高齢化と少子化は、一つのコインの裏表のようにセットになっているのではないか。
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新聞雑誌テレビラジオに少子化対策について論じられない日はない。〔略〕
象であれ、亀であれ、長寿の生きものは、みな出生率が低いのだ。母親象が何匹もの小象を従えている映像などお目にかかったことがないではないか。
ミジンコを飼うのを無類の喜びとする人たちの観察を伺うと、生息環境に恵まれ、既存の個体が長生きいているときは、出生率が低く、逆に環境の激変にともない死亡率が高まるのと反比例するようにミジンコはたくさんの子を産む。
思えば、人間とて動物の端くれ、戦争や飢餓で死亡者が激増する時期の後に来るのは、どこの国でもベビーブームであった。〔略〕
高齢化と少子化は、一つのコインの裏表のようにセットになっているのではないか。人知を越えた、種の存続を至上命題とする人口調節機能が働いているのではないだろうか。
いまの先進国のような資源大量消費型のしかも長生きの人間が増え続けては、地球は食い尽くされて人類のみならず生き物全体の寿命を縮めることになるからだ。
―― 米原万里「長寿と子宝」『真昼の星空』
■ 読前
日本人没個性説に異議あり! など、「現実」のもう一つの姿を見据えて綴ったエッセイ集。「コミニュケーションにおいて、量と質は反比例」。軽妙洒脱な語りのなかに、生きた言葉が光る。
■■ 読後 ★★★★
書くこと以外の別の仕事をもった人が、エッセイを書き、それを何冊か本にし、やがて書くことが専業になり、エッセイストとなる。
ここまではいいのだが、やがて小説を書き、作家になってしまう。これが困る。仕事をやめ、新たな題材をインプットできないから、原稿用紙数枚のエッセイが、数百枚の小説に化ける。これが残念ながらおもしろくないのだ。
米原万里にはこのパターンを踏襲してほしくない。辛らつで滑稽な小咄のような文明論的エッセイを書き続けてほしい。
■■■ 米原万里『真昼の星空』2003.10・中央公論新社/2005.2中公文庫
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