川本三郎■ 青いお皿の特別料理
その夜、会社が終わって、一人で道玄坂の居酒屋に行った。
「あら、久しぶりね」とおかみさんが、笑顔で迎えてくれた。開店早々で、カウンターにはまだ他の客はいない。
「このあいだ、うちの庭でダリアがまた、咲いたんだ」
「そう。ダリアは、二度咲きの女王って、いうくらいだから。なにか、いいことがあるかもしれないわよ」
それから、おかみさんは、少しいいにくそうに声を落としていった。
「このあいだ、小倉さん、お店の前まで来て、入らないで帰ったでしょう」〔…〕
「申訳ない、ちょっとあってね」
「わたしじゃないの、気がついたのは。大原さんよ。ひとりで飲んでいて『あっ、小倉さん、帰っちゃった。ぼくのこと気にすることないのに』って」
彼のほうが、若い大原くんにいたわられていたのだ。
「いい人よ、あの人、若いのに」
「うん、実は、やっと、彼に再就職の話があってね」
喜んでくれたおかみさんは、熱爛をつけてくれた。その秋最初の酒が、胃に沁みた。
そのとき、ガラス戸が開いた。見ると、大原くんが笑顔で入ってきた。
――「再び咲き」
■ 青いお皿の特別料理|川本三郎|日本放送出版協会|2003年03月|ISBN:9784140054109
★★★
《キャッチ・コピー》
喜び、悲しみ、希望、挫折、思い出、恩義、成長、反省、よい気持、楽しみ、酒、新たなる一歩…「普通」の人々の淡々とした日常のなかに浮かび上がるドラマ。読後、あなたはやさしい気持に包まれるにちがいない。
《memo》
題名の「青いお皿の特別料理」とは英語のBlue Plate Specialの訳で、アメリカの大衆食堂によくある「本日の定食」のこと。
ひとつのエピソードに登場した主人公が、次のエピソードでは傍役として顔を見せる17の掌編。
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