■ 戦後性風俗大系――わが女神たち|広岡敬一
戦争終結から十日後、街の看板と新聞に募集広告が出た。
「戦後処理の国家緊急施設の一端として駐屯軍慰安の大事業に参加する“新日本女性”の率先参加を求む。女子事務員募集、年齢18才以上25才まで。宿舎、被服、食料全部当方支給」
広告主は、銀座に本部を置くRAAという団体だった。実体はわからないが、「就職できたとしたら夢みたいな話だわ」とメアリーは面接会場を訪れた。一日の応募者三百人以上。RAAという団体は、じつは「特殊慰安婦設備協会」の略称で、募集事務員とは〝進駐軍専用の娼婦″のことだったのである。〔…〕
二十年八月十九日。敗戦から四日後。東久適内閣が誕生してから二日目。副総裁の近衛文麿公が坂信弥警視総監に対し、「君が先頭に立って、日本の娘の純潔を守ってくれ」と懇願している。しかし、現実の対応はそれよりも早く、警視庁が花柳界の業者代表と進駐軍慰安設備の打ち合わせを終えたのは、その前日だった。〔…〕
東京の花柳界の代表は、これに応えて八月二十六日、「特殊慰安婦設備協会」を正式に設立。資本金一億円。うち五千五百万円は、大蔵省の保証で勧業銀行が融資。施設の建設資材や営業に必要な什器に布団、慰安婦の衣服は、東京都と警視庁が提供した。
そこには百十万ダースものコンドームも含まれている。
翌二十七日には大森海岸の料亭「小町園」を慰安所第一号に指定して、開業の準備を始めた。
■ 戦後性風俗大系――わが女神たち|広岡敬一|小学館|2007年 03月|文庫|ISBN:9784094060065
★★★★
《キャッチ・コピー》
戦後の風俗地帯に入り込んだ著者が洋娼・吉原の女・ストリッパー・トルコ嬢たち27人との文字どおり“裸の付き合い”を描いた交友録である。最初は仕事としてだが、やがて風俗の世界の女性たちに「内側」の人間として認められ、普通なら許されるはずのない6万カットの写真も撮った!厳選された213枚はまさに貴重な戦後性風俗の資料である。
《memo》
詳細な「戦後性風俗年表」(1945年~1998年)や風俗写真が貴重。
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