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2007.08.07

乙川優三郎■ さざなみ情話

20070807otokawasazanami

「兄さん、あたし平気だから」

「ああ、心配してない」

とふたりして無愛想な口調になった。お互いに呆れてふっと気が抜けた瞬間、修次はやすの顔に浮かんだ翳りに気付いた。通りの薄明かりに照らされて、兄を見送る彼女は疲れて見えた。約束を果たした安堵とともに、新しい不安が修次の脳裡をかすめたのはそのときであった。

「おまえ、男に捨てられる覚悟はできているのか」

「そのことなら、考えなくてもはじめから決まっているわ、あたしはひとつ望みが叶えばいいの、だからもう言わないで」〔…〕

急に明るくなった妹の背後に彼女をそそのかす魔物がいるような気がして、彼は帰る途中で幾度も振り返った。

いまのやすを支えているのがその魔物だとしたら、夢にも落とし穴があって一気に壊れる日に向かっているのではないか、とそんな気がした。

まだ男というものを知らないやすは身籠ることにこだわっていたが、たとえ成功したとしても、相手の男に対して生まれるであろう女の感情に悩まされるはずであった。彼女はその怖さを知らない。

■ さざなみ情話|乙川優三郎|朝日新聞社|2006 06月|ISBN9784022501905

★★★

《キャッチ・コピー》

松戸・平潟河岸の遊女ちせを身請けするために、ひたすら仕事に打ち込む高瀬舟の船頭・修次。社会の底辺にありながら希望を捨てず、けなげに生き抜く人々の姿を、静謐な筆致で描く一冊。

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