■ 気晴らしの発見|山村修
この世の薬という薬のなかで、たった一つ、私が好きといえる薬がある。目薬である。これは理想の薬といってもよい。
あの透明な、清冽な、水のしずく。なかなか落ちず、目の上でプルプルふるえながら、ついに瞳に落ちてくる、その瞬間のひんやりとするショック。
子どもの頃、目薬をさす大人を見てふしぎな気がしたものだった。まず、目が疲れるとか乾くとかいう感覚が分からない。それに怖くないのだろうか、目に直接、薬をしたたらせるなんて。
いまでも目薬をさすとき、その幼い、ささやかなスリルを味わう。同時にまた、たちまちにひろがる潤いの感覚を味わう。あらゆる薬が目薬のようであったなら、どんなにいいだろう。
肝臓がわるい――、透明な水のしたたりを飲む。皮膚病に苦しむ――、水をそっと皮膚の上に流す。割れるような頭痛がする――、澄んだ水に指を浸して額にあてる。それだけで回復してしまう。すべての痛みや苦しみが水の潤いによって消えてしまう。
――第5章 気晴らしの日々
■ 気晴らしの発見|山村修|新潮社|2004年 03月|文庫|ISBN9784101435213
★★
《キャッチ・コピー》
心の不調なときにこそ、人は心の謎に近づくのかもしれない―。突然始まった不眠に続き、手足のしびれ、呼吸と心拍の異常、寒気などの強度のストレス症状にとまどい苦しむ「私」。
ストレスから抜け出そうとする試み自体が、またストレスとなる堂々めぐりの日々の果て、思いがけず「私」が辿り着いた場所とは。健康と不健康のあやうい境界に立った者だけが知る、心の新たな地平を探る。
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