08/メディア的日常

2017.06.23

柳川悠二★永遠のPL学園――六〇年目のゲームセット …………☆選手12人のせつない最終試合

20170623

 

  桑田真澄、清原和博というKKコンビが五季連続で甲子園に出場(1983年夏~1985年夏)し、立浪和義、片岡篤史らが春夏連覇を達成(1987年)した80年代の黄金期

 野球少年たちはみな、投手がプレートに足をかける直前、あるいは打者がバッターボックスに入る直前にフォームの胸の部分を握りしめるPLナインの所作を真似した。

  この所作は、PL教団で「おやしきり」と呼ばれる宗教儀式である。

  心の中で、「お・や・し・き・り」と唱え、「普段のが発揮できますように」と神に誓う。

  PLの球児が握りしめているのは、ユニフォームの下のアミュレットと呼ばれる御守だ。首から提げられた御守の中には、1万円の寄付や教団のトップである教祖(PLでは教主(おしえおや)とも呼ぶ)がしきった(祈りを込めた)みたま(神霊)が入っている。

 

 永遠のPL学園――六〇年目のゲームセット |柳川悠二|小学館|2017年3月|ISBN: 9784093798907|○

  PL学園高校(大阪府富田林市)の硬式野球部が初めて全国制覇を達成したのは、1978年夏、第60回全国高等学校野球選手権大会である。

  応援団が座る一塁側アルプス席在校生700人で描かれる巨大を人文字は、「PL」の二文字だけ

でなく、「打て」「GO」と変化して極めつきは「シキレ」。「シキレ」は「遂断れ」、これは「祈れ」の意である。

  初の全国制覇から38年後の2016年7月15日、「新入部員募集停止」で後輩のいない12人は、公式戦未勝利のまま夏の大阪大会初戦を迎える。相手は、東大阪大高校。

 1回表、PL2点先取。その裏、柏原同点。2回裏、柏原3点。6回表、PL2点。4対5で迎えた7回表、PLは走者1人をおいてレフトスタンドへホームラン。6対5とひっくり返す。

  ――ベンチとスタンドのボルテージは、最高潮に達した。1978年夏の「逆転のPL」を彷彿とさせる劇的な試合展開に、若いOBは絶叫し、老年のOBは涙に暮れた。(本書)

  しかし柏原がすぐに同点に追いつき、9回裏には再び逆転に成功。9回表のPLの攻撃は三者凡退。試合は6対7で決した。

 「永遠の学園」と校歌に歌われた名門野球部は、この日をもって事実上の廃部となり、およそ60年の歴史に終止符を打った。

  上掲の桑田真澄、清原和博をはじめ、立浪和義、宮本慎也、福留孝介、前田健太など81人のプロ選手を生んだPL学園は、なぜ廃部に追い込まれたのか。1976年生れでスポーツ中心のノンフィクションライターは、2年間にわたりPL学園野球部を追う。なぜ廃部なのか……。

  第1に、野球部を育ててきたPL教団の2代教主御木徳近の死によって、精神的支柱を失ったこと。

  第2に、暴力事件の多発による対外試合禁止。野球部には厳しい上下関係があり、1年生は3年生の付け人となり、身の回りの世話や自主練習の手伝いをする。そのことが事件の温床となっていた。

 第3に、学園の母体であるパーフェクトリバティー教団の意向による財政的支援の打ち切り。

 元幹部の驚くべき証言。信者数は公称265万人とされた黄金期でも実数は約90万人で、公称90万人とされる現在は数万人程度でしょう。

  20165月時点で、生徒数は3学年でわずか188人。もし甲子園に出たとしてもアルプス席に人文字を作ることはとうていできない。

 元教団教師が証言する。

「野球部の廃部以前に、学校が廃校になるのではないかと危惧しています

 

 それはともかく、著者は最後の12人の選手たちの姿を追う。せつなさが迫る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.03.11

最相葉月■東工大講義 生涯を賭けるテーマをいかに選ぶか

Photo_2


*

歩いてびっくりしたのは、小学校も中学校も、学校は上まで水がきても、周りの家々がみんな流されても、やっぱり骨組みは残っているんです。

*

だからもうちょっと丈夫にして、避難するための高い部分を作っておけば、わざわざ別に逃げるところを作らなくていいですし、地域の人々の集合場所として常時利用できるように整備しておけばいいのではないがと、最後に思いました。

*

今あるもので何が役に立つのかをもっと考えたほうがいいということです。

*

――「二つの大震災から見えたもの」  ゲスト 石田瑞穂

 

*

 

■東工大講義 生涯を賭けるテーマをいかに選ぶか│最相葉月│ポプラ社│ISBN 9784591147405 201511月│評価=

 

*

 

東京工業大学大岡山キャンパスで、著者の4か月間の講義「生涯を賭けるテーマをいかに選ぶか」をまとめたもの。

 

*

 

第一線で活躍する科学者たちを4つに分ける。

 

1つ、小さい頃から何らかのビジョンがあったというひと。例、はやぶさ1号の研究者矢野創。

 

2つ、何がやりたいのかよくわからないけれどもとりあえず入ってみて、じわじわとテーマに近づいていくひと。例、物理学者深澤倫子。

 

3つ、セレンディピティ。素敵な偶然、突然思い浮かぶ幸運なひと。ノーベル化学賞キャリー・マリス。

 

4つ、人とは違う考え方をするひと。例、IPS細胞山中伸弥。

 

*

 

 さて、上掲はゲストに1943年生まれの地震学者石田瑞穂を迎えての「二つの大震災から見えたもの」という講義での石田の発言。石田は東日本大震災の被災地で被災者にインタビューをし、「巨大地震と津波への最良の対策――164人の津波被災者から何を学んだか」をまとめたひと。

 

*

 

 大被害となったのは、気象庁の情報が悪かったのか、地震調査委員会が出していた予測地図が間違っていたのか、予測地図そのものが行政や消防に知られていなかったのか、情報が悪かったのではなく情報そのものが届いていなかったのか、気象庁は予報を出していたのか、市民の地震や津波に対する知識不足か、巨大な防潮堤など構造物への過剰な信頼だったのか、教員の子どもへの避難誘導の良し悪しか、……といったことが語られている。

 

*

 

 そして上掲が石田の結論。その理由は……。

 

1つ、小学校はだいだい家から歩ける距離にあるということ。

 

2つ、小学校は地域の人々に身近な存在であるということ。

 

3つ、小学校が50年に一度くらいは立派に立て直しても地域からの文句は出ないだろうということ。(防潮堤などコンクリートの建造物はだいたい50年に一度建て直しが必要だし、とくに海水に接している場合は劣化が早い)。

 

4つ、津波や地震の経験のない先生がいても、学校そのものがきっちり防災拠点として整備されていれば、ある程度は大丈夫。

 

 *

 

たしかに大きな犠牲を出した石巻大川小学校でも「建物の骨組みは残っていました。これが2階でなく3階か4階建てでしたら状況は違ったでしょう」との発言。この学校の場合、すぐ横に裏山があったし、教師の判断ミスだったが……。地震学者石田瑞穂の被災者インタビューを経ての提言は、たしかに多くの自治体で参考にすべき現実的な案である。

 

*

 

さて、3.11から丸5年を迎えた。当方が経験した1.17では、丸5年のとき、仮設住宅居住者は0となり、政府の復興対策本部も解散した。種類規模が違うとはいえ、東北3県では57,000人強が仮設暮らし(避難者総数17万人)。5人目の復興大臣はほとんどメディアに登場せず名前も知らないが、東北3県のいらだちはいかばかりか。

 

最相葉月■セラピスト 

最相葉月■最相葉月 仕事の手帳 

最相葉月★れるられる 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.03.09

馬場マコト■朱の記憶――亀倉雄策伝

20160309

*

「宣伝美術とは何か、デザイナーとは何かを、世の中にアピールしてこそ、『日宣美』の存在がはっきりする」

*

戦前に通産省の工芸指導所で全国各地の工芸品のデザイン指導をした経験から美術評論家になった評議委員の勝見勝が、長髪をかき上げながら熱弁をふるう。

*

亀倉は挙手し思わず言う。

「いい考えだ。ならば、今日集まった連中の、作品展をしようじゃないか」

「作品展ですか、画家のように美術館で」

「おい、おい、上野の森でやるのか」

*

自分の仕事を作品として見てもらうなどと、誰も考えたことはなかった。周りから驚きの声が上がる。亀倉はすかさず言う。

*

「上野の森でやっても意味がない。我々の仕事は、生活のなかにあってこそのものだ。

*

生活の場で見せるのはどうだろう。美術館でなくデパートで開催するというのは」

*

その3カ月後の〔1951年〕910日には早くも、銀座松坂屋を会場にして第1回日宣美展が開かれる。

*

*

■朱の記憶――亀倉雄策伝│馬場マコト│日経BP社│ISBN9784822272944201512月│評価=

*

 「朱の記憶」とは、1964年東京オリンピックでの亀倉雄策のエンブレムの朱の太陽のこと。当時コンペへの参加を指名されたのは、河野鷹思、亀倉雄策、稲垣行一郎、杉浦康平、田中一光、永井一正の6名。トップクラスのデザイナーたちだが、作品を見ると幼稚で、まだまだデザインの時代には程遠い。亀倉雄策のみが突出していた。亀倉雄策の東京オリンピックのポスター3点は、参加選手のみならず広く国民を鼓舞した。

*

 本書は、亀倉雄策(1915199)の評伝だが、当方は日本グラフィックデザイン史として読んだ。ここではオリンピック関連でのデザイン問題に触れる。

*

* 

――デザイン懇談会では、日本語が読めない外国人のために、競技場や施設の案内表示として使う絵文字を開発することにした。過去のオリンピックでは行われたことがない、新たな試みである。そのほか、招待状、メダル、バッチから表彰台、身分票まで、デザインすべきものは膨大にある。これらはデザイン界を挙げて取り組むことに決まった。

*

 座長の勝見はみなを見まわしながら力強く言う。

「オリンピックをかつてなかった、壮大なデザインの実験の場にしましょう。一気に日本の美意識の底上げを図るのです。『日宣美』『世界デザイン会議』と続けてきたデザイン革命の仕上げが東京です。亀倉さんの言う通り、これは東京デザインピックだ」(本書)。

*

 勝見率いるオリンピックデザインチームは、20種類の競技種目シンボルマーク、観客席、手荷物預かり所、トイレ、シャワーなどの施設シンボルマークを開発した。「いまでは世界のどこの空港へ行っても見られるピクトデザイン=絵文字は、このとき初めて、福田繁雄、横尾忠別などその後の日本のグラフィック・デザイン界を担う、若手十数人の手により開発された」(本書)。

さらにオリンピック切手、入場券、選手村食券など、200人以上のデザイナーが参加したが、すべて無償のボランティアだったという。

*

 次いでオリンピックの翌1965年、万博(大阪万国博覧会)の開催が決まる。公式シンボルマークのコンペには15名と2事務所が指名され、7名の審査委員会で決定するが、発表当日、石坂泰三万博協会長の猛烈な反対によって振出しに戻る。当選作は、日の丸が威張っているようにみえ他国の反感を買う、抽象的で子どもや年寄りにはわからない、というもの。やり直しコンペで桜の花びらで5大陸を表した大高猛の作品に決まる。

*

「人類の進歩と調和」をうたった1970年万博は、同時にベトナム反戦、70年安保闘争、全共闘などの嵐が吹き荒れた時代でもあった。それはグラフィックデザインの登竜門であった日宣美にも波及し、日宣美粉砕のデモに見舞われ、日宣美は解散する。

*

 当方20代の頃、グラフィックデザインに興味を持ち、「アイデア」誌を愛読し、大髙猛の講義も経験した。ポスター、シンボルマーク、ロゴなどで、当時永井一正のファンだった。ずっとのちの30年後にあるプロジェクトにかかわったとき、そのことをプロデューサーやデザイナーに話したところ、そのプロジェクトのロゴとシンボルマークを永井一正に依頼してくれて、ご当人にもお会いできた、という思い出がある。

*

 その永井一正は、東京オリンピックのコンペでは亀倉雄策に敗れたものの、1972年札幌オリンピックでは亀倉のデザインを継承しつつ雪のマークを加えたエンブレムが採用された。そして2015年に2020年東京オリンピックのエンブレムの審査委員長として登場した。が、当初当選作とした佐野研二郎の作品が類似問題を起こし、不透明な選考経過や佐野の他の作品の盗作騒ぎによって、白紙撤回された。過去のオリンピックと同様の内輪による安易な選考方法が情報拡散の時代に通用しなかったといえよう。永井は退場する。

* 

 本書は、あとがきでこの問題に触れる。

*

――オリンピック・エンブレム問題で沸いた今年、悪いのは佐野研二郎だろうか。

不幸のすべてはなぜ2020年に東京でオリンピックを開くかの大義が明確でないまま、オリンピック開催だけが決まったことだ。

*

しかし、104人もの選ばれたグラフィック・デザイナーの競作コンペをして、佐野研二郎のデザインしかなかったということは、2020東京オリンピックの核心が空洞化していたという実証にほかならない。だからそれはエンブレムではなくロゴマークになる。そして模倣探しに堕ちる。

*

「なぜ日本でいまオリンピックを開催するのか」

「このオリンピック開催を通して日本をどう変えるのか」

誘致した国にその想いと戦略がない以上、どんなデザインがでてきても、国民の共感は得られることがないだろう。そしてそれはいつまでも模倣探しの標的になる。(本書あとがき)

*

たしかに東京2020は、単純な国際的イベントというほかはなく、なぜ今なのかというテーマが国民共通の理解になっていない。そのことがメインスタジアム問題、聖火台問題をはじめ、弛緩した組織の問題が露わになってきている。日本は劣化が進んでいるのか。エンブレム問題でも亀倉雄策のような牽引者が不在であり、いまだに最終案が提示されていない。

*

   
 

馬場マコト□従軍歌謡慰問団 

 
 

馬場マコト◎花森安治の青春 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.12.15

岡映里★境界の町で

20151215

 

20116月、何度目かの「警戒区域」に連れて行ってもらうときに、原発作業員の親方の彼が私に言った。

 

「岡、ここで写真なんか撮っても放射能は写らねえからな。お前、単に20キロ圏にハマってるだけだろう? 

 

ここはシャブと同じぐらい、ハマるとやばいぞ」

 

「輿味本位」。正直に言えば、私がはじめに福島に来たのは「興味本位」からだった。

 

★境界の町で│岡映里│リトル・モア│ISBN9784898153864201404月│評価=◎おすすめ│検問の設置された双葉郡楢葉町という境界の町。仕事のない週末になると、私はとりつかれたようにこの町に通った。

*

 3.11――、居ても立っても居られない、とブログに書き散らしたものなのか、と読み始めたが、個性的な人物が登場すると俄然ありのままの被災地のリアルなドラマが展開する。

ある町の「一時帰宅」。45リットルのゴミ袋に入るだけのモノしか持ち帰ることが許可されなかった。

――ある人は、無呼吸症候群の治療のための呼吸器を持ち帰った。

ある人は、家庭用カラオケセット。
  ある人は、書きかけの自伝が保存されているノートパソコン。

ある人は、制作途中だったキルティング作品を持ち帰ってきたし、ある人は「ブランド物」の上着だった。〔…〕

その時私は、「選ぶ対象が家財道具ではなく、人間だったらどうなるのだろう」とも思った。私は誰かにとっての「45リットル」になれるのだろうか。(本書)


 元ヤクザ。原発に作業員を入れる「人夫出し」の仕事を始めたのは5年前から。バツ3。「今、ビッグチャンスなんだよ。これからは仕事広げてがれきの撤去もやる。瓦礫は、1軒壊すのに200万。でも瓦礫を引き受ける業者に100万払わなきゃならない」

 その父。町のことばかりで家族のことは考えない楢葉町会議員。ボランティアとして走り回っている。「この町はもともと賛成派しかいないよ。でもよ、勉強すればするほど、“原発はダメだ”っていう結論しか出ねえわけよ」。やがて衆院選挙に打って出る。

 

一度も避難せずにいる「最後の住民」。93歳の寝たきりの母を動かすと死んでしまうからと警戒区域に住み続ける女性。「放射能は少しあるけどもね。今はパラダイスだと思うようにしているの」


週末になると高速バスに乗って被災地福島へ出かける編集者である著者。やがて東京に居場所がなく疎外感を感じ、他方福島でも「所詮私はよそ者でしかない」と。

――この町に住んでいた彼らはまるで裸を晒すように自分を晒して私と向き合ってくれた。

この町は、人も、風景も、何もかもが刺激に満ちていた。〔…〕

はじめは「輿味本位」だった私は、避難を余儀なくされても心折れずに前進しようとしている烈しい人たちを目の当たりにして、福島に取り込まれていった。私は、福島で出会った人たちが「他人」から「知り合い」になり、「大事な人」となっていくにつれて、「輿味本位」でここに来たことを忘れていった。(本書)



著者は、3度目の3.11からひと月ほど経った桜の季節に、躁うつ病(双極性障害)を発症する。しかし「彼」たちを記録したい思いは、ヒューマンな喜劇として映像がそのまま立ち上がってくるような見事な作品となって結実する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.10.18

◎08メディア的日常│T版 2015年9月~10月

08_2

★中森明夫『寂しさの力』

死んだ人は「いない」ということに。

もう二度と会うことはできないのだと。

その瞬間、心に浮かぶ感情は何でしょう?

そう、「さみしさ」です。

いわば「悲しさ」が終わった時から、「さみしさ」が始まる。

★中森明夫『寂しさの力』△2015

**

『寂しさの力』は、妻も子もいない50男の母恋いモノローグ本。

「悲しさは一瞬、さみしさは永遠――。」とか「(アイドルって)『好きになってもらう仕事』じゃないですか。」など気の利いたフレーズもある。

が、坂本龍馬もディズニーもヒトラーもスティーブ・ジョブズも山口百恵も、その人生を「さみしさ」の一語で集約するトンデモ本。

**

 

 

★ヤマザキマリ『望遠ニッポン見聞録』

日本でのビールはアイデンティティも自己主張もない。

飲んでくれる人に爽やかな快感を味わってもらおうというサーヴィス精神旺盛なあのフレンドリーな美味さは、本当に素敵だし、日本人の幸せにはなくてはならない飲み物ではないかと思う。

★ヤマザキマリ『望遠ニッポン見聞録』△2012

**

youは何しに日本へ?」というテレビ番組を愉しんだ時期があったが、あれも結局はやりの日本絶賛番組の一つと気づき見なくなった。

日本絶賛本は海外に居住する日本人によるものが定番。本書『望遠ニッポン見聞録』もその一つ。

著者はイタリア人と結婚し、シリア、ポルトガル、アメリカで暮らし、現在はイタリアに在住とか。なんだか気味の悪い内輪褒め“内向き日本”はいつまで続く?

**

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.09.22

藤原智美◎文は一行目から書かなくていい──検索、コピペ時代の文章術

20110922_2

*

たしかにデジタルのネットワーク空間を飛び交う情報が爆発的に増えたいま、情報に価値を与えるキュレーターの存在感は増しています。

ランキングに依存すると書き手としての嗅覚が鈍るといいましたが、自分の価値観に近いキュレーターを見つければ、最小限の時間と手間で魅力ある情報にアクセスすることも可能になります。〔…〕

キュレーターは情報の発信者のようなイメージがあるかもしれませんが、実際にやっていることは付加価値が高いコピペといってもいい。

もちろん単なるコピペとは目的も価値も異なりますが、クリエイターのように自分で何か新しいものを生み出すわけではないことを忘れてはいけません。〔…〕

クリエイターの層が薄くなって新しいものを生み出す力が弱くなっていくと、その先にあるのはリユース、リサイクルの世界です。

リユース、リサイクルというとエコな感じがして悪くない印象を与えてしまうかもしれませんが、実態は素材の使いまわしです。

──「キユレーションとは何だろう」

◎文は一行目から書かなくていい──検索、コピペ時代の文章術│藤原智美│プレジデント社│ISBN9784833419598201105月│評価=○

<キャッチコピー>

電子メディア隆盛のいま、何をテーマに、どのように書くか。ノンフィクション作家でもある著者が、プロとして身につけたテクニック。そのすべてを伝えます。

<memo>

──出版の現場では、すでにその動きが市民権を得ているといってもいいでしょう。実際、ニーチェやピーター・ドラッカーの著作を素材にした本がベストセラーになっています。これは編集者のキュレーション能力の勝利です。ただし、古典をリユース、リサイクルしたものが売れるというのは、いまの時代を生きる書き手の力が衰えているということの裏返しでもあります。(本書)

*

以下、本書の孫引き……。

アメリカ合衆国の第28代大統領トーマス・ウィルソンのエピソード。あるときウィルソンは「ちょっとひとことを」とスピーチを頼まれて、次のように切り返したそうです。1時間の講演なら、すぐにでも始められますが、3分間のスピーチとなると、一晩は考えないといけません」(外山滋比古「日本語の散歩道」)

──わたしたちの読書行為の底には『過去とつながりたい』という願いがある。そして文章を綴ろうとするときには『未来へつながりたい』という想いがある。(井上ひさし『自家製 文章読本』)

藤原智美■ 暴走老人! 

村田喜代子◎縦横無尽の文章レッスン

高橋源一郎◆大人にはわからない日本文学史

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.09.21

佐々木俊尚◎キュレ-ションの時代 ──「つながり」の情報革命が始まる

20110921

*

情報のノイズの海の中から、特定のコンテキストを付与することによって新たな情報を生み出すという存在。それがキュレーター。

あるアメリカ人のブロガーは「コンテンツが王だった時代は終わった。いまやキュレーションが王だ」と書きました。

一次情報を発信することよりも、その情報が持つ意味、その情報が持つ可能性、その情報が持つ「あなただけにとっての価値」、そういうコンテキストを付与できる存在の方が重要性を増してきているということなのです。〔…〕

キュレーション・ジャーナリズムという言葉も生まれてきています。一次情報を取材して書くという行為の価値はインターネット時代に入ってもなくなるわけではありません。

しかしそうした一次取材を行うジャーナリストと同じぐらいに、すでにある膨大な情報を仕分けして、

それらの情報が持つ意味を読者にわかりやすく提示できるジャーナリストの価値も高まってきているということなのです。

これは「情報」というものの価値を180度転回させる、画期的なパラダイムの転換なのです。キュレーションの時代が、私たちの前に開かれようとしているのです。

◎キュレ-ションの時代 ──「つながり」の情報革命が始まる│佐々木俊尚│筑摩書房│新書│ISBN9784480065919201102月│評価=○

<キャッチコピー>

テレビ、新聞、出版、広告-。マスコミが亡び、情報の常識は決定的に変わった。ツイッター、フェイスブック、フォースクエアなど、人と人の「つながり」を介して情報をやりとりする時代が来たのだ。いまやだれもが自ら情報を選んで、意味づけし、みんなと共有する「一億総キュレーション」の時代なのである。渾身の情報社会論。

<memo>

キュレーション【curation】無数の情報の海の中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有すること。

以下、「あとがき」から……。カタカナ8つの意味が分かりますか?

「世界の情報を流通させる巨大なソーシャルメディアプラットフォーム。その上に形成されていく無数の情報ビオトープ。それらのビオトープに接続し、視座を提供する無数のキュレーターたち。そしてそれらキュレーターにチェックインし、情報を受け取るフォロワーたち。グローバルなプラットフォームの上で、コンテンツやキュレーター、それに影響を受けるフォロワーなどが無数の小規模モジュールとなって存在する。その関係はつねに組み替えられ、新鮮な情報が外部からもたらされていく。そういう生態系の誕生。これが本書で述べてきた情報の未来のビジョンです」。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.09.13

朴一◎僕たちのヒーローはみんな在日だった

20110913

*

『在日』という出自が「精神的苦痛を受ける性質のもの」つまり「恥ずかしいものである」と裁判所で認定されてしまうことになると主張している。

おそらく、在日という出自を「精神的苦痛を受ける性質のもの」でも「恥ずかしいもの」でもないと認定される社会にしていかなくては、在日コリアンへの偏見や差別はなくならないというのが、山野氏の論旨であると思われる。

一見、こうした主張はもっともらしい考え方のように見える。〔…〕

とはいえ、すでに論じてきたように、在日コリアンという出自を負のイメージで捉えてきた日本社会の偏見や差別が完全になくなったわけではない。

こうした偏見や差別にさらされたくないという思いから、日本国籍を取得し、在日という生い立ちを隠して生きている人々に対し、出自を恥ずかしがる必要はないと言って、出自を暴くというのは、

差別をなくそうと言いながら差別に加担する、まさに本末転倒な行為であると言わざるを得ない。

◎僕たちのヒーローはみんな在日だった│朴一│講談社│ISBN9784062168854201105月│評価=△

<キャッチコピー>

在日コリアン3世、舌鋒鋭い論客・朴一が、戦後復興期の英雄・力道山からアジアカップ優勝を決めたストライカー・李忠成まで、隣の国からやってきた日本の興行界の花形スターたちの生き様、パワーの源、知られざる苦悩を赤裸々に描くー。

<memo>

山野車輪『マンガ嫌韓流』は、ある事件の容疑者を日本に帰化する前は在日コリアンだったと暴露したことで名誉毀損で訴えられた。出自や民族名を明らかにした正当性の主張の一つとして「『帰化以前の身分の記載はプライバシー侵害である』という主張が認められたりすれば、それは『在日』という身分は公開された場合に精神的苦痛を受ける性質のものであるということ、……つまり『在日』という身分は『恥ずかしい』ものであるということが、裁判所で認められた上、判例となってしまう」と山野氏はマンガの中で反論する。上掲は、それに対する批判。しかし本末転倒の行為が本書自体に当てはまる気がしないでもない。

 

野村進★コリアン世界の旅

関川夏央★ソウルの練習問題

田月仙■ 禁じられた歌――朝鮮半島音楽百年史

姜尚中■ 在日

| | コメント (0) | トラックバック (0)