ぼくは、「国歌」の作詞を書くかもしれない。
お気に入りのフレーズ(55)
腎臓癌の手術、そして、ひきつづいた発見された膀胱癌の治療と重なったあとでは、本気で遺書と対い合う必要があるかと思った。〔略〕
もちろん、法律でいうところの「遺書」とは全く関係がない。ぼくが思うのは強い想念の伝達であったり、時差をおいて評価の目に晒して欲しい作品といったもののことである。〔略〕
今はそれを世に出す必要の理解を得られないが、いつかやがて、日本とか日本人とかの役に立つものを、生命あるうちに書き残し、封をしておきたいという思いのものである。
たとえば、それは、あくまでも、たとえばだが、仮にそういうものを残して死ぬとするなら、ぼくは、「国歌」の作詞を書くかもしれない。
―― 阿久 悠 『生きっぱなしの記』
■ 読前
歌は言葉。今日も書く、死ぬまで書く。真空の時代に言葉をなくした日本人へ。
■■ 読後 ★★★
「ざんげの値打ちもない」北原ミレイ「また逢う日まで」尾崎紀世彦「どうにもとまらない」山本リンダ「ジョニーへの伝言」ペドロ&カプリシャス「時の過ぎゆくままに」沢田研二
「北の宿から」都はるみ「青春時代」森田公一とトップギャラン「ペッパー警部」ピンク・レディー「津軽海峡・冬景色」石川さゆり「舟歌」八代亜紀
と阿久悠の歌を並べてみると、歌は「未知の人々に対して時代の気分を発信するもの」というのがうなずける。この10曲、いずれも1970年代に流行ったものである。
掲出した部分にあるように、著者は癌手術のために入院し、そこでテレビ画面で9・11の光景を見る。
「世界という大宇宙と/ぼくという小宇宙が/歴史的に重なったことを感じる」
『日本経済新聞』に連載された「私の履歴書」に書き下ろしを加えたもの。低いトーンで静かに、著者の言葉でいえば「慎みを大切にし始めた文体」で綴った自伝である。著者の「国歌」を知りたいものだ。
■■■ 阿久 悠 『生きっぱなしの記』2004.5・日本経済新聞社
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