12/そこに本があるから

2021.12.10

2021年◆傑作ノンフィクション(後)★このノンフィクション10篇も堪能した

 

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ベスト10には選ばなかったが、出版年月が昨年前期もの、おなじみのベテラン作家たちのもの、その他いろいろ興味深く読んだ本10篇をあげる。

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★11
◆高橋大輔◆剱岳・線の記 平安時代の初登頂ミステリーに挑む 
/2020.08/朝日新聞出版
…………〈点の記〉から〈線の記〉へ、そして〈もうひとつの点の記〉へ

*
見えてきたのは、剱岳に埋もれた線の物語だった。

ファーストクライマーを追って剱岳に5度登ったわたしは、埋もれ古道のリアリティをつかんだ。それは伝統的に立山信仰の中心地とされてきた芦峅寺、岩峅寺を起点としない、上市黒川遺跡群や大岩山日石寺から剱岳へと登拝する道だ。古き良き立山の山岳信仰を伝える道である。

ファーストクライマーの5W1Hという点を繋ぎ合わせることで、古代人と山の関係が明らかになった。

山は古来日本人が死生観を投影してきた精神的土壌であった。そこに外来の神仏を招き入れ開山し日本を文明国にとの平安朝廷の国策があった。
その担い手は奥深い霊山を開いた山伏であった。

彼らは古代日本を開拓した探検家たちであった。(本書)
*
〈memo〉
剱岳は立山連峰にある標高2,999 mの文字通り劔のような険しい山。新田次郎『剱岳〈点の記〉』(1977)で有名である。


これに対し、本書の〈線の記〉とは、剱岳ファーストクライマーの謎の5W1H、すなわち、いつ――山頂に立ったのは何年か、誰が――山頂に錫杖頭と鉄剣を置いたのは誰か、どの――どのルートから山頂にたどり着いたのかなどを探す旅、これが“線の記”である。
 
最古の遺物、錫杖頭と鉄剣を山頂に残置した者が剱岳のファーストクライマー、初登頂者である。その“線の記”を追えば、目的や実像を明らかにできるのではないか。探検家高橋大輔は、文献と現場への旅を重ね「物語を旅する」人である。

――山に登ってみることはもちろん、〔…〕埋もれた地方史や民俗学的資料を発掘し、それらを登山エキスパート、歴史学者、考古学者らの経験や知見、叡智と結びつけ、現場から考えることで謎に迫ってみたいと思った。(本書)

 

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★12
◆常井健一◆地方選 無風王国の「変人」を追う 
/2020.09/KADOKAWA 

…………これは宮本常一『忘れられた日本人』の“首長版”ともいうべき傑作

 

*
私は昭夫〔村長〕に役場の中を一通り案内された。
2階にある村長室の近くに「議場」と表札のかかった一室があった。
扉を開けると、がらんどうだった。部屋の中央には安っぽい長机をつなぎ合わせ、「ロ」の字にされていたが、これでは議場というよりも会議室だ。

私がこれまで訪ねた町や村で見てきた、「自治の殿堂」たる議会の重々しい雰囲気とは大きく異なった。 〔…〕
つまり、昭夫にとって村長就任後から18年がたったそのころから現在に至るまで、議会なんてあってないようなもので、数ある会議のうちの一つに過ぎないのだと私は悟った。
 
村議の1人によると、議会では質疑も一般質問もなく、執行部提案が原案通り可決されて1日で閉会するという。32年間で質問に立った議員はのベ7人しかいない。

――第3章 風にとまどう神代の小島(大分県姫島村長選)(本書)
*
〈memo〉
マイナーな地方選の現場を1人で自由に見て歩き、住民からの聞き取りや史料の発掘を通して日本政治の奥の奥、そこに映る「にんげん」の本性にまで肉薄しようと試みた。
選挙の民俗学、首長の文化人類学とも言えるだろう。(本書)

扱われているのは北から、北海道中札内村、同えりも町、青森県大間町、和歌山県北山村、愛媛県松野町、大分県姫島村、佐賀県上峰町の7町村である。いずれも国の“平成の大合併”に抗い、独立独歩の行政を営んできたという共通点がある。

 

14  
★13
◆森 功◆鬼才 伝説の編集人齋藤十一  
/2021.01/幻冬舎
…………新潮社OBによる齋藤十一と「週刊新潮」の“評伝”

 

*
しかし、文士が集まって出版事業を始めた文藝春秋と新潮社では、おのずと出版社としての性格が異なる
なにより齋藤は作家を志したこともなく、一冊の本も描き残していない。一編の著作もなく、残っているのは名タイトルだけだ。


とどのつまり齋藤は小説からノンフィクション、評論にいたるまで、その構想を示し作品を生み出すプロデューサーだったのである。


編集者に徹してきたからこそ、ものすごい数の作家や作品を世に送り出せたのだろう。文芸誌「新潮」で20年も編集長を務め、週刊新潮で40年という長さにわたって誌面の指揮を執ってこられた。(本書)
*
〈memo〉
齋藤十一(1914~2000)は、死去するまで新潮社に長く君臨した。著者森功はノンフィクション作家として活躍する以前、新潮社で「週刊新潮」次長などを務めた。その新潮社OBによる齋藤十一と「週刊新潮」の“評伝”である。

「墓は漬物石にしておくれ」と言い残した齋藤の墓は本物の漬物石だった、と著者は書く。「これはひょっとすると、本人が自任してきた俗物を意味しているのではないだろうか」。

 

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★14
◆柳澤健◆2016年の週刊文春  
/2020.12/光文社
…………究極の仲間ぼめによる「週刊文春」の60年

 

*
「雑誌は編集長のものだ、たとえ社長でも口出しはできないと教えられてきたから、自分が編集長になった時には、やりたい放題をやってやろう。ずっとそう思っていました」〔…〕

もっと昔、たとえば1990年前後の花田紀凱の時代に編集長になっていたら、潤沢な予算の下で、記事やページ作りだけに集中できたから楽しかっただろうな、と新谷[学]は思う。だが、毎号1億円の広告が入り、80万に近い部数を売り上げた時代は遠く過ぎ去っていた。

「ただ、俺は何度も粛清されたけど、牙を抜かれることなく、野放しの状態で突っ走ってきた。

そういう人間が編集長になれるのが文藝春秋」(本書)
*
〈memo〉
柳澤健は、元文藝春秋社員、「週刊文春」編集部員だった。その著者による花田紀凱と新谷学という名物編集長を軸に“百花繚乱”の「週刊文春」編集部の60年を描いたノンフィクション。いまや官邸を右往左往させる1強のジャーナリズム。

記憶に残る事件を取材エピソードをまじえ綴ったクロニクルだが、当然物語のようにヤマ場があるわけではない。しかし最後まで退屈させない。

500ページを超える大冊、全編これ究極の編集者同士の仲間ぼめ本である。さすがに自社からの出版は控えたのだろう。

 

16

★15
◆魚住昭◆出版と権力 講談社と野間家の110年 
/2021.02/講談社
…………社史のもとになった秘蔵資料合本約150巻を駆使して綴った“110年”史。

 

*
私がここで強調したいのは、この作品がいまはなき『月刊現代』の仲間たちの全面協力によってできあがったということだ。

さらに付け加えれば、権力から独立した自由な言論を目指そうという『月刊現代』の志がなければ、この作品は生まれなかったということである。(本書)
*
〈memo〉

講談社が1959年に編纂した社史『講談社の歩んだ五十年』のもとになった秘蔵資料合本約150巻を基に綴った“講談社と野間家の110年”史である。

講談社の近年の功罪……。「功」として『昭和萬葉集』全21巻の刊行。「罪」として『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(ケント・ギルバート著)の出版をあげている。

『昭和萬葉集』には、「出版物は、その時代、その民族の文化の水準を示すバロメータ」で「人類の共有財産」だという省一の理念が結晶化されている。その出版の経過が詳述されている。

また『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』はベストセラーになったヘイト本。編集者と会社の精神の荒廃を示すものではないかと批判している。

 

17

★16
◆三浦英之◆災害特派員 
/2021.02/朝日新聞出版
…………若手記者やジャーナリスト志望の学生に贈る「ジャーナリズムとは何か」

*
渡辺龍に捧ぐ――巻頭にはそんな一文を掲げたが、それは津波が押し寄せてくるなかでシャッターを切り続けた伝説的な報道カメラマンの固有名詞であり、同時に比喩でもある。

かつてあの被災地には泣きながら現場を這いずり回った数十、数百の「災害特派員」がいた。

悲惨な現場を目撃し、名も無き人々の物語を必死に書き残そうとした無数の「渡辺龍」たちと、今後ジャーナリズムの現場に飛び込もうと考えているまだ見ぬ「渡辺龍」たちに、この小さな手記を贈りたい。(本書)
*
〈memo〉
著者のノンフィクションは全作品を読んでいるが、これは朝日新聞記者としての「個人」を強く表面に出した“手記”である。
3.11発生翌日に被災地に入り、その後宮城県南三陸町に駐在員として赴任し、約1年現地の人々と生活を共にした。その“私生活”を回想したもの。


その後、アメリカ留学で学んだ「ジャーナリズムとは何か」を含め、これらの理論と被災地での実践は若手記者や将来ジャーナリズムの世界に飛び込もうと考えている学生たちの必読書である。

 

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★17
◆大原扁理◆いま、台湾で隠居してます――ゆるゆるマイノリティライフ 
/2020.12/K&Bパブリッシャーズ  
…………でも台湾だから、ひきこもりでも大丈夫なんです

 

*
無料で誰でも使えるインフラが整っているということは、自分の経済力でインフラを整えられない社会的弱者にもやさしいってことなんですよね。

最悪、このまま下流老人になっても、路上生活者になっても、台湾でなら生きていけるかもしれない。
でも私がそう思うのは、たぶん、無料の水やWi-Fiや、スマホの充電スポットだけの話ではないんじゃないか、という気がする。

台湾社会には、「どんな人も、居ていい存在である」という共通認識のような気分があるんです。
排除されないこと。これって人間的インフラともいえるんじゃないかな。(本書)
*
〈memo〉
――週に2日だけは生活費のために働くけれども(介護の仕事をしていました)、あとの5日はなるべく社会と距離を置き、年収100万円程度稼いだら、あとは好きなようにさせてもらう、という感じ。少労働、低消費、そして省エネ型の最高な生活。
その“隠居生活”を31歳で台湾に移住し体験した3年間を綴ったもの。

言語が不自由な外国人の著者は、台湾で相変わらず引きこもりながらも、「友人未満、他人以上」の近所づきあいで自らを解放していく。
――でも台湾だから、ひきこもりでも大丈夫なんです。

 

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★18
◆花房観音◆京都に女王と呼ばれた作家がいた 
/2020.07/西日本出版社 
………… 山村美紗の死後、“美紗命”の男二人はどう生きているか

 

*
山村美紗の死後、肖像画を描き続ける夫の山村巍(たかし)。
山村美紗をモデルにして、ふたりの恋愛を小説にした西村京太郎。〔…〕

もしもそれを愛と呼ぶならば、その愛は、私には狂気にすら思えた。「執着」という言葉が浮かぶ。ひとりの女に対する、男たちの執着は、彼女が亡くなっても彼らを捕らえて離さない。
夫の描く絵、京太郎の小説、どちらからも漂ってくるのは、山村美紗への執着だ。

彼らはまるで山村美紗に取り憑かれているかのようだ。
亡くなったあとも離れない女の念が、絵や小説を描かせたのか。
そう思わずにはいられないほどに、山村巍が描いた美紗の肖像画からは、強い念が漂ってくる。そして小説『女流作家』からは、美紗がどれだけ魅力的で愛されていた女だったかということを残したい、という切々とした想いが伝わってくる。(本書)
*
〈memo〉
山村美紗は、京都に住み、京都を舞台にしたトリック重視のミステリーを書き、その作品の多くは2時間ドラマとなり、人気を博したベストセラー作家である。


当時週刊誌が書かない文壇のスキャンダルが記事にしていた『噂の真相』に山村美紗はしばしば登場した。
とびらに足立三愛のイラストがあり、実在の人物とは関係ありません、という注釈付きで、山村美紗と西村京太郎とおぼしき二人が裸で絡み合っているのもあった。


作品を売るためには、自らもミステリーな存在に、スキャンダルも華のうちと考えていたようだ。京都東山に移り住んだとき、隣りに引っ越してきた西村京太郎邸とは地下通路でつながっていた、という噂も同誌で知った(夫の巍は目の前のマンションに居住、と本書にある)。

山村美紗は、1996年東京帝国ホテルのスイートルームで執筆中に心不全で急死する。65歳(公称では62歳)であった。
“美紗命”だった男二人のその後では、まことに興味深い。

 

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★19
◆坂崎重盛◆季語・歳時記巡礼全書 
/2021.08/山川出版社
…………日本のホテルに和英版俳句歳時記が置かれるのを夢見る

 

*
思えば俳句歳時記、季寄せは、日本の言語空間に生きつづけてきた。ということは日本人の風土、生き死にとともにあった、そら恐ろしいほど重厚的な感情や、イメージの発露を記録、編集した、日本文化の総合辞典であったのである。

歳時記が日本人にとっての聖書といわれる道理である。
と、すれば、たとえば日本の一流ホテルの各室に和英版でもよし、和仏版でもよし、俳句歳時記の類が置かれていてもよいのではないか。

季語・歳時記巡礼をなんとか、まがりなりにも無事終えたいま、もしや、日本のホテルに、常備されている、歳時記のページを気ままにめくる幻影を思い浮かべるだけで、この道楽、愚行も少しは報われる気もしてくる。
幻しは、時として現実になる。(本書)
*
〈memo〉
著者にとって神田神保町古本散歩は中毒、宿痾のようなもの。店頭の均一台の背表紙から「俳」の字が飛び込んでくる。明治以降の俳書が安く売られている。

こうして歳時記など俳句関連本が約80種類が手元に(種類と書いたのは歳時記は春夏秋冬新年と分冊になっている)。雑誌連載10年、500ページの大冊ができあがった。

当初は“季語道楽”として、美しい、珍しい、面白い、難解な季語に関心をもっていたが、やがて優れた歳時記の選定、すなち書評の方向へ動いていく。

自分にふさわしい歳時記が本書で見つかるか。

 

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★20
◆味田村太郎◆この世界からサイがいなくなってしまう アフリカでサイを守る人たち
/2021.06/学研プラス
…………「子どものための感動ノンフィクション大賞」最優秀賞受賞作

 

*
キタシロサイの数は激減し、1960年代には、2千頭ほどが残っていましたが、1990年代に入ると数十頭にまで減少します。
そして2008年ごろには、アフリカの地に野生のキタシロサイはいなくなってしまいました。

幸いだったのは、かつてアフリカの国ぐにから、ヨーロッパのチェコ共和国の動物園に送られた数頭のキタシロサイがまだ生きていたことです。

これらのサイをもう一度、アフリカ大陸にもどして子どもを産んでもらい、キタシロサイを絶滅から救おうというプロジェクトが始まりました。
2009年には、チェコから4頭のキタシロサイが東アフリカのケニアにあるオルぺジェタ自然保護区に到着しました。(本書)
*
〈memo〉
南アフリカの人たちに人気がある野生動物は「ビッグ・ファイブ」と呼ばれる、ライオン、ヒョウ、ゾウ、バッファロー、サイ。

このうち密猟によって激減しているのは、ゾウとサイ。象の密猟に関しては、三浦英之『牙 アフリカゾウの「密輸組織」を追って』に詳しい。
本書は児童向け環境ノンフィクション・シリーズの1冊として、サイと密猟者、サイを守る人たちの“戦い”を描いたもの。

――新型コロナウイルスも、もともとの感染源は野生動物とみられています。
新型コロナウイルスの拡大は、わたしたちに野生動物を保護することの大切さを改めて伝えることになりました。野生動物たちの命を守るということは、じつは、わたしたちのくらしを守ることにもなるのです。(本書)

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2021年傑作ノンフィクション補遺

 

最期に亡くなられた二人の作家の作品に触れておきたい。
半藤一利 2021年1月12日(90歳没)

 

 

★21
◆勝目梓◆落葉の記
/2020.10/文藝春秋
…………“百科全書”的に老人の日々のできごとを記録する日記小説の傑作

 

*
いつからか自分の心の奥底には、得体の知れないぼんやりとした虚ろな気持ちが巣くっていた。それが自分ではっきりわかっていた。
それは77歳になったいまも消滅してはいない。

そいつの正体がなんとはない虚無感や、うっすらとした厭世観だということがわかったのは、40前後になったあたりだったと思う。

要するに生来の気質がネガティヴ一辺倒の人間だということだ。思えばこれまで、何かに熱中したり、躍起になったりしたことがほとんどない。俳句も途中で熱が冷めた。人から見ればつまらない人間に思えるだろうが、そういう質なのだから仕方がないではないか。


――「落葉日記」(本書)
*
〈memo〉
勝目梓(1932~2020)。87歳の作家は心筋梗塞で亡くる前日までこの小説を書いていた。

絶筆となった長篇「落葉日記」と7つの短篇を収めた最後の作品集。エロチシズムにみちたバイオレンス小説などが300冊を超える流行作家だが、晩年『老醜の記』など私小説を書いた。

「落葉日記」は、ノンフィクションではないが、日記文学の傑作である。克明に72歳から77歳までの日々“自分”を綴った日記である。

ウォーキングと1日10句をノルマとした俳句の日々である。
ときに老人ホームの建設出資者勧誘という詐欺事件に巻き込まれたり、コンビニで万引きをする少女を救ったり、テレビや新聞を見て政治と政治家の劣化と機能不全を嘆いたり、ときどき料理を担当し豚レバー唐揚げや揚げ豆腐と野菜のあえもののレシピを詳細に記したりという日々が綴られる。

「前立腺がん」を患っているが、手術など積極的な治療を断っている。
――加齢による肉体の老いと衰えを自然のこととして受け入れて、格別の病苦をやわらげること以上の積極的な医療は謝絶し、生命の摂理に従って死を迎えたい、と考えているだけなのだ。 (本書)

1日10句をノルマとする俳句作り、あわせて句集など俳句関連書を多読する。膨大な数の自作の俳句が収録されており、「これと思える作はない。ノルマとして無理矢理ひねり出した句は、自分にも無理矢理の作と映るから虚しい気持ちが残る」など、自作の反省文も併記されている。


――自分と伸子に残されていることは、あとはそれぞれの死という大仕事だけだ。生老病死。この先に自分たちがどんな病気になってどんな最期を迎えるのか、おたがいに予測のしようはない。いずれにしろ、死は大仕事と思われる。 (本書)

ところが妻の突然の交通事故死が襲う。「享年71の、あまりにも呆気がなさすぎる不慮の死」、その後日記は100日余り途絶える。

――ふと思い立ってはじめた回想記が止められなくなった。独り暮らしの暇つぶしにちょうどいい。先のことを考えようにも、そこにはそう遠くないはずの死のことしかないのだし、それについてはいずれじっくり考えるつもりなので、思いは来し方にしか向かうところがない。(本書)

その後、「なんとはない虚無感や、うっすらとした厭世観だ」という上掲の一節を書き、本書末尾に「――絶筆」とある。

死の前日まで書かれていた『落葉日記』は、高齢夫婦そして一人暮らしの日常のすべてを網羅し、わかりやすい日記体の文章で書かれている。これは時代の暮らしを記録する老人文学の傑作かも。

 

★22
◆半藤一利◆昭和史 昭和史戦後篇 B面昭和史 世界史のなかの昭和史
/2004~2018/平凡社
…………“歴史探偵”爺ちゃんが語る面白くて分かりやすい昭和史

 

*
たとえば、国力が弱まり社会が混沌としてくると、人びとは強い英雄(独裁者)を希求するようになる。

また、人びとの政治的無関心が高まると、それに乗じてつぎつぎに法が整備されることで権力の抑圧も強まり、そこにある種の危機が襲ってくるともう後戻りはできなくなる。

あるいはまた、同じ勇ましいフレーズをくり返し聞かされることで思考が停止し、強いのに従うことが一種の幸福感となる。

そして同調する多くの仲間が生まれ、自分たちと異なる考えをもつものを軽蔑し、それを攻撃することが罪と思われなくなる、などなど。

そうしたことはくり返されている。と、やっぱり歴史はくり返すのかなと思いたくなってしまいます。(本書)
*
〈memo〉
教科書では昭和に行く前に授業が終わってしまうので、まとまって昭和史を読んだのは三好徹『興亡と夢――戦火の昭和史』(1986)だった。

教科書のようにできごとを簡潔かつ羅列したものではなく、学者の本のように論文、注釈多しではなく、読み物として長丁場をらくらく読了できるもの。その唯一無二が『興亡と夢――戦火の昭和史(1~5)』であった。

“歴史探偵”、“昭和史の語り部”と称される半藤一利の著作に最初の出会ったのは『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』(1965)だった。当方が読んだのは角川文庫版(1973)。といっても大宅壮一編とあり、著者の名はない。「あとがき」に「文藝春秋戦史研究会・半藤一利」とある。半藤名義で本書が出たのは、1995年である。その経緯は『半藤一利 橋をつくる人』(2019)に詳しい。
 
いま手元に半藤一利『昭和史』4部作がある。著者が編集者に授業形式の語り下ろしによる「わかりやすい通史」として刊行された。三好徹『興亡と夢』よりも執筆時期が20年も新しいことに歴史の“現在”を知る意味がある。

 

(了)

2021年◆傑作ノンフィクション★ベスト10(前)

 

2011年■傑作ノンフィクション★ベスト10
2012年■傑作ノンフィクション★ベスト10
2013年■傑作ノンフィクション★ベスト10

2014年■傑作ノンフィクション★ベスト10
2015年■傑作ノンフィクション★ベスト10

2016年■傑作ノンフィクション★ベスト10

2017年■傑作ノンフィクション★ベスト10
2018年■傑作ノンフィクション★ベスト10
2019年■傑作ノンフィクション★ベスト10   
2020年■傑作ノンフィクション★ベスト10    

 

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2021年◆傑作ノンフィクション(前)★ベスト10

 

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 2020年11月~2021年10月に刊行されたものから、ベスト10、これも堪能した10作、さらにスペシャル補遺2作、計22篇を選んだ。このノンフィクションのベスト10ごっこは、2011年から始め、これが最終となる。体調を崩したこともあって、極端に読書量が減ったことによる。

・表紙写真
・著者名/書名
・発行年月/出版社名
・……キャッチコピー
・本文フレーズ(本書から)
・コメント〈memo〉

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★1
◆インベカヲリ☆◆家族不適応殺 新幹線無差別殺傷犯、小倉一朗の実像    
/2021.09/KADOKAWA
…………刑務所こそが自分を確実に守ってくれる母であり、家庭だった

*
「私は検事の取り調べにおいて、『キリスト教徒が修道院に入るように、仏教徒が山門に入るように、私は刑務所に入るのです』と供述した。


すると、検事がこう問うた。『修道院には神の加護が、山門には仏の加護があるけれど刑務所にはないでしょう』。

それに答えて私は『国家の加護がある』と供述しました。
私は、刑務所で基本的人権が守られることを信じます」(本書)
*
〈memo〉
事件が起きたのは、2018年6月。男(当時22歳)は、「のぞみ265号」の12号車内において、新横浜-小田原間を走行中に、突然ナタとナイフを持って乗客を切りつけ一人を殺害、二人に重軽傷を負わせた。

取り調べに対し、「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」。この時点から、「刑務所に入りたかった」「無期懲役を狙った」などと供述していた。本書はその殺傷犯への面会、手紙、裁判傍聴、家族への接触等を通じて、事件の“動機”に迫ったノンフィクションである。

最近の殺傷事件をはじめ犯罪捜査は、証拠固め中心で動機の解明が軽視されているのが、当方は非情に不満である。解明されるべきは動機である。したがって本書を興味深く読んだが、「家族不適応殺」という著者の言葉も殺傷犯の男の告白も難解である。ここでは大胆に抜粋要約を試みるのみである。

 

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★2
◆溝口敦◆喰うか喰われるか 私の山口組体験     
/2021.05/講談社
…………死ねば、その者を守り、隠してきた「取材源の秘匿」も解消されるべきだ

 

*
ノンフィクションや報道の世界では取材源の秘匿ということがいわれている。取材し、書くことで、取材され、書かれた人たちに迷惑を掛けるわけにはいかない。だからその情報の出所を隠し、ぼやかし、暖味にする。


しかし、かつて取材された人が死ねば、取材源の秘匿はとりあえず解禁されるのではないか。その人にとって秘匿すべき姓名も立場も職責も地位も解消されたにちがいない。


ことによると死後も秘匿されるべき秘密はあるかもしれない。しかし、私は「殺菌には日の光に晒すのが一番だ」という言葉を信奉する者である。


基本的には、何ごとも露わにしたほうがいい。死ねば、それまでその者を守り、隠してきた「取材源の秘匿」も解消されるべきだ。
本書中には、いままで私が隠してきた情報源の開示がいくつか記されている。(本書)
*
〈memo〉
溝口敦(1942~)、デビューして半世紀。本書は取材活動を中心にした回顧録であり半自叙伝である。
同時に山口組三代目時代から六代目山口組、神戸山口組、任侠山口組に分裂した現在までの“小型の山口組通史”である。


溝口にとって暴力団幹部にも好き嫌いがある。『荒らぶる獅子 山口組四代目竹中正久の生涯』(1988)の取材以来、竹中正久の実弟竹中武、正の二人に全幅の信頼をおいているのが分かる。4代目竹中正久といえばニュース映像で“吠える男”という粗暴なイメージしかないが、三代目姐が推挙するだけの魅力が竹中正久にあったに違いないと、今になって『荒らぶる獅子』を購入し、読んだ。溝口は嫌いな幹部も実名でその理由を明かしている。


本書はなんといっても組幹部と著者、編集者との取材をめぐるやり取り、かけひきが圧巻である。「いままで私が隠してきた情報源の開示」をして、スリリングである。

 

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★3
◆河合香織◆分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議
/2021.04/岩波書店
…………“前のめり”の専門家にリスペクトしたノンフィクションの傑作 

 

*
〔専門家会議解散後の8月20日、日本感染症学会の基調講演で尾身茂〕

 

「ウイルスという相手が攻め込んでくるのに対し、その相手の動きを見ながらなんとか凌いできた」
リスクゼロを目指すような、常時緊張を強いられる試みは長くは続けられないとして、こう語った。


「剣道では相手をコントロールして動かせて抑える、『後の先(ごのせん)』といった言い回しがあります」


「先の先」という何事にも早く打ち込む戦略もある。だが、相手によってはそれは通じない。〔…〕
後の先、打たせてから勝つという方策を体に染み込ませようとしてきた。

尾身の「後の先」には、次のような信念があるようだ。
「自分がこうしたいと思っても、当然のことながら相手がある。それはウイルスであり、政府であり、自治体であり、市民だ。つまり自分の気持ちだけ大事にしていてはいけないということです。世の中のリアリティ、人の動き、それぞれの思いが一人ひとりにある。そういうことを知らずに、自説を唱えているだけではうまくいかない」(本書)
*
〈memo〉
日本で最初の新型コロナウイルス患者が確認されたのは2020年1月15日。その1か月後の2月14日に、「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」がつくられた。

座長 脇田隆字・副座長 尾身茂・構成員 岡部信彦・押谷仁・釜萢敏・河岡義裕・川名明彦・鈴木基・舘田一博・中山ひとみ・武藤香織・吉田正樹の12名。


本書は、7月3日に解散するまでの5か月間、官邸や官僚に翻弄されながらもめげない専門家たちの活動の記録である。本書は、尾身茂をはじめ専門家会議のメンバーの視点に立って綴られている。安倍官邸や厚労省など官僚のスキャンダラスな出来事に触れず、専門家の葛藤を冷静に綴った出色のノンフィクションである。

 

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★4
◆上間洋子◆海をあげる
/2020.10/筑摩書房
…………娘にいつか読んでほしいという思いが伝わって

 

*
もし、あなたの窮地に駆けつけて美味しいごはんをつくってくれる友だちができたなら、あなたの人生は、たぶん、けっこう、どうにかなります。

そしてもうひとつ大事なことですが、そういう友だちと一緒に居ながらひとを大事にするやり方を覚えたら、あなたの窮地に駆けつけてくれる友だちは、あなたが生きているかぎりどんどん増えます。(本書)
*
〈memo〉
子どもをもつ17歳の母親のケースを扱っている章がある。性暴力をあつかった聞き取りは、語り手も聞き手も大きな痛みを伴う。したがってその著者の日々を描いたエッセイもまた、著者の痛みを伴う経験を隠さずに告白している。この1冊を成長した後の娘に読んでほしいという思いが伝わってくる。

 

5202108

★5
◆金田信一郎◆ドキュメントがん治療選択 ――崖っぷちから自分に合う医療を探し当てたジャーナリストの闘病記 
/2021.07/ダイヤモンド社
…………患者にできるのは「医者と病院を選ぶこと」だけ、か


*
夜になって、自宅の廊下で、18歳の次男とすれ違った。
一通り、手術と放射線治療のメリットとデメリットを話して、「迷っているんだよなあ」と言ってみた。
すると、次男は迷いなく、こう言った。


「それは、放射線でしょ」
「なんで?」
「いや、僕は長く生きるよりも、自分らしく生きたいから」

〔…〕たぶん、世の中の大半の患者は、手術を選ぶだろう。そう思っている。
だが、世の中には、いかに人生が短くなろうが、残された時間を思うように活動したい人もいるはずだ。(本書)
*
〈memo〉
居酒屋で嘔吐、2週間後再び嘔吐。近くのクリニックで逆流性食道炎の見立てで薬を処方されるが治まらず、3月25日胃カメラの結果、がんと診断される。
東大病院入院からがんセンター東病院へ転院、手術より放射線治療へ。
7カ月に及ぶ闘病生活。

――あと、どれだけ生きていけるのか、それは分からない。
だが、誰もが自分の人生の残り時間を正確に把握できないのと何も変わりはしない。
誰にでも等しく死はやってくる。
それよりも、瞬間を生きる大切さを感じることができた。(本書)

6202102

★6
◆大下英治◆スルガ銀行かぼちゃの馬車事件 四四〇億円の借金帳消しを勝ち取った男たち
/2021.02/さくら舎
…………悪徳ビジネスに対決する弁護士と被害者同盟の破天荒な闘い

*
「スルガ〔銀行〕は辞めた人間が情報を漏らさないか、探偵をつけているんですよ。……そんなこともする組織なんです」〔…〕

「スルガは、反社とつながってて、パワハラも当たり前の環境でした。そんなところで優秀な社員というと……要するに、法律違反を平気でできて業績をあげられる奴です」(本書)
*
〈memo〉
これは「かぼちゃの馬車」というシエアハウスを購入したものの、運営会社の経営難により、千人を超えるオーナーが莫大な借金を抱えることになった事件である。


河合弘之弁護士と冨谷(仮名)がリーダーの被害同盟のメンバーたちは、自己責任論で傷つきながらも、不正融資は返済せずと戦いに挑む。

被害者約250名が抱える不動産担保ローン合計残高約440億円をスルガ銀行が「帳消し」にするという、金融史上前例のない奇跡の解決となった。

 

7202011

★7
◆河野啓 ◆デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場 
/2020.11/集英社
………登れるはずのない最難関のルートを選んだ理由は

*
栗城史多さん。
「夢」という言葉が大好きだった登山家。〔…〕
山を劇場に変えたエンターテイナー。
不況のさなかに億を超える遠征資金を集めるビジネスマンでもあった。
しかし彼がセールスした商品は、彼自身だった。


その商品には、若干の瑕疵があり、誇大広告を伴い、残酷なまでの賞味期限があった。
彼はなぜ凍傷で指を失ったあともエベレストに挑み続けたのか?
最後の挑戦に、登れるはずのない最難関のルートを選んだ理由は何だったのか? (本書)
*
〈memo〉
栗城史多(1982~2018)は、「七大陸最高峰、単独無酸素登頂」を“売り”にした登山家。2010年から「冒険の共有」をテーマにエベレストに8度挑戦。2012年の4度目の挑戦時の凍傷により右手親指以外の指9本を第二関節まで切断。

2018年の8度目となるエベレスト登山時に体調を崩して登頂を断念。下山中に滑落死した。35歳没。

それにしても“技術よりも直観”、“プロセスよりも結論”という栗城さんの遠征に何度も同行したカメラマンや“劇場型登山”を煽ったディレクターや記者たち。その死を黙して語らないのは何故か?

 

8202103

★8
◆服藤恵三◆警視庁科学捜査官 難事件に科学で挑んだ男の極秘ファイル
/2021.03/文藝春秋
…………オウム真理教事件の科学的解明に活躍した男の自伝

 

*
状況が大きく変化したのは、オウム真理教事件だ。化学兵器が犯罪に使用され、銃火器や禁制薬物以外にも、数々の違法な科学が駆使された。

それらを製造する情報の入手は、新たな時代の科学を象徴するインターネットに依るところも大きかった。当時、「オウムの後は、何でもありの時代がやってくる」と痛感したことを思い出す。〔…〕

犯罪の高度化が進み、従来の捜査方法や能力だけでは対処できない場面が、そこここに現れ始めていたのである。(本書)
*
〈memo〉
1995年3月20日9時5分ころだった。警視庁本部庁舎の隣にある警察総合庁舎内の科学捜査研究所(科捜研)に「急いで頼みます」緊張した声と同時に、捜査員が駆け込んで来た。
「築地駅構内に停車中の、車両床面の液体を拭き取ったものです」とビニール袋を差し出した。

これが地下鉄サリン事件とのかかわりはじめであった。以後、著者はオウム真理教事件の科学的解明にどっぷりとつかり全力を尽くすことになる。

著者服藤恵三とはどういう人物か。当方の印象は、技術職として優秀であり、改革に意欲があり(同僚から敬遠され)、捜査畑のトップに取り入り(好かれ)、出世ばかり気にし、しかし深夜まで働く(博士号も取得)、といったタイプ。

だが悩みの種は出世欲を抑えられないこと。研究職の昇任試験に2度落ちたこともある。警視に昇任した後輩がどんどん所属長になっていく。そのたびに出席する送別会は、針のむしろだった。技術畑出身で捜査畑も対等に勤めた男の悩みであろう。

 

9202103

★9
◆古川日出男 ◆ゼロエフ 
/2021.03/講談社
…………“復興五輪”について被災者の話を聞き、やがて平家物語、そして憲法に至る

*
来春には東日本大震災から10年、みたいな区切りが来て……と私が言う、……その先には震災は忘却されるのが自然な流れなのかな、とも思うんですけど……。
ごにょごにょと言ってから、問う。

「どうやったら、伝えつづけられる、と考えます?」
「言葉は悪いけれど、傷なのかな」
「傷」私は即座に了解する。


「傷を残すこと」と高村さんは言って、「傷はたぶん、ずっと治らない」と続けた。
治らないから、と聞こえた。(本書)
*
〈memo〉
東京オリンピックが決まり、「復興五輪」と謳われたとき、東京オリンピックは東京でやればよい、「復興五輪」ならば被災地だけでやればよい、と著者は思う。「言葉が蔑ろにされている」。歩こう、と思った。

著者は、中通りと浜通り、計360キロ、19日を歩き抜く。
やがてかつて現代語訳した『平家物語』に思いが及ぶ(訳者として、1185年の文治大地震の被災者たちに『平家』を語らせた)。


――『平家物語』は震災文学であると感ずる。同じ口振りで言うのだけれども、『平家物語』は反戦文学である。日本の、古典文学、にして、古典反戦文学。
そういうものがあるのならば(事実ある)、日本の、現代文学、にして、現代反戦文学もあるだろうと探した。脳内にだ。答えは瞬時に出る。日本国憲法。(本書)


そして、その条文。九つめ……。

 

 

10202102

★10
◆船橋洋一◆フクシマ戦記 1 0年後の「カウントダウン・メルトダウン」
/2021.2/文藝春秋
…………傑作「カウントダウン・メルトダウン」の改訂増補版

*
(政府のコロナ対策は)
「小さな安心を優先させ、大きな安全を犠牲にする」福島原発事故で見られた安全規制体制と同質の「安心」に傾斜したリスク観と政治文化がここには横たわっているだろう。

ただ、専門家会議は、感染拡大抑止という国民の「安全」を最重要の政策目標とし、それぞれの判断を科学的根拠をもって説明できるかどうかを重視している。一方、官邸は、国民の「安全」に加えて「安心」を求める。〔…〕

それは、「安全」と「安心」のどちらにどの程度重点を置くかのバランスの問題でもあるが、「小さな安心を優先させ、大きな安全を犠牲にする」福島原発事故で見られた安全規制体制と同質の「安心」に傾斜したリスク観と政治文化がここには横たわっているだろう。(本書)
*
〈memo〉
傑作ノンフィクション『カウントダウン・メルトダウン』は2013年1月に出版された。当時、民間事故調の調査・検証や独自取材では、東京電力の協力が得られず、現場で格闘した個々人の話が聞けなかった。その後、貴重な資料や各種の報告書が次々と世に出た。

本書『フクシマ戦記』は1 0年後の「カウントダウン・メルトダウン」とサブタイトルある。その後の新たな取材の過程で得た新事実や新発見を前に、骨格を大幅に再構成し、書き直したもの。前著『カウントダウン・メルトダウン』の“改訂増補版”である。

 

2021年傑作ノンフィクション(後)★このノンフィクション10篇も堪能した

 

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2021.12.06

魚住昭◆出版と権力 講談社と野間家の110年   …………秘蔵資料合本146巻を駆使して綴った野間家の人々

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 私がここで強調したいのは、この作品がいまはなき『月刊現代』の仲間たちの全面協力によってできあがったということだ。

 さらに付け加えれば、権力から独立した自由な言論を目指そうという『月刊現代』の志がなければ、この作品は生まれなかったということである。

 

◆出版と権力 講談社と野間家の110年 魚住昭 /2021.2/講談社


 魚住昭(1951~)といえば、『渡邉恒雄 メディアと権力』(2003)、『野中広務 差別と権力』(2004)の2つのノンフィクションがまず思い浮かぶ。その後、『冤罪法廷 特捜検察の落日』(2010)からしばらく著書を見かけなかった。

 ――2007年春、私は体調を崩して思うように仕事ができなくなった。2008年末には『月刊現代』が休刊になり、私を含めノンフィクションの書き手は主たる発表の場を失った。

 そして秘密保護法の制定や集団的自衛権の行使容認などが相次ぎ、本田さんが生涯こだわった戦後民主主義は風前の灯火となった。
 そろそろ私のライター稼業も店じまいのときが近づいたかな、と思いかけた矢先の2016年秋、かつての『月刊現代』の編集者たちから声がかかった。(本書)

 日本の近代をテーマに、そこから現代を照射するような作品を書きたいと思っていると答えた著者に、やがて段ボール箱が目の前に積まれる。ハードカバーに保護されたぶ厚が約150巻。講談社が1959年に編纂した社史『講談社の歩んだ五十年』のもとになった秘蔵資料である。こうして本書が生まれることになる。

「おもしろくてためになる」がキャッチフレーズの大日本雄弁会講談社は、当方にとっては戦後間もない時期の『少年クラブ』である。そんな部分も含めて、創業者野間清治から現在の7代目までの野間家の人々を中心にわが国の出版史が綴られている大冊である。

 講談社の近年の功罪……。


「功」として『昭和萬葉集』全21巻の刊行。「罪」として『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(ケント・ギルバート著)の出版をあげている。

『昭和萬葉集』には、「出版物は、その時代、その民族の文化の水準を示すバロメータ」で「人類の共有財産」だという省一の理念が結晶化されている。その出版の経過が詳述されている。

 また『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』はベストセラーになったヘイト本。編集者と会社の精神の荒廃を示すものではないかと批判している。

 ――これからの講談社にどんな未来が待ち受けているのだろうか。戦時中のような過ちをくりかえさず、文化の作り手としての責任をまっとうすることができるのかどうか。その成否は、一出版社の問題に止まらず、無数の読者の運命を左右することになるにちがいない。(本書)

 

 

 

 

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2021.10.13

池澤夏樹:編◆わたしのなつかしい一冊  …………津村記久子が選んだ『さむけ』の見事な書評

202108


津村記久子・選
『さむけ』ロス・マクドナルド=著 小笠原豊樹=訳

  新婚の若い男が、妻がいなくなってしまったので探してほしいと探偵に頼みにくる。再放送の二時間ドラマや何かの冒頭によくありそうな発端は陳腐ですらある。

 それが巡り巡って最後には、ミステリーの歴史に残る結末の一文に辿り着く。個人的には、自分が読んできたあらゆる小説の中でも最強と言っていい幕切れだと思う。〔…〕

 何度読んでも、結末では、本当に遠くまで来た、という感慨を持つ。

 その場にいながらにして読者を遠くまで連れていくということが小説の役割の一つなら、これほどそれを強く感じさせる作品もないだろう。

 長い期間にわたって断続的に起こる殺人の根源にある苛烈な欲望は、思い出すだけで寒々しい気分になる人間の罪悪の姿を読者の心に刻みつける。知らない方が気楽かもしれない。


 しかし、小説を読むからには、人間のことを知りたいと思うからには、この終わりを読めることこそが幸福なのだと言い切りたい。

 

◆わたしのなつかしい一冊 池澤夏樹:編 寄藤文平:絵/2021.08/毎日新聞出版


 毎日新聞の書評欄にある「なつかしい一冊」というコラム50篇を集めたもの。

 ――本当によい読書の記憶は「昔」の中にある。若い時に読んだものほど心の深層に定位していて、折に触れて浮上してくる。そういう体験を語ってもらいたい。

 とこのコラムを提案した池澤夏樹の弁。

 執筆者たちは青少年時代に読んだ「なつかしい本」について語るが、それは自らのなつかしい時代を振り返ること。個人の思い出話は、この1000字程度の短さで付き合うのがちょうど良い。

 その「なつかしい本」について、「この1行が記憶に残っている」というもの、「この本が人生を変えた」というもの、また「ずばり内容を要約」したもの、などに分類される。

 その「内容要約」で、当方がこれから読むつもりのもの。

◇永江朗(1958~)・選
『自動車の社会的費用』宇沢弘文=著

 ――はじめて読んだのは20歳の夏だった。アルバイト先の先輩から強くすすめられたのだ。徹夜して読んで、こういう考え方があるのかと驚いた。ものの見方が変わる快感で嬉しくなると同時に、世の中のひどさに気づいて腹が立った。


 難しい経済学の話も出てくるが、書かれていることはシンプルだ。自動車に必要な費用は車両代とガソリン代だけではない。道路を作って維持するのにもお金がかかっているし、交通事故や大気汚染などの公害、環境破壊などで失われるものも多い。ところがそれらの費用のほとんどは、自動車の持ち主ではなく第三者が負担している。大雑把にいうと、こういうことだ。(本書)

◇田中里沙(1966~)・選
『アイデアのつくり方』ジェームス・W・ヤング=著

 ――本の帯には「60分で読めるけれど、一生あなたを離さない本」と書かれていた。メッセージは極めて明快で簡潔だ。

「アイデアとは、既存の要素の新しい組み合わせである」。広告業界で活躍をした著者のヤングが、実務を重ねて編み出した真理。方法論や技術として、これを超えるものはないのだと思う。(本書)

 

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◇津村記久子(1978~)・選
『さむけ』ロス・マクドナルド=著 小笠原豊樹=訳

 上掲で紹介したが、わずか1000字ほどなので全文を示したいほどだ。書評、ブックガイドのたぐいでこれほど「読みたい」と思わせる魅力的な紹介に出くわしたことがない。ほんとにすぐにも読みたい(大昔の1972年出版時に読んだのだが、すべて忘れている)。

 当時、手元から離せなかった本に福永武彦・中村真一郎・丸谷才一『深夜の散歩――ミステリの楽しみ』(1963年・ハヤカワ・ライブラリ)がある(いまも手元に)。EQMMに連載されたエッセイをまとめたもの。これによりレイモンド・チャンドラー、エド・マクベイン、W・P・マッギヴァーン、そして、ロス・マクドナルドを読む楽しさ知った。

 中村真一郎はロス・マクドナルドの『さむけ』と同じリュー・アーチャーものの『ギャルトン事件』について、こう書く。

 ――しばしば作者の文章は、哲学的になる。ということは、情景なり人物なりの背後にある人生そのものに対する作者の抽象的な思考が、短い警句的表現となって現れるということである。

 さて当方が「わたしのなつかしい一冊」を挙げるとすれば、この『深夜の散歩』ではなく、またリュー・アーチャーものでもなく、同書で福永武彦が紹介しているW・P・マッギヴァーン『最悪のとき』である。

 

 

 

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2021.09.18

工作舎:編◆最後に残るのは本        …………本にまつわる1000字の名品エッセイ67篇

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 ハバナの図書出版協会でもらった雑誌の一つに、フィデル・カストロの写真が大きく載っていたので、ミーハー的なカストロ・ファンである私は、その雑誌を少し熱心にめくって見た。〔…〕

 私がちょっとにっこりしてしまったのは、大きな活字でしるされたカストロの次のことばであった。

「最後に残るのは本だ。」

 これはカストロの場合、「自分が死んでも、自分のことを書いた本は残る」という意味かもしれないし、「作家が死んでも作品は残る」かもしれないし、「いかにインターネットがはびこっても、書物は最後まで残る」ということかもしれない。〔…〕

 とくに、ここで「最後に」に相当する語がúltimo で、これは英語では「究極の」というニュアンスの強い語だから、私などは「本こそは究極のもの」と強引にねじ曲げて想像してみたりする。

*多田智満子――最後に残るのは本

 

◆最後に残るのは本  工作舎:編/2021.06/工作舎


 

 工作舎50周年記念出版として、工作舎の本にはさみこんだ新刊案内「土星紀」に連載した67名の書物をめぐるエッセイをまとめたもの。

 当方は工作舎の本は無縁である。畏敬する内田繁の『茶室とインテリア――暮らしの空間デザイン』(2005)が唯一手にした本である。

 本や読書を素材にした全編みごとなエッセイが網羅されている。わずか1000字前後なので、要約や切り抜きは困難だが、あえていくつか、以下引用。

 

*坂村健――匂いのない「電子の本」

「電子の本」は従来の紙の本を置き換えるものではなく、全く別のものであるという認識がないとうまく作れない。

ただ単に紙の本をレーザーディスクやCD-ROMに入れても全く面白くないのである。


 こういうことを少し注意して「電子の本」に付き合ってみる。本を読む、いや見る楽しみはさらに広がる。しかし、ただ一つ残念なのは、あの本の匂いがなくなってしまうことである。

 

*池上俊一――黙読の誕生

 著者というのが口述者であり、読者というのが朗読者にほかならなかった時代とくらべて、〔…黙読が採用されるようになって〕より重要な意味があったのは、一人で黙読する習慣がプライヴァシーの領域の拡大・充実と結びついたことである。

 黙読とそれを想定した著作活動は、朗読によって他人の耳にはいることを考慮しない密やかな作業となった。皮肉や風刺、またとくにポルノまがいのエロティシズムが宗教文学にまで大量に侵入する。

 だが、逆説的なことに、このプライヴァシー拡充は、俗人たちの霊性のかつてない深化と高揚にも貢献した。一人で敬虔に宗教書を黙読する習慣は、その読者の内面で、神との個人的な結合を追求するまたとない手段となりえたからである。

 

 

*鶴岡真弓――コデックスのコード

「本の歴史において、グーテンベルクの印刷術発明に比肩する革命は、コデックスの登場にあった」(K・ヴァイツマン)


「コデックスCodexとは「冊子」のこと。一枚一枚のフォリオを束ねてページ仕立てにしたこの書物の形態が、紀元一世紀末頃、従来の「巻物」形態にとってかわったとき、西欧の書物は大きく飛翔した。〔…〕

 文字言語の量的拡大は、1970年代以降の人類が手にしたフロッピーディスクの比ではなかった。ページ仕立てに成長した本は、書物に「文字の王国」の繁栄をもたらした。と同時に、「図像」の興隆をもたらした。

 

 

*風間賢二――出会いと関係性の読書

 どうやら、最近の若い人は、〔…〕読書における“出会い”と“関係性”ということに無頓着で、一冊の本は、それだけで完結したひとつの世界を構築しているものと思ってしまうらしい。〔…〕

 たとえば、芥川龍之介の短編集を一冊読む。すると当然、アンブローズ・ビアスの名を知ることになる(たいていの「解説」には、芥川のビアス好きのことは書いてある)。ビアスと出会い、彼の作品と接すれば、どうしたってポーにまでさかのぼりたくなるし、その両者をリンクするフィッツ=ジェイムス・オブライエンといった超マイナーな怪奇幻想作家にまでたどりつき、そこからはSFやファンタジー、ホラーへと興味は広がっていく、〔…〕

 まあ、ようするにハイパーアクストな読み方をしているかぎり、読書行為に終わりはないし、常に新しい作家や作品を発見することにもつながるのである。

 

 

*佐倉統――読み人知らず

母は自分が大学生だったときの話をしてくれた。


彼女が伝え聞いた話では、歌人・島木赤彦の万葉集の講義は、歌をひとつ詠んでは、本を閉じ、宙を仰いで、「いいですなぁ…」と嘆じる。その繰返し。それだけ、だったというのだ。〔…〕

 感動とは、本来コミュニケーション不可能なものだ。このことはみんな知っている。だけど、それを実地に示すことは難しい。そんじょそこらの人間には、真似のできない技だ。昔ぼくが軽蔑した万葉の講義は、島木赤彦ならではの、ある種の高みに達した境地の開陳、だったに違いない。

 

 

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2021.07.09

保阪正康◆昭和史の本棚           …………「あとがきの最後の五行」を見ることから始める

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〔カルチャーセンターの講師を務めていて〕本をあまり読んでいない質問者に共通するのは、思い込みの激しさであった。


  あえて書くが、本をあまり読んでいない人には、次のような三つの特徴がある。

①形容詞、形容句を常用、多用する。
②説明を飛び越し、いきなり結論を言う。
③どのような事柄を語るのでも、五分以上はもたない。
加えるなら、自制や自省に欠けるタイプが多く、感情の振れ幅も大きい。

 むろん本を読む人が立派で、読まない人が愚かだと言っているのではない。ただ、読書し、理解が深まれば、自らの言動をどこで抑制すべきかの知識も得られると、私は言いたいのである。

◆昭和史の本棚  保阪正康/2021.04/幻戯書房


 保阪正康(1939~)。朝日新聞等に掲載した197冊の書評集。

  当方も愛読した堀川惠子『原爆供養塔』、船橋洋一『カウントダウン・メルトダウン』、辺見じゅん『夕鶴の家』なども含む天皇/日中十五年戦争/朝鮮人、台湾人、琉球人、アイヌ/銃後、徴兵、疎開/原爆/戦犯、裁判/占領/憲法/メディアなどをテーマに昭和史関連書がならぶ。

 冒頭に、やや長めの「私の書評論」があり、書評を引き受ける時の5つ原則をかかげている。

①納得し難い本の書評は書かない。
②いかなる本でも七対三の構えでいく。
③著者の意図を正確に把握する。
④基本的な誤りを抱えている本の書評はしない。
⑤書評の字数は読んで決める。

 このうち③について、「あとがきの最後の五行」を見ることから始める、とある。「最後の五行」は、上梓にあたっての謝辞で占められることが多く、それによって新説も新視点もないと判断し、読むのをやめてしまう場合がある。必要なら、謝辞に名を挙げられた「先生」の本を読めばいい。とまことに手厳しい。

上掲の「本を読まない人」については、こう続く。

 ――知識に厚み、深みがなく、感性や耳学問で事象を捉え、判断する傾向が見られる。ゆえに形容詞などで言葉の表面を飾るだけで、話が続かず、いきなり結論を下す。普通なら思考の経路を語ったうえで結論を述べるはずだが、読書量の少ない人は、言いたいことを言うだけで、そう思うに至ったプロセスを説明できない。

 当方、自戒をこめて同様の危惧を持つのは、ツイッターだけで論ずる人や芸能人のコメンテーターである。結論しか書く字数がなく、思考のプロセスが分からない。

 

 

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2021.03.30

花田紀凱◆編集者!        …………山本夏彦デビュー作をめぐって

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 一般に夏彦さんのデビュー作は39年に出した『年を歴た鰐の話』の翻訳ということになっている。

 が、実は20歳の頃、初めての翻訳を世に出しているのである。ルソーの『エミール』を子供向けに訳したもので、無想庵の一文はその本の序文として使われたものなのである。

 15、6年前、ぼくは早稲田の古本屋で、偶然、その本を見つけた。函入りの小さな本だった。

 『エミール』の内容もさりながら、無想庵の序文が素晴らしい。少年夏彦の姿が彷彿とするその序文をぼくは暗記するくらい、繰り返し読んだ。誰もこの本のことを知らないので一層、優越感をくすぐられた。

 ――誰も知らなかったデビュー作/山本夏彦さん

 

◆編集者! 花田紀凱 2005.03/ワック


 名物編集者の肩の凝らない回顧録。
 第1章 編集者は接客業である――作家・著者とのつきあいから学んだこと、第2章 断られたところから企画は始まる――スクープとアイディアこそ雑誌づくりの愉しさ、第3章 雑誌づくりは取材相手との真剣勝負――ぼくの取材トラブル体験、第4章編集の仕事はこんなにもおもしろい――ぼくの敬愛する編集者たち。
 執筆を依頼した作家、週刊誌の取材相手、先輩編集者たちの“ちょといい話”を集めたもの。

 上掲は敬愛する山本夏彦(1915~2002)について書いたもの。
当方は山本夏彦の『日常茶飯事』1962、『茶の間の正義』1967、『変痴気論』1971 など初期のエッセイが好きで、週刊新潮の「夏彦の写真コラム」が始まるまでの約10年ほど熱心な愛読者だった。

 その頃から巻末の著者略歴に記された訳書『年を歴た鰐の話』(レオポール・シヨヴオ)をまぼろしのデビュー作と読者間で騒がれていた(山本の没後2003年に復刻出版された)。

 ところで今回上掲の文章を読んで、念のため『ウィキペディア』を見ると、「24歳のときにフランス童話『年を歴た鰐の話』の翻訳で文壇デビュー(註:刊行は1941年)」とあるものの、「年譜」には「少年探偵エミイル  エリッヒ・ケストナー 耕進社 1934」と、それ以前の訳書が記されている。たしかに本書で花田紀凱が指摘しているようにデビュー作は別だったようだ。

 しかし本書のルソーの『エミール』は勘違いで、原作はジャン=ジャック・ルソー(1712~1778)『エミール』ではなく、エーリヒ・ケストナー(1899~1974)『エミールと探偵たち』である。

 

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国会図書館で検索すると、
少年探偵エミイル
エリッヒ・ケストナー 原作,山本/夏彦 訳,安/泰 装丁
出版社 耕進社出版年月日等 1934.6
大きさ、容量等 158p ; 19×14cm
価格 1円
 と出た。

所有している大阪府立図書館を調べると、以下の記述があった。

『少年探偵エミイル』
 ドイツの児童文学作家、ケストナー作品の翻訳。日本では高橋健二や池田香代子の訳出(ともに岩波書店)が有名。

 原作(原題:EMIL UND DIE DETEKTIVE)は昭和3年。ほどなくゲルハルト・ランプレヒト監督、ビリー・ワイルダー脚本によって「少年探偵団」(昭和6年)として本国ドイツにて映画化されたが、それが日本でも昭和9年5月から封切られ(73分、白黒)、これに併せて俄かに本作が出版ラッシュとなった。

 まずは、「春陽堂少年文庫」の『少年探偵団』(中西大三郎訳、春陽堂、5月29日)が出て、続いて『少年探偵エミール』(菊池重三郎訳、中央公論社、6月3日)、そして一日違いで本書『少年探偵エミイル』(山本夏彦訳、6月4日)刊行となる。映画公開を意識した出版であることは言うまでもないが、これだけの短い期間(6日間)に同じ翻訳が3冊も出るのは児童文学史的にも珍しい。

 書誌学では既知のことだったのだ。

 花田紀凱は「ある時、夏彦さんにその本のことを聞いてみたのだが、なぜか、あまり語りたがらぬ風だったので」云々とあるが、映画公開と同時に3種の翻訳本が出た、その1つだったのでは語りたくなかっただろう。

 あるいは父の友人武林無想庵の序文の、
――ボクは夏彦がかうしたインターナショナルなユーマニテに充ちあふれた傑作の翻譯をもって人生にデビューしたことをば衷心からよろこんでやまない。
 という記述が気恥ずかしかったのか。

 なお、花田紀凱は「箱入りの小さな本だった」と書いているので、山本夏彦訳『少年探偵エミイル』に間違いない。無想庵の序文が素晴らしいと繰り返し読んだという同書を紛失した経緯は本書に……。

 

 

 

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2020.12.24

高橋源一郎★「読む」って、どんなこと?   …………鶴見俊輔の最晩年に残したノートを静かに読んでみよう

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 簡単な文章を読みましょう。すごく簡単です。これから出てくることばたちは、鶴見俊輔(1922~2015)さんという哲学者の『「もうろく帖」後篇』(編集グループSURE)におさめられたものです。

「2003年6月26日

 家の近くによだれかけをかけた地蔵さんがいる。ながい年月にこわれて、表情はなくなり、のっぺらぼうだ。
 そのように、私は自分を失い、のっぺらぼうとして、他の私とまざって、野の隅に立つ日が来る。」〔…〕

 老いが深まってきた最晩年に残したノートが、この本です。最高の思索ができる人は、老いて、能力が落ちてゆく自分を、どんなふうに見つめていたかが、書かれた文章です。この文章を書いたとき、鶴見さんは81歳でした。

★「読む」って、どんなこと?  高橋源一郎  /2020.07/NHK出版 


 NHK出版学びのきほんシリーズの1冊。「読む」って、どんなことなのかを、考える本。

 学校で教わった文章の読み方だと「読めない」ものがある。たとえば、「1891-1944」というタイトルの詩。リチャード・ブローティガンの詩集『ロンメル進軍』の中にある詩。この詩は、本文は白紙、タイトルしかない。

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上掲の鶴見俊輔をもう少し紹介する。

――友は少なく。これを今後の指針にしたい。
これからは、人の世話になることはあっても、人の世話をすることはできないのだから。

――私の人生のおおかたは思い出になった。

――自分の年上に人がいなくなったので、自分より若い人の中に文章の規範を求める。

――私は若いときから老人を馬鹿にしたことがない。だから、いま、自分が老人になっても、私は自分を馬鹿にしない。

――自分が遠い。

「2011年10月21日
私の生死の境にたつとき、私の意見をたずねてもいいが、私は、私の生死を妻の決断にまかせたい。」

 89歳のときのこれが鶴見俊輔の最後の文章になった。

 津野海太郎『最後の読書』(2018)で、鶴見俊輔が晩年にノートに書きためた短文を集めた『「もうろく帖」後篇』(2017)のことを知っていた。本書にも晩年の様子が書かれているが、3年の間、言葉の発信を一切することできず、けれど読書だけはつづけた晩年に驚愕した記憶がよみがえった。

 じつはわが母も晩年に言葉を失い、一語も発しなかった。どうしてやったらいいか悩んだが、途方に暮れ、仕方なく少しでも刺激を与えようと、ロングチェアの前のテレビをつけっぱなしにした。いま思いだしても申し訳なく忸怩たる思いである。

 本書の著者はこう綴る。

 ――もうろくをする。年をとる。その結果、社会の中では、役に立たないからといって、爪弾きにされる。でも、それって、悪いことだけじゃありません。
ひとりになる。ひとりになって、静かに椅子に座っている。用事がないので、いつまでもそうしていてもかまわないのです。

 鶴見さんの文章の静けさは、そこからやって来たのかもしれません。でも、そんな鶴見さんは、さらに静かになった、もう発信する必要もなくなった、自分だけの静寂の世界で、どんなふうに、本を「読んで」いたのでしょう。
もしかしたら、そこは、究極の「読む」世界だったのかもしれませんね。(本書)

 

 

 

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2020.12.22

12/そこに本があるから◆T版…………◎吉田篤弘・ぐっどいゔにんぐ◎柴田元幸・ぼくは翻訳についてこう考えています◎今井 上・初めて読む源氏物語◎永江朗・私は本屋が好きでした

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12/そこに本があるから

吉田篤弘★ぐっどいゔにんぐ /2020.11/平凡社

 

夢のおわりに、見たことのない自分が書いた本のページをめくっている。

そのタイトルを頭の中で何度も反芻しながら目が覚める。

しかし、なにひとつ思い出せない。

これこそ自分が書きたかった本である、という手応えだけが残っている。

*

短い小説集? 詩集? 随筆集?

でなければ、これは、活字にならなかったボツのメモ、

さもなければ、見た夢の備忘録?

いずれも違うのです。

これは「まだ書かれていない本」の断片です。

 

いくつかご紹介を……。

 

 ――ひとたび、そこに「全体」が姿をあらわしてしまうと、断片であったときの「面白さ」「可能性」「孤独」「記憶」「自由」はそれきり失われてしまいます。

 ――小説や詩になる前の言葉を、ここにそのまま、なにものでもない声のまま並べ、それが一口で食べられる菓子を並べたようにならないものかと夢想したのです。(本書)

*

発行は2020年11月20日金曜日

クリスマスの贈り物に、あるいはお年玉にふさわしい

目次もない、ページ番号もないコンパクト判。

 

 

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12/そこに本があるから 

柴田元幸★ぼくは翻訳についてこう考えています―柴田元幸の意見100―   /2020.01/アルク

 

和製英語は恥なのか――

正直なところどうでもいいと思っている。〔…〕

英語の使い方がちょっとくらい間違っているからといって、日本人を見下すような人がいるとすれば、それはその人が狭量なのである。

僕の知っている英語圏の人々はそんなセコいことは言わない。彼らはただ、面白がるだけだ。

 

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12/そこに本があるから 

藤原克己・監修 今井 上・編★初めて読む源氏物語 /2020.01/花鳥社

以下、「あとがき」から……。

 入門者や初心者は、はじめの入り口を間違えてしまうと、おかしな情報にふりまわされたり、変な癖がついてしまうばかりで、結局いつまでたっても出口にたどり着けなかったり、ものごとが上達しないということが、世の中にはよくあります。

 本書に示した『源氏物語』への理解はオーソドックスなそれに徹して、専門家が陥りがちな重箱の隅をつつくような話や、奇をてらった見方は厳しく排除してあります。『源氏物語』にはじめてふれてみようと想った人に安心して手にとってもらえる本を届けたい、そうした思いをこめて、

 本書は『はじめて読む源氏物語』と名づけられました。

とはいえそれは、一度読んでしまえば、あとは読み捨てにされてしまうような内容の薄さ、レベルの低さを意味しているのではありません。

 

 

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12/そこに本があるから

 

永江朗★私は本屋が好きでした――あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏   /2019.12/太郎次郎社エディタス

 

 数年前から小さな本屋をのぞくのが苦痛になってきました。ときどき不愉快な思いをするようになったのです。

 その原因がヘイト本です。

 店頭にヘイト本が並んでいるのを見ると、いやな気分になります。以前は「いやなことも含めて本屋なのだから」と自分に言いきかせ、できるだけ好き嫌いなくまんべんなく本屋をのぞくようにしていましたが、最近は考え方を変えました。

いやなものはできるだけ見ない。醜いものは視界に入れない。

*

 この本のテーマは「本屋にとってヘイト本とはなにか」を考えることです。たんに「ヘイト本とはなにか」ではなく、また、「出版界にとってヘイト本とはなにか」でもなく、「本屋にとってヘイト本とはなにか」です。

 と説明があり、以下、抜粋。著者が「当面すべきと考えるヘイト本対策」が詳しく書かれているが、それは本書で……。

*

 ところで、ここまで「ヘイト本」ということばを使ってきましたが、この呼称は適切ではないと考えています。hate (ひどく嫌う、憎む)という英語は、日本で日常的な生活のなかで使うことばとはいえないでしょう。多くの人は、dislike , detest とのニュアンスの違いもよくわからないのではないか。実感としてなじみの薄い外国語を、ある行為や事象を示すことばとして用いるのは適当ではありません。〔…〕

「ヘイト本」も、正確には「差別を助長し、少数者への攻撃を扇動する、憎悪に満ちた本」と呼ぶべきでしょう。それでは長すぎるというのなら「差別本」とか「少数者攻撃本」とか。わたしは外国語由来のカタカナ語と同じく漢字を多用した造語も好きではないのですが、「ヘイト本」の曖昧さよりはまだマシだと思います。

 ヘイト本のはじまりは2005年に刊行された山野車輪『マンガ嫌韓流』(晋遊舎)でしょう。

 ヘイト本は、特定のだれかを傷つけ、怯えさせ、ダメージを与えることを目的としてつくられている。

 なぜ本屋にヘイト本が並ぶのか、その理由がおおむね見えてきました。

疲弊。無責任。想像力の欠如。無関心。あきらめ。

 

 

 

 

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2020.12.01

★傑作ノンフィクション 2020年ベスト10        …………☆ことしは長年の取材が光を放つ“労作”が揃った

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★傑作ノンフィクション 2020年ベスト10                   …………☆ことしは長年の取材が光を放つ“労作”が揃った

 

 2019年11月~2020年10月に刊行されたものから、この時代を記録にとどめる作品、この時代を顧みる資料として役立つ作品を選んだ(当方の好みで19年3月の1点を加えた)。
 今回は10位まで順位をつけ、作品中の“気になるフレーズ”を紹介した。体調を崩したこともあり、ブログに書かなかったものもある。ここでは作品へのコメントを短く付け加えた。
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❶佐々涼子★エンド・オブ・ライフ 

/2020年2月/集英社インターナショナル

  ――これが、200人以上を看取ってきた彼の選択した最期の日々の過ごし方。抗がん剤をやめたあとは、医療や看護の介入もほとんど受けることはなかった。
 毎日、まるで夏休みの子どものようにあゆみと遊び暮らすのが森山の選択だったのだ。
*
 京都の診療所で働く訪問看護師にすい臓がんが見つかる。すでにステージ4。その生き方を中心に、医師や看護スタッフ、患者やその家族、さらには著者の両親など、さまざまな終末期の考え方生き方が綴られる。人生の最期(エンド・オブ・ライフ)のあり方を、読者が自らに問うことを促す。
「亡くなりゆく人がこの世に置いていくのは悲嘆だけではない。幸福もまた置いていくのだ」(本書)

 5月に読了した時点で早くも“2020年ベスト1”と打った傑作。

 

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❷片山夏子★ふくしま原発作業員日誌――イチエフの真実、 9年間の記録 

/2020年2月 /朝日新聞出版 

  ――五輪招致で「汚染水の状況はコントロールされている」と首相が世界に宣言し、イチエフはますます事故現場ではなく、普通の工事現場だとアピールされるようになった。
*
 作業員仲間では、「お・も・て・な・し」を「お・も・て・む・き(表向き)」に、「状況はコントロールされている」は「情報はコントロールされている」と揶揄している。
 著者は東京新聞記者。3.11発生時から福島第一原発で動く作業員の取材を担当し、いまも続いている。一人ひとりの作業員が語った「日誌」という形をとったユニークな連載。マスメディアは飽きっぽいものだが、長年の連載継続は社も記者も見事。


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❸林 新・堀川惠子★狼の義 新犬養木堂伝 

/2019年3月/KADOKAWA

 ――「私がいう産業立国は、皇国主義じゃない、侵略主義じゃない、これとは正反対のものである。
 わが大和民族は、海外に出て行っても一切の武装をせず、平和なる工人、平和なる農民、平和なる商人で資材を確保すればいいじゃないか」
*
 NHKのプロデューサーだった林新が構想し、半ばまで執筆中に闘病を余儀なくされ、その後を妻であるノンフィクション作家堀川惠子が書き継いだもの。歴史の理解を促すために、あえて架空の人物を登場させている。したがって厳密にはノンフィクションとはいえないが、あえて選んだ。ドラマ化したい犬養総理のスリリングな165日。政治家たちに読ませたい傑作評伝。

 

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❹宮下洋一★安楽死を遂げた日本人 

/2019年6月/小学館


 ――セデーションを用いれば最後の数日間は眠って過ごせる。だが、そこに至るまでの苦しみを、すべて除去できるわけではない。〔…〕
 一方の安楽死なら、余命1カ月となった時点で、自ら死を選択できる。この1カ月の苦痛は実質なくなる。
*
 前著『安楽死を遂げるまで』(2017)は、スイスなど欧米の安楽死事情を多くの事例で綴ったノンフィクション。日本人は安楽死という選択肢はなじまないと考えていた著者に、安楽死を望んでいる多系統萎縮症の女性からのメールが届く。のちにNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」で話題になったのと同一人物である。何度も自死を試みる女性を支え続ける3人の姉妹の言動は感動的だ。


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❺石井妙子★女帝小池百合子
/2020年5月/文藝春秋

  ――小池の掲げた公約が実現可能なものであるのか、議論されることは、ほとんどなかった。「東京大改革」と彼女は自分の公約をワンフレーズにし、七つのゼロを達成すると主張した。
「待機児童ゼロ」、「介護離職ゼロ」、「満員電車ゼロ」、「残業ゼロ」、「都道電柱ゼロ」、「多摩格差ゼロ」、「ペット殺処分ゼロ」である。二階建て電車を走らせ満員電車を解消する、空き家を保育士に住居として提供するという。
〔…〕小池は圧勝。都知事となった
*
  小池の父親譲りの詐欺師的虚言癖は“天才”の域に達している。これでもかこれでもかと執拗に小池の嘘を暴く著者の取材と覚悟に脱帽する。だが小池への不快感で読み続けるのがしんどかった。主人公への激しい嫌悪感は、佐々木実『市場と権力――「改革」に憑かれた経済学者の肖像』の竹中平蔵以来だった。


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➏大西暢夫★ホハレ峠――ダムに沈んだ徳山村 百年の軌跡
/2020年4月/彩流社

 ――門入にとってホハレ峠とは、物資の流通だった大切な道だが、人と人が交差しあい、出会いや希望があり、多くの人たちの想いが詰まった峠道だったに違いない。 春から秋にかけて、田畑の仕事をこなし、その合間をぬってボッカの仕事で現金を手に入れ、冬前になると街に出稼ぎに行った。そして芽吹く春に再び門入に帰ってくる。まだあどけない少女がそうして家族を支えてきた。
*
 揖斐川上流の巨大な徳山ダムによって、岐阜県徳山村が廃村になった。写真家の著者は、そこに住んでいた老女と1991年に知り合う。老女の小学生の頃の生活から、隣県の紡績工場への就職、北海道の開拓村での新婚生活、帰郷し、集団移転など、2013年に93年の生涯を終えるまでを、老女の問わず語りや各地に取材を重ね、本書を著した。
「100年の寿命と言われるダムは、一人の人間の寿命の長さでしかないのだ。わずか一代の時代を乗り越えるために、先代のすべてを食いつぶしてしまったのだ」(本書)


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❼杉本貴司★ネット興亡記――敗れざる者たち
/2020年8月/日経BP

 ――栄光をつかみスポットライトを浴びる者たちを、世間は「時代の龍児」ともてはやし、あるいは、「IT長者」や「成金」と心の中でさげすんだ。
 だが、多くの人たちは知らない。
 そこにあったのは未開の荒野を切り開く者にしか分からない壮絶なドラマだということを。パソコンやスマホの画面の中で毎日のように見かけるサービスは、そんな隠されたストーリーを何も語らない。
 栄光、挫折、裏切り、欲望、志、失望、失敗、そして明日への希望……。
 数え切れない感情が交錯するなかで、ある者は去り、ある者は踏みとどまった。
*
 90年代からの日本のIT企業の誕生の成功と挫折を追った“創業者列伝”。ドコモのiモード、ヤフー・ジャパン、楽天、ライブドア、ミクシィ、LINE、メルカリ等の創設への展開はまことにスリリング。この記録は一種の“辞典”として役立つ。それにしてもどういうわけか自著を表わすことが好きな天才たち。彼らはライバルというより狭い世界でつながった仲間であることに驚いた。
 あわせて森功『ならずもの 井上雅弘伝――ヤフーを作った男』を読みながら、当方は、80年代のパソコン事始めのPC8801購入、90年代のniftyパソコン通信、インターネットでホワイトハウスに初接続などから、現在のブログ、ツイッターの利用までなつかしく回顧した。


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❽宮川徹志★佐藤栄作最後の密使――日中交渉秘史   
/2020年4月 /吉田書店


 ――会談は、昼食を抜き、もう4時間近くもつづき、午後1時を大きくまわっていた。4人は、訪中スケジュール表を具体的に作成していたのである。……と、その瞬間、1枚のメモがとどけられた。「小組」側委員の1人は、なに気なく、メモを読み、硬い表情をつくると、あわただしく他の2人に、メモを読むようにうながした。
 一瞬の沈黙、が部屋を支配した。不吉な予感が私の背筋を走った。メモは、私の目のまえに示されていた。
 佐藤総理、本日、引退を表明――と、乱れた文字で書かれていた。新華社からの“至急連絡”であった。
*
 NHKBS1スペシャル「日中“秘密外交”の全貌~佐藤栄作の秘密交渉」のディレクター宮川徹志によって同ドキュメンタリーを“増補”した書籍版である。佐藤栄作の最大の功績は1972年の沖縄返還である。これには“密使”としてアメリカとの事前交渉にあたった若泉敬の『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』がある。だが佐藤首相には、もう一人“密使”がいた。中国との国交回復のために動いた江鬮眞比古(えぐちまひこ)という謎の人物である。日中国交正常化の99%は田中角栄以前に解決済みという“密使”の実像を丹念に追う。

 

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❾左右社編集部★仕事本 わたしたちの緊急事態日記

/2020年6月 /左右社

 ――ひとつの仕事は、誰かの生活につながり、その生活がまた別の人の仕事を支えている。
 本書は仕事辞典であると同時に、緊急事態宣言後の記録であり、働く人のパワーワードが心に刺さる文学作品でもあります。
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 2020年4月7日、新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言が発せられた。その日から4月末日まで、77人のさまざまな職業の人たちによって書かれた日記を集めたもの。日常生活をリアルタイムで、その肉声に近い思いを日記のかたちで記録した。貴重な“1次資料”である。編集者のアイデアと“速攻力”を示した一書。


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❿吉田豪★書評の星座――吉田豪の格闘技本メッタ斬り2005-2019
/2020年2月/ホーム社

 ――とにかく徹底した個人攻撃。プロだと思えない書き手は容赦なく糾弾するし、事実誤認も指摘せずにはいられないしで、めんどくさいことこの上ない。自分がこんな人間だったとは、自分でもすっかり忘れてた!
 そう、ボクは基本的に平和主義者で喧嘩も好きじゃないはずなのに、プロとしてどうかと思う人間に対してだけは昔から厳しかった。〔…〕
もちろん選手に対してはリスペクトがあるので、そこは基本的に批判せず、あくまでも同じ土俵上にいる書き手や編集のみを叩くというスタンスで、だ。
*
 格闘技本165冊の書評を集めたもの。“業界”に果敢に切り込む毒舌書評もさることながら、なによりもすごいのは帯のキャッチコピーにあるように、「この1冊でわかる格闘技『裏面史』!」であることだ。

 

 

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★このノンフィクションも堪能した
 ベスト10には選ばなかったが、興味深く読んだ本を、出版年月逆順に10点をあげる。

 

◎佐藤章★職業政治家小沢一郎 /2020年9月/朝日新聞出版

◎清武英利★サラリーマン球団社長 /2020年8月/文藝春秋

◎プレイディみかこ★ヮィルドサイドをほっつき歩け――ハマータウンのおっさんたち /2020年6月/筑摩書房

◎嘉悦洋★その犬の名は誰も知らない /2020年2月/小学館集英社プロダクション


◎林真理子★綴る女 評伝・宮尾登美子 /2020年2月 /中央公論新社 

◎岩瀬達哉★裁判官も人である――良心と組織の狭間で /2020年1月/講談社

◎高澤秀次★評伝 西部邁 /2020年1月/毎日新聞出版 

◎青山ゆみこ★ほんのちょっと当事者 /2019年12月 /ミシマ杜

◎横田増生★潜入ルポamazon帝国 /2019年9月/小学館

◎三浦英之★水が消えた大河で――ルポJR東日本・信濃川不正取水事件〔改題増補版〕/2019年8月/集英社

 

 

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★2020年傑作ノンフィクション補遺 


ノンフィクションに関する発言を、以下6点記録する。

 

◎ジョン・マクフィー/栗原泉:訳★ピュリツァー賞作家が明かすノンフィクションの技法
/2020年3月/白水社

――「創作ノンフィクション」という言葉を、このごろよく耳にするようになった。わたしが大学生だったころ、「創作」と「ノンフィクション」の二語を一緒に使う人がいたら、頭のおかしなやつか、さもなければコメディアンだと見られただろう。ところが、今日わたしは、「創作ノンフィクション」と銘打った講座で教えている。〔…〕
 ノンフィクションのどこが創造的なのか。それに答えようとすればまるまる一学期が必要だが、要点を言えばこうだ――創造性はテーマ選びの中にある。また、記事をどう書くか、題材をどのように並べるか、人物描写のスキルや手法、取り上げた人びとを登場人物としていかに成長させるか、文体のリズム、記事の全体性と骨格(立ち上がって歩き回れるような骨格か)、手元の素材の中にある物語をどこまで読み取り、語ることができるか、などといったことにある。創作ノンフィクションとは何か作り話をすることではなく、自分の持っているものをフルに活用することである。
*
ピュリツァー賞を受けた作品は翻訳されていない。

 

◎武田徹★現代日本を読む――ノンフィクションの名作・問題作
/2020年9月 /中央公論新社

――物語を構想するノンフィクションの創造力は、ジャーナリズムの事実的な文章に「文脈」を与える。ストレートニュースであれば“孤発例”としか思えなかった断片的な事実が、長い時間、広い空間のなかでつながりを得て、ひとつの事件の全体像を作り上げる。こうして断片的ではない出来事、事件、人物そのものと対面できる―― 。それは紛れもなくノンフィクション最大の魅力であろう。
 しかし物語の力を借りたことでノンフィクションは弱さをも孕んだ。ノンフィクションは物語の語り手を持つジャーナリズムであり、事実と事実を因果関係で結びつけて構成される物語的な世界は、語り手の構想力のたまものである。こうした語り手の構想力に依存する構図自体はフィクションの物語と変わらない。
*
Web連載中は「日本ノンフィクション史 作品篇」だったそうだ(?)。

 

◎高橋ユキ★つけびの村――噂が5人を殺したのか?
/2019年9月/晶文社

――いま、普通の“事件ノンフィクション”には、一種の定型が出来上がってしまったように感じている。犯人の生い立ちにはじまり、事件を起こすに至った経緯、周辺人物や、被害者、遺族、そして犯人への取材を経て、著者が自分なりに、犯人の置かれた状況や事件の動機を結論づける。そのうえで、事件が内包している社会問題を提示する。これが昨今のスタンダードだ。〔…〕
〔取材を重ねるうちに〕これまでとは違う、もう一つの切り口に気が付いたのだった。
 *
 このあとがきの裏話がおもしろい。

 
◎上原善広★断薬記――私がうつ病の薬をやめた理由 
/2020年5月/新潮社

――私が取り組んでいる文芸系ノンフィクションは、特にわかりやすくなくても良い。事実を元に物語化し、読み物として成立していればいい。他の分野よりも、とくに文章などの表現に力点を置いているのが特徴だ。
 事実を物語化するには、ただわかりやすく書くだけでなく、様々な仕掛けが必要だ。〔…〕
 小説が「空想をいかにリアルに書くか」だとしたら、文芸系ノンフィクションは事実がすでにあるので、「いかに事実を物語化するのか」に重きをおく。
*
薬で自らを律することができなくなったノンフィクション作家のリアルな告白。

 

◎元木昌彦★野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想

/2020年4月/現代書館

――私の周りには、刀折れ矢尽き、野垂れ死に同然に亡くなっていった同僚、仲間、物書きたちが何人もいる。
無駄に永らえた人間がやるべきことは、自分が生きてきた時代の証言者になり、後の世代に“何か”を伝えていくことだろう。
*
脳梗塞で倒れた松田賢弥などフリーライターの末路を編集者が記録にとどめる。

 

◎白石一文★君がいないと小説は書けない
/2020年1月/新潮社

 ――ベストセラーを連発するⅩ氏に対して、作家としての評価は高いものの部数には恵まれないP氏が嫉妬の炎を燃やしている、というのが業界でのもっぱらの評判だった。
 しかし、その程度のことでかつての盟友をここまで嫌うのは異常と言ってもいい。
 結局、真相は薮の中のままで、それはP氏の大反対で落選が決まったその選考会のあとも変ることはなかった。
 ただ、一年後、Ⅹ氏の新作が再び候補作に選ばれたとき、私は、ある人物を介してP氏と密かに面談し、今度の選考会では前回のような大人げない態度は慎んでくれるよう強く申し入れた。仲介に立ってくれた人物がP氏にとって頭の上がらない相手だったこともあり、彼は渋々ではあったがこちらの意向を酌んでくれた。
 奔走の甲斐あってか、その年、X氏はようやく受賞の栄冠を手にすることができたのである。
*
 文藝春秋社の社員だった頃、著者は大宅壮一ノンフィクション賞を担当していた。選考委員のP氏が、ありとあらゆる難癖をつけて徹頭徹尾、X氏への授賞に反対したという。イニシャルで明かせば、P氏とはI氏であり、X氏とはS氏であろう。

 

以上

 

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