■ 隅っこの「昭和」――モノが語るあの頃|出久根達郎
紐でくくった手紙の束が出てきた。私宛のものではない。昔、お世話になったかた(故人)に出した、私の手紙である。
どうして自分の手紙が、あるのか?
謎はすぐに解けた。束の中に、恩人の奥様からの手紙が入っていた。
故人の遺品を整理なさっているうちに、私の手紙を見つけ、返して下さったのである。〔…〕
私は若き日の自分の手紙を前にして、考え込んでしまった。
私どもにも、子がいない。私たちが亡くなれば、この手紙もゴミにされるに決っている。私と恩人との交流を知る者もいなくなる。
人生とは、そんなものであり、何事も一代限りであろう。残す必要はないのである。
老いの仕度とは、思い出の一つ一つを片づけていくことなのだ。
未練を残さぬ、というのは、そういうことなのであろう。老いるとは死と隣り合わせになることである。従って老いの仕度は、死の準備にほかならない。
どんな人も死は身ひとつで迎える。
――「手紙」
■ 隅っこの「昭和」――モノが語るあの頃|出久根達郎|角川学芸出版/角川書店|2006年 06月|ISBN:9784046210807
★★★
《キャッチ・コピー》
モノの欠乏から戦後は始まり、モノが過剰に出回って昭和が終る。ちゃぶ台、手拭い、蚊帳、肥後守…。モノを通して、昭和の時代と暮らし、人情に触れる、モノ語りエッセイ。
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