« 福田和也■ 悪女の美食術 | トップページ | 裴淵弘■ 中朝国境をゆく――全長1300キロの魔境 »

2007.07.30

藤原章生■ 絵はがきにされた少年

20070730hujiwaraehagaki

ニャウォ氏の小屋に行ったある日本の30代の友人が、こんなことを言っていた。

「子供たちは裸足で遊び回り、孫たちは老人を敬い……。日本にもついこの前まであんな暮らしがあったのになあ」

その言葉を聞いて、援助に疑問をはさむ人の言葉をすぐさま連想した。

「援助など押しつけですよ。先進国の論理で彼らの価値観を変えてしまうんですから」

そのとき、私はこんな風に答えた。

「でも、援助される側は選ぶことができない。日本人はかつての貧困といまの暮らしの両方を知っている。でも彼らはいまの貧しい暮らししか知らない。このまま、富を知らずにいろ、貧しいままでいろというのは、やはりフェアじゃない」

でも、私は間違っていた。

なぜなら、一度貧しさから抜け出した者たちは、もうかつての貧しかった時代には戻れないからだ。再び金銭を失い貧しくなることはできる。でも、それはかつての状態に戻ることではない。

貧しかったときにあったはずの何かは、もういくら手を伸ばしてみても、追いかけても、取り戻すことはできない。損得を考えながら、自分たちが捨ててきたもの。それは、すっとどこかに消えてしまう。一度捨ててしまえば、それはもう選び取ることなどできないのだ。

――「語らない人、語られない歴史」

■ 絵はがきにされた少年|藤原章生|集英社|2005 11月|ISBN9784087813388

★★★

《キャッチ・コピー》

日本人が忘れた清涼な魂の物語。

今なお、被差別、貧困に満ちたアフリカ。しかしそこには、足ることを知る、純朴な人々が生きている。放っておけば砂塵のように消えてしまう彼らの存在を、言葉を、作者は温かい目で掬いあげ描く。

アフリカ特派員として、5年半を費やした取材の結晶。第3回開高健ノンフィクション賞受賞作。

memo

言葉を残すこと、記録することが歴史であるなら、あえて言葉を残さない歴史もあっていい。名もなく消えていく個人が何一つ言葉を発しなくても、残った者の心に言葉以上のものを残すからだ(同書)

|

« 福田和也■ 悪女の美食術 | トップページ | 裴淵弘■ 中朝国境をゆく――全長1300キロの魔境 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 福田和也■ 悪女の美食術 | トップページ | 裴淵弘■ 中朝国境をゆく――全長1300キロの魔境 »