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2005.05.09

ダイスの用途は、二つしかない。神事つまり御託宣であり、賭奕であった。

2005  

―― 森巣 博 『ろくでなしのバラッド』

 ベルリンの博物館にも、私の好きな展示物がある。紀元前一五七〇年のエジプト・セベスのダイス(骰子・さいころ)である。これは、現在私たちが賭博で使用するものと、まったく同一である。「完成された型」だ。

 ダイスの起源は、もう霧中だ。人間が石器を持って大型動物を殺しだした頃、とする説もあれば、いや、それ以前である、とする説もある。大型動物の距骨に記号が彫り込まれているものが見つかっている。とにかく古いのである。「紀元前」などという言葉が意味を持たないほど古い。

 ダイスの用途は、二つしかない。神事つまり御託宣であり、賭奕であった。

 カシノ賭博でダイス(骰子・さいころ)だけを使用するゲームはふたつある。クラップスと大小(タイサイ、あるいはシック・ボーと呼ぶ)である。

074-morisu ★★★

 大小(タイサイ)については本書にくわしい説明があるが、要は3つのサイコロを振り、サイコロの目の出方を予測する中国式ゲーム。もっとも単純なのは、3つのサイコロの目の合計が、大(1117)か小(410)かで賭ける。

1990年、返還前のマカオ、ホテル・リスボアのカジノでやったことがある。沢木耕太郎の『深夜特急』に、大小にとりつかれ、マカオに居続ける模様が書いてあり、それに惹かれて出かけたのだった。なるほど、やり始めると、とまらない。

 

 掲出部分はダイスについて薀蓄を傾けているが、この「第6章 わが忘れなば」は大小(タイサイ)にまつわるエピソードが語られる。毎日曜の朝四時すぎにカシノに現れる「美しい、きれい、を七回ほど繰り返したい」ジェニイという女性のストーリーである。

 本書は、森巣博のデビュー作である『博奕の人間学』(1997.8・飛鳥新社)が元本で、文庫化に際し改題されたもの。古書店でようやく見つけた。

■ 森巣 博 『ろくでなしのバラッド――人間は賭けをする動物である』2000.8・小学館文庫

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