■ 戦争の世紀を超えて――その場所で語られるべき戦争の記憶がある|森達也/姜尚中
姜 アメリカは戦争をしながら絶えず平和を絶叫しているし、一見すると平和に見える状態の中で戦争が続いていて、しかもそれに対してほとんど痛棒を感じない。
そういう時代にテクノロジーが進化して、メディアの中の戦争になってしまっている。人々はメディアの中でしか戦争を知らないし、ブッシュ・ジュニアだってベトナム戦争にも行かなかったわけで、彼は戦争を知らないんだよね。
森 野中広務のような古い政治家、おれたちは戦争を知っているから絶対それには反対するんだという、親父的な政治家たちの世代が終わったときに……、もう終わりかけていますが、日本はどうなっちゃうのだろうと僕は不安です。
強硬派はなぜか二世や三世議員に多いんですよね。戦争に対して、これから僕らがどうリアルに感知力を持てるのか、想像力を持てるのかという問題です。〔…〕
同時に、忘却は罪だとの意識ばかりが先走って、被虐の歴史がさらに濃密に語り継がれる。恨みばかりが記憶に刻印される過程に、リアルさが消える過程が重複すれば、これはもう次の戦争の準備みたいなもので、当然連鎖は止まらないわけです。
――「第4章 そろそろ違う夢で目覚めたい」
■ 戦争の世紀を超えて――その場所で語られるべき戦争の記憶がある|森達也/姜尚中|講談社|2004年11月|ISBN:4062126699
★★★
《キャッチ・コピー》
20世紀後半の戦争の時代から、世界は、終わりなきイラク戦争で21世紀を迎えた。神でも悪魔でもない、その中間に宙吊り状態になった「人間」のさまざまな情念を、アウシュビッツなどの戦跡をめぐりながら見出す旅。
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