内田樹■ 9条どうでしょう
「普通の国」になりたいという改憲派の祈りを私は軽視するつもりはない。けれども、彼らが求めるものは改憲によっては達成できないという見通しは告げなければならない。
「普通の国」になるというのは、「奴僕の国」であることを止めるということである。日本の場合、「普通の国」であるための論理的条件とは、アメリカを含むすべての国と戦争をしたいときには戦争することができる権利を留保することである。
だから、「普通の国」となった日本にとって最初の政治日程は、日米安保条約の廃棄と、駐留米軍基地の返還要請と、核兵器開発になるはずである。
九条を棄てた後も、日米安保は堅持されるし、米軍基地もそのまま置かれるし、核開発などもってのほかと言うのなら、日本の「従属国」的本質は改憲によって少しも変わらなかったことになる。
それは、「普通の国」になれないということと憲法九条の存在の間には論理的な関係がないということを意味している。
私はむしろ「普通の国」になるチャンスは憲法九条を維持している場合の方が高いのではないかと考えている。
――内田樹 「憲法がこのままで何か問題でも?」
■ 9条どうでしょう|内田樹/平川克美/小田嶋隆/町山智浩|毎日新聞社|2006年03月|ISBN:9784620317601
★★★★
《キャッチ・コピー》
護憲論も改憲論も聞き飽きた!
新しい話をしようじゃないか!!
人気沸騰の哲学者・内田樹が選んだ切れ味鋭い書き手たちによる、かつてない憲法9条論。
だれも(大きな声では)言えなかった憲法と日本の話。
《memo》
内田樹の本文中のシュミレーションの1つ。
万が一、日米安保が機能しないで、日本が侵略された場合はきわめて不幸な未来が私たちを待っている。〔…〕
数千数万の日本人が死傷し、財産が奪われ、領土が分断された場合、あとに生き残った日本人はどうなるだろう?〔…〕
日本の経済力と集団組織とテクノロジーと知的ポテンシャルのインフラの上に憎悪に満ちたナショナリズムが乗ったときに、日本がどんな国になるのか、想像するのはむずかしいことではない。〔…〕
ついに太平洋を越えて、日本を裏切ったアメリカと「差し違える」ことを何十年かかっても完遂することを全国民的な悲願とする国になることだろう。
どう考えても、これほど日本人の「忠臣蔵」的、「総長賭博」的メンタリティにぴったりくるシナリオは存在しない。(p54~55)
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