池田晶子■ 人間自身-考えることに終わりなく
青少年犯罪の凶悪化と言われるが、あれらはもはや「凶悪」ですらないような感じがする。
「凶悪」「極悪」と言うからには、「悪」の感触、人間の気配があるものだ。犯罪というのは、その意味で、きわめて人間的なものなのだ。憎い、許せん、復讐してやる。いずれも人間の感情である。人間の体温がある。
しかし、昨今の青少年の犯罪には、どうもそれらが感じられない。「人間」の感じが欠落しているのである。短絡的、衝動的というのとも違う。衝動的という限り、感情と理屈の飛躍の部分を追うことはできるが、おそらくあれらは感情ですらない。あれは、何なのだろう。〔…〕
あるいは、通りすがりの人を殺した高校生が言ったそうだ。「世の中が嫌になった。誰でもいいから殺そうと思った」。
思春期に世の中が嫌になることは誰にでもある。しかし、以前ならそういう時は、自分が死んだのではなかろうか。世の中が嫌になった、だから自殺した、であって、世の中が嫌になった、だから殺した、ではなかったはずである。
世の中が嫌になって、どうして人を殺すことになるのだろうか。人を殺したところで、世の中は存在する。その世の中が嫌だという自分の嫌さは解消しないという当然の理屈について、悩んだ形跡が見られないのである。〔…〕
たぶんもう手遅れである。子供にはとりあえず、これだけは教えておこう。人を殺したくなったら、自分が死ね。それが順序というものだと。
――「自殺のすすめ」
■ 人間自身-考えることに終わりなく|池田晶子|新潮社|2007年04月|ISBN:9784104001095
★★★
《キャッチ・コピー》
「人は病気で死ぬのではない。生まれたから死ぬのだ」。池田晶子の珠玉の哲学エッセイ最終巻。
《memo》
池田 晶子(いけだあきこ、1960年 - 2007年2月23日)。腎臓ガンのため46歳の若さで死去。
*
| 固定リンク
コメント