童謡・唱歌は老人がフルサトへ帰れる歌――“老謡”なんですね。
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もし、死んでから、一日だけ娑婆に戻してやろうとエンマ様が言ってくれたら、私は、どういう一日を過ごそうかと考えるとき、もうすぐ結論は出るのです。
子供のときの一日を頂戴する。
子供にかえって、家の近くの神社の森で、隠れんぼしたり下駄隠ししたり、原っぱで、ヤンマ捕ったりトカゲつかまえたり、ただ遊んでいたい、しきりにそう思います。(略)
実は、ここへきて、遊べる話が舞い込んできました。ビクターさんからの、童謡・唱歌を歌ったCDを出さないかというお誘いなんです。(略)
そうか、歌なら遊べるか。ました、童謡・唱歌なら、少年に戻れる。(略)
もう今や、童は、童謡を歌わない世の中で、童謡・唱歌は老人がフルサトへ帰れる歌――“老謡”なんですね。
――小沢昭一『散りぎわの花』
*読前:半世紀以上もタップリ遊びました。落語、芝居で。じっくり愛しました。女性、競馬を。でもまだまだ散りませんよ、浮世ですから―。まだまだ遊びつづけるココロを持つ著者の、しみじみなつかしエッセイ集。
**読後:★★★ 三十数年の句歴をもつ変哲こと小沢昭一氏の俳句、本書におさめられている中から、5句。
背で囲み背で話し合う焚き火かな
遥かなる次の巳年や初み空
椎の実の降る夜少年倶楽部かな
夕立や小言もにぎる江戸かたぎ
凩や芸の渡世の幸不幸
俳句もいいが、いまだに落語家志望というか職業柄というか、座談の人ですね。本書のなかでは語りを活字化した「ひとり旅」がいい。
***小沢昭一『散りぎわの花』文藝春秋・2002.8.10第1刷
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