■ 〈狐〉が選んだ入門書|山村修
1981年の正月、夕刊紙「日刊ゲンダイ」の編集部にいる私の友人が遊びにきて、書評を書けとそそのかしました。書評する本も自分でえらんでかまわないといいます。分量は八百字ほどですが、週に一度の連載です。
私はとんでもないといいました。そのころの私は、まだ、サラリーマンにそんな時間があるわけがないと信じていました。書評を書くには、まず本を読む時間が要る。執筆のめに調べものをする時間も要る。そして執筆時間が要る。毎日、帰宅してから、それだけの時間がつくれるはずがない。はじめは断りました。〔…〕
いや、なによりも、時間とはつくりだせるものだ、ということを知りました。必須なのは、本に対する関心です。読みたい、知りたいというわくわくするような欲求です。それらさえあれば、たとえかつかつでも、なんとか時間をつかみだすことができる。
サラリーマンだからよかったのです。サラリーマンとしての仕事と、本を読んで書評を書く仕事とは、それぞれ画然と異なる別世界に属することです。
だから毎夜、帰宅すれば自室のなかにべつの時間がひらく。たとえば物理的な一時間が、関心と欲求とを動力にすれば、じっさいに倍にもつかえる。その動力をフル回転させれば、三倍にもつかえる。サラリーマンとしての時間から、あたうかぎり遠い、ふしぎに自由でうれしい時間です。
――「私と〈狐〉と読書生活と――あとがきにかえて」
■ 〈狐〉が選んだ入門書|山村修|筑摩書房|2006年 07月|新書|ISBN9784480063045
★★★
《キャッチ・コピー》
ある分野を学ぶための補助としてあるのではなく、その本そのものに、すでに一つの文章世界が自律的に開かれている。私が究極の読みものというとき、それはそのような本を指しています。そして、そのようにいえる本が、さがしてみれば、じつは入門書のなかに存外に多いのです。
《memo》
〈狐〉と末尾に記した「日刊ゲンダイ」での毎週の連載は、2003年7月末まで、じつに22年半続くことになる。
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