■ 『坊ちゃんの』時代 第三部 かの蒼空に
自然主義は正直と正確な描写を旨とするのだが、もともと正直も正確も主観的悪意的なものでしかない。そのうえ彼らは、自分は醜いというときにも飾るのである。醜さの告白に酔って、歌うように語るのである。
啄木はそのような原理を本能的に知っていたから、当世風に正直であろうとはつとめなかった。「北海道放浪」以来の辛苦を経たのちも必ずしも気どり屋の癖は抜けず、底の抜けた柄杓のような性格を繕うこともできなかったが、表現を神聖なものと考える態度は大いにやわらいだ。
その結果、ほとんどいい捨てるように口をついた、つくるという意図の希薄な短歌には、さりげないが本質的な生活者の感慨があらわれた。それこそが眉根にしわを寄せた自然主義作家の大多数を歴史のひだにまぎれこませ、「泣き虫で生意気な」啄木を不滅にした理由である。
――「かの蒼空に」について
■ 『坊ちゃんの』時代 第三部 啄木日録・かの蒼空に|関川夏央/谷口ジロー|双葉社|1992年1月|ISBN: 4575932817
★★★★
《キャッチ・コピー》
借金とその算段は、啄木の人生の主要な一部であった。生活の破綻と消費へのあらがい難い衝動。小説は完成せず、短歌ばかりが口をついてでる。
蒼空に紛れた青年、啄木の心象に現代日本の閉塞感を重ねて映す。関川夏央・谷口ジローの黄金コンビが描く明治の彷徨、佳境へ。
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