古田十駕■ こぼれ放哉
須磨寺にきてほどなく梅雨に入った。雨の日は参詣人が少なく、一日堂の庇を洗う雨足を眺めて無聊にすごした。わずかでも雨が途切れると裏の繁みから雀が飛んできて、参詣人が賽銭箱に撒いてこぼれる米粒を啄んだ。飯のお菜はくる日もくる日も供物のお下がりばかりだった。〔…〕
夕飯のあとまだ陽があるので、銭湯にいくついでに足をのばして浜まで散歩するのが愉しみになった。夕暮れていく浜を歩いていると、なにか空虚なものに満たされるような奇妙な充足感を覚えた。梅雨が明けて暑気で寝苦しくなると、夜の広い境内で月を眺めて涼んだ。大師堂の仕事の合間に秀雄は暇にあかせて句をつくり、月に百句以上の句稿を井泉水へ送った。
あすは雨らしい青葉の中の堂を閉める
雨の日は御灯ともし一人居る
鐘ついて去る鐘の余音の中
あきらかに秀雄の句作力は上達した。彼の中で堂守となって落ち着き場所をえた生活者秀雄がわずかずつ影をひそめ、句作者放哉の自覚が強くなった。いつとはさだかには言えないがこのころ秀雄は句作者放哉になった。放哉が生活者秀雄の名を意識するのは馨と小倉康政に手紙を書くときだけだった。康政への手紙を書くのは、無一文で、西洋手拭いが欲しい、切手が欲しいとあれこれ無心をする惨めな秀雄だった。
■ こぼれ放哉|古田十駕|文藝春秋|2007年02月|ISBN:9784163688503
★★
《キャッチ・コピー》
孤独と漂泊を生きた俳人の「落ちこぼれ人生」
明治エリートの道を歩みながら酒に溺れ家庭を捨て、放浪と貧窮の中に死んだ尾崎放哉を描く評伝小説。
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