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2005.05.13

自分たちは忙しくてできないが、その代りを巨泉がやってくれている。

2005

――『ゲバゲバ70年! 大橋巨泉自伝

   *
 帰国後の(一九八五年)九月二十七日、金曜日、ボクは最後の『11PM』 に出演した。ボクをタレントとして世の出してくれた、一生忘れ得ぬ番組であるが、もう番組に寿命が来ていた。

 六〇年代から七〇年代、日本の奇跡的高度経済成長を支えてきた男たちの憩いの場所であったと自負している。自分たちは忙しくてできないが、その代りを巨泉がやってくれている。仕事に疲れて帰宅し、ビールをやりながら見て、明日の活力を得た。〔略〕

 しかしそのころサブカルチャーだったものは、ほとんどすべて市民権を得てしまった。今やのちに「バブル」といわれる超好況に向かってまっしぐらの日本人は、自分たちでなんでもできるようになっていた。

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★★★★

 たしかに釣り、ゴルフ、競馬などの遊び、仕事をやめてセミ・リタイア、熟年海外居住など、巨泉流ライフスタイルは時代を一歩先んじていた。その大橋巨泉(1934年生まれ)の自伝。

 なにしろ大橋家の犬の歴史まで記述しているから、500ページの大冊。なにより細部まで具体的なのがいい。テレビ揺籃期のバラエティなどは、これまで小林信彦の本を通じて知っていたが、当時のテレビの裏舞台が熱気を帯びて伝わってくる。

 ところで巨泉という芸名は、じつは10代のころからの俳号。早稲田大学俳句研究会のメンバー。加藤楸邨の「野太い人間臭と抒情性」に惹かれて、「寒雷」に投句したり楸邨宅の句会にも参加したという。

  浴衣着ていくさの記憶うするるか
  恋失ひ歩めばバッタ跳びつきぬ
  花冷えや学問をする灯をともす (以上、早大俳研句集「稲城」)

  稲妻やひそかの祈る無頼の子
  菊匂い匂えど母の遠さかな
  心あてに母の名呼ぶや霜の声 (以上、“母の死”)
  君と居て鵙啼きやんで寒くなりぬ

■ 大橋巨泉『ゲバゲバ70年! 大橋巨泉自伝』2004.3・講談社


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