上間陽子◆海をあげる …………娘にいつか読んでほしいという思いが伝わって
これからあなたの人生にはたくさんのことが起こります。そのなかのいくつかは、お母さんとお父さんがあなたを守り、それでもそのなかのいくつかは、あなたひとりでしか乗り越えられません。
だからそのときに、自分の空腹をみたすもの、今日一日を片手間でも過ごしていけるなにものか、そういうものを自分の手でつくることができるようになって、手抜きでもごまかしでもなんでもいいからそれを食べて、つらいことを乗り越えていけたらいいと思っています。
そしてもし、あなたの窮地に駆けつけて美味しいごはんをつくってくれる友だちかできたなら、
あなたの人生は、たぶん、けっこう、どうにかなります。
そしてもうひとつ大事なことですが、そういう友だちと一緒に居ながらひとを大事にするやり方を覚えたら、あなたの窮地に駆けつけてくれる友だちは、あなたが生きているかぎりどんどん増えます。本当です。
◆海をあげる 上間陽子 /2020.10/筑摩書房
著者上間陽子(1972~)は、琉球大学教授。前著に『裸足で逃げる――沖縄の夜の街の少女たち』(2017)がある。キャバクラなど風俗店で働く女の子が、家族や恋人や知らない男から暴力を受け、逃げる。著者は、スーパーバイザーとしてかかわり、また直接の支援や介入を行い、居場所をつくる活動をしている。同書では多くのケースが紹介されている。
本書では子どもをもつ17歳の母親のケースを扱っている。
著者が行っている「若年出産女性調査」は、10代で母親になった若い女性たちへの聞きとりをワンショットサーベイ(単発の聞きとり調査) で企画したもので、現時点で74名にとある。性暴力をあつかった聞き取りは、語り手も聞き手も大きな痛みを伴う。
――そうやって聞き取ったほとんどは、しばらくのあいだは書くことができないことだ。語られることのなかった記憶、動くことのない時間、言葉以前のうめき声や沈黙のなかで産まれた言葉は、受けとめる側にも時間がいる。(本書)
したがってその著者の日々を描いたエッセイもまた、著者の痛みを伴う経験を隠さずに告白している。
まずごはんをよく食べる娘の話から、「娘にごはんのつくり方を教える日が来ることを楽しみに待つ」、一転、「私には食べものをうまく食べられなかった時期がある」。
そして自らの離婚話になる。仕事の都合で別々に暮らしていた時期があり、帰省した夫から、「長く恋人がいたこと、その恋人は近所に住んでいる私の友だちであること、ひと月前に別れたこと」などを告白される。
――ふと思いついて、「玲子はさ、子どものときみたいになにひとつ傷がないような人生と、優しくしてあげたひとにぼろぼろになるまで騙されて、それでも大人になった人生とどっちがいい?」と聞いてみた。
そしたら、なにをあほなことを言っているのだという顔をされて、「大人になったほうがいいやろ。ぼろぼろでもなんでも。ひとに優しくできるほうがいいやろ」と即答された。(本書)
上掲は、離婚で悩んでいたとき親しい友人たちに支えられるが、その後友人の一人玲子との会話の部分(著者は10年後に再婚する)。
普天間飛行場移設、辺野古新基地建設問題に関し、本土との落差に思いを巡らす。
――富士五湖に土砂が入れられると言えば、吐き気をもよおすようなこの気持ちが伝わるのだろうか? 湘南の海ならどうだろうか?
〔…〕これは沖縄にとって「最良の決定」だとみんなは思うのだろうか? (本書)
沖縄戦で捕虜収容所に入れられたことのある女性はの話。
――女性は戦後生きてきた自分のことを、「艦砲の喰ぇぬくさー」だと私に言った。艦砲射撃という化け物が、人間を喰い散らかしたあとに残った残骸という意味だ。(本書)
日々の生活のなかからの思いを綴ったものだが、この1冊を成長した後の娘に読んでほしいという思いが伝わってくる。