堤 堯■ 昭和の三傑 - 憲法九条は「救国のトリック」だった
もとより今昔の状況は違う。違うが、いかなる理由があろうとヨソ様の国に押し出してゲンコツを振るうことがあってはイケナイ、それがさきの敗戦の何よりの教訓ではなかったか。
いわんやヨソ様のケンカに関わることがあってはならない、その思いから幣原は世界で唯一のピックリ条項・戦力放棄のトリックを案出し、これを吉田が堅持した。
吉田は戦力放棄のトリックを堅持しながら、経済力に応じて「戦力なき軍隊」を蓄えた。戦力なき軍隊は「派兵」に馴染まない。だから自衛隊(Self Defense)と呼ぶ。読んで字のごとく自国・日本を守るためにある。
「武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
専守防衛の「戦争放棄」は、日本が世界に向けた保証書となる。安心感を与える。鈴木貫太郎・幣原・吉田三代のココロでもある。第二項「戦力放棄」は当用の時限立法だった。賞味期限はすでに切れている。
「知恵のない奴はまだ占領されていると思うだろう。知恵のある者は番兵を頼んでいると思えばいい。しかしアメリカが引き揚げると言い出すときが必ず来る。そのときが日米の知恵くらべだよ」
吉田がそう述べてから三十七年が経つ。
いつの日か「番兵」は立ち去る。日米安保は一年毎の自動延長だ。どちらかが延長せずと通告すれば、一年後には雲散霧消する。「番兵」なしで隣りの国々と立ち合わなければならない。吉田の言うように「隣国はわれわれの敵でもある」。幣原も言うように、「国際関係には百年の敵もなければ、百年の友もない」。
ここ数年が、日本の重大な岐路と思える。
――「敗戦処理はいまだ終わらない」
■ 昭和の三傑-憲法九条は「救国のトリック」だった|堤堯|集英社インターナショナル|2004年04月|ISBN:9784797671117
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《キャッチ・コピー》
未曽有の敗戦処理に当たった三代の宰相 鈴木貫太郎、幣原喜重郎、吉田茂は、智略の限りを尽くして占領軍アメリカに立ち向かった。
天皇制存続とバーターに押しつけられたとする「定説」を覆し、ビックリ条項に秘めた「救国の経略」を明らかにする。
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