インベカヲリ★◆家族不適応殺 新幹線無差別殺傷犯、小倉一朗の実像 …………刑務所こそが自分を確実に守ってくれる母であり、家庭だった
私は検事の取り調べにおいて、『キリスト教徒が修道院に入るように、仏教徒が山門に入るように、私は刑務所に入るのです』と供述した。
すると、検事がこう問うた。『修道院には神の加護が、山門には仏の加護があるけれど刑務所にはないでしょう』。
それに答えて私は『国家の加護がある』と供述しました。
私は、刑務所で基本的人権が守られることを信じます。
◆家族不適応殺 新幹線無差別殺傷犯、小倉一朗の実像 インベカヲリ★/2021.09/KADOKAWA
走行中の電車内の無差別殺傷事件が、2021年8月小田急線、10月京王線で起こったが、記憶に残っているのは2018年6月新幹線新横浜―小田原間で起こった事件である。本書はその殺傷犯への面会、手紙、裁判傍聴、家族への接触等を通じて、事件の“動機”に迫ったノンフィクションである。
最近の殺傷事件をはじめ犯罪捜査は、証拠固め中心で動機の解明が軽視されているのが、当方は非情に不満である。解明されるべきは動機である。したがって本書を興味深く読んだが、「家族不適応殺」という著者の言葉も殺傷犯の男の告白も難解なため手が出ない。ここでは大胆に抜粋要約を試みるのみである。
*事件
――事件が起きたのは、2018年6月9日午後9時45頃。小島一朗(当時22歳)は、東海道新幹線・東京発新大阪行き「のぞみ265号」の12号車内において、新横浜-小田原間を走行中に、突然ナタとナイフを持って乗客を切りつけた。〔…〕
一人を殺害、二人に重軽傷を負わせた小島は、取り調べに対し、「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」と供述。この時点から、「刑務所に入りたかった」「無期懲役を狙った」などと供述していた。
*判決
――「被告人、小島一朗に対する殺人未遂、殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件について、次のとおり判決を言い渡します」
「はい」
小島は待ち構えていたように返事をした。
「主文、被告人を無期懲役に処する」〔…〕
すると小島は、急に証言台の前に起立すると、厳粛な雰囲気をぶち破るように大声を発した。
「はい! 控訴は致しません。万歳三唱させてください」
「止めなさい」
「ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい!」
*刑務所
――「刑務所のすばらしいところは、衣食住と仕事があって、人権が法律で守られているところ。〔…〕刑務所に私が入りたいと思ったのは、生まれてからずっと、刑務所以下の生活を一部の期間を除いて、送ってきたからです。刑務所並みの生活をすることは、刑務所でなくともできますけれど、刑務所に入るのが、易くて早いのです。食べて寝て出すだけなのが人生なら、刑務所で十分だと思いませんか」
*家族
小島は1955年12月、愛知県岡崎市にある母親の実家で生まれ、小島と母親が住むための家が同敷地内に建てられた(のちキーワードとなる「岡崎の家」)。3歳までこの家で、昼間は母方の祖父母に、夜は母親に育てられる。祖父母に養子縁組され、両親と姓が異なる。当時、両親は別居していた。
事件後、メディアの囲み取材に応じた彼の父親。
――薄ら笑いを浮かべながら、息子のことを「元息子」と言い、「私は生物学上のお父さんということでお願いしたい」などと答えていた。
マザーテレサと呼ばれホームレス支援をはじめ障害者、高齢者、受刑者支援などのボランティアをしている母親。
――「自殺するってずっと言っていたから、自殺はするかもしれないとは思ってたけど、まさか殺人までは考えられないですよ。狂ってる」
養子縁組までした岡崎の祖母は、保身に走り、「言行不一致」だと小島は言う。
――寝食をともにした、愛する祖母であるはずだ。けれど祖母は、言葉で愛情を訴えながら、肝心なところで向き合ってくれない。
――そして小島は、家庭を求めて刑務所に入った。不確かな家族より、確かな「法律」こそが、信じられる唯一のものになったのだ。
*刑務所保護室
――刑務所の保護室に入った小島は、大便を身体や壁に塗りたくり、尿を口に含んで刑務官に噴きかけるなどして暴れていたらしい。そのたびに、防護服で盾を持った特別機動警備隊が飛んできて、催涙スプレーを噴きかけ実力行使で抑え込む。小島は傷や痣だらけになり、常に全裸で、保護室内は血まみれだったが、さらに自分で嘔吐物をまき散らし、床に零れた催涙スプレーの液体を全身に塗りつけて激痛を味わい、トイレの水を飲むなどしていた。夜は眠らず、一日中グルグルと歩き回り、「六根清浄、お山は晴天」と叫び続けていたという。ついには車椅子で、用便を垂れ流すのでオムツを付けるまでになっていた。
私には、もはや自傷行為にしか思えなかった。けれど、それをやり続けることが、小島にとっての「幸福」なのだ。
小島は刑務所を「理想の家庭」と言い、さらに保護室に入ることを「幼児退行」と言った。刑務官見守られながら、糞尿をまき散らして叫び、人の手によって食事を送り込まれ、身体を洗ってもらい、死なないように養育される。しかもオムツまで付けているのだから、これは、まさに赤ん坊だ。彼にとって保護室・観察室は、ベビーベッドのようなものなのだろう。こうして、三歳までを過ごした「岡崎」に居続けようとしているのだ。
*最終章
――刑務所は、絶対に「出ていけ」と言われない。法律がある限り、決して見捨てられることはないのである。
彼にとって、法律を厳守する刑務所こそが自分を確実に守ってくれる母であり、家庭だった。そこにい.れば、助けてくれて当たり前、かまってくれて当たり前、生かしてくれて当たり前。
自分はこの世に必要な人間なのか、生きていてもいい存在なのか。彼にとって、それを確認できる場所は、刑務所のシステム以外になかったのである。