■ 狐の読書快然|狐
両手で書く。読むことが身体の仕事なら、書くこともやはり身体の仕事である。私にとってキーボードを叩くことの――あえていえば快楽は、カチッカチッと硬質な音を立てながら、十本の指のすべてを運動させることにある。〔…〕
少年の日に見たアメリカ映画に、一人の従軍記者が戦闘のあった草原にどっかりと坐り、肩に担いだタイプライターを下ろしてキーボードを激しく叩きはじめるシーンがあったのを覚えている。
軍服の袖をまくり上げ、太い腕をあらわにした従軍記者は、どうやら草原での戦況をタイプしているらしい。季節は夏。陽射しがひどく暑そうだ。十本の指を躍らせる力強いストロークにキーボードはバシャバシャと凄まじい音を立てていた。〔…〕
ところが残念至極なことに、私は二本指でしかキーボードを叩けなかった。右手の人差し指と中指だけをつかう二本指打法は、映画の中の従軍記者が見せたような十本指の自由なストロークとは似ても似つかなかった。新しいコンピューターを買ってみても、私はあいかわらず度しがたくグズで、不器用だった。
あの従軍記者はボクサーのようでもあり、またピアニストのようでもあった。
――「両手で書く」
■ 狐の読書快然|狐|洋泉社|1999年07月|ISBN4896914007
★★★
《キャッチ・コピー》
妙手のブックレビューと「読むこと」・「書くこと」をめぐる快いエッセイ。日刊ゲンダイで18年にわたって続けられてきたブックレビュー。そして、これまで決まり切った語られ方しかされてこなかった、本を読む姿勢、あるいは書く態勢について、あえて論じた快い“読・書”エッセイ。本を読み、そして書くということは、これほどまでに深い快楽を得られる行為なのだ。
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