« 本売れずただ打水をするばかり | トップページ | 「これが壷や絵画なら息子たちも高うに売ることができるんですが」 »

2005.05.11

一言ぐらいしかセリフがなくても、僕がステージの隅っこにいることにも、それなりに意味はある。

2005

―― 高木ブー 『第5の男』


   *
 昔のVTRを見ていると、コントによっては、僕の存在が邪魔なんじゃないかと思うことがある。長さんに対して加トちゃんや志村がいさえすれば、オチになるんじゃないかと……。

 でも、トータルで見てみると、それはやっぱり違うような気がする。志村たちがばかなことをやっているのを引き立たせるためには、僕のような存在が必要なのだ、きっと。

 たとえ、一言ぐらいしかセリフがなくても、僕がステージの隅っこにいることにも、それなりに意味はあるということだと思う。

   *

076-takagi

★★
 ドリフターズ第5の男・高木ブー(1933年生まれ)の自伝。16年間続いた「8時だヨ! 全員集合」の終了の記者会見での彼の名言。「これからもドリフのお荷物でいたい
 
 いかりや長介『だめだこりゃ』や志村けん『変なおじさん』に比べると、「何もやらない男」ゆえ内容が平らなのはやむをえないか。しかしピークを過ぎた後の仲間5人を比べ、人生の勝者である、という自負がのぞく。

 ある作家(たぶん筒井康隆ではなかったか)の小説作法で、テンションをおとしただれぎみの退屈な章を設けるのが長編の秘訣、と読んだ記憶がある。さしずめ高木ブーはそういう存在で、ドリフターズの人気を支えていたということだろう。

■高木ブー 『第5の男――どこにでもいる僕』2002.5・朝日新聞社



|

« 本売れずただ打水をするばかり | トップページ | 「これが壷や絵画なら息子たちも高うに売ることができるんですが」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 一言ぐらいしかセリフがなくても、僕がステージの隅っこにいることにも、それなりに意味はある。:

« 本売れずただ打水をするばかり | トップページ | 「これが壷や絵画なら息子たちも高うに売ることができるんですが」 »