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2007.02.28

■ 禁煙の愉しみ|山村修

20070228kinenyamamura

なぜなら、禁煙は味わうに足る人生の快楽であるからだ。

思えば嗜好品として、煙草こそは先人の知恵によって生まれた最高傑作の一つである。ニコチンを摂取するのに、水に溶かして飲むのでもなく、肌から擦りこむのでもなく、もちろん注射するのでもなく、何と火をつけて煙にしたものを吸う。吸った煙は吐き出す。

すなわち呼吸という身体にとって基本中の基本である営みとともに摂取させることを、先人は考えたのだ。すばらしい知恵ではないか。薬物の吸収法として、これほどに自然なものはない。

しかし、もしかすると、その先人たちは禁煙することの快楽まで見通していたのかもしれない。禁煙者は、喫煙者も非喫煙者も知らないことを知っている。ニコチンへの渇きによる暮らしの収穫を知っている。恥をかくことも知っている。その恥をもふくめて、ニコチンをめぐる事件のあれこれを晴ればれと祝う心地も知っている。そんな快楽まで見越して煙草を考え出したのではないか。

― 禁煙に乾杯

■ 禁煙の愉しみ|山村修|新潮社|2000 10月|文庫|ISBN9784102900376

★★★

《キャッチ・コピー》

禁煙するのは健康のためでもなく、社会的圧力のためでもない。味わうに足る人生の快楽である、という著者が、自身の体験談もまじえながら、禁煙について語る。

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