荘魯迅■ 李白と杜甫――漂泊の生涯
乾元2年の初秋という時点で、李白はすでに赦免され、洞庭湖のあたりをさすらいつつ豫章へ向かおうとしていた。だが、秦州に着いたばかりの杜甫はそれを知らず、逆に李白が夜郎へ流される途中、水死したという噂を聞き、半信半疑でありながらもひどく動揺した。〔…〕
――李白が夢に入ってきたのは、友への思いに苦しむ自分を慰めるためであり、自分が李白の夢を頻りに見たのも、李白が深い親愛の心を持ってくれているからだ。
杜甫はこうして、おのれの思いを顧みては友人の心を推し量り、李白との友情を絶えず昇華させつづけたのだ。二人が天宝四年に別れて以来、時はすでに十五年も経っていた。
この連作を、杜甫は次のように結んでいる。
千秋萬歳名 千秋万歳の名
寂寞身後事 寂寞たる身後の事
あなたの英名は千秋万歳に伝わるに違いない。しかし生前の寂寞と不幸を、
いったい誰が知り得よう。
この沈痛な慨嘆には、李白への敬愛、同情、そして崇高な評価がこめられていると同時に、杜甫自身が官界で味わった挫折とそれに伴う憤激も色濃く滲み出ている。時代の狂瀾に呑み込まれて、二人の親友は遠く離れているにもかかわらず同じ寂寞を抱え、同じ不幸に苛まれてきたのである。
―第9章 果てしない漂泊
■ 李白と杜甫――漂泊の生涯|荘魯迅|大修館書店|2007年01月|ISBNN:9784469232417
★★★
《キャッチ・コピー》
権力の関わるところに、正義などあるのか? 激動の時代を生きた詩人たちの生涯を、大胆な小説的構想も交えながら骨太に描く、長編評伝。
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