大崎善生■ 傘の自由化は可能か
二年前に十八歳で事故死した兄の現場に、花を枯らさないようにと足繁く通っていた十六歳の妹が、その場でダンプカーにはねられて死亡したという事件である。〔…〕
小学校に入りたての男の子が、何かのはずみで流されてしまった弟の靴を拾ってやろうとして貯水池で溺れ死んでしまったという事件である。〔…〕
弟の靴が池に流され、弟が泣き出す。それを救ってやろうと、勇気を振り絞って池に小さな手を伸ばす少年。毎日のように交通事故死した兄を思い、花を枯らすことが不憫で、二年間も交通事故現場に通い続けた少女。
その二人の優しさが悲しいのだ。
私は優しさとは性格ではなく、人間の行為のことだと思っている。優しい気持ちはきっと誰にでもある。それを、行為として表現することが優しさなのだと。〔…〕
しかし、である。
そんな人間の正当で美しいエネルギーの広がりを恐れる悪魔が存在するかのように、その拡散を阻止するために消滅にかかる。ときには水にときには巨大なトラックに姿を変えて。〔…〕
人間はどんなに無関係であろうと遠くにいようと、やはり何らかの影響を与えあって生きていくのだと思う。現実的に顔も性格も背恰好も知らない、この二人の行為とその結末は私に大きな影響を与えている。
しかし、だからといって、自分にできることは何もない。
君たちのことは忘れない。
ただあるとすればそれだけである。
――「優しさを忘れない」
■ 傘の自由化は可能か|大崎善生|角川書店|2006年11月|ISBN:9784048839150
★★★
《キャッチ・コピー》
駅やコンビニ、飲み屋などに、使いたい人がいつでも使用できる「自由な傘」を置いておく―一人の青年が夢見た理想的な共有システムは実現することができるのだろうか?
ナイーヴで静謐な日々の思索をつづった、爽快エッセイ集。
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