しかし、どんな立派な家を作ったところで、町に活気がなけりゃ、あきてくる
―― 嵐山光三郎 『日本百名町』
しかし、どんな立派な家を作ったところで、町に活気がなけりゃ、あきてくる。建設物は、その人の経済力によりいろんなのがあるだろうが、町が大切なのだ。
ムカシはいい家に住みたいと思った。
いまはいい町に住みたいと思う。〔略〕
時代の気分は、こういうふうに変ってきた。日本百名町というタイトルを思いついた背景には、こういった思い入れがある。
都市だろうが地方だろうが、生きている町で暮らしたい。
★★★
本書にこういう記述がある。
「ぼくはムカシ、『現代詩手帖』や『美術手帖』に文明論を書いていて、それがデビューだった。そのころのぼくの記事を読んで、それを覚えている人物なんて日本に、七、八人しかいないはずだ」
著者が『現代詩手帖』に「祈祷師」という肩書でエッセイを書いていたことを覚えているから、私は日本に、七、八人しかいないデビュー当時からのファンということになる。
というわけで、あいかわらず才能を「浪費」し続ける嵐山光三郎の「日本百名町」というアイデア商品である。ちなみに私が住む兵庫県では、神戸市南京町、明石市人丸町、(豊岡市)城崎町が選ばれている。異論もあろうが、まずまず、か。
ここでは、本書「日本名町紀行」中の著者の俳句を掲出する。
*晩秋の駅弁売りの声高し
*ディーゼルや一駅ごとの紅葉かな
*窓あけて風吹きいれよ秋列車(以上、北海道)
*勝浦の朝市で買うあじひらき (房総)
*冷奴はじめに水の甘さあり
*甲斐駒は入道雲のような山(以上、甲斐)
*ひとすじの鉄路のさきは冬の海
*おとこひとり冬のしぶきのなかを行く
*日のにおい古き大社の寒さかな(以上、山陰)
■ 嵐山光三郎 『日本百名町』2005.4・光文社知恵の森文庫
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