10/オンリー・イエスタディ

2021.12.08

半藤一利◆昭和史 昭和史戦後篇 B面昭和史 世界史のなかの昭和史    …………“歴史探偵”の爺ちゃんが語る“おもしろくて、ためになる”昭和史

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 たとえば、国力が弱まり社会が混沌としてくると、人びとは強い英雄(独裁者)を希求するようになる。

 また、人びとの政治的無関心が高まると、それに乗じてつぎつきに法が整備されることで権力の抑圧も強まり、そこにある種の危機が襲ってくるともう後戻りはできなくなる。

  あるいはまた、同じ勇ましいフレーズをくり返し聞かされることで思考が停止し、強いのに従うことが一種の幸福感となる。


 そして同調する多くの仲間が生まれ、自分たちと異なる考えをもつものを軽蔑し、それを攻撃することが罪と思われなくなる、などなど。

  そうしたことはくり返されている。と、やっぱり歴史はくり返すのかなと思いたくなってしまいます。(『B面昭和史』あとがき)

◆昭和史 昭和史戦後篇 B面昭和史 世界史のなかの昭和史 半藤一利/2004~2018/平凡社


  “歴史探偵”、“昭和史の語り部”と称される半藤一利の著作に最初の出会ったのは『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』(1965)だった。当方が読んだには角川文庫版(1973)。といっても大宅壮一編とあり、半藤の名があるのは「あとがき」にある文藝春秋戦史研究会・半藤一利である。半藤名義で本書が出たのは、1995年である。

『半藤一利 橋をつくる人』(2019)のなかに、以下。


 ――「太平洋戦争を勉強する会」の名前じゃ売れない、半藤の名前じゃなおさら売れない、大宅壮一さんのところへ、編者として名前を貸してくれるようお願いに行け」、と出版局長の上林吾郎の命。

 ――大宅さんはちっとも読まないうちに快諾してくれ、その場で序文としてすらすらと喋ってもらったのを原稿に起こし、掲載しました。後日、大宅さんには御礼として5万円を持っていったのを憶えています。 

 ――退社と決まっていちばん最初にやったのは、『日本のいちばん長い日』を私の名前に返してくださいと、大宅壮一さんはもう亡くなっていましたから、奥さまにお願いに行ったことです。「恐れ入りますが、あの本には間違いがあり、それを全部直して決定版を出したいのですが、ついては著者名を私にお返し頂けないでしょうか」と。
 奥さんは快諾してくれ、会社に話してきちんと修正を済ませたあと、退職翌年の1995年に私の名前で決定版を出しました。

 ところで教科書では昭和に行く前に授業が終わってしまうので、まとまって昭和史を読んだのは三好徹『興亡と夢――戦火の昭和史(1)~(5)』(1986)だった。長い間愛読した。

 教科書のようにできごとを簡潔かつ羅列したものではなく、学者の本のように論文、注釈多しではなく、読み物として長丁場をらくらく読了できるもの。その唯一無二が『興亡と夢――戦火の昭和史』であった。
 
 いま手元に半藤一利『昭和史』4部作がある。著者が編集者に授業形式の語り下ろしによる「わかりやすい通史」として刊行された。三好徹『興亡と夢』よりも執筆時期が20年も新しいことに歴史の“現在”を知る意味がある。

『昭和史 1926-1945』(2004/平凡社ライブラリー 2009)
『昭和史 戦後編 1945-1989』(2006/平凡社ライブラリー2009)
『B面昭和史 1926-1945』(2016、平凡社ライブラリー 2019)
『世界史のなかの昭和史』(2018、平凡社ライブラリー 2020)

なお、当方は戦後編の途中である。まず年内に読了に至らない。

 

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2021.10.20

本橋信宏◆ベストセラー伝説     …………昔の受験参考書へのセンチメンタル・ジャーニーから今も愛読する小西甚一の本へ

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 物書き稼業をしてきた私の第一番のテーマがある。芥川龍之介、太宰治といった

文豪の白黒写真につくキャプションに、「1人おいて」という記述が目に付く。1人おかれてしまった人物の人生を追うのが、私が自分に課したテーマであった。

そして「1人おいて」いかれてしまった人物の多くが、編集者である。

 今回、黒子であるべき編集者でも、1人おかれてしまった人物を特定して記録することに努めた。ベストセラー書に人間の顔をつけたかったのだ。(「おわりに」)

 

◆ベストセラー伝説  本橋信宏 2019.06/新潮社


 “ノンフィクション専科”の当方は、ノンフィクション作家の発言を拾い集めている。上掲「おわりに」の一文を収集したことで、当方にとって本書の役割は終わった。だが本書で1人おかれた編集者ではなく、気になる著者を見つけたので、以下……。

 ベストセラーを扱った本といえば、なぜベストセラーになったかを時代背景や人々の意識など考察し、また逆に本から時代を読み解き、“こうして生まれた”という秘密を探るのが定番である。ところが本書は、

 ――夕陽の向こうに消えていった懐かしい出版物とそれを作った編集者たちの物語です。

 といきなり冒頭に、感傷的なフレーズがあり、著者本橋信宏(1956~)と担当編集者とのセンチメンタル・ジャーニーが始まる。著者が旅する少年、青年時代は、この雑誌と本……。

「冒険王」と「少年チャンピオン」、「少年画報」と「まぼろし探偵」、「科学」と「学習」、ポプラ社版「少年探偵シリーズ」、「平凡パンチ」と「週刊プレイボーイ」、「豆単」と「でる単」、「新々英文解釈研究」と「古文研究法」「新釈 現代文」、「ノストラダムスの大予言」。

 小西甚一「古文研究法」(1955・洛陽社)では、こんなふうに綴る。

 ――自他共に最高峰の古文参考書だと認める「古文研究法」は、語学的理解、精神的理解、歴史的理解の3部にわかれ、古文の世界を小西教授が案内していく。まるで大学の講義のように。語彙の解説では――。

 伊勢物語第一二三段のなかから〈やうやう〉という語句の意味〈しだいに〉〈だんだん〉を解説しながら、〈やうやうあきがたにや思ひけむ〉という文章を、〈だんだん愛情が持てなくなってきたように感じたのだろうか〉と訳す。

 そして参考書にしては異質な文章が顔を出す。

〈「死ぬほどお慕いしていますわ」といわれ、感動しないようなやつは、男でない(と私は信じる)〉

 小西節全開!
 小西教授の独特の文体に惹かれながら読み進むうちに古文の文法に親しみを覚えていく。(本書)

 

 著者が高校生の1970年代、「古文研究法」はやたらに熱い伝説の参考書として知れ渡っていたという。

 著者は小西甚一(1915~2007)宅を訪問し、もうすぐ90歳になる夫人と娘さんに会う。

 ――私が18歳のときに熟読した「古文研究法」を著者のご自宅に持参する。40年ぶりの帰還でもあろうか。各ページに書き込みがしてあるのを見て、おふたりが感嘆の声を漏らした。(本書)

 小西甚一といえば、当方にとって『俳句の世界――発生から現代まで』(1995・講談社学術文庫)である。「俳句史はこの1冊で十分と絶賛された不朽の書」である(ちなみに著者はちゃっかり自作の句「短日やうたふほかなき子守唄」を同書にまぎれこませている)。

 あわせて復刻版『古文の読解』(2010・ちくま学芸文庫)も手元にある。

 ――わたくしは、入試で合格点の取れる古文学習を紹介しようとする。
しかし、それは、合格点を取る要領であって、満点を取る方法ではない。よく考えてみたまえ。満点なんて、取ってみたところでどれだけの使い道があるか。

 合格さえすれば、あとは自分の専門で、のびのびと成長してくれたまえ。点数などにビクビクしているようでは、とても21世紀の日本を背おう人材にはなれない。が、合格しなくては、こまる。〔…〕

 およそ30年間、入試の出題と採点をしてきた罪滅ぼしに、この本を書いた。(同書)

 復刻されたこの『古文の読解』は、14刷62,000部というたいへんな売れ方だったという。いまの受験参考書はテクニック中心だが、かつては著者が熱い檄を飛ばしていたのである。

 

 

 

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2020.11.28

大西暢夫★ホハレ峠――ダムに沈んだ徳山村 百年の軌跡      …………撮影した著者の人柄まで写っているような写真が多数収録されている

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  門入(かどにゅう)にとってホハレ峠とは、物資の流通だった大切な道だが、

人と人が交差しあい、出会いや希望があり、多くの人たちの想いが詰まった峠道だったに違いない。

 春から秋にかけて、田畑の仕事をこなし、その合間をぬってボッカの仕事で現金を手に入れ、冬前になると街に出稼ぎに行った。そして芽吹く春に再び門入に帰ってくる。まだあどけない少女がそうして家族を支えてきた。

★ホハレ峠――ダムに沈んだ徳山村 百年の軌跡 /大西暢夫 /2020.04 /彩流社


 

 揖斐川上流の巨大な徳山ダムによって、岐阜県徳山村が廃村になった。写真家の著者は、そこに住んでいた老女廣瀬ゆきえと1991年に知り合う。

 老女の小学生の頃の生活から、隣県の紡績工場への就職、北海道の開拓村での新婚生活、帰郷し、集団移転など、2013年に93年の生涯を終えるまでを、老女の問わず語りや各地に取材を重ね、本書を著した。ダムの沈んだ村に暮した老女の一代記である。

 峠といえば山本茂実『あゝ野麦峠――ある製糸工女哀史』(1968)を思いだすが、本書でも14歳から冬は彦根の紡績工場で働いた話がでてくる。

 老女の住んでいた地域は水没を免れたが、危険地域に指定され、近くの本巣市へ集団移転する。

「ここは何年経っても旅館に泊まっとるような気がしてならんのや」とつぶやく老女は、やがて20年後にこう語る。

 ――「正直に言うと、もう金がないんじゃ。ダムができた頃は、一時、補償金という大金が入ってきて喜んだこともあった。でも今はそうじゃない。気付いたころには、先祖の積み上げてきたものをすっかりごとわしらは、一代で食いつぶしてまったという気持ちになってな。〔…〕

 金を使えば使うほど、村を切り売りしていくような痛い気持ちや」(本書)

 徳山村にかかわって30年、8年がかりで本書を出した著者はいう。

「100年の寿命と言われるダムは、一人の人間の寿命の長さでしかないのだ。わずか一代の時代を乗り越えるために、先代のすべてを食いつぶしてしまったのだ」 (本書)

 多くの写真が収録されている。「年の差87歳。徳山ダムが完成した年に生まれた筆者の娘と。(ゆきえさんの自宅にて)」という写真を見ると、撮影した著者の人柄まで写っているようだ。

 

Amazon大西暢夫★ホハレ峠――ダムに沈んだ徳山村 百年の軌跡

 

 

 

 

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2020.09.30

左右社編集部★仕事本 わたしたちの緊急事態日記            …………コロナ禍を避けた2020年4月の単調な日々を覚えていますか

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 緊急事態宣言が発せられた日、左右社編集部はすぐさま、仕事をテーマにした本をつくるべく、77人のさまざまな職業の人たちに、4月の日記を書いてもらうようお願いしました。それを構成したのが本書です。

 有名な人も無名な人も、20代も80代も、命の危険を感じながら治療する医者も、風評に悩まされるタクシー運転手もいます。日記を読むうちに、これまで職業名でしか認識していなかった人も、ひとりひとりの素顔が見えてきました。〔…〕

 ひとつの仕事は、誰かの生活につながり、その生活がまた別の人の仕事を支えている。


 本書は仕事辞典であると同時に、緊急事態宣言後の記録であり、働く人のパワーワードが心に刺さる文学作品でもあります。


 仕事は続くよ、どこまでも。

 

★仕事本 わたしたちの緊急事態日記 /左右社編集部 /2020.06 /左右社


 450ページの大冊である。しかも、日記。到底読めない。任意にページをめくって、気になるできごとを探したが、全体の1/4も読んでいない。たまたま開いたページのいくつかを紹介する。


 日常生活をリアルタイムで、その肉声に近い思いを日記のかたちで記録し、編集者の力量を示した貴重な“1次資料”である。

 *2020年4月1日(水)
 新型コロナウイルス感染症対策本部が開かれ、安倍晋三首相は全国の全世帯に2枚ずつの布製マスク配布を表明。「♯アベノマスク」がtwitterのトレンド上位に。
(なお3日前の3月29日、志村けんが新型コロナウイルス感染症に伴う肺炎により70歳で死去)

4月7日(火)――内科医
 ひとり目の診察に時間がかかってしまい、次の高血圧・糖尿病の男性が、いまの人が待合室で咳をしていた、もしコロナがうつったらどうするんだ、と診察室に入るなり怒りだした。あの咳は膠原病の咳で他人にうつらないから、と一生懸命なだめて長期処方して帰ってもらった。

4月7日(火) ――女子プロレスラー
 結局3日は無観客興行を打った。皆、動画配信ならではの試合を闘い切った。少しでも画面越しに楽しさを届けられるように。プロレスラーという生き物は、とにかくどんな形でもいいからお客さんを楽しませたいという気持ちが強い。しかし、緊急事態宣言が発令された今、その無観客興行ですら今後は難しいだろう。

*4月7日(火)
午後7時、首相は特別措置法に基づく緊急事熊宣言を発令することを発表。東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡を対象に、期間は5月6日までの1か月程度とした。

4月8日(水)――葬儀社スタッフ
「もしコロナウイルスだった場合……」すこし間を開けて書類の文事を読み上げた。
「お通夜お葬式はできません。場合によっては今日、火葬することになるかもしれません。病院で消毒した後、専用のビニール製の袋に、お父様のお体を収める必要があります。その後、面会はできません。火葬にも立ち会えません」
予想通り、電話の向こうでしばらく沈黙があった。
「家族であっても……ですか」

4月9日(木) ――薬剤師
 店内を眺めてみたらエタノール含有の商品、ガーゼを使った商品、体温計などが全くない。そういえば少し前日本在住の中国の人が体温計を大量に買い求めていた。先にコロナが大流行した中国に送ると言っていた。
 その時は日本がこんなになるとは夢にも思わなかった。日本中至るところメイドインチャイナだからひとたび事が起こると物資不足に陥る。

*4月12日(日)
 星野源「うちで踊ろう」と歌う映像に合わせて、安倍首相がお茶を飲んだりテレビを見たりして家でくつろぐ姿の動画が、首相の公式アカウントにアップされた。

4月15日(水)――夫婦問題カウンセラー
 本日は、某情報番組での「コロナ離婚」のコーナーに生電話出演。

*4月16日(木)
国民への一律の給付金は、一人当たり10万円として実現へ。

4月17日(金)――運送会社配達員
 4月に入り、遅配が目立っていたが、今日は配達中止の商品が複数出たこと。商品は、生肉や冷凍シーフード、清涼飲料水などである。驚く。理由は、想定された供給量よりも注文数が多く、発送センターの受入能力を超えたからとのこと。

4月18日(土)――小説家
 俺は毎日、同じことをしている。しようとしている、と言ったほうが正確か。顔を見れば、「えらいことになりましたな」「ほんまですな」以外、言うことがない、そして、顔見ることがない。だからひとりで言ってる。

4月20日(月)――留学生
 緊急事態宣言何日目(かな?) 私もわからなくなった(笑)。とりあえずバイトに戻った。留学生は自分の家賃とか生活費を稼がないとダメなのよ(笑)。

4月27日(月)――校長
 8月に開催予定だった全国高校総合体育大会の中止が決まった。〔…〕特に、スポーツ推薦で大学を目指していた高三生の気持ちを考えるといたたまれない。思えば、新高三生は、大学の入試改革における騒動に振り回され、そして今のコロナによる休校と、混乱が続いている。

*4月30日(木)
日本の新規感染者201人。クルーズ船乗客乗員を含む感染者数は累計15,140人、死者470人。岩手県では引き続き、感染確認者はゼロ。
*
 なお、2020年9月29付朝日新聞によると、国内の感染者82,712人、死者1,561人、退院者75,649人。
 また、ジュネーブ共同によると、米ジョンズ・ホプキンズ大の集計によると、新型コロナウイルス感染症による死者が29日、世界全体で100万人を超えた。感染者は3300万人を超えた。

 

 

Amazon★仕事本 わたしたちの緊急事態日記 

 

 

 

 

 

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2020.09.11

発掘本・再会本100選★遠いアメリカ /常盤新平     …………「ねえ、ハンバーガーって知ってる?」「ハンバーグのことなの」「どうも、ちがうような気がするんだ」

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 この銭湯は平日は三時に開く。〔…〕


 たしかに一種の解放感がある。それ以上に孤独感と敗北感がある。自分は生存競争から脱落してしまったという、この敗北意識はやりきれない。


 僕はどこに行くんだ、と重吉はいま鏡に向って問いかける。おぼつかない読解力で、薄汚れたペイパーバックや雑誌を読んでいたってしょうがないじゃないか。

 しかも、読むのが買うほうに追いつかないで、ペイパーバックと雑誌がどんどん増えてゆく。〔…〕
 頭のなかで、アメリカが大きくなり深くなり広くなり伸びてゆく。

★遠いアメリカ /常盤新平 /1986.08 講談社 


 「昼下がりの情事」や「くたばれ!ヤンキース」を映画館で見たとある。1957~58年の東京を舞台にした青春小説である。

 大学院をやめ翻訳の下請けをしながら、アメリカのペーパーバックや雑誌にのめりこんでいる重吉には、劇団員の椙枝(すぎえ)という4歳下の恋人がいる。クリーネックス・ティシューもピッツァも本や辞書でしか知らない。こんな会話がある。

 ――「ねえ、ハンバーガーって知ってる?」
「ハンバーグのことなの」
「いや、ゆうべ、探偵小説を読んでいたら、出てきた。私立探偵がロサンゼルスの郊外のコーヒーショップでお昼にこいつを食べている。どんな食べものだろうと、辞書を引いてみたら、ハンバーグ・ステーキとしか出ていない。どうも、ちがうような気がするんだ」

 父親からの仕送りに頼り、恋人に励まされながら、将来への自信が持てず、無為な日々を過ごしている。二人が会うのは、喫茶店と映画館。古本屋の主人、喫茶店のマスター、寿司屋の大将、町の人たちはみんなやさしい視線を送ってくれる。
 いつかアーウィン・ショーの『夏服を着た女たち』を翻訳することを夢みながら、やがて結婚を決意するところで小説は終わる。

 常盤新平は、この物語の女性と実際に結婚し、離婚。翻訳が実現するのは、20年後の1979年。さらにのち50代になってから書いた小説と聞くだけで、作家の業というか、切ないというかやるせないというか。まだ豊かでなかった昭和30年代に青春を送った読者にノスタルジーを呼んだのか、本書は直木賞を受賞した。

 いや、やさしいだけではない。こんな会話があった。

 ――「あなたって、気が弱そうで、人がよさそうに見えて、そのくせ、案外、図々しくて、狭いところもあるの。つまり、朴訥で狡猾」
重吉は、朴訥にして狡猾と言いなおす。
「お父さまにそっくり」
と椙枝はまだ笑顔で言う。 (本書)

 ここから話は『遠いアメリカ』から大きくそれる。“狡猾”で思いだすのだが、ともに早稲田出身の常盤新平と小林信彦とが編集者として登場し、しかも犬猿の仲という伝説。『ヒッチコックマガジン』編集長の座をめぐるトラブルだったと記憶するが、両者ともその言い分を小説やエッセイに記録している。だが、ここでは省略。

常盤新平(1931~2013)
大原寿人名義『狂乱の1920年代――禁酒法とジャズ・エイジ』(1964年2月・早川書房・ハヤカワライブラリ・¥290)

小林信彦(1932~)
中原弓彦名義『虚栄の市』(1964年1月・河出書房・河出ペーパーバックス・¥280)

 ともに処女出版で、当方は長年愛蔵した。『狂乱の1920年代』によって1920年代を描いたノンフィクションに深入りし、『虚栄の市』によって小林信彦にのめりこむことになる。

 ちなみにハヤカワライブラリには、福永武彦・中村真一郎・丸谷才一『深夜の散歩』(1963)、河出ペーパーバックスには、小田実『何でも見てやろう』(1961)と、これも当方が愛蔵した名品がある。

 常盤新平は、その後、

 ――翻訳業も虚業であると思わないわけにはいかない。しかも、どんなに頑張っても、翻訳が原作をこえることはないはずである。翻訳はそのように空しい仕事であるとも思う。

 と書き、小説も書くようになるのだが、失礼ながら本書『遠いアメリカ』は稚拙な小説で、以前つぎのように書いたことがあるが、その感想は今も変わらない。 

 ――そういえば『遠いアメリカ』(1986)で直木賞を受賞したが、小説家としては代表作といえるものを残していない。山口瞳が直木賞選考委員として強烈に推して、成功したのが向田邦子、失敗したのが常盤新平ではなかったか。

 二人の因縁は続き、最初の小説で直木賞を受賞した常盤新平に対し、小林信彦は、芥川賞3度、直木賞3度候補となるが、受賞に至らない。だが『ちはやふる奥の細道』など多くの傑作を残す。

 常盤新平は晩年も喫茶店好きは変わらなかったようで、そこで書いたような軽いエッセイに老境がにじんでいるようで、当方は好んで読んだ。たとえばこんなフレーズ。セピア色の切ない青春の話など当方は思いだしたくもないので、どんどん話はそれてしまった。

 ――気に入ったものがどんどん減っていき、気に入らないものがつぎつぎに増えている。この世に暮らすとは、そんな感じにつきまとわれることではなかろうか。

 

Amazon常盤新平★遠いアメリカ 

 

 

 

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2020.09.09

磯崎憲一郎★日本蒙昧前史     …………月日はあっても、年はない。職業はあっても、氏名はない。滅びゆく国の前史である。

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プライバシーもへったくれもあったものではない、思い出してみればみるほど、じっさい酷い時代だったのだ、この時代の人々が果報に恵まれていたなどというのも、本当かどうか怪しいものだ。しかしそんな時代であっても、後の時代に比べればまだまともだった、不愉快な思いに苛まれずに済んだ、そう思えてならないのは、

けっきょくこの国は悪くなり続けている、歴史上現れては消えた無数の国家と同様に、滅びつつあるからなのだろう、いかなる国家も、愚かで、強欲で、場当たり主義的な人間の集まりである限り、衰退し滅亡する宿命からは逃れられない、

我々は滅びゆく国に生きている、そしていつでも我々は、その渦中にあるときには何が起こっているかを知らず、過ぎ去った後になって初めてその出来事の意味を知る、

ならば未来ではなく過去のどこかの一点に、じつはそのときこそが儚く短い歴史の、かりそめの頂点だったのかもしれない、奇跡のような閃光を放った瞬間も見つかるはずなのだ、

★日本蒙昧前史 /磯崎憲一郎 /2020.06 /文藝春秋 /◎=おすすめ


 滅びゆく国の前史である。それは1970~80年代。
 だが月日はあっても、年はない。
 職業はあっても、氏名はない。

 しかしあえて年を表示すれば、……。

 1984年 誘拐された製菓会社の社長 
 1976年 五つ子の父となった記者
 1972年 グアムから帰った元日本兵
 1970年 万博太陽の塔の目玉男 

 句点(。)よりも読点(、)を多用し、改行を避けながら、しかし一気に読ませる。

 事件が世間をにぎわすことがなければ、無名のまま一生を終えたはずの男たち。だが蒙昧なのは事件や男たちではなく、メディアそのものではないか。
そしていまやマスメディアの劣化は目を覆うばかり、ソーシャルメディアはフェイクニュースが入り交じり繁殖中。

 ――もちろんこの頃既に、人々は同質性と浅ましさに蝕まれつつはあったが、後の時代ほど絶望的に愚かではなかった、解けない謎は謎のままに蓋をするだけの分別が、まだかろうじて残っていた。 (本書)

 

Amazon磯崎憲一郎★日本蒙昧前史 

 

 

 

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2020.07.05

★つりが好き アウトドアと文藝    …………24篇の釣り談義のなかの1篇幸田文「鱸(すずき)」を読んで「おとうと」の方へ

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 父は何度この話をしたろう。よほどそのときの弟の笑い顔に心を絞られたものと見える。が、その話をしばしば話すようになったのは、その弟がはたちで亡くなった後のことである。

 感傷もなにもなく、明るく懐かしく話したが、私には跡味が寂しく残された話なのである。

 少年の姿がかわいいのか、父親の心が哀しいのか、釣られる魚がいとおしいのか、供をする船頭が辛いのか、水がせつないのか、船が寂しいのか、


――いちばんはっきりわかっていることは、父は息子をかわいがっていてそれに先立たれたということである。


――幸田文「鱸(すずき)」(『包む』1956)

★つりが好き アウトドアと文藝/2020.03/河出書房新社


 井伏鱒二をはじめ24名の釣り談義をあつめたアンソロジーである。編集者の名が書かれていないが、高齢の方なのか、著作権を意識したのか、おなじみの釣り師を並べたせいか、古い作品が多い。

 以下、幸田露伴、幸田文親子のエッセイのみ紹介する。

 ――古語にも、香餌の下大魚ありとは云わずや。軽き竿、利き鉤の用も、魚の来らぬ上は甲斐無きことなれば、すべての機具はいかに精巧なるも、餌にして宜しからざれは功を収むるには遠しというべし。釣魚の道も多端なれば、餌もおのずから多種にして、一時に之を説き尽す能わず。
今先ず鮒釣に対する餌に就きていささか談らんか。(「釣魚談一則」)

と、いささかと言いつつ、「餌を精(くわし)うすることを務むべき」と蚯蚓(みみず)について延々と書いている。

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 その父露伴を語る幸田文「鱸(すずき)」は、父の釣りは自ら釣り船をもち、“河の鱸”に偏っていたと書く。

 ――船頭は長いなじみだから善悪ともに父の気象も、家庭の状態――つまり私たち三人の子を置いて母親が亡くなり、つづいて総領娘も逝き、その後に新しく来た人もうまくそぐわず、その人も寂しく父子も寂しいという状態を、よく承知していた。(「鱸」)

 ああ、これはなんと、初期の代表作『おとうと』(1956)の世界ですね。

 天気上々の釣り日和の日に、甘ったれでわがままっ子の弟を、父は釣り船に乗せる。一人前に綸(いと)を握っている弟の鉤(はり)へ魚のほうでかぶりついてきた。弟は有頂天になり、早くその魚がたべたいと催促し、塩をぶっかけ焼いた尾頭つきを頬張って、「うまいなあ」と笑ったという。

 そして上掲の「父は何度この話をしたろう」に続く。その弟は20歳で亡くなる。

 もう半世紀以上もまえに読んだ『おとうと』や市川崑監督の映画(1960)の“銀残し”という手法の渋い色彩を思いだす。そしてこんなセリフ――。

 ――平凡だよね。平和だよね。どこにも感激するような事件というものはない。でもね、そういう景色、うっすらと哀しくない? え、 ねえさん。おれ、そのうっすらと哀しいのがやりきれないんだ。(『おとうと』)

露伴には、「釣師撲つ露は銀河のしぶきかな」の句がある。

 

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2020.07.01

中西進・鵜飼哲夫★卒寿の自画像―わが人生賛歌―     …………“令和”万葉学者の語り下ろし自伝

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 令和元年12月に、東京で開かれた第34回全国高等学校文芸コンクールの表彰式に呼ばれ、「青春の自画像とは」と題して高校生に話をしました。  

 青春の自画像の特色として三つをあげました。第一が、生きている証としての命の宿った表現をすること、第二に、これから生きていく未来を語ること、そして第三は含羞です。

 青春時代は、未完成ゆえに未来に開かれています。そして未完成ゆえに不安があり、そこにはにかみ、ためらいが生まれます。そして、この含羞があるゆえに人は学び、人の話に耳をすませ、それが令和という元号に示されている令(うるわ)しい和のある時代を拓いていく。そのことを若い高校生に伝えました。〔…〕

 はにかみは残り続けた方がいい。なぜなら恥ずかしさとはやさしさだかです。〔…〕

 恥ずかしさ、ためらい、不安感、そして未達成感があるからこそ、人は奥ゆかしくなり、やさしくなるのではないでしょうか。

やさしいは漢字で「優」と書きます。人を思い、自らを憂うる、それがやさしさであり、含羞です。

 

★卒寿の自画像―わが人生賛歌― /中西進・聞き手 鵜飼哲夫/2020.04/東京書籍


 本書はあの令和の“名付け親”万葉集研究の第一人の中西進(1929~)が、読売新聞記者の鵜飼哲夫のインタビューに、自らの半生を語ったもの。著者は100冊を超える著書をもつが「著者あとがき」以外のすべては鵜飼記者の筆による。

 当方、興味があったのは、先に読んだ“昭和史の語り部”半藤一利(1930~)の自伝『半藤一利 橋をつくる人』(2019)に、大学同期の中西進のことが語られており、その部分を本書でどう扱われているかだった。半藤の話は、

 ――卒業論文のテーマ提出のときになって「万葉集にみる大化の改新と壬申の乱」という主題だと豪語したら、仲のいい同級生の何人もが「万葉集はやめろ」と言う。「なぜ?」「同級生に万葉集のお化けがいる。中西進だ。あいつは小学生のときから万葉集を全部暗記している。あいつと比べられたら卒業も危うくなるぞ」(同書)

 というもの。ところが本書によれば、実際に万葉集をはじめて学んだのは戦後の旧制中学時代。また大学の卒論もテーマは万葉集ではなく、「上代文藝に於ける散文性の研究」というもの。もっとも、

――「中西は、膨大な卒論の手書き原稿を大八車で運んで、(本郷の)菊坂を上れなかった」という伝説がありますが、それは嘘です()。(本書)

 この卒論、400字詰674枚もあり、つい最近、卒寿記念として出版されたという。

 また、漢字のうんちくが語られており、たとえば万葉集に愛の歌、死の歌のまえに「雑歌」が置かれているのは、

 ――中国では「雑」はすばらしい言葉で、辞書には「彩なり」とあり、多彩なすぐれたものを意味します。〔…〕ですから、「雑歌」とは、雑多の歌ではなく、華やかなとりどりの歌なんです。だからこそ巻頭を飾ることになったのです。(本書)

 100冊を超える著作のうち、当方は数冊しか読んでいない。なかで『「旅ことば」の旅』(2017)がいちばん気に入っている。

 

 

中西進★「旅ことば」の旅

AMAZON中西進★卒寿の自画像

 

 

 

 

 

 

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2017.06.29

奥野修司★魂でもいいから、そばにいて――3・11後の霊体験を聞く …………☆2011.3.11版遠野物語

20170629

 

 この世に存在するのはモノだけではない。ある人を慈しめば、慈しむその人の想いも存在するはずだ。

  この世界を成り立たせているのは、実はモノよりも、

 慈しみ、悲しみ、愛、情熱、哀れみ、憂い、恐れ、怒りといった目に見えない心の働きかもしれない。

  だからこそ人の強い想いが魂となって、あるいは音となって、あるいは光となってこの世にあらわれる――。なんてことを、僕は夢うつつに妄想しながら、被災地で起こった不思議な体験のことを振り返っていた。

 

 魂でもいいから、そばにいて――3・11後の霊体験を聞く |奥野修司 |新潮社 |2017年2月|ISBN:  9784104049028 |○

  1万8千余人の命を奪った東日本大震災。被災地で“亡き人との再会”という不思議な体験が語られていると聞き、著者は3年半にわたって取材を続ける。

  ――石巻では、車を運転中に人にぶつかった気がするという通報が多すぎて、通行止めになった道路もあると聞いた。まるで都市伝説のような恐怖体験だが、当時はこんな話は掃いて捨てるほどあったのである。(本書)

  また「石巻のあるばあさんが、近所の人から『あんたとこのおじいちゃんの霊が大街道(国道398号線)の十字路で出たそうよ』と聞いたそうだ。私もおじいちゃんに逢いたいって、毎晩その十字路に立っているんだそうだ」という話が紹介されている。

  3.11で当方がもっとも気になっているのは、その石巻市の大川小学校である。全校児童108人のうち74人が犠牲となった“人災”ともいえる大惨事と、その後の市の不遜な対応である。当時2年生だった広夢くんも犠牲者の一人。著者は両親に会いに行く。

  広夢くんと莉希くん(当時幼稚園児)は鉄道ファン。家にはプラレールやNゲージのジオラマがあった。プラレールは、車両をレールにセットし、ボタンを押すと、「ポワ〜ン、一番列車が参ります。ジリリリリリ……」、録音されたアナウンスが流れる。「乗り降りの際は、お足元にご注意ください。当駅では終日禁煙となっております」。二人は夢中になって遊んでいた。

  ――「ああ、家族全員が隣の部屋でテレビを見ていたときです。これが、これが勝手に鳴ったんです」〔…〕

「それまで広夢と莉希がよくこれを鳴らして遊んでいたんです。音が聞こえるから、二人で遊んでいるのがわかるんです。だから、その日も隣の部屋で遊んでると思ったのですが、よく考えたら、震災後だから広夢がいるわけないし、莉希は私の横でテレビを見ているんです。『あれ、ちょっと待てよ、隣の部屋、誰もいないよね。なんで勝手にアナウンスが流れているの?』

 それでいっぺんに家族が顔を見合わせて『ええっ?』となったんです」(本書)

  兄から届いたメール“ありがとう”、『ママ、笑って』――おもちゃを動かす3歳児、霊になっても『抱いてほしかった』、『ずっと逢いたかった』――ハグする夫、深夜にノックした父と死の「お知らせ」など、多くの“霊体験”が語られる。

  じつは著者には、『看取り先生の遺言――がんで安らかな最期を迎えるために』(2013)という著書がある。宮城県で在宅緩和医療を先駆的に行った岡部健医師と、死の間際にすでに亡くなった人物が現れる「お迎え」という現象を扱っている。

 「お迎え」と「霊体験」――。東北には霊魂を信じる感覚が今も息づいているからではないだろうか、と著者は書く。『遠野物語』第99話を持ち出すまでもなく、この息づかいは3.11版遠野物語である。

奥野修司□看取り先生の遺言――がんで安らかな最期を迎えるために  

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2017.05.01

山田 稔★天野さんの傘

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 当時、黒田さんは30を少し出たころだったが、若さに似ず大人の風格のようなものが備わっていた。三高時代は剣道3段だったそうで背すじがのび、声にも力があった。そのころよく一緒にいた多田道太郎とは体格だけでなく、さまざまな点で対照的だった。

 

*

才気の人多田道太郎にたいし黒田憲治はいわば常識の人であった。

*

桑原先生などは一方で多田さんの才知を愛でつつも、現実面では黒田さんの生活者としての知恵を重んじていたし、生島先生も黒田さんの堅実さを信頼して相談相手にもしていたようである。〔…〕

*

後年、私はこの頼り甲斐のある先輩と、もっと付合っていたらよかったと悔んだものである。しかし当時、多田道太郎の発想の奇抜さ、〈多田マジック〉に魅せられていた私は、黒田憲治の「常識」に物足りなさをおぼえ、多田さんの方ばかり向いていた。

*

そのような私は、黒田さんの目にどのように映っていたのだろう。何かの集まりの後など、私にむかって「多田の言うことはおもろすぎるわ。実際はあんなもんとちがうよ」と言った。その口調には〈多田のマネをしたらアカンよ〉と、暗に戒めるようなひびきがあった。

――「ある文学事典の話」

 ★天野さんの傘 |山田 稔|編集工房ノア|20157| ISBN 9784892712340|

 当方は山田稔のエッセイのファンである。2011年に『別れの手続き――山田稔散文選』がでたので、もう新しいエッセイ集はでないのか、なにしろ1930年生まれだものなぁ、とあきらめていた。が、いつもの編集工房ノアから本書がでていたのを、ようやく手に入れた。

 本書では、桑原武夫、生島遼一、伊吹武彦、天野忠、富士正晴、松尾尊允、北川荘平、多田道太郎、黒田憲治など京都の師と友が登場する。それは、忘れ得ぬ人々の思い出を“ひとり残された私が記憶の底を掘返している”のだが、同時に著者の“自伝”の一部のようなものである。

上掲の「ある文学事典の話」は、福音館書店発行の『西洋文学事典』(1954)が半世紀を経て、ちくま学芸文庫として復刊する話から始まる。「情報の新しさがつねに求められる事典の類が改訂も増補もなされずに元のまま復刊される」というは、例がない。

 ちなみに同事典ちくま学芸文庫版の「BOOK」データを調べると、……。

 ――『失われた時をもとめて』、『カラマーゾフの兄弟』、『戦争と平和』、『チボー家の人々』……。一度は読みたいと思いながらも、その分量の膨大さにくじけてしまう西洋文学の高い山。でもこの本があれば大丈夫。作品のあらすじから、時代背景、作者の人物像までが、わずか数分でつかめてしまう。一世を風靡した批評家・翻訳家たちによって執筆された文章はどれも味わい深く、示唆に富み、読書の悦びも与えてくれる。読んで楽しい文学事典の決定版。 

*

 なんだか復刊の理由が分かる。福音館書店『西洋文学事典』は、桑原武夫監修とあるが、

 ――つまりこの仕事は福音館書店から桑原武夫に依頼され、さらに黒田憲治と多田道太郎に下請けされた。そしてその下請けの下請け、つまり孫請けの仕事を、むかし私は多田さんから分けてもらったのである。(本書)

 1958年ごろ、樋口謹一、多田道太郎、黒田憲治、加藤秀俊、山田稔の京大人文研メンバーで「DDの会」というのをつくる。DetectiveDocumentaryの頭文字。推理小説や記録文学(伝記、ノンフィクション)についておしゃべりしているうちに、「週刊読書人」に内外の名探偵Whos Who5人は匿名で連載する。

 上掲の文章はこう続く。

  ――1960年の12月に私が「思想の科学」に「現代の復讐者 松本清張」という評論を書いたとき、多田さんはおもしろいと言ってくれたが、黒田さんからは、あれは要するに一夜漬けのもの、思いつきにすぎないときびしく批判された。〔…〕

 それにもかかわらず、いやむしろそれゆえにと言うべきか、私は黒田さんにかわいがられていたという思いがつよい。(本書)

 さて、その後黒田憲治は神戸大学へ移るが、結核で入退院を繰り返し1961年、37歳の若さで死去する。この「ある文学事典の話」は、単なるエッセイではなく、忘れられていた黒田憲治という先輩を蘇らせたみごとな評伝である。

 ところで「DDの会」は、その後、現代風俗時評を「現代文化事典」と題して毎日新聞に連載する。単行本化されたのが『身辺の思想』(1963・講談社)である。

  当方、現在“終活”で手元の本を整理中だが、ここにその『身辺の思想』がある(佃公彦の“カット”がなつかしい)。本書に引用されているように「わたしたち4人、それに、先年急逝した黒田憲治の5人が、なんということなく雑談の集まりを持つようになったのは、たしか5年前のことだ」と、「まえがき」が始まっている。

 せっかくなので現代風俗・現代文化として扱われているものを紹介する。チューインガム・スキー・ロッカー・パチンコ・デート・ライター・乳母車・アルサロ・オルゴール・貸ボート・スーパーマーケット・あんみつ・少女歌劇・新書・電蓄・ボウリング・マージャンなどである。大宅壮一がカバーに「しゃれた“智的装身具”の一つとしておすすめしたい」と宣伝に一役買っている。

*

 なお本書『天野さんの傘』には、『スカトロジア』の著者にしてフランス文学者らしい「初心忘るべからず」というパリの話も収録されている。

山田稔■ 北園町九十三番地――天野忠さんのこと

 
 

 

 

   
 

山田稔□別れの手続き――山田稔散文選

 
 

 

 

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