15/ミステリアスにつき

2021.06.27

手嶋龍一◆鳴かずのカッコウ               …………公安庁の諜報活動を追う、神戸観光を楽しむ、著者の蘊蓄に耳を傾ける、う~ん、一粒で三度おいしい小説

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「カッコウは他の鳥の巣に卵をそっと産みつけて孵化させる。〔…〕そうとは知らない仮親は、けったいな姿の雛が生まれでも、わが子と思ってせっせと餌を運んで大切に育てる。これがカッコウの托卵、つまり偽装の技や」

「偽装の技って――。まさに僕たちの生業ですね」

「戦後日本の情報コミュニティのなかで、俺たちは、最小にして最弱のインテリジェンス機関に甘んじてきた。だが、そのおかげで同業者やメディアの関心を惹くこともなかった。

深い森にひっそりと棲息するカッコウの群れみたいなもんや」

〔…〕「俺たちはみな戦後ずっと、鳴かずのカッコウとしで生きてきた。だが、おまえらはそうやない。必ず世間から必要とされる時がくるはずや。堂々と翼を広げ、思い切って飛んでみろ」

◆鳴かずのカッコウ 手嶋龍一 2021.03/小学館 ◎=おすすめ


 手嶋龍一『スギハラ・ダラー』からじつに11年ぶりのインテリジェンス(諜報)小説。


 中国・北朝鮮・ウクライナの組織が入り乱れた諜報戦が神戸を舞台に繰り広げられる。いつもの衒学趣味(いや蘊蓄本という)に加えて、今回は神戸ガイド本を兼ねる。あわせて脱力系の主人公という新機軸で、“一粒で三度”おいしく楽しませてくれる。

 梶壮太。神戸駅北側の法務総合庁舎8階の神戸公安調査事務所に勤める調査官。加古川の高校、国立大学法学部出身、サークルは漫画研究会。誰にも自分の印象を残さない外見と、自分が見た人物は細かく記憶できる特技を持つ。同僚に帰国子女のMissロレンスこと西海帆稀、上司に柏倉頼之、新長田の焼き肉屋では通称根室のナカオさん。

 須磨区月見山にすむ梶壮太は、垂水区ジェームス山周辺へのジョギングの途中に、船舶代理店エバーディール社がそこに建設中のマンションの建築主であることを、偶然に知る。梶の脳内データベースが動きだす。
 このエバーディール社は、かつて中朝国境近くに拠点を置く中国系企業がダミーとして使っていた疑いのある会社だ。その後深刻な海運不況のさなか「自動車専用船」の売買に手を出して更なる苦境に陥ってしまったという。

 ところで自動車運搬船といえば……。当方は自宅近くにある海に突き出た公園へよく散策するが、その東に人口島があり、岸壁に巨大な自動車運搬船がタグボートに曳かれて入出港するのを見るのが楽しみである(コロナ禍後は減少)。たとえばワレニウス・ウィルヘルムセン・ラインズというノルウェーに本拠を置く海運会社の船。人口島にある工場から作業車や船舶エンジンを積み込んでいるらしい。このずんぐりした船は日本の造船メーカーで製造されたもの。

 本書によれば、……。自動車運搬船(Pure Car Carrier)が老朽化すれば「死に船」にし、キャッシュバイヤーと呼ばれる船の仲買人が引き受けて解撤屋に売り渡す。彼らは再利用できる部品を回収し、最後は鉄のスクラップにして電炉業者に売り払う。ところが「生き船」のまま転売して儲けようとした業者がいる。作品の本筋に触れるので、以下省略。

 蘊蓄といえば、本書では、イタリヤ料理、ウクライナ料理、表千家茶道、源氏蛍、古今和歌集の「ほのぼのとあかしの浦の朝霧に島隠れゆく舟をしぞ思ふ」、伊勢物語、さらに“マル対”同士が英語で俳句の季語「雁風呂」について語り合い、当方をしんみりさせた場面もある。

 次に、神戸案内を一つ……。

 ――昭和初期の海運王の豪壮な暮らしを窺わせる旧乾邸の正門を過ぎて進んでいく。近くを流れる住吉川の清流を引いたのだろう。澄み切った疎水が流れている。〔…〕
 旧乾邸のモダンな石組みの塀伝いに左へ曲がり、リボンの道と呼ばれる小径をゆく。若宮八幡宮の石段を登り、境内を一周し、今度は鳥居をくぐって坂道を下っていった。〔…〕

 遠くに目をやると、青い海と赤い橋梁が見えた。彼方には神戸港の白いクレーン群が並んでいる。急な坂道を下っていくと、小さな水車が二つ、カタンカタンと音を立てて回っていた。案内板には「灘目の水車」と記されている。〔…〕そのまま坂を下り、阪急電車の高架をくぐった。ほどなく右手に香雪美術館の石塀と庭園の深い木立が見えてきた。 (本書)

 同じ東灘区では、“マル対”の家が六甲アイランドのマンション、その近くの小磯記念美術館が重要な場所として登場する。著者好みの小磯良平のパステル画「赤いマントの外国婦人」の薀蓄をひとくさり。モデルの名前はエステラ、インディオの血が入った南米コロンビアの女性らしい、とか……。

 こうして諜報活動の進展とともに、神戸案内と蘊蓄が楽しめる。また紹介する本に、樋口修吉『ジェームス山の李蘭』、『石光真清の手記』、グレアム・グリーン『ヒューマン・ファクター』、ウォルフガング・ロッツ『スパイのためのハンドブック』など。

 こんな台詞もある。
「われわれのインテリジェンス・リポートなど、岩波の『世界』のようなものですな。学者先生がいくら悲憤憤慨しても、現実の政策には何の影響も与えんのです」

 さらに前作でおなじみの英国情報部員スティーブン・ブラッドベレーまで登場する。

 

 

 

 

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2021.01.31

佐藤健太郎◆番号は謎            …………番号のトリビア集。運転免許証は12桁、最後の桁は紛失盗難による再発行の回数を示す

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 まず、ナンバープレートの左側にあるひらがなは、車の用途を示している。原則として、事業用の車は「あ」~「こ」及び「を」、自家用車は「さ」~「ろ」、レンタカーには「れ」「わ」がつけられる。

ただし「お」「し」「へ」「ん」の四文字は使われない。


「お」は「あ」と見分けにくいこと、「し」は死、「へ」は屁を連想させること、「ん」は発音しづらいことが理由なのだそうだ。

 ひらがなの代わりに「Y」などのアルファベットが入った車もまれに見かけるが、これは駐留軍人の車などに用いられている。ちなみに駐留軍人が日本で除隊になった場合、このアルファベットは「よ」に変更されるとのことで、これは非常なレア品である。

◆番号は謎 佐藤健太郎 /2020.08 /新潮社


 無味乾燥な番号にもドラマが秘められている。

「我々は番号に埋もれるように生活し、情報社会の進展に従ってその種類はなお増え続けている。でありながら、番号というものにほとんど誰も目を向けることはない」と著者。

 上掲は自動車のナンバープレートだが、電話番号、郵便番号などなじみの番号から、鉄道、道路、銀行、学校、地名、野球、サッカー、F1、バーコード、図書、出版、天体、原子、マイナンバーなど、22種類の番号の「謎」を解く。

 ――豊富な資料があるジャンルは野球の背番号くらいで、テレビのチャンネルなど、誰もが毎日目にしているものでありながら、そのルーツ探しにはずいぶん苦労させられた。

 当方が昔から気になっていた電話の局番「06」は大阪なのになぜか兵庫県尼崎市が含まれている。2年間“アマ”に住んだことがあるものの、当時“公害・尼崎”のイメージがあり、どうぞ大阪に編入してもらったら、と悪態をついていた。

 ――1961年に市外局番が制定されることになった際、尼崎市及び商工会議所は当時の電電公社に対し、大阪と同じ市外局番に編入するよう要請した。電電公社は、工事費用の地元負担という意味合いで、2億円余りの電話債券を引き受けることを条件に、この要求を受け入れた。尼崎市にとっては重い負担であったが、大阪と市内料金で通話できるメリットは大きく、同市の経済発展に大きく寄与した。(本書)

 番号とは、管理するためのものだ。だがいつか破綻の方向へ進む。はみだした部分を秩序に取り組もうとして「分かりづらさ」が出現する。その「謎」に快感?をおぼえながら著者は見事に解いていく。

 番号に関する話のネタ帳であ、トリビア集である。

 

 

 

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2021.01.24

高橋大輔◆剱岳――線の記 平安時代の初登頂ミステリーに挑む       …………〈点の記〉から〈線の記〉へ、そして〈もうひとつの点の記〉へ

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 見えてきたのは、剱岳に埋もれた線の物語だった。
 ファーストクライマーを追って剱岳に5度登ったわたしは、埋もれ古道のリアリティをつかんだ。それは伝統的に立山信仰の中心地とされてきた芦峅寺、岩峅寺を起点としない、上市黒川遺跡群や大岩山日石寺から剱岳へと登拝する道だ。古き良き立山の山岳信仰を伝える道である。
ファーストクライマーの5W1Hという点を繋ぎ合わせることで、古代人と山の関係が明らかになった。

 山は古来、日本人が死生観を投影してきた精神的土壌であった。そこに外来の神仏を招き入れて開山し、日本を文明国にすることが平安朝廷の国策であった。


 その担い手は日本全土の奥深い霊山を開いた山伏であった。


 彼らは古代日本を開拓した探検家たちであった。

◆剱岳――線の記 平安時代の初登頂ミステリーに挑む /高橋大輔 /2020.08 /朝日新聞出版


 剱岳は立山連峰にある標高2,999 mの文字通り劔のような険しい山。新田次郎『剱岳〈点の記〉』(1977)で有名である。陸軍測量官柴崎芳太郎と山案内人宇治長次郎による“初登頂”を描いた小説。2009年に木村大作監督により映画化され、評判を呼んだ。

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 新田の小説は、弘法大師が草鞋6千足(3千足とも云われている)を費したが登れなかったという“伝説”、修験道の行者の「雪を背負って登り、雪を背負って帰れ」という謎めいた言葉の“虚構”、古代の剣の穂先、錫杖の頭を発見という“事実”をおりまぜ交錯させ、一気に読ませる“山岳”小説である。

 小説のタイトルにある〈点の記〉とは、三角測量の記録で、設置された三角点の名前や所在地、測量年月日、人名のほかその三角点に至る道順、人夫賃、宿泊設備、飲料水等の必要事項を集録したものであり、記録は永久保存資料として国土地理院に保管されている。緯度、経度、標高が正確に計測されており、地図作成などに利用される。

 これに対し、本書の〈線の記〉とは、剱岳ファーストクライマーの謎の5W1H、すなわち、
いつ――山頂に立ったのは何年か
誰が――山頂に錫杖頭と鉄剣を置いたのは誰か
どのように――どのようにして山頂を極めたのか
どの――どのルートから山頂にたどり着いたのか
どこに――山頂のどこに錫杖頭と鉄剣を置いたのか
なぜ――なぜ山頂に立とうとしたのか
 を探す旅、これが“線の記”である。

 最古の遺物、錫杖頭と鉄剣を山頂に残置した者が剱岳のファーストクライマー、初登頂者である。その“線の記”を追えば、目的や実像を明らかにできるのではないか。探検家高橋大輔は、文献と現場への旅を重ね「物語を旅する」人である。

 ――山に登ってみることはもちろん、〔…〕埋もれた地方史や民俗学的資料を発掘し、それらを登山エキスパート、歴史学者、考古学者らの経験や知見、叡智と結びつけ、現場から考えることで謎に迫ってみたいと思った。 (本書)

 本書は「ミステリーに挑む」とあるので、探究のプロセスや結末を紹介できない。ただ2つのルートを整理すると、以下のようになる。

〇立山町起点・別山尾根ルート
 剱岳は地獄の山であり、畏怖すべき存在である。立山信仰の中心地である芦峅寺、岩峅寺を起点とするが、室堂を開き、立山地獄を霊場としたのは天台宗である。
 新田の小説では、立山村の村長は柴崎測量隊に「剱岳は古来、登れない山、登ってはならない山」云々と批判的であった。

〇上市町起点・早月尾根ルート
 水や木草など生命に満ち溢れた早月尾根のある上市町では剱岳が恵みをもたらす神々しい存在。大岩にある日石寺は真言宗の寺。
 新田の小説では、白萩村の村長は「登れない山、登ってはならない山だなどというのは、岩峅寺や芦峅寺を中心とする人たち」、「猟師たちの勘には間違いない。彼らが登れると云えば必ず登れる」と断言する。

「山岳信仰の担い手は天台と真言だけではない。〔…〕忘れ去られた法相宗の山伏の活躍こそが、立山信仰に大きな足跡を残したのだ」と本書は続く。そしてなぜ剱岳に登ったかが解き明かされる。

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 ところで新田次郎は、陸軍測量官柴崎芳太郎と山案内人宇治長次郎の二人の絆を軸にストーリー展開させ、木村大作監督作品では柴崎を浅野忠信、長次郎を香川照之が互いのリスペクトする“相棒”を演じた。

 ところが『もうひとつの剱岳点の記』(2009・山と渓谷社)所収の五十嶋一晃「剱岳岳測量登山の謎――長次郎を巡る疑問」によれば、柴崎測量隊で大きな役割を果たした宇治長次郎は柴崎の残した文章にその名はないという。
 

 長次郎は公的な記録はもちろん、新聞・雑誌の報道、柴崎測量官のメモを含め、どこにも記されていない。それどころか柴崎は「長次郎は知らない。記憶にない」と。このエッセイはその謎を推理したものだ。その結論は、

 ――私はむしろ〈長次郎はかたくなに剱岳の頂上を踏むことを拒んだ。それは自らの信仰と山麓での伝説・口碑の思い込み、および剱岳は隣村・立山村の山であるという慎み深さが、絶対的なものとして頭のなかを支配していた〉と解釈し、剱岳頂上のいくらか手前で足を止めたものと考える。 (同書)

 そして当方は、柴崎が長次郎との“約束”を忠実に守り、「長次郎は知らない」とかたくなに拒み続けたと思いたい。

 

 

 

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2021.01.07

皆川博子◆随筆精華 書物の森を旅して               …………阿修羅像の、ひそめた眉のなんと匂やかで初々しいことか

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 インド神話、仏教神話においては、阿修羅は人に害をなす凶悪な魔神である。

 それなのに、仏法守護の八部衆の一として建立されたこの三面六臂異形の阿修羅像の、ひそめた眉のなんと匂やかで初々しいことか。
 日本古来の神道にあっては、神は童子を憑代(よりしろ)として顕現したまう。祭りに化粧した稚児が重要な役を担うのは、そのゆえである。

 原始宗教が大地の豊穣と人の繁栄を願えば、必然的に性の香りを伴う。


 興福寺の阿修羅が、清冽でありながら艶の気配を秘めるのも、ゆえないことではない。


――美少年十選・阿修羅

◆皆川博子随筆精華 書物の森を旅して /2020.09/河出書房新社



 皆川博子(1930~)単行本未収録のエッセイ集。

 魅了された小説、お気に入りの芝居や絵画、海外取材記など、偏愛と美学に満ちた94篇を収録。以下、その中の1篇「残忍にして美貌」から……。


*
 色悪。その片鱗に私が最初に触れたのは、歌舞伎ではなく、七つ八つのころに読んだ少年小説においてであった。

 吉川英治の『天兵童子』に石川車之助という美少年が登場する。色悪と呼ぶには、いささか年齢が不足だが、美と悪が溶け合うという条件はみたしていた。

 正義の主人公である天兵童子を散々に悩ます、悪知恵あり武術妖術に長けたこの悪少年は、大盗賊石川五右衛門の少年時代という設定であった。

 後年、歌舞伎に馴染むようになって、色悪と呼ばれる人物たちを知った。残忍悪逆冷血にして美貌。これほど魅力的な存在があろうか。

 

 

 

 

 

 

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2020.12.23

15/ミステリアスにつき◆T版2020年…………◎北村薫・雪月花 謎解きと私小説◎ジョン・マクフィー・ピュリツァー賞作家が明かすノンフィクションの技法

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15/ミステリアスにつき

北村薫★雪月花 謎解きと私小説 /2020.08 /新潮社

 

 その《この〔加田伶太郎〕全集は一巻かぎりですから、月報といっても今月だけです》と書かれた月報中、江戸川乱歩による「『完全犯罪』跋」に、

 (ちなみに、Kada Reitaroをディサイファすると「Tare daro kaとなる。もう一つついでにしるすと、主人公探偵 Itami Eiten はMeitantei となる)〔…〕

 

 ところで、この文字遊びは、皆にすんなり受け入れられ感心されているが、《KadaReitaro》は十一文字、《Tare daro ka》は十文字、そして《Itami Eiten》は十文字、

《Meitantei》は九文字だ。厳密にいえば、並び替えは成立していない。

 これを、

 ――野暮なこといいなさんな。そこまで、細かくは出来なかったんだよ。

 と、いってしまうのは簡単だ。

 しかし、読みは読み手にある。文字の列を目で追うのが《読む》ことではない。

 

十一文字から十文字に、そして十文字から九文字になった時、消えた一字が――共通している。

――《Iではないか!

快い戦慄が背中を走る。

――福永は偽りの名前から《私》を隠し綴り替え、真実を明かしたのだ。

 

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15/ミステリアスにつき

ジョン・マクフィー 栗原泉:訳★ピュリツァー賞作家が明かすノンフィクションの技法 /2020/白水社

 

 わたしが大学生だったころ、「創作」と「ノンフィクション」の二語を一緒に使う人がいたら、頭のおかしなやつか、さもなければコメディアンだと見られただろう。

 ところが、今日わたしは、「創作ノンフィクション」と銘打った講座で教えている。

〔…〕ノンフィクションのどこが創造的なのか。それに答えようとすればまるまる一学期が必要だが、要点を言えばこうだ。

 創造性はテーマ選びの中にある。また、記事をどう書くか、題材をどのように並べるか、人物描写のスキルや手法、取り上げた人びとを登場人物としていかに成長させるか、文体のリズム、雷の全体性と骨格(立ち上がって歩き回れるような骨格か)、手元の素材の中にある物語をどこまで読み取り、語ることができるか、などといったことにある。

 創作ノンフィクションとは何か作り話をすることではなく、自分の持っているものをフルに活用することである。

 

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2020.11.27

高橋ユキ★つけびの村――誰が5人を殺したのか?           …………村の“噂”、ネットの“噂”

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 まるで金峰地区を乱舞する大量の羽虫のように、ここの事件の周りには、うわさ話が常にまとわりついていた。

「つけびして煙り喜ぶ田舎者」。

 始まりは、ワタルの家の窓の貼り紙からだった。事件当時、この不気味な川柳は犯人の犯行声明だと騒がれた。

 わずか12人が暮らす村で5人もの人々が殺害された事件は、一般のメディアだけでなく、ネットユーザーにも火をつけたのである。

 そうこうするうちに「村八分」のうわさが“祭り”を呼んだ。

 

★つけびの村――誰が5人を殺したのか? /高橋ユキ /2019.09 /晶文社


 2013年7月に山口県周南市で一夜にして5人の村人が殺害された“山口連続殺人放火事件”。犯人の家に貼られた川柳は“戦慄の犯行予告”として世間を騒がせた。

  著者は、ネットとマスコミによって拡散された“うわさ話”の真相を探る。

「あとがき」の以下の部分を記録にとどめたい。

 ――いま、普通の“事件ノンフィクション”には、一種の定型が出来上がってしまったように感じている。犯人の生い立ちにはじまり、事件を起こすに至った経緯、周辺人物や、被害者遺族、そして犯人への取材を経て、著者が自分なりに、犯人の置かれた状況や事件の動機を結論づける。そのうえで、事件が内包している社会問題を提示する。

 これが昨今のスタンダードだ。介護殺人や少年犯罪をテーマにした書籍など、世に出回っている事件ノンフィクションを数冊読んでもらえれば、だいたいいがこのスタイルであることに気付くだろう。

 いつの頃からか、出版業界は、このスタイルにはまっていない事件ノンフィクションの書籍化には難色を示すようになってしまった。ノンフィクションは新書と同様、読み手に何らかの“学び”や“気づき”を与えるものでなければならないというのである。

 私も当初は、そのスタンダードなスタイルにはめ込むようにと取材を重ねていた。そんな中で、ワタル本人が事件について正直に語ることのできない状態にあることを知り――取材して記事を書き、それを売ることで生活している身としては――ひどくがっかりしたものの、同時にこれまでとは違う、もう一つの切り口に気が付いたのだった。(本書)

 

Amazon高橋ユキ★つけびの村――誰が5人を殺したのか? 

 

 

 

 

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2017.04.07

村上春樹★騎士団長殺し――第1部 顕れるイデア編

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 騎士団長はしばらく腕組みをして考えていた。それからを細め、口を開いた。

 「歴史の中には、そのまま暗闇の中に置いておった方がよろしいこともうんとある。

 正しい知識が人を豊かにするとは限らんぜ。客観が主観を凌駕するとは限らんぜ。事実が妄想を吹き消すとは限らんぜ」

 「一般論としてはそうかもしれません。〔…〕彼が知っているとても大事な、しかし公に明らかにはできないものごとを、個人的に暗号化することを目的として、あの絵を描いたのではないという気がするのです

 

騎士団長殺し――1部 顕れるイデア編|村上春樹|新潮社 |201702| ISBN:  9784103534327 |◎=おすすめ

 当方は100万人の村上春樹ファンの一人で、新作がでたら読む。だがコレクターではなく、再読もほとんどしない。そこで本書は、ヤフオクで買い、読後またヤフオクで売った。差引1500円の負担は、大きいか小さいか。

 それはさておき村上作品としてはこれまででいちばん面白かった。このところずっとノンフィクションばかり読んでいたので、久しぶりに村上ワールドの物語に引き込まれ、その世界を満喫した。3.11の被災地の町、南京虐殺やウィーンでの反ナチの地下抵抗組織の話も出てくるが、そして同時にクラシックやジャズのレコード、服装や食事やセックスや車の描写が多発するが、当方はまったく関心がない。

 ついでにその車のことに触れると、古いプジョー205、白いスバル・フォレスター、銀色のジャガー、赤いミニ、黒いインフィニティ、黒い旧型ボルボ、ブルーのトヨタ・プリウス、トヨタ・カローラ・ワゴンが登場する。

  当方の関心はいつものように卓抜な警句と、意表を突く比喩である。ただ今回は「というか」という表現が多発したり、警句も比喩もいまいち精彩がない。しかし以下、そのコレクション。

*

 ときどき自分が、絵画界における高級娼婦のように思えることがあった。私は技術を駆使して、可能な限り良心的に、定められたプロセスを抜かりなくこなす。そして顧客を満足させることができる。

*

「結婚して15年以上になるし、子供も2人いるし、私はもう新鮮じゃなくなってしまったのよ」

「ぼくにはとても新鮮に見えるけど」

「ありがとう。そう言われると、なんだかリサイクルでもされているような気がしてくるけど」

「資源の再生利用?」

*

 原因のない結果はない。卵を割らないオムレッがないのと同じように。

*

 私の知る限り画家というのは誰しも、多かれ少なかれ手元に絵を抱え込んでいるものだ。自分の絵があり、他の作家の絵がある。知らないうちにいろんな絵画が身の回りに溜まっていく。雪かきをしても、あとからあとから雪が降り積もるみたいに。

*

「大胆な転換が必要とされる時期が、おそらく誰の人生にもあります。そういうポイントがやってきたら、素速くその尻尾を掴まなくてはなりません。しっかりと堅く握って、二度と離してはならない。

*

「しかし、知っていても知らなくても、やってくる結果は同じようなものだよ。遅いか早いか、突然か突然じゃないか、ノックの音が大きいか小さいか、それくらいの違いしかない」

*

 うん、絵描きだから、料理の姿かたちをそのまま再現することはできる。でもその中身までは説明できない。

*

「もしその絵が何かを語りたがっておるのであれば、絵にそのまま語らせておけばよろしい。隠喩は隠喩のままに、暗号は暗号のままに、ザルはザルのままにしておけばよろしい。それで何の不都合があるだろうか?」

*

「真実とはすなはち表象のことであり、表象とはすなはち真実のことだ。そこにある表象をそのままぐいと呑み込んでしまうのがいちばんなのだ。そこには理屈も事実も、豚のへそもアリの金玉も、なんにもあらない」

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村上 春樹★騎士団長殺し―― 第2部 遷ろうメタファー編

 

201704072

 

「『人に訪れる最大の驚きは老齢だ』と言ったのは誰だっけな?」

 知らない、と私は言った。そんな言葉は聞いたこともない。

  しかし確かにそうかもしれない。老齢は人にとって、あるいは死よりも意外な出来事なのかもしれない。それは人の予想を遥かに超えたことなのかもしれない。

  自分がもうこの世界にとって、生物学的に(そしてまた社会的に)なくてもいい存在であると、ある日誰かにはっきり教えられること。

 

 騎士団長殺し――2部 遷ろうメタファー編|村上春樹|新潮社 |201702| ISBN:  9784103534334 |評価=◎おすすめ

 36歳の肖像画家「私」、妹小径、妻ユズ、隣人免色渉、親友雨田政彦、その父の画家雨田具彦、中学生秋川まりえ、その叔母笙子など、登場人物は多くなく、魅力的な人物も少ない。

 しかしイデアが形体化し、飛鳥の衣装をまとった体長60cmの騎士団長となって現れる。また「顔なが」として現れるメタファー。まことに興味深く、村上作品の世界を満喫した。

 上巻に続いて、卓抜な警句と、意表を突く比喩(しかし今回はいまいち精彩がない)、以下はそのコレクション。

*

「実を言うと、私にはジンクスみたいなのがあるんです」、彼女はにっこり笑って栞をはさみ、本を閉じた。

「読んでいる本の題名を誰かに教えると、なぜかその本を最後まで読み切ることができないんです。だいだいいつも思いもかけない何かが起こって、途中で読めなくなってしまう」

*

「うちの父親は自分の人生について他人に語るということをしない人だった。〔…〕むしろ地面についた自分の足跡を、箒を使って注意深く消しながら、後ろ向きに歩いているような人だった」

*

「理論的には」と騎士団長は言った。「しかしそれはあくまで理論上のことである。現実にはそれは現実的ではあらない。なぜならば、人が何かを考えるのをやめようと思って、考えるのをやめることは、ほとんど不可能だからだ。何かを考えるのをやめようと考えるのも考えのひとつであって、その考えを持っている限り、その何かもまた考えられているからだ。何かを考えるのをやめるためには、それをやめようと考えること自体をやめなくてはならない」

*

「しかし若くして伝説になることのメリットはほとんど何もありません。というか、私に言わせればそれは一種の悪夢でさえあります。いったんそうなってしまうと、長い余生を自らの伝説をなぞりながら生きていくしかないし、それくらい退屈な人生はありませんからね」

*

「このベッドはきっと遠からず解体するわよね」と彼女は性交の途中、一息ついているときに予言した。「ベッドのかけらなのか、グリコ・ポッキーなのか見分けがつかないくらい見事にばらばらに砕けると思う」

「我々はもう少し穏やかにそっと、ことをおこなうべきなのかもしれない」

*

「ところで、お父さんの具合はどうだった?」と私は尋ねた。

雨田は小さくため息をついた。「相変わらずだよ。頭は完全に断線している。卵ときんたまの見分けもつかないくらいだ」

「床に落として割れたら、それは卵だ」と私は言った。

*

 受話器は相変わらずひどく重く感じられた。まるで石器時代に作られた受話器のように。

*

 我々の生きているこの世界では、雨は30パーセント降ったり、70パーセント降ったりする。たぶん真実だって同じようをものだろう。30パーセント真実であったり、70パーセント真実であったり。

*

「この世界には確かをことなんて何ひとつをいかもしれない」と私は言った。「でも少くとも何かを信じることはできる」

 

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2017.01.20

塩田 武士★罪の声

20170120

 

「何も得られないと考えている私の前で、彼は全てを得たいと話しました。その欲深さに強いショックを受ける一方、変な話ですが眩しく見えたんです。地位を求めるのも、子どもを自慢のタネにしようとするのも、今いる社会を絶対の基盤だと信じているからです。

 だとしたら、まだ自分にもできることがあるんじゃないかと思ったんです。

 つまり、社会に希望を持てなくなっても、希望を持つ者に空疎な社会を見せることはできる、と

 先ほど心に浮かんだ「禅問答」という言葉が廻り、苛立ちを覚えた。金がほしいわけでもなく、権力や資本主義に一矢報いるためでもなく、ただ砂上の楼閣を建てるためだけに青酸菓子をばら撒いたとでも言うのか。

 

罪の声|塩田武士|講談社|2016年8月|ISBNコード:9784062199834 |○

  1984年1985年に起きたグリコ・森永事件は、関西を舞台に食品会社を狙った企業脅迫事件で、犯人「かい人21面相」は逃げ切り、事件は未解決のまま。この事件を扱った小説では高村薫『レディ・ジョーカー』(1997)、ノンフィクションでは森下香枝『真犯人――グリコ・森永事件「最終報告」 』(2007)が知られている。

 大日新聞文化部記者・阿久津英士は、昭和・平成の未解決事件という年末企画に駆りだされる。他方、「テーラー曽根」を営む曽根俊也はひょんなことからカセットテープで小さいころの“脅迫事件”の自分の声を聴く。こうして二人はそれぞれ30年以上も前の事件の真相に迫っていく。

 巻末に作者の言葉がある。

 ――本作品はフィクションですが、モデルにした「グリコ・森永事件」の発生日時、場所、犯人グループの脅迫・挑戦状の内容、その後の事件報道について、極力史実通りに再現しました。この戦後最大の未解決事件は「子どもを巻き込んだ事件なんだ」という強い想いから、本当にこのような人生があったかもしれない、と思える物語を書きたかったからです。

 当方は、当時食い入るように新聞を読み、推移を追ったものである。「まづしいけいさつ官たちえ」といった大阪弁のきょうはく状、キツネ目の男、警察の失態など、これが“劇場型犯罪”か。どんな小説や映画よりも現実が上回ると。

 しかし本書の作者は1979年生まれ。事件時は6歳である。当時の資料をあさり、関係者から聞き取りし“事実を再現”したのち、作者独自の犯人像を創造した。2016年版の「週刊文春ミステリーベスト10」で第1位など、評判がいい。

 だが、当方は読んでいて作者が創造した犯人のフィクション部分よりも、事件を再現したノンフィクション部分が圧倒的にスリリングで面白かった。勝てなかった、と思う。

 以下、付け足しだが、塩田武士は元神戸新聞記者。同社での経験を元にしたような“労働組合小説”『ともにがんばりましょう』(2012)は興味深かった。神戸新聞社といえば、いまはもう不動産会社、テナント業が中心で、自治体の指定管理者になるわ、社長は写真付きで紙面に出たがるわ、という状態……。

  だが、「匠の時代」の内橋克人、「カニは横に歩く」の角岡伸彦、「マングローブ」の西岡研介、「誰が『橋下徹』をつくったか」の松本創、とすぐれたノンフィクション作家を輩出してきた神戸新聞である。塩田武士に続いて、若手記者諸君もどんどん飛び出して行ってほしい。

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2016.12.03

小保方晴子■あの日

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 2014年の間に私の名前が載った記事は一体いくつあっただろうか。そしてその中に真実が書かれた記事は果たしていくつあっただろうか。〔…〕

  私個人に対する取材依頼は連日のように来た。「記事化を考えています」「何日までに返事をください」というメールは脅し文句のように感じられた。返事をすると都合のいいところだけを抜粋して記事に使用され、返事をしないと「返答がなかった」と報じられた。

  特に毎日新聞の須田桃子記者からの取材攻勢は殺意すら感じさせるものがあった。

脅迫のようなメールが「取材」名目でやって来る。

 メールの質問事項の中にリーク情報や不確定な情報をあえて盛り込み、「こんな情報も持っているのですよ、返事をしなければこのまま報じますよ」と暗に取材する相手を追い詰め、無理やりにでも何らかの返答をさせるのが彼女の取材方法だった。

 

 あの日 |小保方晴子|講談社|20161 |ISBN: 9784062200127|

  須田桃子『捏造の科学者――STAP細胞事件』(201412月・文藝春秋)は、第46回(2015年) 大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。

   当方も、「科学記者として正確さと分かりやすさを心がけ、決してセンセーショナルなとらえ方はしない」として、2015年傑作ノンフィクション・ベスト10に選んだ。毎日新聞は、ノンフィクションを書ける優秀な記者がそろっており、科学環境部の須田桃子もその一人だ。

 しかし気になることがあった。

「あとがき」に、こうある。

  ――今、この原稿を書いている201411現在、STAP問題はまだ終わっていない。〔…〕11月末で小保方晴子氏の検証実験への参加期間が終わる。その結果と、二度目の調査委員会の報告書が、早ければ12月中にも発表されるだろう。ごく最近これまでの認識が覆されるような驚くべき情報も幾つか耳にした。それらの中には、おそらく調査委員会の報告書に登場するものもあるだろう。(須田桃子『捏造の科学者』あとがき)

 書き下ろしの単行本である。新聞記事ではない。なぜあと1と月待てなかったのか。そうすればより完成度の高いノンフィクションとなったであろう。さらに「あとがき」に、文藝春秋の二人の編集者の名前をあげ、7月の執筆打診以来、執筆中も「両氏の一章ごとの感想が大いに励みになった」とある。一章ごとに書きあがると二人の編集者に見せていたのである。

  おそらく文藝春秋の大宅壮一ノンフィクション賞(前年11日~1231日に公表された書籍が対象)ノミネートに間に合うよう編集者と打ち合わせを重ね、1114日に「あとがき」を書き、奥付は1230日発行となった。小保方晴子の検証実験という事件のクライマックスを待てなかった訳である。

 もう一つ、違和感がある。

 須田は自裁した笹井を「科学の醍醐味、奥深さを感じさせてくれる、魅力的な研究者の一人だった」と敬愛をこめて書く。当方のゴシップ的興味は、笹井をめぐる小保方、須田の鞘当てという構図である。

  須田はSTAP細胞発見記者会見の4日前の124日から85日の笹井自裁の2週間前、714日までの約半年間に、約40通のメールのやり取りをしているのだ。その頻度に驚く。笹井メールの文面がいくつか載っているが、親しげに見える。ところが、小保方晴子によれば……。

  ――笹井先生からは、「このまま報道されては困るからできるだけ返答するようにしている。メールボックスを開くのさえ辛い。日々、須田記者の対応に追われてノイローゼがひどく他の仕事ができなくなってきた」と連絡を受けた。(小保方晴子『あの日』)

  須田桃子が小保方晴子『あの日』についてどう語ったかは知られていない。

 

須田桃子★捏造の科学者――STAP細胞事件

 

小畑峰太郎★STAP細胞に群がった悪いヤツら

 

 

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