■ 汽車旅放浪記|関川夏央
人は誰でも二十五歳までにすごした文化から自由になれない。
それは檻のごときものだ。流行音楽はビートルズかせいぜいサザンオールスターズまでしか理解できず、マンガは「こまわり君」までしかわからない。芥川賞だけは気にしているが、いざ読めば、何だこれは、不潔だ不快だ、こんなもの文学ではない、などと騒ぐ。進歩的言辞七割、処世訓三割の説教を好む。
そのくせ自分が退職するまで会社がもてばいいや、と勝ち逃げの態度が明白だから、説教にも初老「鉄ちゃん」はかわいいか説得力がともなわない。
私は自分の体臭のなかに、おじいさんのにおいを嗅ぐことがある。しかし、本人の気分はまだ三十五歳なのである。この客観像と自己像のずれの中に悲劇はひそんでいる。どの時代にもそれはあっただろうが、必要以上に老成を嫌い、必要以上に若さを価値と信じた分、「団塊」の衝撃は深いのである。
――「初老「鉄ちゃん」はかわいいか」
■ 汽車旅放浪記|関川夏央|新潮社|2006年06月|ISBN:4103876034
★★★
《キャッチ・コピー》
漱石が、清張が、そして宮脇俊三が描き、人々に愛された鉄道路線の数々―明治期の国鉄、満鉄、そして日本各地を巡るローカル線まで、読んで、乗って、調べて、旅する楽しい時間旅行。
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