11/癒しの句・その他の詩歌

2017.01.14

北村皆雄★俳人井月――幕末維新風狂に死す

20170114

 

 すっかり乞食に身をやつした井月である。

 晩年は、今まで親切にしていた家でも露骨にいやな顔をされ、戸を閉められるようになった。居留守も使われた。犬にも吠えられる。井月は、酒を友とした。酒を求め、腰の瓢箪に酒を満たす行脚となったが、酒豪ではない井月は、すぐに泥酔、前後不覚、寝小便もする。あまりに汚いので婦女子に嫌われた。

 井月は伊那を放浪する。しかし、伊那は井月を抱えるほどの余裕をますますなくしていた。

それでも井月は歩かねばならない。

 いたずら小僧は小石を投げ腰の瓢箪に当てっこをした。石が頭に当たり血が流れ出したが振り向きもしない。酪乱して小滝の中へ横さまに落ち込んで、一向に身動きもしない状態で発見されたこともあった。

 

 俳人井月――幕末維新風狂に死す|北村皆雄岩波書店20153月|ISBN: 9784000291590|○

  井月(せいげつ)といえば、下島勲・高津才次郎編『漂泊俳人井月全集』という基本資料があり、 石川淳『諸国畸人伝』(1957)、つげ義春『無能の人』(1985)で知られていたが、最近では岩波文庫『井月句集』 (2012)、本書の著者による映画『ほかいびと――伊那の井月』(2011)でさらに知名度が上がった。

 井月は、あるときは侍姿、あるときは入道の姿で、飄然と信州伊那谷に現れた。本書は幕末から明治への歴史の転換期と伊那谷という風土性から井月をとらえた一書である。重複が多いのが気になるが、風狂に生きた生涯を丹念にたどった労作である。

 伊那の民俗学者向山雅重によると、「見知らぬ旅人が壊れている危ない橋を渡ろうとしている。それを見ても諏訪の人は何も声をかけなかった。下伊那の人は『危ねぇぜ』と一言声をかけた。上伊那の人は『危ねぇ』と言いながら、橋まで飛び出して行って連れ戻そうとする。ややもすれば一緒に落ちてしまう」という。

  この上伊那のおおらかさが、30年間放浪の拠点をおいた理由の一つであろう、と著者は書く。同時に、幕末の戊辰戦争では井月の第一のふるさと長岡藩が井月の第二のふるさととなる伊那と敵対関係になり、さらに明治に入り戸籍、徴兵令など近代国家として制度が整い始めると、放浪者としては生き苦しい時代となり、井月は時代から弾き出される。

 ――終焉の地となる一軒のあばらやに担ぎ込まれた。腰も立たず口もきけぬ病躯を横たえていたが、翌1887(明治20)年310日、旧暦216日、66歳で息を引き取るのである。死の2時間前に次の句を残した。

  何処やらに寉(たづ)の声きく霞かな

 寉とは鶴のこと、霞のなかどこやらから鶴の鳴声が聞こえてくるなあ、というのである。手にした筆はふるえていた。墨字にそれがわかる。それでも「霞かな」の字を、薄く消え入るように書いているのは、あたりの輪郭をぼやかす霞を思っているのだろう。この俳人のせめてもの心配りであろう。(本書)

 晩年、井月は酒を求め、酒ゆえに嫌われた。その酒の句、10句……。

山笑う日や放れ家の小酒盛

翌日しらぬ身の楽しみや花に酒

寝て起きて又のむ酒や花心

酒の味かはらぬ老いの機嫌かな

酒を売る家に灯はなし遠砧

 

鴫(しぎ)鳴くや酒も油もなき庵

酒となる間の手もちなき寒さ哉

よき酒のある噂なり冬の梅

酒蔵に径(ちかみち)もなし年の暮

初空を心に酒をくむ日かな 

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2016.12.30

正津勉■乞食路通――風狂の俳諧師

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はづかし散際見せん遅くら

  それにつけ素晴らしい、さすが路通なるなり。ここにいたって「はづかし散際」との自嘲はどうであろう。いやほんとなんとも見事な挨拶というものでないか。〔…〕

 もうその刻が迫っている。路通は、このときぼそぼそと呟くようにしていた。それはなにかと陀羅尼経だったろうか。そのさき翁の塚にひれ伏して唱えた経である。そうしてやや、ひとりひっそりと息を引きとっていたのでは、ないだろうか。

 

 乞食路通――風狂の俳諧|正津勉|作品社|20168月|ISBN: 9784861825880|○

  路通は、芭蕉が生涯かばい続けた不肖の弟子である。奥の細道むすびの地大垣で登場し、芭蕉を出迎える。じつはこの奥の細道の旅に随行するはずだった弟子である。

  その大垣で芭蕉が路通を連れて大垣藩次席家老の戸田如水を訪ねる(「如水日記抄」)。これはその日記に芭蕉のことを「心底計り難けれども、浮世を安く見なし、諂(へつら)わず奢らざる有様也」と書いてあることで有名。

  いまでいえば文化人顔した大垣市役所の戸田副市長が、多くの幹部職員を門弟にしている著名人を招いた図である。芭蕉はやむなく訪問。井本農一「芭蕉入門」によれば、「如水の『浮世を安くみなし』云々という口調には、芭蕉に対する多少の軽蔑と、また多少の羨望の気持がまじり合っている」という。

 この日記に「路通と申す法師、〔…〕是は西国の生れ、近年は伊豆蛭島に遁世の躰にて住める由、且又文字の才等これ有りと云々。白き木綿の小袖。数珠を手に掛くる」と記されている。

  ――路通。八十村氏。湖南を乞食中に芭蕉に対面。初め同伴者に予定されていた。一時勘気を蒙り臨終の際許される。(萩原恭男校注「芭蕉おくのほそ道」岩波文庫)

 いねいねと人にいはれつ年の暮 

 乞食坊主路通は、「帰れ帰れ」と嫌われ続け、それを逆手に取ったこの句が有名(猿蓑に収録されている)。慢心、放縦、金銭にだらしない、後年は芭蕉の偽筆を書いて売ったともいわれている。

  路通37歳、芭蕉41歳のときふたりは出会った。芭蕉は50歳で亡くなったが路通は90歳まで生きたという。路通の13回忌に出された文集に、松助という門弟の一文が残されている。

 ――師翁路通、齢九十の春も過て、初秋の十四日、浪花江の芦間に見失ひ侍けるも、十とせ余り三とせなるらん。……。そのかみ翁の

 はづかし散際見せん遅くら

 と八十余歳の筆をふるはれしも、なつかしきまゝ、門人渓渉が写しおける一軸の像にむかひて、

文月某日をうるす。松助「路通十三回忌序」

  ほとんど資料がなく、不分明な路通の生涯を、水上勉の談話や多田裕計の小説などを引用しながら、とまどい、行きつ戻りつ、その生涯をたどったのが本書である。著者は最後にこう書く。 

  ――路通。最底辺たる宿命にいささかなりも屈することがなかった天晴れな俳諧師。いつどこで野垂れ死にしていても、おかしくない薦被り者なのである。〔…〕

 路通の句作は、心底の発露だ。そこにはいまこそ聴くべき、い、沈黙、号泣、憤り、呟きや、ひめた声がいきづいている。(本書)

  火桶抱いておとがひ臍をかくしける  路通

井本農一■ 芭蕉入門

 

正津勉■脱力の人

 

正津勉□詩人の愛――百年の恋、五〇人の詩

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2015.10.29

◎11癒しの句・その他の詩歌│T版 2015年8月~10月

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★石牟礼道子『石牟礼道子全句集 泣きなが原』

〈神々などというものは――ついいましがたまで在った――〉という石牟礼道子さんの想いの果てが、やがて断念という万斛の想いを秘めながら、

祈るべき天と思えど天の病む

へ結晶していった。(穴井太)

★『石牟礼道子全句集 泣きなが原』△2015

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『石牟礼道子全句集 泣きなが原』。「若い頃は短歌を作っていたけれど、俳句の方が性に合っていたようだ。というのはふっと湧くイメージを書きとどめるとすむからだと思う」とあとがき。70年代からの全213句。

一読したが、俳句というより、七七の欠けた短歌のような気がした。「死におくれ死におくれして彼岸花」「まだ来ぬ雪やひとり情死行」

 

★矢崎泰久『句々快々―「話の特集句会」交遊録』

 

この45年というもの、句会以外の場で俳句を詠んだ記憶がない。それどころか、句を作るのが何より辛い。

楽しいと思って作ったことなど一度たりともなかった。

端的に言えば、難行苦行である。俳句を作らないで済むなら、これほど楽なことはないと、句会の席で幾度思ったか知れない。

★矢崎泰久『句々快々―「話の特集句会」交遊録』△2014

東京やなぎ句会と並ぶ著名人句会「話の特集句会」は45年の歴史をもつという。和田誠『五・七・五交遊録』に詳しい。

 

会則に「常にバレ句を詠むよう心がける」とあり、あるとき鬼百合(きゆり)の「松茸を喰らひつしゃぶりつまた喰らひ」を週刊誌がスッパ抜いた。それが話題になって、とうとう去ってしまったのだ。週刊誌に大きく取り上げられ、それっきり彼女は来なくなったという。名句・迷句を多数収録。

 

 

 

★金原瑞人『サリンジャーに、マティーニを教わった』

 

詩や短歌はいったん覚えてしまえば、死ぬまで心にしまっておける。いつでも好きなときにのぞいてみることができる。

好きな詩や短歌の詰まった心はそのまま、小さな自分だけの宇宙だ。(「僕がそのうち訳したい詩」)

★金原瑞人『サリンジャーに、マティーニを教わった』〇2015

ブックカバーに本文の書き出しだけ、題名も作者名もわからないラッピングされている文庫本フェア、作品にはタイトルとプライスだけで買った人だけにプロフィールを示す美術展を紹介した「心惹かれる1行、心揺さぶる1シーン」などエッセイ37篇。

 

役者も、詩人も歌人も、画商も骨董屋にもなりたかった翻訳家。前へ前へ突き進むストイックさが欠けているのだと。

 

児童文学、ヤングアダルト向け本を訳してきたせいか、1954年生まれなのにこの若々しい文体。

 

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2011.10.11

東京やなぎ句会◎楽し句も、苦し句もあり、五・七・五──五百回、四十二年

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*

無駄に重箱みてえに年を重ねやがって、という科白が世間にあるように、やなぎ句会の中でも、私だけはまったくその通りの俳句力で四十二年五百回何の進歩もない。

 

これだけ続けてますます確信を持てるようになって来ているのは「オレはやはり俳句に向いてない」ということだ。〔…〕

 

そしてとうとう、ついに、いつの日からかは判然としないが、悟りの境地に辿り着いた。

○上手い句を作ろうとしない。

〇自分以外の人に感心されようとしない。

○他人にはわからなくていい。

 

この句を読めば、他人には解らなくても、自分だけは知っているあの時あの事を思いめぐらして、連想して、納得できる。

 

そういうものを作ろうと宗旨変えをすることにした。三、四年程前のことかしら。

 

──柳家小三治「悟りの境地の宗旨変え」

 

 

◎楽し句も、苦し句もあり、五・七・五──五百回、四十二年│東京やなぎ句会│岩波書店│ISBN9784000237949201107月│評価=△

<キャッチコピー>

毎月一回句会を開いて42年、500回を迎えた東京やなぎ句会。入船亭扇橋・永六輔・小沢昭一・大西信行・加藤武・桂米朝・柳家小三治・矢野誠一。苦吟しながらも爆笑また爆笑の句会実況中継をはじめ、エッセイ、自選30句などにより、句会の愉しみ、俳句の魅力を紹介する。

<memo>

柳家小三治(土茶)の自選句から……。

これほどに老いても意地の梅二輪

猫八の声帯模写や猫の恋

手をかざし昼寝とわかる安堵かな

今日は休んでしまいましたと落葉焚く

寒月やひとり死のうと死ぬまいと

 

東京やなぎ句会■ 友あり駄句あり三十年

東京やなぎ句会◆五・七・五――句宴四十年

 

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2011.09.29

辺見庸◎生首 

20110929

地蔵

〈昔 石工が地蔵さんを届けるときには 地蔵さんを後ろ向きに立たせて首に縄を巻き 背中合わせになってえっちらおっちら運んだ この要領で人の頸を紐で絞めあげると最も力がでるというので 非力な者や手足に障害のある者は地蔵背負いで屈強な男を絞め落としたというんだな 隻腕の父が飲んだくれの息子をこれで殺った例もあるという 彼女も彼と背中合わせになって絞めた そう自供している〉 〔…〕

彼女が頭に腰紐を巻かれたあの不身持ち男を背負って

前屈みになる

深々とお辞儀する

腰紐の両端をぐいと下に引く

そのとき 彼女は何といったのか

〈どうだ思い知ったか〉ではないだろうな

幾度も幾度も お辞儀しながら

その度に背中で反り返る彼に

優しく囁きかけたにちがいない

〈ごめんなさいね あなた ごめんなさいね〉

──「地蔵背負い」

◎生首 詩文集 │辺見庸│毎日新聞社│ISBN9784620319568201003月│評価=○

<キャッチコピー>

天翔る生首とはなにか。切断された身体と記憶、実存から剥がれ無化された言葉はどこに流れていくのか……まがまがしい予感にみちた一冊。

<memo>

46篇のうち上掲のほか「入江」、また「箱」「葬列」「臓」「破瓜」など葬列を扱った連作に魅かれた。現代詩壇で著者の詩が受け入れられ位置づけられることはないのではと思ったが、第17回中原中也賞を受賞。「わたしたちが生きている世界のいまとここに、全存在をかけていることばの強度が並はずれていることだった。彼の詩には現代社会の腐敗し、機能不全に陥っている内臓が、鷲掴みされている臨場感がある」(同賞選考経過)。

辺見庸◎水の透視画法

辺見庸★もの食う人びと

辺見庸■ いまここに在ることの恥

辺見庸◆しのびよる破局――生体の悲鳴が聞こえるか

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2011.09.20

葉室麟◎恋しぐれ

20110920

*

句会の後、宴席になった時、蝶夢は文左衛門の傍らに来て酒を注ぎながら、

「あなたには俳諧の才がおありになる。鄙で埋もれるのは惜しゅうおすなあ」

と言った。文左衛門は苦笑した。

「とても、宗匠が務まるほどの器ではございません」〔…〕

「初めは皆、素人どす。それよりも、あなたは俳諧師にむいたものをお持ちや」

「俳諧師にむいたもの?」

「失礼ながら鬱するものをお持ちだとお見うけしました。

鬱を晴らすには、それを言葉にするしかありまへん」〔…〕

文左衛門の胸に蝶夢の言葉は響いていた。藩を放逐された時に、自分はこれから一生、虚しく過ごすしかないと思った。もし俳諧で身を立てることができれば、四十過ぎて新たに生き直せるかもしれない。

──「隠れ鬼」

◎恋しぐれ│葉室麟│文藝春秋│ISBN9784163299501201102月│評価=○

<キャッチコピー>

京に暮し、俳人としての名も定まり、よき友人や弟子たちに囲まれ、悠々自適に生きる蕪村に訪れた恋情。新たな蕪村像を描いた意欲作。

<memo>

月天心貧しき町を通りけり。さみだれや大河を前に家二軒。菜の花や月は東に日は西に。……蕪村の句が好きである。300年前のものと思われない。本書は、たとえば「牡丹散りて打ちかさなりぬ二三片」から『牡丹散る』など、蕪村の一句から一つの短編が生まれている。蕪村の辞世の句「白梅にあくる夜ばかりとなりにけり」を題材にした『梅の影』では、弟子の松村月溪の「白梅図屏風」のことが描かれているが、その屏風が本書の表紙に使われている。

葉室麟■ 銀漢の賦

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2011.09.19

三田完◎草の花──俳風三麗花

20110919

*

春泥を秘めたる庭や風の澄む

泥の汚れなど見えない場所がひそかに秘めた濁り──そんなものをちゑは詠みたかった。

世のなかに綺麗づくしのものなどないのだ。国も、家も、ひとも……。

句帖に書いてみた一句をしげしげと眺める。「風の澄む」がいかにもとってつけたような印象だ。だが、もう思案に疲れた。〔…〕

さらさらと幽かな音が聞こえる。

雨戸の一番端をほんのすこし開けてみて、ちゑは思わず声をあげた。

またしても雪が降りはじめている。こまかな粉雪が漆黒の空から襲いかかってくるようだ。

着物の下の肌が粟立った。街がさらに深い雪に覆い匿されようとしている。近い将来この雪が融けるとき、大地とともになにか怖ろしいものがあらわれそうな予感がする。

零時を回り、日付は226日になっていた。

──「春泥」

◎草の花──俳風三麗花│三田完│文藝春秋│ISBN9784163805306201105月│評価=○

<キャッチコピー>

子どもを身籠ったちゑ、満州に赴任する女医・壽子、浅草芸者の松太郎。戦火の下、句会で友情を育んだ3人の女性の凛とした生き方。

<memo>

『俳風三麗花』の連作続編。時代は昭和10年から敗戦まで。舞台は大陸に移り、満州国皇帝・溥儀、川島芳子、甘粕正彦も登場する上掲の雪の226日は、もちろん二・二六事件である。いかにも季語は春泥がふさわしい。

田完■ 俳風三麗花

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