何度も生き返り、花見やパーティを楽しみ、79歳で死去。大きな図書館が消えた。これは父と娘の愛の物語

団鬼六■ 我、老いてなお快楽を求めん――鬼六流駒奇談

団鬼六◎死んでたまるか

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2011.09.30

発掘本・再会本100選★変容│伊藤整

201109301

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岩井透清は私の顔を、身体をじろじろと見まわした。お前はまだ役に立ちそうだが、自分の人生がもう残り少いことに気づいているのか、と言わんばかりであった。

「龍田君、七十になって見たまえ。自分の中にある汚れ、欲望、邪念として押しつぶしたものが、ことごとく生命の滴(したた)りだったんだ。

そのことが分るために七十になったようなものだ、命は洩れて失われるよ。生きて、感じて、触って、人間がそこにあると思うことは素晴らしいことなんだ。語って尽きず、言って尽きずさ。」

彼は私を脅かすように睨みつけ、やがて私を羨むように目をそらし、失われた生そのものを感じて歯ぎしりするような、怒った顔になった。

★変容│伊藤整196810月│岩波書店/文庫版:│ISBN9784003109625198305月│評価=○

<キャッチコピー>

老年期に入ろうとする主人公たちが展開する心理や行動は、性の快楽が青年の特権ではないこと、さらには、それらの行為を通して人生の真実により深く到達するのは、若者や壮年よりも老年であることを啓示する。老年とは、ひいては人間が生きるとはーという根源的な問いに真正面から取組んだ作者(1905-69)最後の傑作長篇小説。

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<memo>

いつのまにか読むテーマが“定年前後、還暦前後”から“老齢・老年”に変わっている。老年を描いた小説の1960年代の代表作として、川端康成「眠れる美女」(1961)、谷崎潤一郎「瘋癲老人日記」(1962) とともに、伊藤整「変容」(1968)がよくあげられる。著者64歳、死の前年の作。手元にあるのは岩波文庫版で、1983年第1刷、2009年第9刷とある。いまも読まれているようだ。当方は、初読。

60歳を迎える画家龍田の煩悩を、60歳を過ぎた女性歌人千子、日本舞踊の女師匠咲子、元モデルで酒場のママ歌子、死んだ妻の友人で学園経営者せつ子など、老年に向かう女性たちとの関係で描いたもの。

「刊行された68年は、まだ日本の社会での性意識の自由化の風潮が進展している最中であり、その風潮を促進するものとして、この作品も読書界に受け入れられたのである。が、それにしてもこの作品が、当時の読書界に与えた影響は衝撃的であった」と文庫版解説で中村真一郎は書く。「己れの欲望のままに生きることこそが、生の燃焼であり、生の意味であり、死の予感と引きかえに、老人に与えられるものである」。

「この60歳前後の老人の激しく貪欲な性の行為の実態は、耳もとでシンバルを鳴らされたような、脳の中枢に響く激動であった。〔…〕30代、40代の細君たちがこの小説を読んで、それまでもう自分たちの女性としての生命は終りかけていると信じていたのが、突然にむしろ女生命の頂点は20年、30年の先にあるのだと眼を見開かされて色めき立ちはじめ」云々と解説は続く。つい半世紀前の作品を読むには、登場人物の年齢を1020ほど足して読む必要が出てきた。以下、本文から引用……。

──「執着やねたみや憎しみのあるところには、やがてそれをこやしとして愛というものが咲き出るのかも知れません。」

──「老齢の好色と言われているものこそ、残った命への抑圧の排除の願いであり、また命への讃歌である。」

──「生きることの濃い味わいは、秘しかくすことから最も強くにじみ出て来る。」

──「生きている間は、何が起るか分らない」という言葉が、つぶやきとなって私の口にのぼった。それは「生きている間は何をするか分らない」と言った方が正確だった。私にとってその言葉は、「生きているうちは救いなどありはしない」という意味だった。

川西政明◎新・日本文壇史──第5巻・昭和モダンと転向

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