« 堤 堯■ 昭和の三傑 - 憲法九条は「救国のトリック」だった | トップページ | 辺見庸■ いまここに在ることの恥 »

2007.05.24

沢辺成徳■ 無頼の河は清冽なり-柴田錬三郎伝

20070524sawabeburainokawa

『週刊新潮』はその考えの基本姿勢に“俗物”主義をおき、新聞社のつくる週刊誌の逆の手法をとって、ヒューマン・インタレストに徹した“人間”を扱った週刊誌をつくり出そうとしたのである。

とりもなおさず、重役であり『週刊新潮』の陰の軍師であった斎藤十一の考え方は、出版社の存在意義を世に問うための賭けでもあった。(〔…〕

錬三郎は『週刊新潮』の噂はきいていたけれども、自分とは無縁のことだとおもっていた。ところが、見ず知らずの斎藤十一が錬三郎の家を訪ねてきたのである。〔…〕

ようやく、錬三郎は「眠狂四郎無頼控」という題名をつくって、第一話を麻生吉郎に手渡した。しかし、その第一話はかなり狂四郎像が甘かった。斎藤十一が電話をかけて書きなおしを指示してきた。それならばとおもい、錬三郎は別な話を書いて渡した。いきなり、女を犯す悪党ぶりを披露したのである。

これが受けた。第1話「雛の首」が昭和31年『週刊新潮』58日号(第13号)に載ると、たちまち40万の読者を魅了してしまった。錬三郎自身、あっけにとられるほどの反響であった。

■ 無頼の河は清冽なり-柴田錬三郎伝|沢辺成徳|集英社|199211月|ISBN9784087728866

★★★

《キャッチ・コピー》

戦後を駆けぬけた時代小説のヒーロー「眠狂四郎」を生んだ柴田錬三郎の生涯。熱烈な愛読者が嵩じて随一の研究者となった著者が、熱き想いをこめて、その実像を豊富な資料とエピソードで綴った書。

memo

浪人の肩とがりけり秋の暮   錬三郎

*

齋藤美和■ 編集者齋藤十一

|

« 堤 堯■ 昭和の三傑 - 憲法九条は「救国のトリック」だった | トップページ | 辺見庸■ いまここに在ることの恥 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 堤 堯■ 昭和の三傑 - 憲法九条は「救国のトリック」だった | トップページ | 辺見庸■ いまここに在ることの恥 »