09/旅ゆけば

2021.02.15

大原扁理◆いま、台湾で隠居してます――ゆるゆるマイノリティライフ                …………でも台湾だから、ひきこもりでも大丈夫なんです。

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 無料で誰でも使えるインフラが整っているということは、自分の経済力でインフラを整えられない社会的弱者にもやさしいってことなんですよね。


 最悪、このまま下流老人になっても、路上生活者になっても、台湾でなら生きていけるかもしれない。
 でも私がそう思うのは、たぶん、無料の水やWi-Fiや、スマホの充電スポットだけの話ではないんじゃないか、という気がする。


 台湾社会には、「どんな人も、居ていい存在である」という共通認識のような気分があるんです。


排除されないこと。これって人間的インフラともいえるんじゃないかな。

◆いま、台湾で隠居してます――ゆるゆるマイノリティライフ 大原扁理 /2020.12 / K&Bパブリッシャーズ


 大原扁理(1985~)。著書に『20代で隠居 週休5日の快適生活』『年収90万円で東京ハッピーライフ』『なるべく働きたくない人のためのお金の話』。

 著者のいう“隠居生活”とは、
 ――週に2日だけは生活費のために働くけれども(介護の仕事をしていました)、あとの5日はなるべく社会と距離を置き、年収100万円程度稼いだら、あとは好きなようにさせてもらう、という感じ。少労働、低消費、そして省エネ型の最高な生活。
 その“隠居生活”を31歳で台湾に移住し体験した3年間を綴ったもの。

 ――これを「台湾ガイド本」としてどこかに紹介された困るどうしょう!(いやないか、笑)
 と書いているが、いやいや出発前の手続きから台湾での暮らし、気候と衣服、食事、言語、台湾人論までいたれりつくせりの“実用ガイド本”である。

 しかし“ガイド本”にとどまらないのが、著者の生き方である。会社勤めをせず、拘束が最小限ですむ生活は、著者がLGBTQのジェンダー分類のGにあたることや定期的にウツ症状(たとえば、この世のすべてに対して1ミリも興味関心が持てないのですべてがどうでもよくなり、食事や生活が崩れていく)がでることに起因するらしい。「台湾でウツは治るのかレポ」という章がある。

「私はインスタント言語障がい者」という章がある。「言語が不自由な外国人」というマイノリテイの立場で暮らすことで分かったこと。

 ――なんでわざわざマイノリティ体験をしなくちやいけないのかって思うかもしれません。が、これを経験しておくと、誰のためでもなく、自分自身のためにいいんですよね。幻想を捨てることができると、自分がめちゃくちゃラクになれるんです。
他の人と違ってても、わかりあえないところがあっても、ガッカリしなくなる。だって、わかりあえないのがデフォルトだから。

 言語が不自由な外国人の著者は、台湾で相変わらず引きこもりながらも、「友人未満、他人以上」の近所づきあいで自らを解放していく。

 ――でも台湾だから、ひきこもりでも大丈夫なんです。 

 

 

 

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2020.12.21

09/旅ゆけば・10/オンリー・イエスタディ・14/シンプルライフ・イズ・ベスト◆T版2020年…………◎西牟田靖・極限メシ! ◎梁石日・夜を賭けて◎プレイディみかこ・ワイルドサイドをほっつき歩け

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09/旅ゆけば
西牟田靖★極限メシ! あの人が生き抜くために食べたもの 2019.11/ポプラ社

 

  一週間だけ出かけたアフガニスタン。そこで私は、極限下での食事が、ひとときでも不安を和らげ、心の平穏を取り戻してくれるのだと思い知った。

私が“極限メシ”というテーマでインタビューを始めようと思ったのは、アフガニスタンでとった食事のことが約20年経った今もなお、忘れられないでいたからだ。

*
「覚悟の上で極限へと飛び込んだ者、意図せぬ形で極限へと巻き込まれた者」――角幡唯介・白川優子・服部文祥・齋藤正明・佐野三治・中島裕各氏へのインタビュー。

 

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10/オンリー・イエスタディ

梁石日★夜を賭けて 1994.12/NHK出版

 

「飢えには勝てん」――このひと言が鋭い刃のようにみんなの胸を突き刺した。

飢えは警察よりも砲弾よりも死よりも恐ろしい。

いっそ死ねるものなら死んだほうがましであった。

飢えは死ぬことよりつらいのだ。

*

――悪夢を見ているのか現実に起りつつあるのか

空白状態の終焉のような地の涯てから

極度に緊張した毛細血管が噴きだし

アーッと悶絶の叫びがあがった

 

「そうや。わしらは何も悪いことしてない。後片付けしてやってるだけや。何が国有財産や。

国有財産やったら、もっとちゃんと管理せんかい。死んだ人間をまだあちこちに埋まったまま10年以上も放ったらかしにしておいて、国有財産もくそもないわい」

大阪造兵廠跡で、屑鉄を掘り起こして生活していた“アパッチたち”は警官隊との死闘の末に壊滅する。――戦後50年を総括するピカレスクロマン。

 

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14/シンプルライフ・イズ・ベスト

プレイデイみかこ★ワイルドサイドをほっつき歩け――ハマータウンのおっさんたち

2020.06/筑摩書房

 

英国の階級はいまどういうことになっているのか。

英国は不思議な国である。別にインドのようなカースト制度があるわけでもないのだが、「英国は階級社会」というのが世界の人々の常識になっていて、それが別に何の根拠もない単なるイメージなのかというと、実のところそんなこともない。人々の意識の中に、「階級」というものが何故かいまなおしっかりと組み込まれている。〔…〕

 BBCニュースのサイトには、 CLASS CALCULATOR(階級算出機)なるものがあり、自分がどの階級にあたるのか判定できるようになっている。

 質問事項は、まず年収と貯金、つぎに交際している人たちの職業、自分がしている文化活動。これで7つの階級のどれに該当するか判定される。

  1. エリート(富をもつ特権的階級)
  2. スタブリッシュト・ミドル・クラス(名声を認められた中流階級)
  3. テクニカル・ミドル・クラス(研究職、科学技術職)
  4. ニュー・アフルエント・ワーカーズ(新しい裕福な労働者)

  5. トラディショナル・ワーキング・クラス(伝統的な労働者階級)

  6. イマージェント・サービス・ワーカーズ(新興のサービス業労働者)

  7. プレカリアート(貧困階級)

 

 

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2020.12.13

西山厚★語りだす奈良1 1 8の物語★語りだす奈良ふたたび        …………仏教とは何かをやさしく教えてくれる

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元気いっぱい幸せいっぱいの人が仏像を造らせたりはしない。仏像の背後には、それを造らせた人の苦しみや悲しみがきっとあるに違いない。

阿修羅像は、子を失い母を失った光明皇后の深い悲しみが生み出した仏像である。

 

★語りだす奈良1 1 8の物語 /西山厚 /2015.10 /ウエッジ
★語りだす奈良ふたたび  /西山厚 /2019.06 /ウエッジ


 ――奈良にはたくさんの物語がある。悩み苦しみ、傷つき悲しみながらも、精一杯の人生を送った人々が生み出した、たくさんの物語。(本書)

 元奈良国立博物館学芸部長が毎日新聞奈良版に連載したエッセイをまとめたもの。
 奈良の伝統行事やそれを守り伝える人々との交遊のなかから奈良の魅力や寺社の歴史をわかりやすく綴る。そしてなによりも仏教とは何かをやさしく教えてくれる。以下、その抜粋……。
*
 阿修羅像の背後には、お母さんを亡くした光明皇后の深い悲しみがある。その悲しみに思いをばせながら向き合わないと、阿修羅像のことは理解できない。阿修羅に本当に出会ったとはいえない。
*
 聖武天皇の苦しみが大仏を生み、光明皇后の悲しみが正倉院宝物を生んだ。幼くして母を亡くした鎌倉時代の叡尊はその悲しみを力に変えた。苦しみや悲しみからしか生まれてこないものがある。苦しみや悲しみが、やがてやすらぎゃ大きな喜びを生み出していく不思議。
*
 仏像の手のさまざまなポーズには、すべて意味がある。右手を胸の高さまであげて、手のひらを外に向けるポーズは「施無畏印」という。畏れ無さを施す。悩みを抱えてやってきた人、苦しみを抱えてやって来た人に、微笑みながら、「だいじょうぶだよ」と、やさしく言ってくれている。
*
 仏教は悩み苦しむ人のためにある。だから、僧侶は誰よりも苦しんでほしい。この世は苦しみに満ちている。その苦しみのすべてを、僧侶は自分の苦しみとして受け止めてほしい。それができた時、いや、本気でそうしようとした時、僧侶の言葉は、苦しむ人たちの胸にしみ入るに違いない。その時こそ、僧侶は、真の癒やし手となることができるのだと思う。

 

 

 

 

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2020.11.18

村上春樹★一人称単数      …………傑作短篇「品川猿の告白」を読みながらひとり旅を思う

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「私は考えるのですが、愛というのは、我々がこうして生き続けていくために欠かすことのきない燃料であります。その愛はいつか終わるかもしれません。あるいはうまく結実しないかもしれません。

 しかしたとえ愛は消えても、愛がかなわなくても、自分が誰かを愛した、誰かに恋したという記憶をそのまま抱き続けることはできます。

 それもまた、我々にとっての貴重な熱源となります。

 もしそのような熱源を持たなければ、人の心は――そしてまた猿の心も――酷寒の不毛の荒野となり果ててしまうでしょう。〔…〕かつて恋した七人の美しい女性のお名前を大事に蓄えております。私はこれを自分なりのささやかな燃料とし、寒い夜にはそれで細々と身を温めつつ、残りの人生をなんとか生き延びていく所存です」

 ――「品川猿の告白」

★一人称単数  村上春樹 /2020.07 /文藝春秋


 『一人称単数』には短篇8篇が収められている。うちこの「品川猿の告白」が群を抜いて魅力的だ。

 思いつくままに一人旅を続けていた「僕」は、群馬県の某温泉の小さな旅館で、年老いた猿に出会う。街外れのただ古びているだけの宿で、そこに住み込み風呂の世話や掃除をしている。「僕」はその猿とビールを飲みながら語り合う。

 小さい頃から人間に飼われ、そのうち言葉を覚えてしまったという。かなり長く東京品川区の無類の音楽好きの大学の先生宅におり、先生に合わせてブルックナーが好きだという。「はい、七番が好きです。とりわけ三楽章にはいつも勇気づけられます」

 このあたりから村上ワールドに引き入れられる。

 だが紹介できるのは、上掲の愛について、猿が私見を語り始めるところまで。

  ――究極の恋情と、究極の孤独――僕はそれ以来ブルックナーのシンフォニーを聴くたびに品川猿の「人生」について考え込んでしまう。小さな温泉町の、みすぼらしい旅館の屋根裏部屋で、薄い布団にくるまって眠っている老いた猿の姿を思う。並んで壁にもたれてビールを飲みながら、彼と一緒に食べた柿ピーとさきイカのことを思う。 (本書)

 当方の旅はたいていビジネスホテルだが、なんだか町の小さな旅館に泊まりたくなる。年老いた女将から、その地のまつわる昔のできごとを聞ききたい。旅に誘われるような1篇だが、なにしろ村上春樹である。

後半はそれから5年後の話だが、あっと驚く展開というかオチが用意されており、未読の読者のために口をつぐまざるをえない。

 

 amazon村上春樹★一人称単数 

 

 

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2020.09.23

清水潔★鉄路の果てに        …………還暦コンビのシベリア鉄道“お墓参り”旅

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 紙の隅には小さくこう記されていた。

 

 だまされた 〔…〕

 

 父はいったい何を言いたかったのだろうか。

 散逸寸前に見つけた数枚の走り書きと地図は何かの道標なのか。

 東海道線に重なって動き出した赤い線は、生命を帯びたかのように紙の上を進んでいた。

 下関から対馬海峡を渡ると、朝鮮半島の釜山から再び鉄道線上を進みソウルを経て大陸へ。中国のハルビンを抜け、その後はシベリア鉄道で遠くロシアのバイカル湖畔まで延びている。

 

 朝鮮、満州、シベリア……。

 西へ西へと鉄路をなぞっていく赤い導線。

 父が遺したこの線を、私は辿ってみたくなった。

 それが果たして「取材」なのか、何なのか。それはわからない。

 それでも私はその旅に出ようと思った。

 

★鉄路の果てに /清水潔 /2020.05 /マガジンハウス


 

 清水潔(1958~)『桶川ストーカー殺人事件―遺言』のジャーナリスト。

 青木俊(1958~)『尖閣ゲーム』の小説家。

 このずっこけ還暦コンビが、かつて清水の父が兵士として大陸へ渡った痕跡を訪ねて、いわば“お墓参り”の旅をした記録である。

 

 帯の惹句に、

「だまされた」

いつの時代も国は非情だ。

 別の帯には、

国は過ちを繰り返す。何度も。これからも。

シベリア鉄道に揺られながら日本近代史について考えました。

 とある。だが、こんな“過ち”もある。

 

現地ガイドのオリガさんが言う。

「この〔バイカル湖の〕氷の上に線路を敷いてシベリア鉄道の蒸気機関車を走らせたことがあるんです」

 

氷上鐡造失敗

咋朝巴里より或所に達した電報によれば二月二十八日貝加爾(バイカル)湖上の堅氷破砕し西伯利亜(シベリア)鐡造の機関車並びに車両五個は水中に陥落し将校四名、兵卒二十一名即死者を出したり。――東京朝日新聞1904年3月3日

 こういう記述を見ると、“過ちを繰り返す。日本近代史について考えました”が大仰に思える。

 モスクワと極東を結ぶシベリア鉄道の途中に九州ほどの大きさのバイカル湖があり、その迂回区間が未開通。その両岸を船で輸送するが手間がかかるし、冬場は氷で覆われる。そこでバイカル湖氷上に鉄道をという発想である。戦争の“狂気”は日本軍だけではない。

又々湖上の失敗

十五日バイカル湖にて西伯利亜予備兵七百七十名軍夫六十名溺死したり(氷上鐡造の陥落ならん)――東京朝日新聞1904年3月2 0日

 さて、上掲の「だまされた」という父のメモは何を意味するのか。

 父と同様に捕虜として抑留された日本人は57万人以上、ソ連兵に「日本へダモイ(帰還)だ」と貨物列車で運ばれるが、太陽の昇り、沈みから、列車が逆に西へ進んでいるのを知る。抑留者の手記などでなんども語られた話である。

 また、イルクーツクには当時8 1の捕虜収容所があり、1万8029人が強制労働をさせられ、そのうち1511名が死亡している。

 ――森林の伐採、同原木の貨車積卸し、原木整理、道路作り、苔取り(ノルマあり)、建築(今のログハウスに似ている) 家、倉庫など。鉄道の路盤建設、枕木運び、秋はじゃが芋の収穫、便所の汚物掃除、水汲 川から、等、雑役多し。

 という父のメモにある収容所での強制労働の話も、各種体験記でよく知られた話である。わざわざ「だまされた」とこだわることもない。なかでも圧倒される辺見じゅん『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(1989)という傑作ノンフィクションがある。

 ついでに書けば、シベリア鉄道紀行は既に多くあり、まんが(織田博子『女一匹シベリア鉄道の旅』2015)まである。

 そういえば相棒がいう「酸っぱくて、腐っているような味がするという黒パン」が、食堂車でもイルクーツクのレストランでもお目にかかれない。ついにはガイドに案内してもらったスーパーで見つけ、大事に東京へ持ち帰る(もっとも別人の旅行記では、市場でキャラウェイシード入り黒パンを売っている)。

 というわけで、当方は“鉄道オタク”である著者のボストーク号の観察とシベリア鉄道のうんちく、あわせて食い物の目のない相棒との掛け合いを楽しんだ。

 その話の合間に父の時代の“忘れ去られそうな歴史”を復習し、とくに鉄道と戦争のかかわりを知るというのが当方の読み方であったが、それはもちろん著者の狙いでもあろう。

Amazon清水潔★鉄路の果てに

 

 

 

 

 

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2020.07.12

沢木耕太郎★旅のつばくろ         …………つばくろ【燕】「つじかぜやつばめつばくろつばくらめ」日夏耿之介

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 私は緑と青の美しい世界を歩きながら、どこかで思わないではいられなかった。もし、十代の頃ここに来ることができていれば、どれほど心を動かされたことだろうと。

 旅人は、いつでもそこに行くのが遅すぎたのではないかと思う。もう少し前に来ていたらもっと自然な佇まいが残されていただろう、これほど観光化されていなかったろうと。
 しかし、と一方で思わないでもない。〔…〕

 確かに、かつてのあの時だけが「時」だったのではなく、今も「時」なのかもしれない。
いや、むしろ、ようやく訪ねることができた今こそが自分にとって最も相応しい「時」だったのではないだろうか。
 今が、時だ。

 奥入瀬渓流沿いの遊歩道を逆に辿り返しながら、私はそう思うことにしようなどと考えていた。(「今が、時だ」)

 

★旅のつばくろ /沢木耕太郎 /2020.04 /新潮社


 JR東日本のPR誌「トランヴェール」に連載したエッセイ。著者の初めての一人旅は、16歳のときの東北一周旅行だったという。

 ――このときの経験が、その後の私の旅の仕方の基本的な性格を決定したのではないかと思われる。いや、もしかしたら、それは単に旅の仕方だけでなく、生きていくスタイルにも深く影響するものだったかもしれないと。 (あとがき)。

 沢木は50年前の旅をなぞるように三陸海岸浄土ヶ浜、津軽半島龍飛崎、秋田の藤田嗣治の絵、また16歳のとき積雪のため断念した奥入瀬などを訪ねる。著者は“再訪”によって新旧の旅をつむぐ。

 蟹田という津軽線の駅で途中下車し、太宰治の文学碑を訪ねる章がある。
 1956年、檀一雄が劇団員の若い女性とともにこの文学碑の除幕式に参加する。のちに『火宅の人』を生む契機となる。沢木には『壇』という『火宅の人』の妻を描いたノンフィクションがある。「不道徳な!というようなお叱りを受けることになるのかもしれないけれど」と断わりを入れて、以下……。

 ――檀一雄は、この蟹田行きを契機に、連れてきた劇団員の若い女性ともうひとつの文学的な青春を生き直すことになる。
 作家には、たとえそれが「不倫」であれ、誰かに惹かれているという心の華やぎが精神を若返らせ、作品に艶を与えることがある。 (「心の華やぎ」)

 当方70代であった2013年から3年続けて、奥入瀬を含め東北の地を一人旅したことがある。しかし20代の一人旅の平泉中尊寺、終着駅三厩、龍飛崎などの地は、再訪しなかった。昔の記憶にある風景を塗り替えたくなかった。

 ところで先般読んだ佐々涼子『エンド・オブ・ライフ』(2020)の中で、著者の年老いた父が年老いた母をひとりで介護する章がある。その父の家庭や施設や病院での言動の一つ一つが胸を打った。テレビドラマ『ながらえば』(山田太一作)の笠智衆を思い浮かべた。

 そこでオンデマンドで、山田太一作、笠智衆主演の『ながらえば』(1982)『冬構え』(1985)『今朝の秋』(1987)を見た。このうち『冬構え』は、当時見ていたが、まったく記憶に残っていなかった老人の東北への一人旅である。老残の身に耐えがたく死の決意を秘めた旅であった。

 鳴子温泉から始まり、東北各地へのロードムービーだが、当方の訪ねた田老の津波防潮堤、遊覧船にウミネコの群がる浄土ヶ浜もなつかしく画面に現れる。
ただし当方の旅は、老残の身ではあっても死の旅ではなく、大震災の鎮魂の地を訪ねる旅であった。

――つばくろ【燕】
つばくらめから転じたもので、つばめの意。詩人の日夏耿之介
の句に「つじかぜやつばめつばくろつばくらめ」がある。  (本書)

 

Amazon沢木耕太郎★旅のつばくろ

 

 

 

 

 

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2019.10.02

江國香織◎旅ドロップ

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  絵を買うのは勇気のいることだ。自分がその絵にふさわしいかどうか心配になる。

  その絵にふさわしい場所を与えられるのかどうかも。動物を飼うのと似た責任を感じる。

  しかも、絵は動物と違って死んだりしないので、私が買っても、それは私が死ぬまで(あるいは手放すまで)あずかっているに過ぎない。(「年中眺めていたかった版画のこと」)

#江國香織◎#旅ドロップ  2019.07/小学館


  JR九州の「旅のライブ情報誌」『Pleaseプリーズ』に連載の11,000字程度の短いエッセイ。

 上掲は、パリ、セーヌ川ぞいの画廊で見つけた緑色を基調にした版画。店主に、一晩考えたいので一日だけその絵を売らないでほしいと頼んだ。が、心は決まっていた。それを掛ける場所について考えていた。ところが翌朝、ホテルを出て、歩いても歩いても、その店が見つからない。川ぞいなので迷うはずがないのに、おなじ道を何度往復しても見つからない。

 絵といえば、同氏の旧著『日のあたる白い壁』(2001)を思いだした。

 画家27人の絵にまつわるエッセイ集。“絵を見ること。その見た絵を文字にすること”の理想的なサンプル本だった。

  本書にはこんなフレーズもある。

  ――それにしても、世のなかではなぜこうもにこやかがよしとされているのだろう。もしほんとうに“いつもにこにこ”している人がいたら、それはかなり不気味だ。笑顔というのはもっとプライヴュートで、ありふれてはいても特別で、輝かしく幸福なもののはずなのだから。 (「にこやか問題」)

  ――昔、家族で外食したり親戚の家を訪ねたりして、半日くらい家をあげたあと、帰ると母がよく門の前で、「ああ、よかった、家がまだあって」と言った。〔…〕いまは、母の気持ちがこわいほどわかる。「ああ、よかった、家がまだあって」

旅から帰って嬉しい気持ちのほとんどは、それに尽きるのではないかと思う。 (「帰る場所のこと」)

 

江國香織◎旅ドロップ

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2017.02.05

角幡唯介★探検家、40歳の事情

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 じつはシロクマは陸生動物ではなく、アザラシやセイウチとおなじように海にすむ海獣に分類されており、肉にもアザラシと同じような海獣独特の潮のにおいが染みこんでいて、ちょっとクがある。

 だが、それが嫌味になっておらず、逆にその脂っぼい濃厚な味をひきたるアクセントになっており、とにかく口に入れるたびに思わず「うんめぇー」と声が漏れてしまうほど旨いのだ。〔…〕

 このときのシロクマ肉は北極一番というより、

日本のどんな焼肉屋で食べた肉よりも上質な、人生一番の肉だといっても過言ではなかった。

――「生肉と黒いツァンパ」

 

 探検家、40歳の事情|角幡唯介|文藝春秋|201610ISBN: 9784163905457|△

 

1位 シロクマ

2位 ホッキョクウサギ

3位 イッカク

4位 アザラシ

5位 チャー

6位 カリブー

7位 アッパリアス

8位 ジャコウウシ

9位 セイウチ

  これは著者による“北極の肉・味のランキング”である。

  本書は『探検家、36歳の憂鬱』に続くエッセイ集。探検の余話や小市民的日常を垣間見せる話を中心に編み、「読者にもこいつアだなぁと思って読んでもらえれば著者冥利につきる」とちょっと照れ気味の言い訳をあとがきに記している。

  なにしろノンフィクションについてストイックな考えをもつ探検家である。一読者である当方は『アグルーカの行方』での北極圏でのジャコウウシを殺して食べた場面が忘れられない。いや殺した母牛ではなく、そばにいたぬいぐるみのようにかわいい仔牛の鳴き声が今も耳に届きそうな場面が忘れられない。

 『アグルーカの行方』の圧巻シーンの“探検の余話”として、そのジャコウウシの味を第8位に挙げるんですか。それはないでしょう。

 また、峠恵子『冒険歌手――珍・世界最悪の旅』に若き日の著者が登場するが、本書の「マラリア青春記」では、そのニューギニア探検時の蚊に悩まされた話がでてくるが、これはまじめな“余話”である。

 ところで以前NHKBSの番組でベラルーシ国境から首都モスクワまでの国道1号線、1400キロ余りを、著者が自転車で走る「ロシア ルート1の旅」という番組を再放送で見たが、なぜ自転車なのか全く理解できなかった。また現地の人へのインタビューを画面の外のいる通訳に対してしているテレビの初心者ぶりが初々しくもあり痛々しくもあった。

 探検を何度も何度もできる訳がないので、“ノンフィクション作家・探検家”という職業に“書評家・エッセイスト”の肩書が加わるのはいいが、どうか“コメンテーター・リポーター”などテレビ方面にはいかないでいただきたいものだ。

 

角幡唯介□アグルーカの行方――129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極

角幡唯介▼探検家、36歳の憂鬱

角幡唯介◎空白の五マイル――チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む

角幡唯介◎雪男は向こうからやって来た

峠恵子■冒険歌手――珍・世界最悪の旅

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2016.12.04

西秋生■ハイカラ神戸幻視行

20161204

 

 (大倉山)の麓にある中央図書館は、日本探偵小説の源流の一つである。

 大正10年(1921)落成直後にここで開催された講演会で、当時の高名な評論家・馬場孤蝶が海外の探偵小説の動向を紹介したのを

聴いた江戸川乱歩が刺激を受け、デビュー作「二銭銅貨」を執筆するに至ったのである。

  の講演会には地元の横溝正史も来ていたが、その時には面識がなく、お互いそれとは知らなかった。

 

 ハイカラ神戸幻視行――紀行篇 夢の名残り|西秋生|神戸新聞総合出版センター|20169|ISBN: 9784343009135|

   上掲にあるように神戸市立図書館が大倉山の現在地に移転したのは1921年である(現在の建物は1981年)。乱歩が馬場孤蝶に書き上げた「二銭銅貨」の原稿を送ったのは知っていたが、神戸市立図書館での講演会がきっかけだとは知らなかった。

  JR神戸駅から楠公さんの東側の銀杏並木の道を北へ、大倉山公園の近くの職場に2年通ったことがある。大倉山の由来は知っていても、そこに伊藤博文の銅像が撤去後の台座部分が残されているとは気づかなかった。それが国会議事堂の中央、天に突き出した屋根の部分とそっくりだという。見に行かなくては……。

 本書は、上掲のような神戸という街の戦前、70~90年前の姿を、谷崎潤一郎、稲垣足穂など多くの文人の文章を引用しながら紹介する。

だが街歩きのガイドブックにしては、序章・夢の街へ、街の夢を訪ねて、第1章・世界一美しい“異国”元居留地、などタイトルが示すようにペダンチックである。そしてやや上から目線を気にしなければ、まことに好読物である。

  凝った装丁なのに、著者撮影の写真が難。神戸新聞連載時に写真部員が写していたらと、惜しまれる。なお『ハイカラ神戸幻視行――コスモポリタンと美少女の都へ』という前著もあるらしい。

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2016.11.17

仲村清司・藤井誠二・普久原朝充■ 沖縄 オトナの社会見学R18

20161117

 

藤井 普天間基地を見学するスポットはいくつかありますが、直下に飛行場を見下ろすことができる嘉数高台公園ははずせないでしょう。

 国道58号を走っていても、中部から北部に向かうと両側に米軍基地や米軍住宅、通信基地などが次々にあらわれて、その真ん中を走ることもあるから、いやおうなく沖縄に米軍基地が集中しているのかわかります。〔…〕

仲村 嘉数高台公園の入口に「普天間飛行場ちんすこう」というお土産を売っている移動販売車もありますね(20156月で閉店)。名物同士をくっつけたお菓子です。実にしたたかというか、たくましいというか。こういう商売もあるんだなあ。普天間飛行場は反基地派にとつては素通りできないポイント。屋台が出てもおかしくないわけだ。〔…〕

普久原 僕が嘉数高台に上ったのは、小中学生時に授業の一環で訪れて以来です。当時は普天間基地返還の話題はなかったので、

基地の見渡せるスポットというよりは、沖縄戦で多くの死傷者を出した激戦地として教わりました

■沖縄 オトナの社会見学R18 |仲村清司・藤井誠二・普久原朝充|亜紀書房|20165|ISBN: 9784750514727 |

   仲村清司。那覇市に住む大阪市生まれのウチナーンチュ2世。藤井誠二。那覇市にセカンドハウスをもつノンフィクションライター。普久原朝充。那覇市生まれの建築士。という3人が沖縄本島を歩いて、ディープな街を案内する。

  上掲の嘉数高台公園から真栄原新町が見える。もとは1950年代に米兵相手にできた特飲街で、沖縄の夜の名所としてしぶとく生き残っていたが、“浄化”市民運動で街は壊滅状態。

  ――真栄原新町はつい最近まで建物が残っていたので、街そのものが戦後史を語るオープンスタジオのようでした。いまやその貴重な風景も発掘されることなく壊されよぅとしている。もったいないですね。この点、沖縄は歴史の語り継ぎに失敗しているように思えます。(仲村)

  真栄原交差点から大謝名方面へ行くと左手に、山口組の沖縄進出による沖縄ヤクザ抗争の主役が射殺された「ユートピア」という大きなキャバレーがあった(いまはまったく痕跡がない)。

 次は、当時は12,000戸以上もあった外人集宅。

「(港川外人住宅には)沖縄そば屋、古着屋、パン屋、カフェなどが数十軒あって、歩いて、覗いて、コーヒー飲んでとかしていると日がな過ごせます。昔の間取りとか、風呂場とか洗面所とかそのままだから、当時の外人住宅の生活感がそっくり残ってます。ああいう再利用の仕方はいいと思う」(藤井)

 その次は、普天満宮。

「普天満宮洞穴の中は鍾乳洞になっています。沖縄戦以前の普天満宮の本殿はその鍾乳洞の内部にあったらしい。洞穴の入口には男女の生殖器のかたちをした陰陽石を祀っていますね。まさに男女の結合のパワースポットです(笑)」(仲村)。

 これが普天間編(前編)の街歩きルート。那覇編、コザ編、金武・辺野古編、首里編と続く。意識して街を歩くと地元でありながら観光気分を味わえるし、逆に他所の人間でないと発見できない魅力や価値を教えられる。 

  ふつうの観光ガイド本ではなく、こんな各地の歩き方本がほしいが、しかし本書にあるように行けばもうそこは街のかたちが変わってしまっているだろう。当方、それは司馬遼太郎の『街道をゆく』でなんども経験済みである。

仲村清司◎本音で語る沖縄史

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