阿久悠/浅井慎平/久世光彦■ この人生の並木路
さて、携帯電話が携帯になり、言葉の響きとしては明らかにケイタイになり、ケータイに変化していくと、人間の電話でのしゃべり方が違ってくることに気がつく。〔…〕
電話に向かって頭を下げるといったしゃべり方は、紐付き電話に限られているように思う。思えば、滑稽な姿と言えなくもないが、心はこもっている。〔…〕電話でのカウンセラーを「いのちの紐」と呼んだこともあった。
コードレスとなると、もう頭を下げたり、汗をかいたりして、電話で話す人はいなくなった。つながっていないという意識が働くのか、歩きまわって話す。歩く必要もないのに、檻の中の動物のようにぐるぐるまわるのが、新しい滑稽を生む。使われる言葉も紐付きにくらべれば、かなりぞんざいさが加わる。よく言えばリラックスである。
これが携帯電話となるとがらりと変わり、なぜか横柄さが加わってくるから不思議である。電話が自分の所有物であり、紐もなく拘束がないとなると、「俺のケータイや」意識が働くのか、かなりひどいしゃべり方をしている。礼と敬意を感じたことがない。やがてこのしゃべり方が面と対ってでも使われるようになるかと思うと、ちょっと暗然とする。その日は近い。
――阿久悠「ケータイ言語」
■ この人生の並木路|阿久悠/浅井慎平/久世光彦|恒文社|2002年 01月|ISBN:9784770410603
★★
《キャッチ・コピー》
人生の達人がふり返るそれぞれの並木路。第1弾には、阿久悠・浅井慎平・久世光彦が綴る珠玉のエッセイ、破格の人生スケッチブックを収める。『日本経済新聞』連載。
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