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2005.01.09

女優のための姥捨山にみずから登る覚悟を定めさせた作品だった。

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お気に入りのフレーズ(1)

映画『楢山節考』の演技で、絹代は「キネマ旬報」の女優賞を受賞した。
これに出演したことは、「老優」として開き直る重大な契機となった。
もし女優の「老醜」を言う者がいるなら、
絹代はそれを武器とし、
女優のための姥捨山にみずから登る覚悟を定めさせた作品だった。(略)

四十九歳の絹代は、
久し振りに和服で正装して授賞式にのぞんだ。
『楢山節考』のおりん婆さんとは打って変った絹代の艶やかな姿が人々の目を引いた。

――古川薫 『花も嵐も―女優・田中絹代の生涯』

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花も嵐も―女優・田中絹代の...文春文庫


■ 読前  
「愛染かつら」「西鶴一代女」「雨月物語」……数々の名作に出演、映画監督としても高い評価を得た大女優・田中絹代の一生を精緻に描く労作。

■ 読後  ★★★
 深沢七郎の処女作であり代表作である『楢山節考』は1957年に出版され、翌1958年木下恵介監督により映画化された。高校生だったわたしは、リアルタイムで読み、観た。木下作品は、まるで舞台劇をみるような日本の様式美と四季の色彩美に感動したのを憶えている。辰平役は若くして亡くなった高橋貞二だった。

 日本映画の最盛期だったが、監督でいえば木下恵介、黒澤明に人気があり、小津安二郎や田中絹代の“恋人”溝口健二を観る高校生などいなかった。

 当時、映画女優といえば、恋愛、結婚はタブー、容貌が衰える前に引退していた。1974年、絹代64歳、『サンダカン八番娼館・望郷』が最後の出演映画。「老いを武器とした」最初の女優である。
また当時まったく評価されなかったが、田中絹代は「お吟さま」など6作品をもつ女性初の映画監督だった。

高齢社会になった今、文字通り「老醜」をさらすタレントは後を絶たない。

■■■古川薫 『花も嵐も―女優・田中絹代の生涯』2002.2文藝春秋、2004.12.文春文庫

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