12/そこに本があるから

2021.03.30

花田紀凱◆編集者!        …………山本夏彦デビュー作をめぐって

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 一般に夏彦さんのデビュー作は39年に出した『年を歴た鰐の話』の翻訳ということになっている。

 が、実は20歳の頃、初めての翻訳を世に出しているのである。ルソーの『エミール』を子供向けに訳したもので、無想庵の一文はその本の序文として使われたものなのである。

 15、6年前、ぼくは早稲田の古本屋で、偶然、その本を見つけた。函入りの小さな本だった。

 『エミール』の内容もさりながら、無想庵の序文が素晴らしい。少年夏彦の姿が彷彿とするその序文をぼくは暗記するくらい、繰り返し読んだ。誰もこの本のことを知らないので一層、優越感をくすぐられた。

 ――誰も知らなかったデビュー作/山本夏彦さん

 

◆編集者! 花田紀凱 2005.03/ワック


 名物編集者の肩の凝らない回顧録。
 第1章 編集者は接客業である――作家・著者とのつきあいから学んだこと、第2章 断られたところから企画は始まる――スクープとアイディアこそ雑誌づくりの愉しさ、第3章 雑誌づくりは取材相手との真剣勝負――ぼくの取材トラブル体験、第4章編集の仕事はこんなにもおもしろい――ぼくの敬愛する編集者たち。
 執筆を依頼した作家、週刊誌の取材相手、先輩編集者たちの“ちょといい話”を集めたもの。

 上掲は敬愛する山本夏彦(1915~2002)について書いたもの。
当方は山本夏彦の『日常茶飯事』1962、『茶の間の正義』1967、『変痴気論』1971 など初期のエッセイが好きで、週刊新潮の「夏彦の写真コラム」が始まるまでの約10年ほど熱心な愛読者だった。

 その頃から巻末の著者略歴に記された訳書『年を歴た鰐の話』(レオポール・シヨヴオ)をまぼろしのデビュー作と読者間で騒がれていた(山本の没後2003年に復刻出版された)。

 ところで今回上掲の文章を読んで、念のため『ウィキペディア』を見ると、「24歳のときにフランス童話『年を歴た鰐の話』の翻訳で文壇デビュー(註:刊行は1941年)」とあるものの、「年譜」には「少年探偵エミイル  エリッヒ・ケストナー 耕進社 1934」と、それ以前の訳書が記されている。たしかに本書で花田紀凱が指摘しているようにデビュー作は別だったようだ。

 しかし本書のルソーの『エミール』は勘違いで、原作はジャン=ジャック・ルソー(1712~1778)『エミール』ではなく、エーリヒ・ケストナー(1899~1974)『エミールと探偵たち』である。

 

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国会図書館で検索すると、
少年探偵エミイル
エリッヒ・ケストナー 原作,山本/夏彦 訳,安/泰 装丁
出版社 耕進社出版年月日等 1934.6
大きさ、容量等 158p ; 19×14cm
価格 1円
 と出た。

所有している大阪府立図書館を調べると、以下の記述があった。

『少年探偵エミイル』
 ドイツの児童文学作家、ケストナー作品の翻訳。日本では高橋健二や池田香代子の訳出(ともに岩波書店)が有名。

 原作(原題:EMIL UND DIE DETEKTIVE)は昭和3年。ほどなくゲルハルト・ランプレヒト監督、ビリー・ワイルダー脚本によって「少年探偵団」(昭和6年)として本国ドイツにて映画化されたが、それが日本でも昭和9年5月から封切られ(73分、白黒)、これに併せて俄かに本作が出版ラッシュとなった。

 まずは、「春陽堂少年文庫」の『少年探偵団』(中西大三郎訳、春陽堂、5月29日)が出て、続いて『少年探偵エミール』(菊池重三郎訳、中央公論社、6月3日)、そして一日違いで本書『少年探偵エミイル』(山本夏彦訳、6月4日)刊行となる。映画公開を意識した出版であることは言うまでもないが、これだけの短い期間(6日間)に同じ翻訳が3冊も出るのは児童文学史的にも珍しい。

 書誌学では既知のことだったのだ。

 花田紀凱は「ある時、夏彦さんにその本のことを聞いてみたのだが、なぜか、あまり語りたがらぬ風だったので」云々とあるが、映画公開と同時に3種の翻訳本が出た、その1つだったのでは語りたくなかっただろう。

 あるいは父の友人武林無想庵の序文の、
――ボクは夏彦がかうしたインターナショナルなユーマニテに充ちあふれた傑作の翻譯をもって人生にデビューしたことをば衷心からよろこんでやまない。
 という記述が気恥ずかしかったのか。

 なお、花田紀凱は「箱入りの小さな本だった」と書いているので、山本夏彦訳『少年探偵エミイル』に間違いない。無想庵の序文が素晴らしいと繰り返し読んだという同書を紛失した経緯は本書に……。

 

 

 

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2020.12.24

高橋源一郎★「読む」って、どんなこと?   …………鶴見俊輔の最晩年に残したノートを静かに読んでみよう

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 簡単な文章を読みましょう。すごく簡単です。これから出てくることばたちは、鶴見俊輔(1922~2015)さんという哲学者の『「もうろく帖」後篇』(編集グループSURE)におさめられたものです。

「2003年6月26日

 家の近くによだれかけをかけた地蔵さんがいる。ながい年月にこわれて、表情はなくなり、のっぺらぼうだ。
 そのように、私は自分を失い、のっぺらぼうとして、他の私とまざって、野の隅に立つ日が来る。」〔…〕

 老いが深まってきた最晩年に残したノートが、この本です。最高の思索ができる人は、老いて、能力が落ちてゆく自分を、どんなふうに見つめていたかが、書かれた文章です。この文章を書いたとき、鶴見さんは81歳でした。

★「読む」って、どんなこと?  高橋源一郎  /2020.07/NHK出版 


 NHK出版学びのきほんシリーズの1冊。「読む」って、どんなことなのかを、考える本。

 学校で教わった文章の読み方だと「読めない」ものがある。たとえば、「1891-1944」というタイトルの詩。リチャード・ブローティガンの詩集『ロンメル進軍』の中にある詩。この詩は、本文は白紙、タイトルしかない。

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上掲の鶴見俊輔をもう少し紹介する。

――友は少なく。これを今後の指針にしたい。
これからは、人の世話になることはあっても、人の世話をすることはできないのだから。

――私の人生のおおかたは思い出になった。

――自分の年上に人がいなくなったので、自分より若い人の中に文章の規範を求める。

――私は若いときから老人を馬鹿にしたことがない。だから、いま、自分が老人になっても、私は自分を馬鹿にしない。

――自分が遠い。

「2011年10月21日
私の生死の境にたつとき、私の意見をたずねてもいいが、私は、私の生死を妻の決断にまかせたい。」

 89歳のときのこれが鶴見俊輔の最後の文章になった。

 津野海太郎『最後の読書』(2018)で、鶴見俊輔が晩年にノートに書きためた短文を集めた『「もうろく帖」後篇』(2017)のことを知っていた。本書にも晩年の様子が書かれているが、3年の間、言葉の発信を一切することできず、けれど読書だけはつづけた晩年に驚愕した記憶がよみがえった。

 じつはわが母も晩年に言葉を失い、一語も発しなかった。どうしてやったらいいか悩んだが、途方に暮れ、仕方なく少しでも刺激を与えようと、ロングチェアの前のテレビをつけっぱなしにした。いま思いだしても申し訳なく忸怩たる思いである。

 本書の著者はこう綴る。

 ――もうろくをする。年をとる。その結果、社会の中では、役に立たないからといって、爪弾きにされる。でも、それって、悪いことだけじゃありません。
ひとりになる。ひとりになって、静かに椅子に座っている。用事がないので、いつまでもそうしていてもかまわないのです。

 鶴見さんの文章の静けさは、そこからやって来たのかもしれません。でも、そんな鶴見さんは、さらに静かになった、もう発信する必要もなくなった、自分だけの静寂の世界で、どんなふうに、本を「読んで」いたのでしょう。
もしかしたら、そこは、究極の「読む」世界だったのかもしれませんね。(本書)

 

 

 

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2020.12.22

12/そこに本があるから◆T版…………◎吉田篤弘・ぐっどいゔにんぐ◎柴田元幸・ぼくは翻訳についてこう考えています◎今井 上・初めて読む源氏物語◎永江朗・私は本屋が好きでした

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12/そこに本があるから

吉田篤弘★ぐっどいゔにんぐ /2020.11/平凡社

 

夢のおわりに、見たことのない自分が書いた本のページをめくっている。

そのタイトルを頭の中で何度も反芻しながら目が覚める。

しかし、なにひとつ思い出せない。

これこそ自分が書きたかった本である、という手応えだけが残っている。

*

短い小説集? 詩集? 随筆集?

でなければ、これは、活字にならなかったボツのメモ、

さもなければ、見た夢の備忘録?

いずれも違うのです。

これは「まだ書かれていない本」の断片です。

 

いくつかご紹介を……。

 

 ――ひとたび、そこに「全体」が姿をあらわしてしまうと、断片であったときの「面白さ」「可能性」「孤独」「記憶」「自由」はそれきり失われてしまいます。

 ――小説や詩になる前の言葉を、ここにそのまま、なにものでもない声のまま並べ、それが一口で食べられる菓子を並べたようにならないものかと夢想したのです。(本書)

*

発行は2020年11月20日金曜日

クリスマスの贈り物に、あるいはお年玉にふさわしい

目次もない、ページ番号もないコンパクト判。

 

 

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12/そこに本があるから 

柴田元幸★ぼくは翻訳についてこう考えています―柴田元幸の意見100―   /2020.01/アルク

 

和製英語は恥なのか――

正直なところどうでもいいと思っている。〔…〕

英語の使い方がちょっとくらい間違っているからといって、日本人を見下すような人がいるとすれば、それはその人が狭量なのである。

僕の知っている英語圏の人々はそんなセコいことは言わない。彼らはただ、面白がるだけだ。

 

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12/そこに本があるから 

藤原克己・監修 今井 上・編★初めて読む源氏物語 /2020.01/花鳥社

以下、「あとがき」から……。

 入門者や初心者は、はじめの入り口を間違えてしまうと、おかしな情報にふりまわされたり、変な癖がついてしまうばかりで、結局いつまでたっても出口にたどり着けなかったり、ものごとが上達しないということが、世の中にはよくあります。

 本書に示した『源氏物語』への理解はオーソドックスなそれに徹して、専門家が陥りがちな重箱の隅をつつくような話や、奇をてらった見方は厳しく排除してあります。『源氏物語』にはじめてふれてみようと想った人に安心して手にとってもらえる本を届けたい、そうした思いをこめて、

 本書は『はじめて読む源氏物語』と名づけられました。

とはいえそれは、一度読んでしまえば、あとは読み捨てにされてしまうような内容の薄さ、レベルの低さを意味しているのではありません。

 

 

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12/そこに本があるから

 

永江朗★私は本屋が好きでした――あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏   /2019.12/太郎次郎社エディタス

 

 数年前から小さな本屋をのぞくのが苦痛になってきました。ときどき不愉快な思いをするようになったのです。

 その原因がヘイト本です。

 店頭にヘイト本が並んでいるのを見ると、いやな気分になります。以前は「いやなことも含めて本屋なのだから」と自分に言いきかせ、できるだけ好き嫌いなくまんべんなく本屋をのぞくようにしていましたが、最近は考え方を変えました。

いやなものはできるだけ見ない。醜いものは視界に入れない。

*

 この本のテーマは「本屋にとってヘイト本とはなにか」を考えることです。たんに「ヘイト本とはなにか」ではなく、また、「出版界にとってヘイト本とはなにか」でもなく、「本屋にとってヘイト本とはなにか」です。

 と説明があり、以下、抜粋。著者が「当面すべきと考えるヘイト本対策」が詳しく書かれているが、それは本書で……。

*

 ところで、ここまで「ヘイト本」ということばを使ってきましたが、この呼称は適切ではないと考えています。hate (ひどく嫌う、憎む)という英語は、日本で日常的な生活のなかで使うことばとはいえないでしょう。多くの人は、dislike , detest とのニュアンスの違いもよくわからないのではないか。実感としてなじみの薄い外国語を、ある行為や事象を示すことばとして用いるのは適当ではありません。〔…〕

「ヘイト本」も、正確には「差別を助長し、少数者への攻撃を扇動する、憎悪に満ちた本」と呼ぶべきでしょう。それでは長すぎるというのなら「差別本」とか「少数者攻撃本」とか。わたしは外国語由来のカタカナ語と同じく漢字を多用した造語も好きではないのですが、「ヘイト本」の曖昧さよりはまだマシだと思います。

 ヘイト本のはじまりは2005年に刊行された山野車輪『マンガ嫌韓流』(晋遊舎)でしょう。

 ヘイト本は、特定のだれかを傷つけ、怯えさせ、ダメージを与えることを目的としてつくられている。

 なぜ本屋にヘイト本が並ぶのか、その理由がおおむね見えてきました。

疲弊。無責任。想像力の欠如。無関心。あきらめ。

 

 

 

 

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2020.12.01

★傑作ノンフィクション 2020年ベスト10        …………☆ことしは長年の取材が光を放つ“労作”が揃った

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★傑作ノンフィクション 2020年ベスト10                   …………☆ことしは長年の取材が光を放つ“労作”が揃った

 

 2019年11月~2020年10月に刊行されたものから、この時代を記録にとどめる作品、この時代を顧みる資料として役立つ作品を選んだ(当方の好みで19年3月の1点を加えた)。
 今回は10位まで順位をつけ、作品中の“気になるフレーズ”を紹介した。体調を崩したこともあり、ブログに書かなかったものもある。ここでは作品へのコメントを短く付け加えた。
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❶佐々涼子★エンド・オブ・ライフ 

/2020年2月/集英社インターナショナル

  ――これが、200人以上を看取ってきた彼の選択した最期の日々の過ごし方。抗がん剤をやめたあとは、医療や看護の介入もほとんど受けることはなかった。
 毎日、まるで夏休みの子どものようにあゆみと遊び暮らすのが森山の選択だったのだ。
*
 京都の診療所で働く訪問看護師にすい臓がんが見つかる。すでにステージ4。その生き方を中心に、医師や看護スタッフ、患者やその家族、さらには著者の両親など、さまざまな終末期の考え方生き方が綴られる。人生の最期(エンド・オブ・ライフ)のあり方を、読者が自らに問うことを促す。
「亡くなりゆく人がこの世に置いていくのは悲嘆だけではない。幸福もまた置いていくのだ」(本書)

 5月に読了した時点で早くも“2020年ベスト1”と打った傑作。

 

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❷片山夏子★ふくしま原発作業員日誌――イチエフの真実、 9年間の記録 

/2020年2月 /朝日新聞出版 

  ――五輪招致で「汚染水の状況はコントロールされている」と首相が世界に宣言し、イチエフはますます事故現場ではなく、普通の工事現場だとアピールされるようになった。
*
 作業員仲間では、「お・も・て・な・し」を「お・も・て・む・き(表向き)」に、「状況はコントロールされている」は「情報はコントロールされている」と揶揄している。
 著者は東京新聞記者。3.11発生時から福島第一原発で動く作業員の取材を担当し、いまも続いている。一人ひとりの作業員が語った「日誌」という形をとったユニークな連載。マスメディアは飽きっぽいものだが、長年の連載継続は社も記者も見事。


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❸林 新・堀川惠子★狼の義 新犬養木堂伝 

/2019年3月/KADOKAWA

 ――「私がいう産業立国は、皇国主義じゃない、侵略主義じゃない、これとは正反対のものである。
 わが大和民族は、海外に出て行っても一切の武装をせず、平和なる工人、平和なる農民、平和なる商人で資材を確保すればいいじゃないか」
*
 NHKのプロデューサーだった林新が構想し、半ばまで執筆中に闘病を余儀なくされ、その後を妻であるノンフィクション作家堀川惠子が書き継いだもの。歴史の理解を促すために、あえて架空の人物を登場させている。したがって厳密にはノンフィクションとはいえないが、あえて選んだ。ドラマ化したい犬養総理のスリリングな165日。政治家たちに読ませたい傑作評伝。

 

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❹宮下洋一★安楽死を遂げた日本人 

/2019年6月/小学館


 ――セデーションを用いれば最後の数日間は眠って過ごせる。だが、そこに至るまでの苦しみを、すべて除去できるわけではない。〔…〕
 一方の安楽死なら、余命1カ月となった時点で、自ら死を選択できる。この1カ月の苦痛は実質なくなる。
*
 前著『安楽死を遂げるまで』(2017)は、スイスなど欧米の安楽死事情を多くの事例で綴ったノンフィクション。日本人は安楽死という選択肢はなじまないと考えていた著者に、安楽死を望んでいる多系統萎縮症の女性からのメールが届く。のちにNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」で話題になったのと同一人物である。何度も自死を試みる女性を支え続ける3人の姉妹の言動は感動的だ。


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❺石井妙子★女帝小池百合子
/2020年5月/文藝春秋

  ――小池の掲げた公約が実現可能なものであるのか、議論されることは、ほとんどなかった。「東京大改革」と彼女は自分の公約をワンフレーズにし、七つのゼロを達成すると主張した。
「待機児童ゼロ」、「介護離職ゼロ」、「満員電車ゼロ」、「残業ゼロ」、「都道電柱ゼロ」、「多摩格差ゼロ」、「ペット殺処分ゼロ」である。二階建て電車を走らせ満員電車を解消する、空き家を保育士に住居として提供するという。
〔…〕小池は圧勝。都知事となった
*
  小池の父親譲りの詐欺師的虚言癖は“天才”の域に達している。これでもかこれでもかと執拗に小池の嘘を暴く著者の取材と覚悟に脱帽する。だが小池への不快感で読み続けるのがしんどかった。主人公への激しい嫌悪感は、佐々木実『市場と権力――「改革」に憑かれた経済学者の肖像』の竹中平蔵以来だった。


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➏大西暢夫★ホハレ峠――ダムに沈んだ徳山村 百年の軌跡
/2020年4月/彩流社

 ――門入にとってホハレ峠とは、物資の流通だった大切な道だが、人と人が交差しあい、出会いや希望があり、多くの人たちの想いが詰まった峠道だったに違いない。 春から秋にかけて、田畑の仕事をこなし、その合間をぬってボッカの仕事で現金を手に入れ、冬前になると街に出稼ぎに行った。そして芽吹く春に再び門入に帰ってくる。まだあどけない少女がそうして家族を支えてきた。
*
 揖斐川上流の巨大な徳山ダムによって、岐阜県徳山村が廃村になった。写真家の著者は、そこに住んでいた老女と1991年に知り合う。老女の小学生の頃の生活から、隣県の紡績工場への就職、北海道の開拓村での新婚生活、帰郷し、集団移転など、2013年に93年の生涯を終えるまでを、老女の問わず語りや各地に取材を重ね、本書を著した。
「100年の寿命と言われるダムは、一人の人間の寿命の長さでしかないのだ。わずか一代の時代を乗り越えるために、先代のすべてを食いつぶしてしまったのだ」(本書)


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❼杉本貴司★ネット興亡記――敗れざる者たち
/2020年8月/日経BP

 ――栄光をつかみスポットライトを浴びる者たちを、世間は「時代の龍児」ともてはやし、あるいは、「IT長者」や「成金」と心の中でさげすんだ。
 だが、多くの人たちは知らない。
 そこにあったのは未開の荒野を切り開く者にしか分からない壮絶なドラマだということを。パソコンやスマホの画面の中で毎日のように見かけるサービスは、そんな隠されたストーリーを何も語らない。
 栄光、挫折、裏切り、欲望、志、失望、失敗、そして明日への希望……。
 数え切れない感情が交錯するなかで、ある者は去り、ある者は踏みとどまった。
*
 90年代からの日本のIT企業の誕生の成功と挫折を追った“創業者列伝”。ドコモのiモード、ヤフー・ジャパン、楽天、ライブドア、ミクシィ、LINE、メルカリ等の創設への展開はまことにスリリング。この記録は一種の“辞典”として役立つ。それにしてもどういうわけか自著を表わすことが好きな天才たち。彼らはライバルというより狭い世界でつながった仲間であることに驚いた。
 あわせて森功『ならずもの 井上雅弘伝――ヤフーを作った男』を読みながら、当方は、80年代のパソコン事始めのPC8801購入、90年代のniftyパソコン通信、インターネットでホワイトハウスに初接続などから、現在のブログ、ツイッターの利用までなつかしく回顧した。


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❽宮川徹志★佐藤栄作最後の密使――日中交渉秘史   
/2020年4月 /吉田書店


 ――会談は、昼食を抜き、もう4時間近くもつづき、午後1時を大きくまわっていた。4人は、訪中スケジュール表を具体的に作成していたのである。……と、その瞬間、1枚のメモがとどけられた。「小組」側委員の1人は、なに気なく、メモを読み、硬い表情をつくると、あわただしく他の2人に、メモを読むようにうながした。
 一瞬の沈黙、が部屋を支配した。不吉な予感が私の背筋を走った。メモは、私の目のまえに示されていた。
 佐藤総理、本日、引退を表明――と、乱れた文字で書かれていた。新華社からの“至急連絡”であった。
*
 NHKBS1スペシャル「日中“秘密外交”の全貌~佐藤栄作の秘密交渉」のディレクター宮川徹志によって同ドキュメンタリーを“増補”した書籍版である。佐藤栄作の最大の功績は1972年の沖縄返還である。これには“密使”としてアメリカとの事前交渉にあたった若泉敬の『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』がある。だが佐藤首相には、もう一人“密使”がいた。中国との国交回復のために動いた江鬮眞比古(えぐちまひこ)という謎の人物である。日中国交正常化の99%は田中角栄以前に解決済みという“密使”の実像を丹念に追う。

 

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❾左右社編集部★仕事本 わたしたちの緊急事態日記

/2020年6月 /左右社

 ――ひとつの仕事は、誰かの生活につながり、その生活がまた別の人の仕事を支えている。
 本書は仕事辞典であると同時に、緊急事態宣言後の記録であり、働く人のパワーワードが心に刺さる文学作品でもあります。
*
 2020年4月7日、新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言が発せられた。その日から4月末日まで、77人のさまざまな職業の人たちによって書かれた日記を集めたもの。日常生活をリアルタイムで、その肉声に近い思いを日記のかたちで記録した。貴重な“1次資料”である。編集者のアイデアと“速攻力”を示した一書。


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❿吉田豪★書評の星座――吉田豪の格闘技本メッタ斬り2005-2019
/2020年2月/ホーム社

 ――とにかく徹底した個人攻撃。プロだと思えない書き手は容赦なく糾弾するし、事実誤認も指摘せずにはいられないしで、めんどくさいことこの上ない。自分がこんな人間だったとは、自分でもすっかり忘れてた!
 そう、ボクは基本的に平和主義者で喧嘩も好きじゃないはずなのに、プロとしてどうかと思う人間に対してだけは昔から厳しかった。〔…〕
もちろん選手に対してはリスペクトがあるので、そこは基本的に批判せず、あくまでも同じ土俵上にいる書き手や編集のみを叩くというスタンスで、だ。
*
 格闘技本165冊の書評を集めたもの。“業界”に果敢に切り込む毒舌書評もさることながら、なによりもすごいのは帯のキャッチコピーにあるように、「この1冊でわかる格闘技『裏面史』!」であることだ。

 

 

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★このノンフィクションも堪能した
 ベスト10には選ばなかったが、興味深く読んだ本を、出版年月逆順に10点をあげる。

 

◎佐藤章★職業政治家小沢一郎 /2020年9月/朝日新聞出版

◎清武英利★サラリーマン球団社長 /2020年8月/文藝春秋

◎プレイディみかこ★ヮィルドサイドをほっつき歩け――ハマータウンのおっさんたち /2020年6月/筑摩書房

◎嘉悦洋★その犬の名は誰も知らない /2020年2月/小学館集英社プロダクション


◎林真理子★綴る女 評伝・宮尾登美子 /2020年2月 /中央公論新社 

◎岩瀬達哉★裁判官も人である――良心と組織の狭間で /2020年1月/講談社

◎高澤秀次★評伝 西部邁 /2020年1月/毎日新聞出版 

◎青山ゆみこ★ほんのちょっと当事者 /2019年12月 /ミシマ杜

◎横田増生★潜入ルポamazon帝国 /2019年9月/小学館

◎三浦英之★水が消えた大河で――ルポJR東日本・信濃川不正取水事件〔改題増補版〕/2019年8月/集英社

 

 

2020

★2020年傑作ノンフィクション補遺 


ノンフィクションに関する発言を、以下6点記録する。

 

◎ジョン・マクフィー/栗原泉:訳★ピュリツァー賞作家が明かすノンフィクションの技法
/2020年3月/白水社

――「創作ノンフィクション」という言葉を、このごろよく耳にするようになった。わたしが大学生だったころ、「創作」と「ノンフィクション」の二語を一緒に使う人がいたら、頭のおかしなやつか、さもなければコメディアンだと見られただろう。ところが、今日わたしは、「創作ノンフィクション」と銘打った講座で教えている。〔…〕
 ノンフィクションのどこが創造的なのか。それに答えようとすればまるまる一学期が必要だが、要点を言えばこうだ――創造性はテーマ選びの中にある。また、記事をどう書くか、題材をどのように並べるか、人物描写のスキルや手法、取り上げた人びとを登場人物としていかに成長させるか、文体のリズム、記事の全体性と骨格(立ち上がって歩き回れるような骨格か)、手元の素材の中にある物語をどこまで読み取り、語ることができるか、などといったことにある。創作ノンフィクションとは何か作り話をすることではなく、自分の持っているものをフルに活用することである。
*
ピュリツァー賞を受けた作品は翻訳されていない。

 

◎武田徹★現代日本を読む――ノンフィクションの名作・問題作
/2020年9月 /中央公論新社

――物語を構想するノンフィクションの創造力は、ジャーナリズムの事実的な文章に「文脈」を与える。ストレートニュースであれば“孤発例”としか思えなかった断片的な事実が、長い時間、広い空間のなかでつながりを得て、ひとつの事件の全体像を作り上げる。こうして断片的ではない出来事、事件、人物そのものと対面できる―― 。それは紛れもなくノンフィクション最大の魅力であろう。
 しかし物語の力を借りたことでノンフィクションは弱さをも孕んだ。ノンフィクションは物語の語り手を持つジャーナリズムであり、事実と事実を因果関係で結びつけて構成される物語的な世界は、語り手の構想力のたまものである。こうした語り手の構想力に依存する構図自体はフィクションの物語と変わらない。
*
Web連載中は「日本ノンフィクション史 作品篇」だったそうだ(?)。

 

◎高橋ユキ★つけびの村――噂が5人を殺したのか?
/2019年9月/晶文社

――いま、普通の“事件ノンフィクション”には、一種の定型が出来上がってしまったように感じている。犯人の生い立ちにはじまり、事件を起こすに至った経緯、周辺人物や、被害者、遺族、そして犯人への取材を経て、著者が自分なりに、犯人の置かれた状況や事件の動機を結論づける。そのうえで、事件が内包している社会問題を提示する。これが昨今のスタンダードだ。〔…〕
〔取材を重ねるうちに〕これまでとは違う、もう一つの切り口に気が付いたのだった。
 *
 このあとがきの裏話がおもしろい。

 
◎上原善広★断薬記――私がうつ病の薬をやめた理由 
/2020年5月/新潮社

――私が取り組んでいる文芸系ノンフィクションは、特にわかりやすくなくても良い。事実を元に物語化し、読み物として成立していればいい。他の分野よりも、とくに文章などの表現に力点を置いているのが特徴だ。
 事実を物語化するには、ただわかりやすく書くだけでなく、様々な仕掛けが必要だ。〔…〕
 小説が「空想をいかにリアルに書くか」だとしたら、文芸系ノンフィクションは事実がすでにあるので、「いかに事実を物語化するのか」に重きをおく。
*
薬で自らを律することができなくなったノンフィクション作家のリアルな告白。

 

◎元木昌彦★野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想

/2020年4月/現代書館

――私の周りには、刀折れ矢尽き、野垂れ死に同然に亡くなっていった同僚、仲間、物書きたちが何人もいる。
無駄に永らえた人間がやるべきことは、自分が生きてきた時代の証言者になり、後の世代に“何か”を伝えていくことだろう。
*
脳梗塞で倒れた松田賢弥などフリーライターの末路を編集者が記録にとどめる。

 

◎白石一文★君がいないと小説は書けない
/2020年1月/新潮社

 ――ベストセラーを連発するⅩ氏に対して、作家としての評価は高いものの部数には恵まれないP氏が嫉妬の炎を燃やしている、というのが業界でのもっぱらの評判だった。
 しかし、その程度のことでかつての盟友をここまで嫌うのは異常と言ってもいい。
 結局、真相は薮の中のままで、それはP氏の大反対で落選が決まったその選考会のあとも変ることはなかった。
 ただ、一年後、Ⅹ氏の新作が再び候補作に選ばれたとき、私は、ある人物を介してP氏と密かに面談し、今度の選考会では前回のような大人げない態度は慎んでくれるよう強く申し入れた。仲介に立ってくれた人物がP氏にとって頭の上がらない相手だったこともあり、彼は渋々ではあったがこちらの意向を酌んでくれた。
 奔走の甲斐あってか、その年、X氏はようやく受賞の栄冠を手にすることができたのである。
*
 文藝春秋社の社員だった頃、著者は大宅壮一ノンフィクション賞を担当していた。選考委員のP氏が、ありとあらゆる難癖をつけて徹頭徹尾、X氏への授賞に反対したという。イニシャルで明かせば、P氏とはI氏であり、X氏とはS氏であろう。

 

以上

 

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2020.11.29

斎藤美奈子★忖度しません                 …………令和がスタートしたので昭和、平成を検証してみる

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 なぜ野党は選挙で負け続けているのか。なぜ市民運動の現場には、高齢者しかいないのか。
 それは日本人が劣化したからだ。若者の意識が低いからだ。

 と、もしかしてあなた、思ってません? だからダメなんですってば。リベラルが後退戦を強いられているのは、相手がバカだからではなく、こちら側に魅力がないからです。

 自分はぜったい正しくて、自分以外はみんなバカ。愚かな大衆諸君に、賢い私が正しいことを教えてあげる。そんな不遜な人たちに、だれが与したいと思います? 民主主義の危機をいいつのる人々のやり方は、ぜんぜん民主的じゃないんだよね。

★忖度しません /斎藤美奈子 /2020.09 /筑摩書房


 

 同じテーマの3冊の本をとりあげ、社会時評的なコメントを加えたシリーズの新刊。

 たとえば吉崎達彦『1985年』、竹内修司『1989年』、速水健朗『1995年』の3冊から戦後日本のピークはいつだったかを考える。

 若竹千佳子『おらおらでひとりいぐも」、高村薫『土の記』、橋本治『九十八歳になった私』の3冊から老境を描く「玄冬小説」を考察する。

 安田浩一・倉橋耕平『歪む社会』、樋口直人・永吉希久子ほか『ネット右翼とは何か』、山崎雅弘『歴史戦と思想戦』の3冊からネトウヨvsリベラル「攻防の25年」を顧みる。

 池澤夏樹訳『日本文学全集01 古事記』、小野寺優『ラノベ古事記』、こうの史代『ぼおるぺん古事記(1)天の巻』の3冊から「現代語訳『古事記』の奇想天外」な最近の古事記本の世界を覗き見る。

 など、多彩なテーマのブックガイドである。

 ――看過できないのは「負の歴史」を見ようとしない歴史修正主義の蔓延である。当初は気にもとめられなかった修正主義者たちの言説は、気がつけば政財界の奥深くに入り込み、学校教育や外交にまで影響を与えている。原因はどこにあったのか。

 平成が終わって令和がスタートしたこのタイミングで、歴史と呼ぶには近すぎる過去を検証してみるのも悪くないだろう。(本書)

 

Amazon斎藤美奈子★忖度しません 



 

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2020.11.26

嘉悦洋・北村泰一★その犬の名を誰も知らない      …………タロとジロのほか、もう1頭生きていたんです

 
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  北村氏は言いながら、写真から日を離そうとしない。
 やがて顔を上げて話し出したのは、タロとジロのことではなかった。

「あなたもそうですが、誰もが、昭和基地で生きていた犬はタロとジロだけだと思っています。
ところ、が本当は違う。もう1頭、生きていたんです」

 私は文字通り、言葉を失った。信じがたい証言だった。北村氏は、私に会う前からこのことを話そうと決めていたという。
 第3の犬が昭和基地で生きていたこと。

★その犬の名を誰も知らない /嘉悦洋・北村泰一 /2020.02 /小学館集英社プロダクション


 南極大陸に残された兄弟犬タロとジロについては、映画『南極大陸』(1983・蔵原惟繕監督)で知られているが、古い話なので、思いだすために、若干の経緯。

 1957年2月15日 第1次南極越冬開始。
 1958年2月11日 第1次越冬隊は南極観測船「宗谷」に全員収容された。15頭のカラフト犬は第2次越冬隊が引き続き利用するため、昭和基地に係留したままだった。しかし天候が回復せず、第2次越冬は中止となった。鎖につながれたままのカラフト犬たちは、極寒の世界に置き去りにされてしまった。

 1年後の1959年1月14日。第3次観測隊が昭和基地に到着すると、なんと2頭が生きていた。タロとジロ。それを確認したのは北村泰一だった。残る13頭のうち、7頭は氷雪の下から遺体で発見された。解剖した結果、完全餓死。6頭は、首輪などの痕跡だけ残して姿を消してて最終的に「行方不明」とされた。

 1968年2月9日 福島隊員の遺体を第九次越冬隊貝が発見。直後に、1次越冬隊撤収時に残覆されたカラフト犬1頭の遺体発見。奇跡の生還を果たしたタロ、ジロとともに昭和基地で生き延びていた、“第三の犬”だった。

 北村泰一は、1931年生まれ。1957年の日本南極観測隊第1次越冬隊、1959年の第3次越冬隊に参加。

 

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2020.09.25

吉田篤弘★奇妙な星のおかしな街で              …………外へ出ること。ゆっくり読むこと。そして、一人きりで読むこと。

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  そこは広大な都市なので、再会が約束されているとはいえ、会いたい人がどこにいるかわからない。
 それで、天国に到着すると、まずは探偵を雇うことになる。

なにせ、天国には死がないから、殺人事件が起こらない。


それゆえ、古今東西の名探偵が暇を持て余している。

 彼らが掲げている看板の文句はどれも同じで、
「会いたい人、捜します」
 とある。
 会いたい人は一人や二人ではないだろう。あの大きな戦争が終わったあとのように、天国では誰もが誰かを捜している。
「もう一度、会いたい」と。

――「天国の探偵」

 

★奇妙な星のおかしな街で /吉田篤弘 /2020.07 /春陽堂書店


 

 これは、奇妙な星・地球のおかしな街・東京で起こったふだんは誰も気に留めないこと。

 事件事故、政治、評伝、紀行、疾病、老後といったノンフィクションばかり読んでいると、ときどきシックな装丁の吉田篤弘の作品を手に取りたくなる。


 ノンフィクションにはない物語の発想力、というよりも空想力に魅かれるのだ。本書はエッセイ26篇を集めたもの。小説化のための“秘密”が垣間みえる。つまり「よく考えると、なんか変だぞ」といったものだが。

上掲の「天国の探偵」で著者の考える「天国」とは……。

 ――ぼくの夢想においては、天国に死は存在していない。したがって、競争や不安や計画といったものも存在しない。時間もおそらく存在せず、物事が前へ進んでいくという概念はそのままだが、こちらの世界のあらゆる過去の時間が折り重なって共存している。
 そうした過去の時間や物事は自分の経験によってかたちづくられ、逆に云うと、経験のない物事は自分の視野に入って来ない。 

 ――つまり、天国というのは自分の経験と記憶と知識によってつくられているわけで、だからもし、天国において豊かな生活を送りたいのなら、こちらの世界で、ありとあらゆるものに触れ、知識を深め、歴史や風習を広く学んでおく必要がある。こちらでぼんやりと生きていれば、天国での生活もまた、ぼんやりとしたものになる。(「天国の探偵」)

 1篇400字詰4枚ほどの短いエッセイだが、“オチ”があるのが何よりもいい。たとえば「『夜』の箱」、「もうひとりの自分」……。また短いエッセイをさらに短く読むためには、タイトルと最後の一節だけ読めばいい。

 もっともそういう読み方は駄目というのが、「旅先で読む本」。「どんな本がお勧めであるか」と訊かれたら、「どんなふうに本を読むのがいいか」を提案すればいいのだ。以下その一節。

 ――外へ出ること。
ゆっくり読むこと。
そして、一人きりで読むこと。
とりわけ、ゆっくり読むことがお勧めで、ゆっくり読むと、まるで別の本として読めるので、再読でもいっこうに構わない。 (「旅先で読む本」)

 本書は緑色の便箋のような縦罫線の紙面に文字が印刷されていて、やや古風なかたちがおのずから「ゆっくり読む」よう促がしている。

 ――医学が扱うのが命であるなら、物語を書く者は、心を扱うことで、やはり見えないものを、いかにして言葉に置き換えられるかに挑んでいるのかもしれない。 (「見えないもの」)

 

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2020.07.24

轡田隆史★100歳まで読書    …………春のうららの隅田川の「花」は「源氏物語」胡蝶の巻に元歌がある

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   その昔、半藤(一利)さんが編集者であったころ、神戸・三宮の居酒屋で、作家の田辺聖子さんとしばしば呑めや歌えやをやったそうだ。
そんなある夜のこと、


「半さんも呑んでばかりおらんで、何か歌ったらどや」と田辺さんにいわれて、よっしゃと歌ったのが「花」だった。

 すると田辺さんが、びっくりするようなことをいったのである。
「その歌のもとに『源氏物語』があるの、ご存じだっしゃろか」

 半藤さんは目を丸くするばかりだったけれど、田辺さんは種明かしをしなかった。

 ――3章 こんな読み方、楽しみ方もある!

★100歳まで読書 「死ぬまで本を読む」知的生活のヒント /轡田隆史 /2019.11 /三笠書房


 上掲は半藤一利「歴史探偵おぼえ書き」に出てくる話。
「花」とは、明治33(1900)年に武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲の名曲。

  春のうららの隅田川
  のぼりくだりの船人が
  櫂のしずくも花と散る
  ながめを何にたとふべき
 
 この歌のもとが「源氏物語」だと田辺聖子が言うのだが、のちに半藤はその謎を解く。源氏物語胡蝶の巻。そこにこんな歌がある。

 春の日のうらゝにさしてゆく舟はさをの雫も花ぞ散りける

 本書は轡田隆史(くつわだたかふみ、1936~)83歳による「より深く、面白く、豊かに読書を味わい尽くす」ためのノウハウをあますところなく伝授してくれる1冊(ちょっとおせっかいな部分もあるが)。
 以下も本書から。

 ――年を取ってからの読書は、若いころとは違って、読むほどに、ごく自然に背景となっている歴史が浮かび上がってくる。その歴史のなかに、自分の存在がおぼろげに見えてくるのが面白い。

 ――本を読んでいるとき、人は孤独である。孤独にならなければ、本は読めない。それは、自分のこころの奥を静かにのぞきこむ、貴重なときであるからだ。

 ――感動こそ、精神の若返りの最高の秘訣なのだ。
だからこそ、死ぬまで本を読むのである。

 

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2020.07.09

北村薫★ユーカリの木の蔭で      …………ゴシップあまた、本にまつわる“小ネタ”の備忘録

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 三島由紀夫の、昭和30年に出た角川文庫『花ざかりの森』の初版は面白い。戸板康二の解説中に、こう書かれている。

 ――十代の作品といはれる「花ざかりの森」も「みのもの月」も「彩繪硝子」も、到底「落書き」とは思はれぬやうな、ある意味での完成がある。

 あっと驚く誤植である。後に戸板自身がエッセーの中で、頭をかかえている。「若書き」と書いた原稿を「落書き」と読まれてしまったのだ。

平謝りしたら、三島はからからと笑い、「むしろ正しい」といったそうだ。

――「歴史は繰り返す」

★ユーカリの木の蔭で /北村薫 /2020.05 /本の雑誌社


 ゴシップの楽しさと批評の醍醐味を兼ね備えたエッセイといえば丸谷才一。古書にまつわる蘊蓄といえば出久根達郎。そういう流れをくむ大家といえば、北村薫。本書は、本にまつわる北村薫の“小ネタ”の備忘録である。

 いくつか紹介――。

 北村は、『北村薫の創作表現講義』の中に、寺山修司の有名な短歌、《マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや》を引いた。
 現代の若者は《見捨てる》と混同しないだろうか。歌意も添えておいた方が親切ではないかなどと悩み、紆余曲折の末に、注を加えた。校正もしたのに、その注が《見捨つる》になっていた。「見ていたのに、全く見えなかった」。

 ――ある人は、《そういう時には、活字の上に妖精がいて、見えないようにするんですよ》といった。(「校正の妖精」)
*
 芥川龍之介の遅筆ぶりは、よく知られている。はかどらぬ仕事に苦しむ姿には、鬼気迫るものがあった、という。森鷗外は陸軍軍医総監でありつつ多くの作品を残した。一体いつ書くのか。書くのがトテモ早くなければ、あんなに沢山書ける筈がないと、芥川は鷗外の“秘密”を知りたがった。鷗外が筆をとる場面に居合わせた小島政二郎の話。

 ――偶然、私は先生が私の前で立ったまま毛筆で原稿を書かれるのを見た。その早いのに、私は思わず固唾を呑んだ。スラスラと淀みなく書き流したままで、消しも書き入れもなかった。〔…〕
 帰ってからその話を芥川にしたら、
「本当か君――」
 と言ったまま、暫くは信じられないような目の色をしていた。(「鷗外の筆」)
*
 講演の魅力とは、文章で読めば分かるような《本論》を聞くことではない――と、わたしは思う。

話すその人と同じ時間空間を共有する。そこに意味がある。壇上にいるのが心から愛する人なら、かつて高座で話しているうちに寝てしまったという古今亭志ん生のように、いびきをかいていても《いいもの見ちゃったなあ》と満足して帰れる。
 そういうものではないか。

 しかしながら、多くの客は《本論》を求めるし、志ん生ほどの魅力を持った講演者も少ないだろう。
難しいところだ。(「何が本論か」) 
*
『日本語文法大辞典』(明治書院)がすごい。
 助詞「なり」の項目。《ボーイがオーダーを聞いて去るなり、私は吉住を急き立てた》(有楢川有栖・ダリの繭)。
 こういう辞典の用例にミステリが出て来るのは珍しいと、担当者名を見ると、久保田篤氏。宝探しのように同氏の執筆個所を北村は探す。

 ――例えば助詞「ったら」。
係助詞では、《ずるいのよ、この子ったらね、前期の英語のテスト、九十点だったんだから》(加納朋子・魔法飛行)や《顎で使うんですよ。憎たらしいったらありやしないわ》(泡坂妻夫・喜劇悲喜劇)など。〔…〕

 副助詞の「しき」のところでは、有楢川さんの『ダリの繭』の中から、何と、こういうところが引かれている。
 ――《なめられたものだ。それしきの論理展開についていけなくて推理作家が務まるものか》。

 この久保田先生は小学生の頃からと筋金入りのミステリフアンで、《不可解な謎を手がかりによって論理的に解明するという本格ミステリは、(専門の) 日本語学に似ている事とおっしゃる方だった。(「あっといわせる辞典」)

 

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2019.10.04

北上次郎◎書評稼業四十年

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  書店の棚の他にも楽しい場所がある。それは自分の書棚である。〔…〕

 しかし時間が取れず、未読なのである。読みたいではないか。

 たまに何も予定のない休日、書棚の前に座って何を読もうかと選ぶだけで終わってしまうことがあるが、あれ以上の至福はあり得ない。

北上次郎◎書評稼業四十年    2019.07/本の雑誌社


「書評家の分類について」で、

 ――書評家を大きくわけると、まず三つにわけられる。たとえば、杉江松恋と川出正樹は明らかに書評家というよりも評論家だろう。それが彼らの特質だ。新保博久と日下三蔵は、書斎派型の研究家。私、霜月蒼、村上貴史は「煽り書評」を書く煽動家」の三タイプがまずある。

 そこまではいいのだが、「大森望は何だろう、本質は編集者だ」とか、「そうか、池上冬樹を忘れて」とか、「そういえば、吉野仁も分類できない」など、書評家は3タイプと言いながら、分類できず破綻していく。そのいい加減さが北上次郎の特徴である。

「記憶力の悪さについて」では、新刊ガイドで取り上げたり、新聞で星4つという最高点をつけたり、書評対談で絶賛した本を忘れて、人から紹介されまた読んだりする「忘れている小説は数多い」話である。さすがプロの書評家である。

 北上次郎、目黒考二、藤代三郎といえば、『本の雑誌』が地方小出版社流通センター扱いとなった第12号(1979年)から愛読していた。

他人は何を言おうが俺が面白いといった本がなにがなんでもベスト1だという主張する「書評」の嚆矢だった。

 

北上次郎◎書評稼業四十年 

 

 

 

 

 

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