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2005.05.06

しかし、どんな立派な家を作ったところで、町に活気がなけりゃ、あきてくる

2005

―― 嵐山光三郎 『日本百名町』

 しかし、どんな立派な家を作ったところで、町に活気がなけりゃ、あきてくる。建設物は、その人の経済力によりいろんなのがあるだろうが、町が大切なのだ。

 ムカシはいい家に住みたいと思った。

 いまはいい町に住みたいと思う。〔略〕

 時代の気分は、こういうふうに変ってきた。日本百名町というタイトルを思いついた背景には、こういった思い入れがある。

 都市だろうが地方だろうが、生きている町で暮らしたい。

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★★★

 本書にこういう記述がある。

「ぼくはムカシ、『現代詩手帖』や『美術手帖』に文明論を書いていて、それがデビューだった。そのころのぼくの記事を読んで、それを覚えている人物なんて日本に、七、八人しかいないはずだ」

 著者が『現代詩手帖』に「祈祷師」という肩書でエッセイを書いていたことを覚えているから、私は日本に、七、八人しかいないデビュー当時からのファンということになる。

 というわけで、あいかわらず才能を「浪費」し続ける嵐山光三郎の「日本百名町」というアイデア商品である。ちなみに私が住む兵庫県では、神戸市南京町、明石市人丸町、(豊岡市)城崎町が選ばれている。異論もあろうが、まずまず、か。

 ここでは、本書「日本名町紀行」中の著者の俳句を掲出する。

  *晩秋の駅弁売りの声高し

  *ディーゼルや一駅ごとの紅葉かな

  *窓あけて風吹きいれよ秋列車(以上、北海道)

  *勝浦の朝市で買うあじひらき (房総)

  *冷奴はじめに水の甘さあり 

  *甲斐駒は入道雲のような山(以上、甲斐)

  *ひとすじの鉄路のさきは冬の海

  *おとこひとり冬のしぶきのなかを行く

  *日のにおい古き大社の寒さかな(以上、山陰)

  

        嵐山光三郎 『日本百名町』2005.4・光文社知恵の森文庫

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