塚本邦雄■ 世紀末花伝書
ねがはくは花のもとにて春死なんそのきさらぎのもちづきのころ
有名歌を言ふなら、「花のもとにて春死なん」は第1位かも知れない。だが、俊成は遠慮会釈もなく、ずばりと一言「うるはしき姿にはあらず」と評し去った。俗気紛々だとの意である。辺幅を飾らず、心の欲するままに言葉に現すのを歌の極意といふのも限度がある。この磊落振りが鼻につくとでも言ひたかったのだらう。〔…〕
問題作、うるはしからぬ姿の「花のもとにて春死なん」を歌合36番の第7番左において3年後、1190年の2月16日、予告通りの当日、彼はものの見事に入寂した。
否、死んでみせたと言ふべきだらうか。陰暦2月半ば、まさに桜花爛漫の李、しかも確に望月と来ては、後世のわれわれさへ唖然とする。口碑、伝説のたぐひなら知らぬこと、これは厳然たる歴史的事実なのだからほとほと恐れ入る。
天文学上の望月は必ずしも「十五夜」ではない。年により、月によって異同あり、文治6年2月は16日がまさにその日であったことが、俊成家集「長秋詠藻」にも、定家歌集「拾遺愚草」にも、歴とした傍証的記事が残されてをり、ふと、企みに企らんだ末に、巧妙に自然死に見せかけて自殺を試みたのではないか、と邪推したくなる。
歌聖伝説、超人的御上人信仰はこのあたりからも発生したのかも知れない。
――「花の下にて春死なん」
■ 世紀末花伝書|塚本邦雄|文藝春秋|1993年 12月|ISBN:9784163482903
★★★
《キャッチ・コピー》
パリに花を踏み、バスクに月を惜しむ時に実朝の悲歌に浮かぶは夭折の詩人、李長吉の面影か―。切実に、だが微笑をまじえつつ贈る著者鍾愛の世紀末の芸術。
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