森村誠一■ 森村誠一の写真俳句のすすめ
俳句は凝縮の文芸であるだけに、俳句を始めると、ものの見方が深くなる。毎日見馴れている平凡な風景や、出逢いや四季の移ろいなども、俳句を通して眺めるとき、特別の風合を帯びる。俳句と親しむようになってから、世界がより深く、広くなったような気がした。
「俳句前」には見過ごしていたような風景や出逢いに、これは俳句になるという予感を持つようになる。この瞬間はまだどんな俳句に実るかわからない。ただ、予感が走るだけである。
私は散歩の都度持ち歩いているデジタルカメラで、予感が走った光景を撮影するようになった。後で撮影した影像をじっくりと観察している間に俳句が生まれる。時には俳句が閃いてから撮影することもある。〔…〕
凡写が俳句に侍ると、これまた意外に精彩を帯びる。写真と俳句がそれぞれ相補い、一体となって独特の写真俳句世界を表現した。〔…〕
私はデジカメを手に俳句をひねりながら、人生の大きな表現の楽しみを発見したとおもっている。写真俳句は私にとって新しい表現の発見であった。
――「誰にでもできる写真俳句」
■ 森村誠一の写真俳句のすすめ|森村 誠一|スパイス|2005年 11月|ISBN:9784902835090
★★
《キャッチ・コピー》
まったく新しい創作世界へようこそ! 今すぐデジカメ片手に散歩に出よう。
花、水、街、食、駅、人、動物、山、空、旅、恋……
退屈な毎日から、人生を彩る日常へ。
写真、俳句、エッセイ、解説、知識ゼロからはじめる世界一簡単な写真俳句入門。
《memo》
写真の腕前はともかく、俳句の出来は……。
朝顔のかなたに蔵の寝ぼけたる 誠一
その角を曲がれば風の香る街 同
道草の足洗いたる夏の駅 同
| 固定リンク
コメント