■ 北園町九十三番地――天野忠さんのこと|山田稔
天野さんはまたその日、こうも語った。物書き、とくに名の通った物書きのこわいところは、老いてから書けなくなることでなく、抑制がきかなくなって、下らない作品をつぎつぎと書くことだ。老人性冗舌、表現における失禁。書かずにいるというのは、努力の、辛抱のいることなのだ。
老い且つ病んだいま、後に恥じることのない完璧な作品が書けぬのなら、沈黙を守ろうと天野さんは決心しているように見えた。
死後に出版された遺稿随筆集『草のそよぎ』に、「永井荷風は晩年まで……」(仮題)という一文が収められている。
晩年に下らない小説を書いた永井荷風と、ほとんど作品を発表しなかった志賀直哉をくらべた後で、つぎのように書く。
「作者という者は、たとえば、老令で思うように筆が運ばなくなったら潔く筆を捨てて、作家たることをやめてしまうことが出来ないものか、役者が舞台の上で死ぬことを何よりの本望と願うことが、いいことなのか、愚かしいことなのか、私には判断がつかない」
■ 北園町九十三番地――天野忠さんのこと|山田稔|2000年9月|編集工房ノア|ISBN:……《絶版》
★★★★
《キャッチ・コピー》
エスプリにみちたユーモア。ユーモアにくるまれた辛辣さ。巧みの詩人、天野忠の世界を、北園町の自宅に遊びに行ったそのときどきを思い返す形で描く。
《memo》
無 言
天野 忠
お前がころっと逝ってしもうて
秋風が吹いてきたいうのに
まだ
うちの貧相な薮蚊が刺しよる。
じゅつないこっちゃ。
な、
富士よ。
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