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2005.06.14

あらゆるトリックに前例があって不思議ではない。

2005

―― 北村 薫 『ミステリは万華鏡』

    *
 前例があると知っていたら、書くことはできない。当然のことだ。しかし、誰しも、全てのミステリを読んでいるわけではない。となれば前例のあるトリックを使った作品も、当然、生まれ得る。
 困ったことだろうか。――わたしには、これが、ある意味でよいことにも思える。〔略〕
 
 人間の考えることなら、必ず、他の人間も考える。あらゆるトリックに前例があって不思議ではない。勿論、書き手なら、常識的なものに関しては(それがどこまでか、は問題だが)知っていて当然だろう。しかし、知り過ぎたおかげで、生まれるべき作品が闇に葬られてしまうこともある。〔略〕

 読者として正直にいうなら、こんな時には、<もったいない。知らずに書いてくれればいいのに>と思う。知らない方がいいこともある。トリックはあくまでも、作品の<全て>ではなく、一つの<要素>に過ぎない。読み手のほうは、それがいかに料理されるかが楽しみなのだ。
    *

099-kitamura

★★★
 「知的快楽とマニアックな喜びに満ちた」本格派好みのミステリ・エッセイ集。

 北村薫が「空飛ぶ馬」でデビューした1989年、わたしは原寮「私が殺した少女」、佐々木譲「エトロフ発緊急電」を読んでいた。翌1990年、北村薫が「夜の蝉」を発表した年、わたしは志水辰夫「深夜ふたたび」、大沢在昌「新宿鮫」を、さらに1991年、北村薫「秋の花」の年、わたしは高村薫「黄金を抱いて翔べ」、同「神の火」を読んでいた。

 つまり、北村薫のミステリを読んだことがない。「落語家と女子大生の探偵コンビ」の本格ものでは食指が動かなかった。クセのない端正な読みやすい文章も、ミステリの文体としては好きでない。同じころデビューした宮部みゆきもその文体が好きでない(逆に、若い人はこういう文章でないと読めないのだろう)。

 しかし、本書の別のところに、以下の記述がある。
「本格にとって、最も大事なのは、トリックでなければ論理でもない。その素材を扱う人間の心の震えである。それが、物語と結びついた時、<本格推理小説>が生まれる」
 こういう文章にであうと、読んでみたくなりますねえ。

■ 北村 薫 『ミステリは万華鏡』 1999.5・集英社/2002.9・集英社文庫・4087474879

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