« 一言ぐらいしかセリフがなくても、僕がステージの隅っこにいることにも、それなりに意味はある。 | トップページ | 自分たちは忙しくてできないが、その代りを巨泉がやってくれている。 »

2005.05.12

「これが壷や絵画なら息子たちも高うに売ることができるんですが」

2005

―― 『桂米朝 私の履歴書


   *

 平成8年春、重要無形文化財保存者、いわゆる人間国宝に認定された。〔略〕

 それにしても歌舞伎、文楽などの人間国宝と比べるといかにも落ち着きがよくない。落語はしょせん世間をちゃかす芸であって、笑われてなんぼだ。「国宝になってもならいでも同じことですので気安うに」とお願いして回ったくらいだ。〔略〕

 私もテレビの取材でこんなことを口走った。「これが壷や絵画なら息子たちも高うに売ることができるんですが、この国宝ばかりは売れまへん」

*  

077-beityou


 
★★★★

 突出した吉本興業や企画力のない大阪のテレビ局……、という現在とは異なる、大阪の大阪らしかった時代、とくに昭和30年代の上方落語の夜明け前の記述に魅かれた。桂米朝(1925年生まれ)の自伝である。

 正岡容門下が中心の東京やなぎ句会で八十八の俳号で句作する米朝は、じつは子どものころから俳句をつくっていたという。以下、旧制姫路中学時代の句。

  蜩や残照谷の水ゆるる
  棟上の祝いありけり桃の村
  青を沈めて晩春濠の重さかな (姫路城)

 つぎに、角川書店編『新版 季寄せ』に採録されている句。
  含みある医者の言葉やなめくじら
  仕事やや閑あれば秋ゆくという
  祇園うら年増ばかりの針供養

■桂 米朝 『桂米朝 私の履歴書』2002.4・日本経済新聞社

|

« 一言ぐらいしかセリフがなくても、僕がステージの隅っこにいることにも、それなりに意味はある。 | トップページ | 自分たちは忙しくてできないが、その代りを巨泉がやってくれている。 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「これが壷や絵画なら息子たちも高うに売ることができるんですが」:

« 一言ぐらいしかセリフがなくても、僕がステージの隅っこにいることにも、それなりに意味はある。 | トップページ | 自分たちは忙しくてできないが、その代りを巨泉がやってくれている。 »