しかし結局、人間はいつになっても自由にはなれないだろうということに意見が一致した。
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二人は、政治上の大問題を、単純で、温和な人間の穏健論で片づけながら、のんびりと議論を始めたのだったが、しかし結局、人間はいつになっても自由にはなれないだろうということに意見が一致した。
その間も、ヴァレリヤン山はひっきりなしに轟きながら、砲弾でフランスの家々を破壊し、多くの生命を粉砕し、多くの存在を蹂躙し、幾多の夢、幾多の歓びの期待、幾多のあこがれの幸福に終止符を打ち、はるかな国もとにいる妻の心に、娘の心に、母の心に、終生癒えることのない傷口を開けつつあるのだった。
「これが生きるということですよ」と、ソオヴァジュさんは云い放った。
「これが死ぬということですよ、と申したいところですな」と、モリソオは笑いながら云った。
――モーパッサン「二人の友」
*読前: 出来うるかぎり主観を排して、あるがままの人生の姿を、簡潔な言葉づかいで表現する、自然主義文学の極致とも言うべき、フランス19世紀後半の小説家、ギー・ド・モーパッサン。その真価が発揮された傑作短編を、全3巻に収録する。
**読後:★★★★ 井伏鱒二が「釣魚雑記」のなかで、「『二人の友』はモーパッサンの作品では傑作の一つだろう。釣魚を取材して、これほど釣人の神経を浮きぼりに出来るのは、そのことだけでも大したものである」と書いている。
まさかと思いながら書棚を探したら、新潮文庫のモーパッサン短編集がでてきた。奥付に昭和36年九刷とある。わが20歳のときに買ったものらしい。なぜ読んだのか記憶にないが、この作品は教科書にも掲載されたことがあるから、全文を読んでみたかったのか。
釣りの名作とされる「二人の友」だが、たしかに短編の見本ともいうべき見事に型にはまった作品だ。寓話的なところがあまりおもしろくない、と感じるのは、文体のせいか、私が釣りをしないせいか。
***青柳瑞穂・訳『モーパッサン短編集(1)』新潮文庫・1956年2月29日発行・1960年6月20日九刷
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