14/シンプルライフ・イズ・ベスト

2021.11.22

インベカヲリ★◆家族不適応殺 新幹線無差別殺傷犯、小倉一朗の実像     …………刑務所こそが自分を確実に守ってくれる母であり、家庭だった

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 私は検事の取り調べにおいて、『キリスト教徒が修道院に入るように、仏教徒が山門に入るように、私は刑務所に入るのです』と供述した。

 すると、検事がこう問うた。『修道院には神の加護が、山門には仏の加護があるけれど刑務所にはないでしょう』。

 

それに答えて私は『国家の加護がある』と供述しました。

 

 私は、刑務所で基本的人権が守られることを信じます。

 

◆家族不適応殺 新幹線無差別殺傷犯、小倉一朗の実像 インベカヲリ★/2021.09/KADOKAWA


 走行中の電車内の無差別殺傷事件が、2021年8月小田急線、10月京王線で起こったが、記憶に残っているのは2018年6月新幹線新横浜―小田原間で起こった事件である。本書はその殺傷犯への面会、手紙、裁判傍聴、家族への接触等を通じて、事件の“動機”に迫ったノンフィクションである。

 最近の殺傷事件をはじめ犯罪捜査は、証拠固め中心で動機の解明が軽視されているのが、当方は非情に不満である。解明されるべきは動機である。したがって本書を興味深く読んだが、「家族不適応殺」という著者の言葉も殺傷犯の男の告白も難解なため手が出ない。ここでは大胆に抜粋要約を試みるのみである。

 

*事件

 ――事件が起きたのは、2018年6月9日午後9時45頃。小島一朗(当時22歳)は、東海道新幹線・東京発新大阪行き「のぞみ265号」の12号車内において、新横浜-小田原間を走行中に、突然ナタとナイフを持って乗客を切りつけた。〔…〕

 一人を殺害、二人に重軽傷を負わせた小島は、取り調べに対し、「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」と供述。この時点から、「刑務所に入りたかった」「無期懲役を狙った」などと供述していた。

 

*判決

 ――「被告人、小島一朗に対する殺人未遂、殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件について、次のとおり判決を言い渡します」
「はい」
小島は待ち構えていたように返事をした。
「主文、被告人を無期懲役に処する」〔…〕

 すると小島は、急に証言台の前に起立すると、厳粛な雰囲気をぶち破るように大声を発した。
「はい! 控訴は致しません。万歳三唱させてください」
「止めなさい」
「ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい!」

 

*刑務所

 ――「刑務所のすばらしいところは、衣食住と仕事があって、人権が法律で守られているところ。〔…〕刑務所に私が入りたいと思ったのは、生まれてからずっと、刑務所以下の生活を一部の期間を除いて、送ってきたからです。刑務所並みの生活をすることは、刑務所でなくともできますけれど、刑務所に入るのが、易くて早いのです。食べて寝て出すだけなのが人生なら、刑務所で十分だと思いませんか」

 

*家族

 小島は1955年12月、愛知県岡崎市にある母親の実家で生まれ、小島と母親が住むための家が同敷地内に建てられた(のちキーワードとなる「岡崎の家」)。3歳までこの家で、昼間は母方の祖父母に、夜は母親に育てられる。祖父母に養子縁組され、両親と姓が異なる。当時、両親は別居していた。

 事件後、メディアの囲み取材に応じた彼の父親。

 ――薄ら笑いを浮かべながら、息子のことを「元息子」と言い、「私は生物学上のお父さんということでお願いしたい」などと答えていた。

 

 マザーテレサと呼ばれホームレス支援をはじめ障害者、高齢者、受刑者支援などのボランティアをしている母親。

 ――「自殺するってずっと言っていたから、自殺はするかもしれないとは思ってたけど、まさか殺人までは考えられないですよ。狂ってる」

 養子縁組までした岡崎の祖母は、保身に走り、「言行不一致」だと小島は言う。

 ――寝食をともにした、愛する祖母であるはずだ。けれど祖母は、言葉で愛情を訴えながら、肝心なところで向き合ってくれない。

 ――そして小島は、家庭を求めて刑務所に入った。不確かな家族より、確かな「法律」こそが、信じられる唯一のものになったのだ。

 

*刑務所保護室

 ――刑務所の保護室に入った小島は、大便を身体や壁に塗りたくり、尿を口に含んで刑務官に噴きかけるなどして暴れていたらしい。そのたびに、防護服で盾を持った特別機動警備隊が飛んできて、催涙スプレーを噴きかけ実力行使で抑え込む。小島は傷や痣だらけになり、常に全裸で、保護室内は血まみれだったが、さらに自分で嘔吐物をまき散らし、床に零れた催涙スプレーの液体を全身に塗りつけて激痛を味わい、トイレの水を飲むなどしていた。夜は眠らず、一日中グルグルと歩き回り、「六根清浄、お山は晴天」と叫び続けていたという。ついには車椅子で、用便を垂れ流すのでオムツを付けるまでになっていた。

 私には、もはや自傷行為にしか思えなかった。けれど、それをやり続けることが、小島にとっての「幸福」なのだ。
 小島は刑務所を「理想の家庭」と言い、さらに保護室に入ることを「幼児退行」と言った。刑務官見守られながら、糞尿をまき散らして叫び、人の手によって食事を送り込まれ、身体を洗ってもらい、死なないように養育される。しかもオムツまで付けているのだから、これは、まさに赤ん坊だ。彼にとって保護室・観察室は、ベビーベッドのようなものなのだろう。こうして、三歳までを過ごした「岡崎」に居続けようとしているのだ。

 

*最終章

 ――刑務所は、絶対に「出ていけ」と言われない。法律がある限り、決して見捨てられることはないのである。
彼にとって、法律を厳守する刑務所こそが自分を確実に守ってくれる母であり、家庭だった。そこにい.れば、助けてくれて当たり前、かまってくれて当たり前、生かしてくれて当たり前。
自分はこの世に必要な人間なのか、生きていてもいい存在なのか。彼にとって、それを確認できる場所は、刑務所のシステム以外になかったのである。

 

 

 

 

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2021.11.14

稲垣えみ子◆一人飲みで生きていく      …………一人飲みで人生にスカッと爽やかな風穴を開けよう

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 この本は、「一人飲み」に恋い焦がれて、つまりはさりげなく一人飲みができるヒトにどうしてもなりたくて、しかしどうやればそんなことができるようになるのかさっぱりわからず、仕方がないので徒手空拳で一人飲み修行を繰り返し、ついにその「極意」ともいうべきものを掴み取った私の自慢話……もとい、体験談であります。〔…〕

 みなさん、一人飲み、是非ともやるべきです。それは必ずやあなたの人生を変えます。
 良い方に。明るい方に。不安のない方に。
 そう、はっきり言いましょう。


 一人飲みができるようになると人生が開けます!

 ウーソーダーと思うでしょ? でも本当なんだなこれが。

 

◆一人飲みで生きていく 稲垣えみ子 2021.09/朝日出版社


 著者によれば、
 ――何かの用事で初めての場所へ行き、無事用事も済んで、さあ時間も頃合いだし、ちょっと軽く一杯やって帰ろうかナ。
これが一人のみである。
 ――一人で夕食ってミジメなんだよと、ついカレーとか蕎麦とかパッと食べてさっと帰る。
これは「孤食」である、と。

 “一人で居酒屋”入門書は多い。そのなかで当方がいくつか見繕ってみると……。

島田雅彦『酒道入門』(2008)

 ――仕事場と自宅との間に、何か自分の巣を持っていたい。勝手知ったる店の暗黙の流儀を多少は知っている、そういう馴れ親しんだ場に身を置きたい。自分の座り癖のついた椅子に座る安堵感をもちたい。
酒飲みはみな、そういう願望をもっている。そこに立ち寄ることで精神の凝りがほぐされ、安心して家に帰ることができる。

池内紀『今夜もひとり居酒屋』(2011)

 ――新顔が常連クラスを尊んで席をきめるように、常連は新人を立てるぐあいに居場所を選定すべきだし、主人と新顔の対応を見て、順調もしくは順調以上と見てとれば、そっと姿を消して場をそっくりゆずるほどがいい。(「おなじみさんのあり方」)

東海林さだお『ひとりメシの極意』(2018)

 対談相手の太田和彦が言う。
 ――ひとりだとしゃべらなくていいし、人の話を間かなくてもいい。店の人はこちらに関心がない。頼んだ酒も肴も全部自分のもので、酒だけに専念していればいい。そういう天国を知って、人生はガラリと「左」のほうに旋回して(笑)。

片岡義男『洋食屋から歩いて5分』(2012)

 ――じつは居酒屋そのものが、四季の変化のある日本のなかで、どの季節にもなんの無理もなしにすんなりと適合するように工夫されて完成した、食べて飲み笑って和む文化なのだ。

井上理津子『旅情酒場をゆく』(2012)

 ある町の居酒屋で隣りに坐った人の話。
 ――「毎日。二、三杯飲んで、美味しいもん食べて帰って寝よんよ。ひとりもんやから、他にすることないし。毎日おんなじよ。この店できるまで毎日この時間に何してたのか、思い出せん…」

 それぞれ具体的に書かれた“居酒屋指南書”である。これらと本書の違いは、「女の一人飲み」を強く意識して書かれていることである。
そして「一人飲みの極意1 2か条」として、たとえば「極意その1「一人客の多い店」を選ぶべし」、「極意その4 間が持たなくなってもスマホをいじってはいけない」など、12項目が並ぶ。

 ところで一向に本書の中味に深入りしないのには訳がある。元朝日新聞大阪本社論説委員を50歳でやめて一人生き方を探っている稲垣えみ子のファンである。4冊目の『もうレシピ本はいらない』(2017)ではさんざん朝日の体質を批判し、「彼女の“朝日臭”の消え方に目が離せない」と書いた。そして『人生はどこでもドア――リヨンの14日間』(2018) ではもはや“朝日臭”はないと書いた。

 ところが本書では“記者臭”がふんぷんとしているのである。ええい、あえて書いてしまうが……。

 新聞特有の両論併記癖。「一人飲みの極意12か条」が自信満々と思いきや、角度を180度変え「店から見た一人飲み」を某店主にきくという悪いクセがでた。

 社説なみの大言壮語癖。「人生における革命を引き起こす行為である」などと社説並み理想論で閉じるという悪いクセ。

 新聞販売店の販促勧誘おまけ癖。電動自転車をもらった知人がいる(朝日ではない)。本書では家飲みのツマミの紹介という、なにか実用的なおまけをつける悪いクセ。

 さて、当方が女性に一人飲みをすすめるとしたら、炉端焼きの店でしょうね。囲炉裏をコの字型に椅子が囲み、目の前に並べられた一夜干しのかれいやししゃもなど魚介類、なすびやしいたけなど旬の野菜を「それ焼いて」と指させば、たすき掛けの女性が目の前で注文に応じ、出来あがれば長いしゃもじで客の面前に、というスタイル。酒は「大関」。

 最近はもっぱら“昼酒”で、電車で10分ほどの町の居酒屋へときどき行く。地酒「神鷹」の2合冷酒の店では、串揚げ(もちろんソースは二度漬け禁止)。「菊正宗」の1合燗酒の店では、地元のタコづくしで刺身、てんぷら、煮物、唐揚げ。

 勤めていた頃、家と職場の間に第3の居場所が必要と書いた。当時は書店か図書館。今は居酒屋でしょうね。

 コロナ禍の日々、著者はあくまでも明るくふるまう。

 ――あなたも一人飲みをやってみればわかります……というわけで、まあ騙されたと思って是非この本をお読み頂き、この閉塞感盗れる世の中で、こんなはずじゃあなかったのになぜか行きづまってしまったようにしか見えない自分の人生にスカッと爽やかな風穴を開けようじゃありませんか!(本書)

 

 

 

 

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2021.10.07

岸田奈美◆もうあかんわ日記         …………奈美さんと良太さんみたいな姉弟のあり方って、めずらしいと思うんです。いつからそうなんですか?

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 いいか悪いかをジャッジするのは、いつだって、優れた人ではない。多数派の人たちだ。

 弟はたぶん、言葉も文化も通じない、宇宙人がいる火星で暮らしているようなものだ。見様見真似で彼らの文化に合わせ、コミュニケーションを学び、交信しようとしている。
弟には、そういう力がきっとある。もの言わぬなにかを、じっと見つめて、ありそうもない感情や物語を、受け取る力が。

 この地球に宇宙人がやって来て、共生するとなったら、ストレスフリーですぐに順応できるのはきっと、弟たちだ。それは人類にとっては、大変な戦力なのではないか。

 いまだに言葉やルールなんてものを使って遅れているわたしたちに、ダウン症の人たちはしかたなく合わせてくれていると思うんですよね。

 彼らにとっては、そんなものに頼らないと生きられないわたしたちの方が、障害者なのかも。

誤解をはちゃめちゃに生むと思うので、これは、記事では伏せておいてほしいんですけど。

 

◆もうあかんわ日記 岸田奈美 2021.05/ライツ社


 神戸といっても山奥の団地。中2の時父は心筋梗塞で突然死。母は大動脈解離の手術痕から感染症心内膜炎を患い車いすユーザー、弟はダウン症、祖母はニンチ。

 岸田奈美(1991~)は書く。「悲劇を、喜劇にする、一発逆転のチャンスがほしい。〔…〕
でも、このまま1人で抱えとったら、もうあかんわ。そんな経緯で始めたのが、この『もうあかんわ日記』だ」。

 肝っ玉母さんというか底抜けに明るく前向きな母にして、そっくりな娘(著者)あり。

 だがここではダウン症の弟のことのみメモする。

 ――弟は障害者だ。ダウン症で、知的障害。
でも、彼の特性は、成長がとてもとても、ゆっくりであること。言葉をうまく話せず、コミュニケーションが難しいこと。環境の変化や暖味な空気の理解が、苦手なこと。
 それは障害なんだろうか。
 社会生活のなかで生きてる人には、わたしのように言葉がわかって、それなりに変化に順応できる人が、たまたま多いだけで。
 言葉を使える人が多いから、しかたなく、使いづらい人たちも合わせてくれているだけで。

 わたしたちがスムーズに生きていくために都合がいい人を「健常者」、都合が悪い人を「障害者」と呼ぶのは、なんかずっと、ぎこちない違和感がある。 (本書)

 そして上掲の宇宙人の話につながる。

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 前著『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(2020・小学館)にこんなエピソードが書かれている。

 著者が高校生だったころの話。4歳下の弟がペットボトルのコーラをもっていたと母が大騒ぎしていた。知的障害があるためお金をもたせていないのに。もしかしたら万引きした? 問い詰めると弟はコンビニのレシートをとりだした。購入の証である。
だが裏をめくると「お代は、今度来られるときで大丈夫です」と書かれていた。

 ――「息子さんはのどが渇いて、困ったから、このコンビニを頼ってくれたんですよね」
「えっ?」
「頼ってくれたのがうれしかったです!」
コンビニのオーナーさんだった。 (同書)

 その後、弟はちゃんとお金をもって、コンビニへ行くようになり、なんと、おつかいまでこなすようになった。「とんでもない成長である」。

 以下、写真家の幡野広志さんの言葉……。

 ――「奈美さんと良太さんみたいな姉弟のあり方って、めずらしいと思うんです。いつからそうなんですか?」〔…〕

「障害のある兄弟や姉妹をもつ人って、我慢したり、憎んだり、不仲になったりしてしまう人も多いように思うから」 (同書)

 

 

 

 

 

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2021.01.16

樋口直美◆誤作動する脳              …………レビー小体型認知症、明るい病人の手探り闘病記

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 50歳の終わりにレビー小体型認知症と診断されたときには、5年後の自分がどうなっているのか、まったく想像できませんでした。〔…〕ところがどっこい、予想を裏切り、今日も私は書いています(病気の脳には、大変な作業ではあっても)。

 そう。今の私は、たびたび誤作動する自分の脳とのつきあい方に精通し、ポンコツの身体を熟知して巧みに操り、困りごとには工夫を積み重ね、

病前とは違う「新型の私」として善戦しているのです。 〔…〕

 症状は変化しています。考えることも感じることも、時間とともに変わっていきますから、「今の私とは違うな」と感じる部分もあちこちにあります。でもそのときの私から、今、教えられることもあります。

◆誤作動する脳   /樋口直美 /2020.03 /医学書院


 著者樋口直美は、1962年生まれ。50歳でレビー小体型認知症と診断された。41歳でうつ病と診断され、治療で悪化した6年間があった。多様な脳機能障害のほか、幻覚、嘆賞障害、自律神経症状などもあるが、思考力は保たれ執筆活動を続けている。前著に『私の脳で起こったこと――レビー小体型認知症からの復活』(2015)。

「レビー小体型認知症」は、小阪憲司(著書に『レビー小体型認知症がよくわかる本』)によって1996年に命名され、診断基準が発表された。

 主な症状として、注意力の低下や視覚認知の障害、記憶障害などの認知機能障害、また実際には見えないものが見えたり(幻視)、その時々による理解や感情の変化(認知機能の変動)、歩行など動作の障害( パーキンソン症状)、大声での寝言や行動化(レム睡眠行動障害)など。

 症状が人によって多種多様なうえ、初期には記憶障害が目立たないため、違う病気に診断される患者が少なくなく、また「進行が早く、予後の悪い病気」と言われてきた。近年、早期発見されるようになり、薬剤過敏性に配慮した慎重な治療と適切なケアによって、よい状態を長く保つ方が増えてきていることが報告されている。

 「私の考えや気持ちを無視して、私の体が勝手にヘマをやらかす」「私自身、自分にどういう障害があるかは、“何かができなかったとき”に初めて気づくことです」
「これは一体どういう仕組み⁉」と考え、著者は医学書、専門書からコミックまで読み漁り、目の前の世界を違う形で認識する体験と不思議を「まぁ、おもしろがってもいます」、と筆致は明るい。 

 さまざまな症状が紹介されているが、たとえば……。目の前のスマホの着信音が背中のほうから聞こえてくる。テレビでしゃべっている人の口の動きと声がズレている、など音源の方向や時間がずれる現象がある。

 ――脳の病気を持つ私たちは、私たちの内面で起こっていることを知らない人たちから一方的に付けられた症状名や解説に絶望し、翻弄され、居場所を奪われてきたのです。
 私たちを社会から切り離すのは、単純な無知や根拠のない偏見ではなく、専門家の冷酷な解説だと私は感じていました。それは病気の症状そのものよりもずっと重いものでした。 (本書)

 うつ病の体験談も興味深い。
 7人目の主治医に、「体調の波はあるが、落ち着いて生活できている」と伝えると、抗うつ剤が半分に減り、5年以上飲み続けた抗不安薬が中止された。やがて毎年主治医に繰り返してきた「体調もよくなっています。私、薬をやめたいです」をその医師に伝えると、「やめましょう、すぐやめましょう!」と予期しなかった言葉が……。
 読書もハイスピード、多読が戻り、SNSも「急に使い方がわかるようになった」し、毎日ジョギングを楽しむようになる。精神科を初めて受診してから6年近くが経っていたという。

 実名で活動を始めて、医師と患者ではなく、「人と人」という水平な関係で話すようになって、患者と医師が、違う「常識」の上に立っていることを知り、同時に「医師にとっても病気の症状と薬の副作用を区別することは難しい」、「薬を減らすことは勇気がいる」など医師も不安や苦悩を抱えていることを知る。

 病名を告げられても、生活の相談、サポートの情報がなく、絶望から引きこもり、急激に悪化してしまう。当事者たちは「早期発見・早期絶望」という。
診断は、希望とセットで伝えてほしい」。明るい病人である著者の切実な声が響く。

 

 

 

 

 

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2020.09.28

出口治明★還暦からの底力――歴史・人・旅に学ぶ生き方         …………明るく単純な人生をおくるための教科書

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 フルタイムで働く人の1年間の労働時間は約2000時間。これに対して1年間は8760時間。人の生活のなかで労働時間は2割強に過ぎません。物事のなかで2割強のウエイトなど、極論すればどうでもいいことです。〔…〕


 ご飯を食べられて横になれる寝床があって、子供を安心して育てられ、好きなところに旅ができて上司の悪口を目いっぱいいえれば、あまり不満は生じないのです。

大事なことは時間にして2割強の仕事より、8割近くの時間を過ごす仕事以外の部分です。


 逆説的ですが、この見極めがつくと、思い切って仕事ができるようになります。〔…〕仕事ができない人の多くは、こういったワーク・ライフ・バランスの配分を間違えているのです。

★還暦からの底力――歴史・人・旅に学ぶ生き方 /出口治明 /2020.05 /講談社


 英語が堪能で、博士号をもち、大学の管理職経験あり、との3条件で公募された立命館アジア太平洋大学(APU)学長。どれもあてはまらないのに104名の中から選ばれた“古希学長”が著者。

 その出口治明が、NHK-BSの人生最後の覚悟でメッセージを贈る「最後の講義」に登場した。学生たちを相手のリモート講義を、当方もたまたま“傍聴”した。

その縁でふだんは手にしないベストセラーを読む気になった。おもしろい。本書は「還暦からの底力」とタイトルは高齢者向きだが、学生向け「最後の講義」と比重は多少違うものの、内容はサブタイトルにある「歴史・人・旅に学ぶ生き方」で、同じものである。

 ひとことでいえば、「明るく単純な人生をおくるための教科書」である。(A)高齢者の生き方への提言、(B)これからの社会システムの在り方の提言、とからなる。

 ――「いつまで働くのですか」と質問されることがありますが、そんなことは考えても仕方がないと思っています。今日も朝起きて元気だから仕事をしているだけの話で、しんどいと感じるようになったら、そのときに引退すればいいだけの話ではありませんか。年齢に意味がないというのは、そういうことです。 (本書)

 これが(A)であり、(B)として「定年の廃止」を提言し、5つのメリットを挙げる。
健康寿命が延びて介護が減る。医療・年金財政は貰うほうから支払うほうにシフトし、好転する。年功序列賃金制がなくなり、業績序列にシフトし、企業にメリット。社会人生活が伸長され、中高年の労働意欲が高まる。労働力不足の日本では、定年を廃止して困る人はいない。

 ――もはやグローバルな企業間競争は、競技のルールもしくは競技そのものが変わったのです。それなのに、いまだに素直で我慢強く協調性があって空気が読めて上司のいうことをよく聞く人を採用し続けているのは、野球からサッカーにゲームが変わったのに毎晩バットを持って素振りを続けているようなもの。〔…〕

 たくさんの人に会い、たくさん本を読み、いろいろなところに出かけていって刺激を受ける、つまり、「飯・風呂・寝る」の低学歴社会から「人・本・旅」の高学歴社会へと切り替えなければならないのです。 (本書)

 新しい産業は、女性、ダイバーシティ〔異なる国籍の組合わせなど多様な人材〕、高学歴〔ダブルドクター、文理の別を超えた「変態もしくはオタク」〕の3つがキーワードで、豊かな個性を持つ人々が集まり、ワイワイガヤガヤ議論するなかから生まれてくる。

 道遠し。なにしろ新たな首相のやりたいことが“ケータイ値下げ”。いくらなんでもと周りが“デジタル庁”をつけ足した。日本はどんどん沈没してゆく予感がする。

 ――少子高齢化社会においてはヤング・サポーティング・オールドからオール・サポーティング・オールへの発想の転換が必要であり、所得税と住民票で回っていた社会から、消費税とマイナンバーで回す社会へのパラダイムシフトを起こさなければならないのです。 (本書)

 その理由。若者の数では高齢者を支えられない。年齢に関係なくみんなが応分の負担をする。世界で一番バリアフリーで弱者に優しいヨーロッパ社会は、消費税で組み立てられているので、消費税は弱者いじめではない。本当に困っている人に給付を集中させるために、所得や資産を把握する。そのためにマイナンバー。

 全体的に、格差社会やむを得ない、との印象。そして高齢者はずっと働け。働き続けながら、食べて寝て遊んで、いいたいことをいえることで幸せを味わおう。そのために友人とパートナーが大切だと。公的年金保険が崩壊することはありません。その理由は簡単で、公的年金保険の仕組みは要するに、市民から年金保険料を集めて要件を満たした市民に配っているだけだからです。

 そのうえで、答えがでないのに迷うのは時間の無駄だから、「迷ったらやる。迷ったら買う。迷ったら行く」ですぐ行動しなさい。

 迷ったら買う。新聞全面広告のサプリメント、テレビの通販番組のファッション、ジャパンライフの磁気ネックレス、最高の人生の見つけ方という人生指南本、……迷わずとも買うのは、つねに高齢者。

 最後に難題。おいしい人生をおくるには必須、いい社会をつくっていくための基礎が教養。「教養=知識×考える力」を磨くには古典を読むに限ると断言する。

 ――この6冊の本を読むことで、基礎的な教養の根本は得られます。
ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』、ウォーラーステイン『近代世界システム』、アダム・スミス『国富論』と『道徳感情論』、ジョン・ロック『統治二論』、ダーウィン『種の起源』。

 まあ、なんと嫌味な。いまさら“還暦読者”やハウツー本読者は、読まないでしょう(もちろん、当方のことだが)。

 大ベストセラーとなり、読者から大絶賛を浴びている本書。意地悪い目で再読すれば、“還暦読者”への生き方への提言は、以下のようなことだったか。

 これからは偏差値系東大と変態オタク系APUとが世の中を変えていく。その次世代を育てる役割が高齢者の生きている意味ですぞ。だから消費税のアップやマイナンバー制度に反対してはいけません。憲法も変えなくていいです。「人間の幸福はそれほどたいしたものではない」ので、「誰が何といおうと好きなことをやればいいです」。明るく単純な人生をおくっていただきたいと。

 

Amazon出口治明★還暦からの底力――歴史・人・旅に学ぶ生き方

 

 

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2020.07.17

高澤秀次★評伝 西部邁                 …………自死の構えを定め、その行為の細部まで固めていた「死の美学」

202001

 


〔西部邁には、5通の遺書があり、以下は「警察および関係役所の各位」に宛てられたもの〕

  私、職業上は評論家というものを生業とする78歳になるものですが、寄る年波みに加えて上半身神経痛の老病が治らず、また、やれる事はやり尽くし思い残すことは何もないという心境にあり、

また、自分の生き方として、病院死は避けたいと考えて来たものですから、かかるかたちの死を選びとるのを止む無きに至りました。

 それ以外には、何の動機も原因もございません。とはいえ、かかる場所でかかる振る舞いを為すのは、公共の迷惑にあたるとは良く承知しております。それについては、関係各位に心からお詫びするはかございません。何卒、ご寛恕のほどを伏してお願い申し上げます。

★評伝 西部邁 /高澤秀次 /2020.01 /毎日新聞出版


 西部邁(にしべすすむ、1939~ 2018)には、膨大な著作があるが、当方が読んだのは『友情 ――ある半チョッパリとの四十五年』(2005)1冊のみである。

・友人の死――1997年

『友情』は中学時代からの友人、海野治夫との交遊を綴った自伝的な作品である。のちに海野はアウトローに、西部は東大教授に、道は分かれる。札幌のバーで久々に再会するのだが、同書でこう書いている。それは『死生論』(1994)を出してから「自死の思想」ばかり口にするので、周囲から少し気味悪がられていた時期でもあった。海野に、西部が言う。

 ――公にやることがなくなったら、そしてそれ以上生きていたら周りに迷惑をしかかけないということになったら、自分で死ぬしかないと考えている。 (同書)

 海野は「そういうことだよな」と反応する。その1週間後に海野は自裁する。札幌の寺で焼身自殺、あるいは銭函の河口に投身自殺など諸説あるが、「焼身は抗議の自死であり、入水は絶望の自死である」と訊ねまわるが、不明のまま。1997年のことである。

・「私の死亡記事」――2000年

 ――私儀、今から丁度1年前に死去致しました。死因は薬物による自殺であります。銃器を使用するのが念願だったのですか、当てにしていた二人の人間とも、一人は投身自殺、もう一人は胃癌で亡くなり、やむなく薬物にしました。
 自殺を選んだ理由は、自分の精神がもうじき甚だしい機能低下を示してしまう、と確実に見通されたということであります。〔…〕

 ニーチエを真似るわけではないのですが、何冊か本を書いたような気がする、としかいえません。このことからも、「精神」は活きていてこその代物だと、いわゆる彼岸にいるものとして、つくづく感じ入っております。左様なら。 (文藝春秋編『私の死亡記事』「自殺できて安堵しております」)

 これらの延長線上で、本書を読んだ。本書は、西部邁氏と交友のあった著者による思想的な次元での渾身の評伝。以下、その思想性については一切触れず、「死」に関してのみ触れる。

・その妻の死――2014年

高校の同級生だった妻・満智子は8年にわたる闘病の末死死去した。

 ――先立たれた妻は、敗戦直後の北海道の風土的記憶を共有する、「故郷の代用品」でもあったのだ。「自分のそれまでの生」に意味を与えてくれた唯一の者と語ってはばからぬ彼女の死は、「自分の脳の少なくとも半分を陥没させるような出来事」だったのである。(本書)

・娘への遺書――2018年

 ――僕は、穏やかな自然死などは望むべくもないので、また病院死における無益な孤独と無効の治療を忌むものですから、君にこれ以上の迷惑をかけたくないので、ここに自分の「生き方としての死に方」たる自裁死を選ぶことにしました。
そうした考え方については僕の書物群に何度も説明している通りなので、君は、たとえ同意されなくても、僕の気持ちは分かってくれると信じております。(本書)

・その死――2018年

 ――日本を代表する保守派の論客・西部邁の多摩川河川敷での入水自殺(2018年1月21日) の波紋は、しばらく収まらなかった。当初から田園調布署刑事一課は、これを複数の人間が介在した「事件」とみなし捜査を続けた。

 当日未明に遺体は発見され、司法解剖の結果、死因は溺死とみなされた。だが、現場周辺の状況、遺族への聞き込みなどから、自力で命を絶つ身体的能力さえ失っていた西部邁の入水からは、多くの疑問が浮かび上がってきたのである。

 遺体発見から2カ月余を経た4月5日には、現場へのレンタカーでの搬送、安全帯の装着、河川敷近くの樹木へのロープの括り付けなど、自殺討助の疑いで二人の逮捕者が出た。〔…〕

 ところで、「事件」が今なお完全に決着していないのは、遺体の口中に忍ばせていた酸化合物の入手に関して、前二者とは別の第三者の特定ができなかったためである。
 どうやらそれは、特殊な揮発性の青酸カリだったようだ。 (本書)

・著者の結語――2020年

 ――五体健全なら彼は、もっとヒロイックな死を選んだのではないか。しかし、今となっては筆者も「あれしか、仕方がなかったのでしょう」と地下の西部に声をかけるしかない。自殺討助者を巻き込んだそのアンチ・ヒロイックに無様な死を、西部流の「非行」の結末として受け入れるしかないからである。(本書)

 

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2020.06.19

宮下洋一★安楽死を遂げた日本人       ……多系統萎縮症に苦しみ、3人の姉妹に助けられ、安楽死によって解放された51歳の人生

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   生命の終結を考える上で、安楽死は点でピリオドを打つ行為だ。一方の緩和ケアは線で終末期をとらえる。つまり死ぬまでの過程が大事だ。

  たとえば末期症状で、もって1カ月という癌患者がいたとする。その1カ月は苦しい闘病生活が予想される。

  セデーションを用いれば最後の数日間は眠って過ごせる。だが、そこに至るまでの苦しみを、すべて除去できるわけではない。〔…〕

  一方の安楽死なら、余命1カ月となった時点で、自ら死を選択できる。この1カ月の苦痛は実質なくなる。

  安楽死に惹かれる患者の心理がこのあたりにあることは間違いない。

 

★安楽死を遂げた日本人 /宮下洋一 /20196/小学館/◎=おすすめ


 宮下洋一の前著『安楽死を遂げるまで』(2017)は、スイスなど欧米の安楽死事情を綴ったノンフィクションで、身につまされるような事例を多く知った。著者はいう。欧米人は個人の死をやすやすと肯定するのに対し、日本人は死の哀しみや辛さも家族など集団で分かち合える国民性があり、個人の意思で死が実現できる安楽死という選択肢はなじまない、と。

 同書出版後届いたメールのうち1通が、安楽死を望んでいる多系統萎縮症の女性、小島ミナからだった。ミナは「多系統萎縮症がパートナーになっちゃった」というブログを綴っていた。そのプロフィール。

 ――私の同伴者は萎縮していく小脳と脳幹。

 動くことは勿論食べることも、内臓の動き、体温調節、呼吸まで不自由にさせてくれます。

 医療関係者からも誤解され、周囲からなかなか理解されにくい病気ですが、病気の実態を知って貰うべく、私なりに思いを綴ります。(同ブログ)

  ミナのブログは、2016年8月から始まっている。当初、脊髄小脳変性症と診断されていた。ミナは韓国語の翻訳と通訳で自立していたが、病気の進行で一人住まいをあきらめ、新潟の長姉恵子宅に引越しする。

長姉恵子――

 恵子は2階にいるミナの物音にも気を配っていた。なにもかも受け止めるやさしい姉だが、「出過ぎた真似をして、ミナのプライドを傷つけないか」とたえず気にし、それが頭の回転の速いミナとぶつかることがある。

次姉貞子――

 貞子は恵子の家へ車で半時間のところに住む。ミナが「寝たきりでおむつを替えてもらうのは耐えられないので、そうなる前に死のうと思う」と言ったのに対し、「私もそうするかもね」と答える。問題を顕在化させることで解決を図るミナと似た性格。

妹有紀――

 車いすで検診を受けるミナに同行する。いっしょに住もうとミナに話す。

「強い姉ちゃんもいいけど、弱い姉ちゃんがもっと好き」と言われ、人に弱みを見せず生きてきたミナのこころに響く。

 

 スカーフで綱状にして首をつったり、ためこんだ大量の薬を飲んだり、何度も自死を図るミナを3人の姉妹は支え続ける。

 以下も本書のテーマである安楽死問題の可否にふれないが、ここまで読んで、当方はこの女性とその姉妹に既視感があった。ネットで調べ、気がついた。

 NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」2019年6月2日。同一人物である。日本人女性が、自分らしさを保ったまま亡くなりたいと、スイスで安楽死を行ったドキュメンタリーである。スイスの自殺幇助団体「ライフサークル」の女医プライシックを訪ねる。

 当方はあらためてオンデマンドで見直す気持ちにはなれなかった。たしか画面では、ベッドにミナが横たわり、そばにいるふたりの姉がミナを見つめ、女医プライシックがミナに話しかけていた。

 だが、この場にはカメラには写っていないが、ノンフィクション作家の宮下がおり、声には出せなかったが、「まだ遅くはない。日本に帰ってもいいんですよ」と心の中で呟いていた。またNHKのカメラマンの井上秀夫がおり、ディレクターの笠井清史がいたのである。

 以下、本書からその一部分のみを引用したい。

 ――60秒が経過した。

 想定外の流れだ。致死薬が効いてこない。わずか30秒ほどで眠りに入ると説明されていたはずだ。小島〔ミナ〕は、意識がなくなるまで全身全霊の力を振り絞って言葉を発し続ける。

「笠井さんも、私のことをちやほやしてくれてありがとう」

 足元のほうでマイクを手に持ち、頬に涙を滴らす笠井は、彼女の顔を覗き込みながら「好きだったからですよ。ありがとうございます」と、最後の言葉を投げかける。カメラがぶれないよう、必死で支える井上の目からも大粒の涙が流れている。

 その時、彼女の表情から力が抜け、「んーっ」と息が漏れた。(本書)

 このあと、ミナの最期の「す~ご~く、しあ~わせ~だった……」という言葉がもれるのである。安楽死が“良き死”であるかどうかは、一概に言えないし、判断できない。ここにはミナという多系統萎縮症に苦しみ、3人の姉妹に助けられ、そして安楽死によって解放された51歳の人生があるのみである。

註:

本書での「安楽死」は、「患者本人の自発的意思に基づく要求で、意図的に生命を絶ったり、短縮したりする行為」を指す。安楽死は、積極的安楽死(医師が薬物を投与し、患者を死に至らせる行為)、自殺幇助(医師から与えられた致死薬で、患者が自ら命を絶つ行為)などに分けられる。今回のケースは後者。

 

ブログ「多系統萎縮症がパートナーになっちゃった」

 

宮下洋一『安楽死を遂げるまで』

 

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2020.05.26

佐々涼子★エンド・オブ・ライフ …………人生の最期のあり方を、読者が自らに問うことを促す。2020年ベスト1の傑作ノンフィクション

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「在宅医療について語ると言われて今までついてをました。でも、まとまった話は今まで聞いてないですよね。どうですか、話したいことがありますか?」

 森山は肩で息をしながら、ふふふっと笑った。〔…〕

「これこそ在宅のもっとも幸福な過ごし方じゃないですか。自分の好きなように過ごし、自分の好きな人と、身体の調子を見ながら、『よし、行くぞ』と言って、好きなものを食べて、好きな場所に出かける。病院では絶対にできない生活でした」

「……、そっか」

 これが、200人以上を看取ってきた彼の選択した最期の日々の過ごし方。抗がん剤をやめたあとは、医療や看護の介入もほとんど受けることはなかった。

 毎日、まるで夏休みの子どものようにあゆみと遊び暮らすのが森山の選択だったのだ。

 常々「捨てる看護」を唱え、看護職の枠を超えた人間としてのケアを目指した彼は、西洋医学の専門職を降りて、すべての治療をやめ、家族の中に帰っていった。

 医療も看護もなく、療養という名も排した、名前のつかないありふれた日々を過ごすことを選んだのだ。

★エンド・オブ・ライフ 佐々涼子/20202月/集英社インターナショナル/◎=おすすめ


 京都の渡辺西賀茂診療所で、訪問看護師として働く森山文則は、ここ数年で200人以上を看取ってきており、がん患者の看護経験も多い。その森山にすい臓がんが見つかる。すでにステージ4。

 著者は森山から「将来、看護師になる学生たちに、患者の視点からも在宅医療を語りたい。そういう教科書を作りたい」と共同執筆を依頼される。著者は横浜から京都まで通うが、森山は代替医療や自然食品、湯治や寺社巡りに興味を示し、取材はいっこうに進まない。

 京都の診療所での看護のいくつかが紹介されている。

 敬子の場合――。がんは膀胱に浸潤し神経を圧迫し、人工肛門をつけた状態で、家族4人でディズニーランドへゆく。看護スタッフが業務の一環として同行し、著者も誘われる。敬子は救護室で休憩をとりつつ娘たちの笑顔を喜ぶ。家族4人が肩を組みピースサインの写真も撮った。翌日、入院。

 ――敬子は難度も意識を取り戻し、最後の最後まで一人一人に声をかけた。やがて声が出なくなったが、それでもクリクリした大きな目を開けて、その場にいた全員の顔を見渡した。

 家族の「頑張れ、すごいね」という声に励まされ、一生懸命呼吸をしていたが、やがて最後のひと呼吸をするとそれきり息を引き取った。

 周囲が静まり返る。

 パチパチパチパチ……。

 思いもかけず拍手が起きた。拍手の主は敬子の姉だった。続いてその場にいた人たちから次々と拍手が沸き起こった。それはいつまでも続いた。みな、目にいっぱい涙を溜めながら、誰もが彼女の勇気あふれる姿に精いっぱいの賞賛を送った。ホスピス病棟でのことだ。(本書)

 病を患って4年半、42歳の生涯だった。

 2013年から7年間、著者は終末医療の現場を見てきた。

 やがて死は著者の家族にも。年老いた父が年老いた母をひとりで介護する。その父の家庭や施設や病院での言動の一つ一つが胸を打つ。テレビドラマ『ながらえば』(山田太一作)の笠智衆を思い浮かべた。

  ――「ようやく、苦しいことから解放されてほっとしたって顔をしているだろ? 最近、お風呂に入れていても、だんだん子どもみたいな顔になってきたと思ってたんだよ。母さん、お疲れ様だったね」

 父は、闘いの済んだ愛妻の顔を愛し気に撫でた。(本書)

  そして著者は母を見送る。

 ――ようやく重い身体を脱ぎ捨てて身軽になった母は、懐かしい日傘の中、私と肩を並べて「暑いわねえ」と言いながら、自分の出棺を見送っているような気がする。彼女はこの世に未練などひとつもないだろう。これが家で死ぬこと。これが家で送ること。(本書)

 さて、すい臓がんを患う訪問看護師の森山文則は、「生きることが少しずつ難しくなって。そのスピードが速くなってきて」、やがて終末がやってくる。

 森山の妻あゆみは言う。

  ――「私、ソーシャルワーカーの仕事をしてきて、たくさんのお別れの経験をしたからわかるんです。死んでいく人は、自分だけでなくみんなにとって一番いい目を選びます。それだけは、信じているんですよ。それで一日だけある晴れの日を見て、ああ、この日に逝くのだと思いました」(本書)

 森山は妻と二人の娘を残し、49歳で旅立った。

「亡くなりゆく人がこの世に置いていくのは悲嘆だけではない。幸福もまた置いていくのだ」(本書)

 森山だけでなく、医師や看護スタッフ、そして患者やその家族など、さまざまな終末期の考え方生き方が綴られる。人生の最期(エンド・オブ・ライフ)あり方を、読者が自らに問うことを促す。2020年ベスト1の傑作ノンフィクション。

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2017.06.16

森 健★小倉昌男祈りと経営――ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの……☆「思い」を共有して取材する

20170616

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 精神の病は秘匿されるものだった。そんな時代に、倉は妻と娘の病を抱え、対時していた。〔…〕

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 真理は中学にして長期の入院をし、長じてはアルコール依存や摂食障害になった。妻の玲子は世間体に対するストレスや娘との対立から、アルコール依存や抑うつ状態になっていた。

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 たびたび家庭内で繰り返された毒の込められた言葉の応酬。そんな地獄絵図のようななかで、小倉は二人を叱らず、つねに暖味な態度に終始していた。〔…〕

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 娘がいかに暴れようとも、妻がいかにアルコールに溺れようとも、そして自分を傷つけようとも、

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心の病とわかっていたから怒れなかったのである。

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小倉昌男 祈りと経営――ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの|森 健|小学館|20161|ISBN9784093798792|◎=おすすめ

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 クロネコヤマトの創始者小倉昌男(19242005)の著書やヤマト関連の書籍を読んでも、どうしてもわからないことが三つあったと、著者はいう。

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1に、小倉はなぜとんどの私財を投じて福祉の世界へ入ったのか。

2に、宅急便では運輸省の免許を巡って悪習的な規制と闘い、メール便では郵政省と「信書」を巡る論争で闘った。だが、本人には「闘士」というイメージとは程遠い。

3に、80歳という高齢で進行中のがんを抱え、なぜアメリカへ行き、そこで亡くなったのか。

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 さてヤマトといえば、当方も仲間と季刊誌をつくっていたころ、近くの営業所のお世話になった時期があった。また大きな郵便局に勤める知人が、ヤマトの「信書」問題を声高に誹謗して、ひんしゅくをかっていた記憶もある。しかし当方は、小倉が障害者が働くパン屋「スワンベーカリー」の立ち上げを、障害者が月給で十万円はもらえるような仕組みに取り組んだ、という雑誌記事で、これぞ本物の福祉と驚いた。謝礼程度の報酬でも働く場が確保されるだけでありがたいと思えという障害者福祉の時代だった(いまも変わらないが)。

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 小倉が亡くなって10年。当方はクロネコはブラック企業になってしまったと危ぶんでいた。配達員が車を止めてから配達先まで荷物を抱えて走るのである。なぜ走るのか。そこにブラックを見ていた。横田増生仁義なき宅配:――ヤマトVS佐川VS日本郵便VSアマゾンでサービス残業の実態も知った。

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 ところがつい最近ヤマトが変わり始めた。対外的な物流システムの改革ではなく、内部の労働環境など業務改善に対してである。創業者小倉昌男スピリットへ戻ることを利用者として期待している。

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 さて、小倉昌男の家庭は、上掲のように病み始める。娘の結婚相手が黒人のアメリカ人だったことでピークを迎える。

 紆余曲折があり、妻の俳句にその心象が……。

星飛ぶやオセロゲームの白と黒 (1988年)

 やがて孫が生まれ、喜びを知る。

さわやかや混血の子の蒙古斑 (1990年)

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 妻は1991年に急死する(自死がほのめかされている)。娘は閉鎖病棟に入院する。

 小倉は妻に倣って俳句をたしなんでいたが、孫の句を作ったのは、ずっと後。

唐黍や混血の子の歯の白き (1992年)

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 ――後半の人生をかけて、小倉は精神の病に向き合わざるをえなかった。その根っこにあったのは、何万人もの障害者に対してというより、妻と娘に対する一人の父、どこの家族にも共通する父親としての思いだったように映る。(本書)

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 アメリカに住む娘は、1994年、境界性パーソナリティ障害と判明し、ついに2006年以降、処方される薬で落ち着き問題がなくなった。その娘が言う。

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 ――「英語で『コーリング(calling)』って表現があるんですが、ご存じですか。〔…〕ふつうの訳でコールは『呼ぶ』という意味です。しかし、キリスト教でのコーリングには『自分の生きる意味』『神のお召し』といった特殊な意味もあるのです。自分が何のために生き、何をするか。最近、私のコーリングは、そんな精神障害へのサポートではないかと感じているんです」(本書)

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 著者は取材をすすめながら、「小倉の抱えていた思いを痛いように共有していく」のである。そして小倉の死から10年、娘が病気から自由になり、そして息子もヤマトを退職し自由になる。その明るいきざしの中で著者は取材を終える。

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 ――人生は続く。

 不格好であろうが、不揃いであろうが、人生は続く。(本書)

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 本書を読んだのは1年前。迷走する大宅壮一ノンフィクション賞は、このたび大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞とを改称され、本書が受賞した。

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 以前、梯久美子 『狂うひと――「死の棘」の妻・島尾ミホ』がメディアへの露出で群を抜いていたので当方は同賞受賞を予想したが、しかし主人公には共感できずただただスル―したい、と書いた。大崎善生『いつかの夏――名古屋闇サイト殺人事件』にしても、被害者・加害者に思い入れができなかった。

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 森 健『小倉昌男 祈りと経営――ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの』は、小倉へのリスペクトとやさしいまなざしで彩られ、読後にさわやかさを残した。選考顧問の後藤正治の好みでもあっただろう。読者賞の菅野完『日本会議の研究』は、別稿に。

 

森 健▼「つなみ」の子どもたち――作文に書かれなかった物語

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2016.12.18

青山文平■約定

20161218

 「俺も仕方なく腹を決めた。しかしな、腹を据えれば心穏やかになるというのはあれは嘘だいよいよ、結び合うのも仕方ないと覚悟すると、怖くてたまらん。この俺が人の命を奪うのかと思うとな、恐ろしくて、このままどこぞに逐電したいほどだ

「旦那様!」

なおも唇を動かし続けようとする大輔に、手を止めて振り向いた佐和が声をかけた。

「これから山に入りませぬか」

「ん

 ずっと二日後のことで頭が塞がっていたせいか、直ぐには言葉の意味が掴めない。

山入りにございます」〔…〕

 北国の冬は長く、高い堰となって春を止める。

 代わりに、堰が切られれば一気に色が爆発する。

 

 人々は、その曝風に身を晒して、とりどりの色を浴びるために山へ入る。

山道を行くたびに、やはり春山入りは北国のものだと、大輔は思う。

 ――「春山入り」

 

 約定|青山文平|新潮社|20148|ISBN: 9784103342328|

  老残の武士が死に場処を求める「三筋界隈」、のちの長編『励み場』の原型である「夏の日」、のちにシリーズとなる「半席」など、6つの短編を収める。

  なかでも当方の気に入りは、上掲の「春山入り」。

 原田大輔と島崎哲平とは、かつて松本道場で竜虎とうたわれた。その哲平は郷村出役として農村に入っており、大輔は馬廻り組として、藩政改革をめぐって敵味方に分かれる。

 大輔と妻の佐和は、長男を麻疹で、次男を疱瘡で失い、二人暮し。そして上掲の場面……。

 満開の辛夷に代わり、桜の花芽が蕾になって綻びかけ、やがて菜の花が、福寿草が、片栗が、さらに百合が、藤が、雪椿が、九輪草が、石楠花が、一斉に咲き誇る。「そこには確かに山の神が御座すと素直に信じられる。そして、その神に、山を下りて、田の神になっていただきたいと祈りたくなる」。すなわち、“春山入り”である。

 時代小説として、堅くなく柔らかくなく、確かな筆致で、夫婦愛と友情が描かれる。郷村出役という言葉やぎんぼと身欠き鰊の煮物などが出てくるところから、この北国は米沢藩をモデルにしたものか。

 青山文平つまをめとらば

 青山文平鬼はもとより 

 青山文平白樫の樹の下で

 青山文平■伊賀の残光

 青山文平■励み場 

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