■ 生の傾き|山田稔
こんど読みかえしてもっとも胸を打たれたのは、つぎのようなくだりだった。
「今日、黄金色の太陽の光を浴びて散歩していたとき(もう秋も終わろうという、暖かい静かな一日だったが)、ふとある考えが浮かび、私は歩みをとどめ、一瞬間ほとんど呆然としてつっ立ったままであった。
私は呟いた、<自分の生涯は終わった>と。考えてみれば、この単純な事実にはもっと前からはっきりそれと気がついておるべきはずであった。」〔…〕
当時、ライクロフトは五十三歳ということになっている(ギッシングは四十なかば)。当時としてもまだそう高齢ではあるまい。そのライクロフトが自分の生涯は終わったと感じ、過ぎ去ってしまった人生をふり返るのである。そして、なんとつまらない人生だったか、と笑い出したくなるが、かろうじて微笑するのみである。そしてつぎのように書く。
「微笑することはよいことだ。――自嘲的でなく、じっと我慢して、あまり自己憐憫にかられないで微笑することは一番いいことだ。」
――「ヘンリ・ライクロフト――または老いの先取り」 ■ 生の傾き|山田稔|編集工房ノア|1990年08月|ISBN:…… ★★★ 《キャッチ・コピー》 桑原武夫、田宮虎彦、阿部昭、富士正晴ら、師や友の死、書物や仲間との思い出。孤独なもの、ひそやかなものへの共感。
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